「私の母はマグダレン322番だった。本当の名前は、マーガレット」
Samantha Long@SamanthaELong
nofrills@nofrills
Samantha Long@SamanthaELong
Samantha Long@SamanthaELong
後述するように「堕落した女」の施設とされているマグダレン洗濯所(日本語では俗に「マグダレン修道院」)にいたのは、「堕落した女」ばかりではありませんでした。問題は「清く正しく」の理念ではないのです。
Samantha Long@SamanthaELong
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TheJournal.ie@thejournal_ie
Jo@jonanamary
BreakingNews.ie@breakingnewsie
この「まとめ」、めちゃくちゃに重い……。
Magdalene Asylum, 日本語で(不正確にも)「マグダレン修道院」と呼ばれる施設
John Fitzpatrick@JFTAXI

※日本語では「マグダレン修道院」が定訳になっているので、本稿でもこれを「訳語」として使っていますが、実際にはこの施設は「修道院」ではありません。
住所はダブリンのロウアー・グロースター・ストリート。
現在この通りはイースター蜂起を担った1人の名をとって「ショーン・マクダーモット・ストリート」と呼ばれている。
http://www.panoramio.com/photo/5461694

https://matome.naver.jp/odai/2136008460559764201/2136010565561489703
この、大きな通り(ショーン・マクダーモット・ストリート・ロウアー: Sean McDermott Street Lower)の左側の古いレンガ造りの建物。ここが「マグダレン避難所」。
「避難所」とは、「罪を犯した女」らの「保護」施設のことだ。運営にあたっていたのは宗教組織(教会)。

https://matome.naver.jp/odai/2136008460559764201/2136010700261821703

https://matome.naver.jp/odai/2136008460559764201/2136010750261887303

https://matome.naver.jp/odai/2136008460559764201/2136010750261887203
The existence of the Irish asylums was not well known until, in 1993, an order of nuns in Dublin sold part of their convent to a real-estate developer. The remains of 155 inmates who had been buried in unmarked graves on the property were exhumed and, except for one, cremated and reburied in a mass grave in Glasnevin Cemetery. This triggered a public scandal and became local and national news.
Magdalene asylum – Wikipedia, the free encyclopedia
「アイルランドに設営された避難所の存在は、1993年に、ダブリンを拠点とするある女子修道会が修道院の一部を不動産業者に売却するまでは、あまりよく知られていなかった。(このときに)敷地内にあった墓標もない墓に埋められていた収容者155人の遺体が(偶然に)掘り起こされたのだ。(発見された遺体は)1人を除いて火葬され、Glasnevin墓苑の集団墓地に再埋葬された。このことがきっかけでスキャンダルとなり、ダブリンでもアイルランド全体でもニュースとなった」
Andrew Brennan@AndrewSB49
このショッキングな件の何がどう「スキャンダラス」なのか、いや、もっと端的に「これはひどい」なんてもんじゃないのか、読めば誰でも把握できる記事。一部抜粋しますが、全文をお読みいただくとよいかと思います。
The Sisters of Our Lady of Charity sold off land at their High Park convent in Drumcondra, Dublin, to developers in 1993.. Part of the land included a graveyard containing the remains of 133 women, many of whom had been locked away for years without pay in the laundry hellhole. The Department of the Environment granted a licence for the removal and cremation of the bodies at nearby Glasnevin cemetery.
1993: RIDDLE OF THE MAGDALENE LAUNDRY DEAD: Who are they? « The Ragged Wagon
「1993年、The Sisters of Our Lady of Charity(修道会)は、ダブリンのDrumcondra(北部郊外。東京で言うと北千住くらいの都心からの距離か)にあるハイ・パーク修道院の土地を開発業者に売却した。その土地に墓地が含まれており、133人の女性の遺骸が発見された。その多くは、洗濯場という地獄で賃金の支払いも一切受けずに何年も、閉じ込められていた人々だった。国の環境省は、遺体の掘り起しと近くにあるグラスネヴィン墓地での火葬を許可した。
電話帳のエントリ。
Sisters of Our Lady of Charity in Dublin 9 (Co. Dublin) – High Park Convent Generalate 3 Beechlawn High Park Drumcondra 9 Co. Dublin | Convents | goldenpages.ie
High Park convent in Drumcondra, Dublinの写真。まだ施設が使われていたころのものでしょうか。修道院サバイバーのサイトから。
2009年に撮影会に行った人の写真。廃墟になっています。
地図で場所が探せないのですが(アイルランドはかなり難しいんです……)Grace Park Road, Drumcondra, Dublin 9は下記の大通り。右手の塀は表示がないので何なのかわかりませんが、少し進むとカルメル会の修道院があるのでその敷地かも。
http://goo.gl/maps/EnsDR
But undertakers who began removing the coffins found an extra 22 remains. Many of the bodies were buried with their broken bones still in plaster-casts on their ankles, elbows, wrists, and hands when they were taken out of the ground. One of the bodies was headless. Why these bodies had casts on them is no mystery as these women were serving penal servitude for life because they were found to have had sexual relations without the express permission of the Catholic Church.
1993: RIDDLE OF THE MAGDALENE LAUNDRY DEAD: Who are they? « The Ragged Wagon
「しかしその際、棺の移送作業に当たっていた作業員たちは、さらに22体の遺体を発見した。その多くが、掘り起こされたとき、足首やひじ、手首や手などに骨折治療のギプスを装着したままだった。1体は、首がなかった。何故、これらの遺骸がギプスをつけたままだったのかは想像に難くない。というのは、この女性たちはカトリック教会の許諾もなく性的関係を結んだことがあると判明したために、死ぬまで懲罰的に下僕として働かされていたのであるから」
It is claimed that when they were discovered, the department simply issued an extra licence covering the other remains and did not launch an investigation into who they were. Failing to register a death is a criminal offence. But of the 133 original bodies, just 75 death certificates existed. All 155 bodies were removed and all but one of them cremated. They can now NEVER be identified in the event of a investigation into their deaths.
1993: RIDDLE OF THE MAGDALENE LAUNDRY DEAD: Who are they? « The Ragged Wagon
「この22人の女性たちの遺骸が発見されたとき、環境省は単に別途(改葬の)許可証を出しただけで、この女性たちが誰であるかについての調査は開始しなかった、とされている。死亡記録を怠ることは刑法上の違法行為である。しかしながら、最初に遺骸が見つかった133人のうち死亡証明書が存在していたのは75人にすぎなかった。またこの場所で見つかった155人の遺体は別の場所に移され、1体を除いてすべて火葬された。こうなってしまうと、その死亡についての調査を行なう上での身元の確定は不可能である」
The then Minister for Justice, Michael McDowell was asked to initiate a criminal investigation into the unregistered and unexplained deaths. A spokeswoman said: “That’s a matter for the Gardai.” A Garda spokesman said: “There is no investigation into these unexplained deaths at the moment.”
1993: RIDDLE OF THE MAGDALENE LAUNDRY DEAD: Who are they? « The Ragged Wagon
「当時の司法大臣、マイケル・マクドウェルは未登録で状況が不明な死亡事例についての刑事事件として調べるよう動くべきと要請されたが、スポークスウーマンは『それは警察の担当である』と述べた。一方、警察のスポークスマンは、『現在、これらの状況不明な死亡事例についての捜査は行なわれていない』と述べた」
上記、アンドルー・ブレナンさんのブログは、「名前と年月日が一致するのは27人だけである」、「カトリック教会が基本的には反対していた火葬に、修道女たちがもろ手を挙げて賛成したのもおかしなことだ」(アイルランドで火葬が解禁されたのは80年代半ば。キリスト教では遺骸はそのまま土葬するのが基本、ということです)。
“High Park, Dublin” でウェブ検索すると、マグダレン修道会被害者たちのサイトから、下記のページがヒットします。
http://www.magdalenelaundries.com/high_park_names.htm
「ネーム・プロジェクト」という表示の下、表の形で、延々と並ぶ名前。「キャラハン」、「キャロル」「ファレル」といったアイリッシュ・ネームが並んでいることに誰でも気づくと思いますが、「デイヴィッドソン」、「マクドナルド」のようなスコティッシュ・ネームも見られます。「ウィルキンソン」も。
ファーストネームは、「メアリ」、「マーガレット」、「ローズ」、「エリザベス」、「アン」、「アイリーン」、「エレン」……
ひとつひとつの名前に貼られたリンクをクリックすると、ウェブページが開くのではなく、メーラーが起動します。「ご親族からの連絡をお待ちしています」ということです。その説明は「ネーム・プロジェクト」のトップページにあります。
http://www.magdalenelaundries.com/name.htm
記録されてもいない死者たちの名前を、あとから調べる――紛争や戦争で、スレブレニツァのような虐殺で、またイラク戦争でのイラク人の民間人死者の追跡調査で、行われるようなことだと思っていました。
墓碑は、Justice For Magdalenes (サヴァイヴァー団体)のFlickrアカウントに写真がアップされています。
これもハイ・パーク。追悼の碑。
これがショーン・マクダーモット・ストリート(上でGoogle Street Viewをリンクした通り)の施設の死者たちの墓碑。
ダブリンのハイ・パーク/グラスネヴィン墓地のほかにも、アイルランド各地の写真があります。コークのピーコック・レイン、リムリックのマウント・セント・オリヴァー墓地、ゴールウェイ、ウォーターフォード……。
余談ですが、グラスネヴィン墓地はそれ自体が「闘争」の結果です。英国(とプロテスタント)の支配下に置かれていた時代、アイリッシュ・カトリックにはまともな墓地もなかった。そこでカトリックの権利を求めた活動家、かのダニエル・オコンネル(サムネイルの写真奥の塔が彼のお墓に建っているそうですが……)が「カトリックでもプロテスタントでも埋葬できる墓地」を作ろうという運動を進め、その結果作られたのがこの墓地。
The last Magdalene asylum, in Waterford, Ireland, closed on September 25, 1996.
Magdalene asylum – Wikipedia, the free encyclopedia
(アイルランド島の南東の端、ウォーターフォード)
1996
In October, the last Magdalene Laundry closes at Sean McDermott Street.
Adoption Rights Alliance
(ダブリン)
mollycrabapple@mollycrabapple
(「1922年」はアイルランド共和国となった国が成立した年で、実際にはマグダレン洗濯所はその前、19世紀には存在していた)
Barbara Derbyshire@BarbaraADerby
JusticeforMagdalenes@maglaundries
Dara Gallagher@daragall
http://en.wikipedia.org/wiki/Commission_to_Inquire_into_Child_Abuse
“罪の女(つみのおんな)は日本語で定着した言葉ではないが、英語で the Sinner と大文字で書くと、「悔悛した罪の女」、マグダラのマリアの異名となる。単なる罪人(つみびと)ではなく女性の、とくに性的不品行に結びつけられ、娼婦をも意味する。由来はカトリック教会において、ルカによる福音書に登場する「罪深い女」がマグダラのマリアと同一視されたことによる。”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BD%AA%E3%81%AE%E5%A5%B3
「マグダラのマリア」=「マリア・マグダレン」。施設の名前の由来です。
2002年、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した映画は、アイルランド共和国のおそるべき一面を克明に描いた作品でした。
監督・脚本:ピーター・ミュラン
製作:フランシス・ヒグソン
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=4195
“2002年のベネチア映画祭で金獅子賞に輝いた本作は、マグダレン修道院に収容された女性たちの衝撃的な実話をもとにしている。”
(映画のプレス向け資料より)
マグダレン修道院―――キリストによって改心した娼婦マグダラのマリアにちなんで名づけられたその施設は、19世紀に”堕落”した女性や娼婦のための避難場所としてアイルランドに建設された。20世紀に入ってカトリック教会が運営するようになると、”慈悲深い”シスターたちのもとで厳格に管理され、“一族に恥をもたらした”女性たちが洗濯部屋で働かされた。私語は禁じられ、家族と会うこともできない監禁生活は刑務所より過酷。中には施設に閉じ込められたまま一生を終える女性もいた。そして、この独善的な宗教と偏狭な社会の遺物のようなマグダレン修道院は1996年まで存続した。
マグダレンの祈り − 映画作品紹介− CINEMA TOPICS ONLINE
この記述は、実は部分的に不正確です。「マグダレン修道院」は「アイルランドに」のみ建設されたのではありません。
http://en.wikipedia.org/wiki/Magdalene_asylum
またマグダレンの施設を「修道院」と呼ぶのは厳密ではないのですが(そこに入れられていた女性たちは宗教者になる修練をしていたのではない)、日本語圏では「マグダレン修道院」という呼び方が定着・一般化しているので、検索可能性を考え、本稿も「マグダレン修道院」を多用しています(表題を含め)。ただし実際には「マグダレン洗濯所」であり、本稿では「修道院」と「洗濯所」の2つの表記が混在しています。
The Magdalene Asylums were set up in the 19th century as refuges for so-called fallen women. Operated by orders of nuns, the asylums financed their operations by functioning as commercial laundries providing service to schools, prisons and other institutions.
The Magdalene Asylum
「マグダレン避難所は、19世紀に、いわゆる『堕落した女』のために設立されたものである。女子修道会によって運営されていたこれらの避難所は、学校や刑務所といった機関にサービスを提供する洗濯所として機能することによって、運営費を賄っていた」
The women had to labour in silence – totally unpaid – 52 weeks a year, symbolically washing away their sins. They were forced to bind their breasts, had their heads shaved and were regularly humiliated and beaten.
The last Magdalene institution, in Waterford, closed in 1996. But of course not all the asylums were in Ireland; there were plenty in Britain too – right up until the 1970s. …
The Magdalene Asylum
「女性たちは、沈黙したままで、一切の金銭的報酬なく、年に52週間働かなければならなかった。洗濯という業務は、女性たちの罪を洗い流すという意味も込められていた。女性たちは、胸に布をぎゅうぎゅうに巻きつけて、頭は丸刈りでいることを強要され、恒常的に辱めを受け殴打された。
最後のマグダレン機関はウォーターフォードにあったもので、1996年に閉鎖された。しかし、むろんこれらの避難所がアイルランドにしかなかったわけではない。ブリテンにも数多く存在した。それも1970年代まで。」
イースト・フィンチリーにあったそうです。今はノース・サーキュラー・ロードになっている場所。
1996年というと、日本ではPUFFYとかミスチルとかスピッツが、小室サウンドとともに流行っていたころです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1996%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD” rel=”noopener noreferrer”>http://ja.wikipedia.org/wiki/1996%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD
英国では92年から別居していたチャールズとダイアナの皇太子夫妻が正式に離婚、「クローン羊のドリー」が生まれ、米国ではビル・クリントンが大統領に再選。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1996%E5%B9%B4
アイルランドからは既に世界的大スターとなっていたU2がアルバム “POP” を出すのが1997年。
http://ja.wikipedia.org/wiki/U2
北アイルランドでは、IRAの停戦(1994年~)が一時的に破られていましたが、1998年の和平合意へと至る道筋は既についていました。
何の罪も犯していないのに、孤児だったり、レイプの被害者だったり、婚姻外の子供をもうけただけで社会や家族、カトリック教会から“堕落した者”と決め付けられた少女たち。まるで看守のような心のゆがんだ修道女たち。この信じられない実態をイギリスのテレビ・ドキュメンタリーで知ったピーター・ミュラン監督は、より多くの観客にこの事実を知ってほしいと考えた。これまで隠されてきたその犠牲の大きさに愕然とし、不当な扱いに怒りを覚え、彼女たちの物語に触発されて脚本を書き上げた。
マグダレンの祈り − 映画作品紹介− CINEMA TOPICS ONLINE
(映画のプレス向け資料より)
この記述は、実は部分的に不正確です。「カトリック教会から」の部分です。「堕落した女」を「収容して矯正する」施設は、カトリックもプロテスタント(アングリカン、プレスビテリアン)も運営していました。そして、この映画がスポットライトを当てているダブリンの施設がカトリックの運営だったことは事実ですが、問題はカトリック教会にのみあったということではありません(つまり、「プロテスタントの被害者もいる」のです)。
ストーリー
1964年、アイルランドのダブリン。神父の立ち会いのもと、結婚式のパーティが佳境を迎えていた。……昂揚した雰囲気の中、従兄弟のケヴィンに誘われ控え室に行ったマーガレット(アンヌ=マリー・ダフ)は、そこで彼にレイプされる。会場に戻ったマーガレットが泣きながら友人に打ち明けると、この“一族の不祥事”はすぐに神父の耳にも伝わった。彼らはマーガレットをいたわるどころか、とがめるようにみつめた。……
アトラクタ孤児院。大きな瞳と勝ち気な表情が魅力的な美しい少女バーナデット(ノーラ=ジェーン・ヌーン)は近くで働く少年たちの人気の的。それが院長たちには“ふしだら”と映っていた。
ローズ(ドロシー・ダフィ)は未婚のまま病院で赤ん坊を産んだ。両親と神父は“罪深い”母親から生まれたばかりの赤ん坊を取り上げて連れていく。
……3人が連れてこられたのはマグダレン修道院だった。……シスター・ブリジット(ジェラルディン・マクイーワン)は3人を性悪女と決めつけ、マグダラのマリアのように祈りと労働によって神に奉仕し、“罪”を悔い改めるように言った。……
マグダレンの祈り − 映画作品紹介− CINEMA TOPICS ONLINE
……ここに収容された女たちは囚人のような制服を着て洗濯部屋で働かされた。私語は厳禁。シスターの先導で整列して歩き、手洗いに立つときも監視がつく。家族と会うことも許されなかった。それは刑務所以上に過酷で自由のない世界だった。ローズは同じ名前の少女がすでにいるという理由でパトリシアと呼ばれることになった。
女たちは無駄口を叩いたり、反抗的な態度を見せるとお仕置きを受け、頭を剃られた。……
マグダレンの祈り − 映画作品紹介− CINEMA TOPICS ONLINE
ちなみに、マグダレン修道院の存在が一般に知られるようになったのは、修道院で働いた経験を持つパトリシア・バーク・ブローガンが戯曲“Eclipsed”を発表した92年のこと。97年にはシンガー・ソングライター、ジョニ・ミッチェルが“The Magdalene Laundries”を世に送り出し、修道院で生き残った者たちの非公式なプロテスト・ソングになった。
マグダレンの祈り − 映画作品紹介− CINEMA TOPICS ONLINE
「生き残った者たち」=surviverです。別にそこで殺害されたわけではないので、「修道院の苛烈な虐待の経験者」、「過酷な環境を生き抜いた人々」とするのが適切だろうと思います。
パトリシア・バーク・ブローガンについては:
http://en.wikipedia.org/wiki/Patricia_Burke_Brogan
Michael Farrell@MichaelFarrellE
Eleanor Fitzsimons@EleanorFitz
Eileen Leahy@eileenleahy
Mannix Flynn@mannixflynn
「マーガレット」さんの娘、サマンサさんのツイートとRT
Samantha Long@SamanthaELong
Posted on March 16, 2012
書き出しに圧倒されます。
I will be celebrating my eighth Mother’s Day on Sunday. My Mum celebrated 54 Mother’s Days. My birth mother didn’t celebrate any.
They didn’t celebrate nonsense like that in the Magdalene Laundries, where to be a mother was to commit a sin.
They didn’t celebrate anything.
In praise of my two mothers – Mother’s Day as an adopted daughter | Samantha Long
「今度の日曜は私にとって8度目の母の日。私の母は54度目の母の日を祝う。でも私の産みの母は何もお祝いしなかった。そういうくだらないことは、マグダレン洗濯所では祝わなかった。あそこでは、母親になることは罪をおかすことであったのだから。あそこでは、何も祝うことなど、なかった」
1972年12月、ルイーズさんと双子の妹はそろって、養子斡旋の活動をしていた宗教組織の紹介で、育ての両親のもとに引き取られた。育ての両親は結婚して何年か経過しても子宝に恵まれない状態だったので、養子をもらうことを決断した。もともとは生まれてほどない赤ちゃんを引き取りたいと考えていたが、ルイーズさん姉妹と対面してこの子たちを引き取りたいと思ったそうだ。姉妹が生後9か月のとき。4年後、育ての両親の間に実の子ができた。ルイーズさんたちには弟だ。
一家は幸せに暮らしていた。アイルランドの北西部で(ドニゴールかな)、不況でお父さんの事業がつぶれ、お母さんがパートで働き……という状況になりつつ、瓶の中に小銭をためて娘をゲールタハト(ゲール語だけを使う地域)に通わせ、明晰な言語で語ることを娘に教え込んだ。長じて双子の姉妹は大学に進んだ。
ルイーズさんたちが産みの母親(マーガレットさん)を探し当て、ようやく対面したのは23歳のとき。産みの母親は42歳だった。産業学校とマグダレン洗濯所しか知らなかったマーガレットさんは、妊娠してお腹が大きくなったころに家族に見つかって施設に送り込まれたような「堕落した」女ではなかった。もっと小さなころから施設にいたのだ。マーガレットが妊娠したのは教会と国(両者が同じものを指していた時代)の保護下にあったときのこと。ルイーズさんの文には書かれていないが、つまり、そういうことだ。
育ての母のアンさんは、1999年に54歳で亡くなった。産みの母のマーガレットさんは2003年に51歳で他界した。このときルイーズさんは最初の子を身ごもっていた。産みの母も育ての母も、ルイーズさんのなした子を見ることなく、母親となったルイーズさんの姿を見ることもなく、逝ってしまった。
その2人の母親に、ルイーズさんは次のような感謝の言葉を捧げている。
“Margaret gave me life, and Anne gave me my life.
“They made me the woman and mother that I am, and I’m so proud to be their daughter.
“Thanks Mums,and Happy Mothers Day xxx”
Samantha Long@SamanthaELong
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Samantha Long@SamanthaELong
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twitpic.com/c0omh1

Samantha Long@SamanthaELong
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そのマグダレン修道院(マグダレン洗濯所)について、アイルランド共和国で調査が行われた。
1997年から2011年まで大統領をつとめたメアリ・マカリースの夫である。メアリは法律家、マーティンは歯科医でもある。
写真は2011年5月英女王を迎えての公式晩餐会の場に到着した夫妻。(こうして見ると夫が地味に見えるが、主役たる大統領は妻なのだから、写真写りはこのくらいでよい。)
Independent.ie@Independent_ie
indo.ie/hkXl9
Shortly after his appointment to the Seanad, Mr McAleese was asked to chair the committee investigating the Magdalene laundries and has been heavily occupied in that work.
He has been an infrequent participant in Seanad debates and has voted only once, in opposition to the budget cut in the respite grant.
Mr McAleese’s wife is currently living in Rome where she is studying canon law.
McAleese resigns his seat in Seanad – The Irish Times – Fri, Feb 01, 2013
In his letter of resignation, he said he had dedicated his time in the Seanad to two projects – the investigation into the plight of women who were held in the Magdalen Laundries and the “bridge building” between North and South.
He confirmed that he had completed his Magdalen Laundries report after spending 18 months putting it together.
“It is my fervent hope that the report will be of real public service most especially to the women concerned,” he said.
Former President’s husband Martin McAleese resigns from Seanad – Independent.ie
マーティン・マカリースは北アイルランドのアントリム州の出身で、大学はベルファストのクイーンズ大学。その後ダブリンに移り、60年代にセクタリアン紛争が激化する中でベルファストから追い出されダブリンに移ったカトリックの家の娘であるメアリと知り合って結婚。この人、おもしろいですな、ほんとに。
http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_McAleese
Leo Kelly@LeojjKelly
TheJournal.ie@thejournal_ie
JusticeforMagdalenes@maglaundries
Mary Lou McDonald@MaryLouMcDonald
Aoife Nolan@commentator01
m.guardian.co.uk/commentisfree/… #justiceformagdalenesNOW
Stephen Hanna@stehanna26
Caroline O’Connell@CazOConnell
JusticeforMagdalenes@maglaundries
Mannix Flynn@mannixflynn
Aoife Nolan@commentator01
irishtimes.com/newspaper/week… #justiceformagdalenesNOW
ICCL@ICCLtweet
Andrew Brennan@AndrewSB49
http://www.broadsheet.ie/tag/magdalene-laundry/
Louise Dalton@louisedalton
焦点は、「国家の関与」
In June 2011, Mary Raftery wrote in the Irish Times that in the early 1940s, some Irish state institutions, such as the Army, switched from commercial laundries to “institutional laundries”. At the time, there was concern in the Dáil that workers in commercial laundries were losing jobs b/c of the switch to institutional laundries. Oscar Traynor, then Minister for Defence, said that the contracts w/ the Magdalene laundries “contain a fair wages clause,” …
Magdalene asylum – Wikipedia, the free encyclopedia
The mandate of the Committee (Ch 2 para 8) was to find out facts regarding State involvement in Magdalene Laundries.
The Magdalene Report: A Conclusion | Broadsheet.ie
Ch 2 para 8 = http://is.gd/Ha8QLW
Geoff Ó Laoidhléis@geoffsshorts
Fed. Irish Societies@irishinbritain
Mannix Flynn@mannixflynn
angpolitical@angpolitical
BocktheRobber@BocktheRobber
– 国家の関与を示す証拠写真
Claire McGettrick@cmcgettrick

Claire McGettrick@cmcgettrick
Allan Cavanagh@AllanCavanagh
Geraldine Creed@gcreedo
Michael Farrell@MichaelFarrellE
John Fitzpatrick@JFTAXI
……昔は新築だったこともあるはずなのに、とても想像がつかなかった。市の機関にいるどんな冗談好きが、あそこにマンションなんて名前をつけようと考えたのだろう? 壁や床はボール紙のように薄く、上の階や隣の住人がトイレに行く音まで聞こえてくる。……もっと最悪なのは、夏となく冬となく、階段や廊下にこもっていたにおいだった。小便じみたマットレスの、紅茶の出がらしの、詰まった便所の、救いようなくくたびれた、茶色がかったにおい――あの、貧しさそのもののにおいにだけは、どうしても慣れることはなかった。
ベンジャミン・ブラック『溺れる白鳥』松本剛史訳、武田ランダムハウスジャパン、2011年、23-24ページ
1950年代のダブリンを舞台にした小説の描写の一部です。グロースター・ストリート(ショーン・マクダーモット・ストリート)の洗濯所のあったダブリンの北部は(現在もそうですが)このような、「低所得層」の住むエリアです。
Maggie Breathnach@MaggieBreathnac
Martin McAleese in Iveagh House, Dublin, this afternoon with his report investigating state involvement in the Magdalene Laundries between 1922 and 1996.