母からの電話
母からの電話 : 怖い話のまとめ – オカ学.com
怖い話ではないんですが、話させていただきます。
これは、友達から聞いた。
一人暮らしの女の子がうつ病になった時に体験した不思議な話です。
その女の子は人間関係が原因で仕事をやめてほとんど引きこもり状態になって、毎日死にたいと思うようになっていたそうです。
それである日、天井から電気コードを吊してそれに首をかけようとしたその時突然電話が鳴ったんだそうです。
その子はハッと我にかえって電話にでてみたら母親の声で
「もしもし~最近どう?」
と言われました。
その時の時刻は夜中の3時、普段ならこんな時間に連絡してくるなんて絶対にありえない。
疑問に思いながらも適当に話しを合わせていると
「いや実はねぇ…おばあちゃんがアンタが死んじゃうから電話しろって言って聞かないのよ~」
と言われたそうです。
その女の子はその時、言葉にできない感情が溢れて来てその場で泣き崩れたそうで、もちろんそのおかげで自殺も思いとどまったそうです。
逢いたくて
逢いたくて
池上さんから伺った話で、池上さんの奥さんの従兄弟、富沢さんが体験したという話だ。
富沢さんが高校二年の時の話。
富沢さんは旭川市に住んでいて、中一から付き合っていた洋子さんという彼女がいた。
二人は同じ歳で、同じ高校に通うようになったが、高校に入ってすぐ、洋子さんは親の転勤で岩手に引っ越してしまったという。
今でさえメールや携帯で連絡をとりあえるが、当時は手紙か家電話しか連絡手段がなく、富沢さんは引っ越した後も頻繁に洋子さんと手紙のやりとりをしていたそうだ。
手紙が届いたらその日のうちに返事を書き、翌日には投函する。
距離は遠くてもお互いの想いは近くにあるかのように、二人のやり取りは続いていった。
その歳の富沢さんの誕生日、洋子さんから手編みのマフラーが届いた。
同封の手紙には”北海道はこれから、どんどん寒くなるから、これを巻いて風邪ひかないように”と書かれていた。
それからも、手紙のやり取りと親公認の月一の電話が続いた。
やがで季節は初冬になり、さすがに北海道は防寒対策をしないと外に出られないくらいの厳しい寒さが訪れていた。
その日も芯まで凍りつくような寒さで、富沢さんは洋子さんに貰ったマフラーを首に巻き登校することにしたそうだ。
マフラーを首に巻き、通学バスに乗る。
幾つか目のバス停で、同じクラスの赤西さんが乗車してきた。
赤西さんは最近転校してきたばかりで話しがあい、友達になった人だった。
赤西さんは富沢さんと目があうなり
「お前、大丈夫か?」
と尋ねてきた。
何のことかわからず、不審に思い赤西さんを問いただすと
「今はまずい、学校に着いたら教えてやる」
とだけ言われた。
仕方なく、もやもやとした気持ちを抱えながらも、富沢さんは学校に着くまで大人しくしていた。
そして、学校にバスが到着するなり、赤西さんは富沢さんの手を引いて、校舎の陰に連れていったそうだ。
「お前、そのマフラーどうしたんだ?」
首に巻いたマフラーを指差し赤西さんが尋ねる。
別段彼女がいる事を隠すつもりもなかった富沢さんは、遠距離恋愛をしている彼女から貰ったものだと赤西さんに告げると、
「その彼女ってこんな子じゃないか?」
と洋子さんの姿形の特徴を全て言い当てた。
一度として赤西さんの前で洋子さんの話をした事がなかった為、富沢さんは驚きを隠せなかったという。
理由を求められた赤西さんは困ったようにこう話したそうだ。
「いや、さっきからお前の首に手を回して、お前を見ながら笑ってるんだよ、その子。特に悪意は感じないんだけどさ、なんか微笑み方が悲しそうだから」
そこまで話した時に始業チャイムがなり、会話は中途半端なところで途切れてしまった。
最初、馬鹿な事を言うやつだと赤西さんの話を否定しようとした富沢さんだったが、赤西さんが話してくれた洋子さんの特徴は確かに全て当てはまっている。
漠然とした不安が富沢さんの中に生まれたのは言うまでもない。
昼休みになり、富沢さんは赤西さんを呼びとめ、まだ洋子さんは見えているのかと尋ねてみた。
だが赤西さんは首を傾げた。
「朝はあんなにはっきり見えていたのに今は見えない」
と赤西さんは不思議そうに言う。
より一層強くなる不安を抑えきれなくなった富沢さんは、授業が終わると家に急いで帰ったのだが・・・
不安は現実となってしまった。
家の玄関を開けると、いつもはパートに行ってるはずの母親が青ざめた顔で電話をしていた。
そして、受話器を置くと富沢さんに
「今、洋子ちゃんが亡くなったって」
と告げた。
洋子さんは今朝方交通事故に遭い、搬送先の病院でたった今息を引き取ったという。
亡くなる直前まで、洋子さんはうわ言のように富沢さんの名前を呼んでいたそうだ。
彼の形見
彼の形見
クラスメイトの池上さんから聞いた話だ。
20歳頃に前述の霊体験で彼女を亡くした池上さんはしばらく彼女を作れないでいた。
そんな池上さんが新しい彼女、大西さん(仮)を迎えたのが25歳の時だった。
池上さんと付き合って二ヶ月が経ち、ある日大西さんの住むアパートに訪ねて行った時の事、大西さんは池上さんの前にある物を差し出した。
それは焼け焦げて変形した、辛うじてネックレスとわかるものと指輪だったという。
それを前に、大西さんは池上さんにこのような話をしたそうだ。
池上さんと付き合う前、大西さんには二年付き合っていた婚約者がいた。
大西さんとの婚約の際、彼氏はプレゼントとしてネックレスと指輪のセットをくれたのだという。
大西さんはそれを肌身離さずいつも身に着け、彼と早く結ばれる日を楽しみにしていたのだが・・・
彼は事故に遭い、他界してしまった。
明るい未来が手の届くところまで近づいていたのに、大西さんは全てを失ってしまった。
彼の葬儀の際、大西さんは彼からもらったネックレスと指輪を外し、せめて寂しくないように一緒に持っていってとお棺に入れ、彼を見送ったそうだ。
それから月日は過ぎ、彼の一周忌がやって来た。
いまだ亡くなった彼の事を忘れられずに、大西さんは悶々とした思いで彼の墓前で手を合わせたのだが・・・
その晩、寝室で寝ようとしていた大西さんの耳に、ドアをノックする音が聞こえた。
こんな時間に誰が来たのかと思い、大西さんが玄関の覗き窓を覗くとそこには誰の姿もなく扉も開けて外廊下も確認したがやはり人影はなかった。
聞き間違いかもしれない、そう思い寝室に引き返す大西さんは、思わず息を呑んだ。
寝室のベッドに腰掛ける人影、それは一年前に亡くした『彼』だったのだ。
呆然とする大西さんを目の前に、彼は
「先に逝ってしまってごめん」
と頭を下げたという。
そして大西さんに握りこぶしを差し出した。
大西さんが手の平を出すと、彼は大西さんの手に何かと渡した。
それは焦げたネックレスと指輪。
少し形は崩れているが、それは大西さんが彼のお棺に入れたものと良く似ていた。
彼は言った。
「俺はもうおまえを守ってやる事ができない、だから、それはおまえに返す。新しい恋をするんだ。」
そして最後に、彼はありがとうと深く頭を下げると溶けるように姿を消したという。
大西さんは涙が止まらなかったそうだ。
この話しを聞いた池上さんは大西さんの亡き彼氏に感服し、同時にこんな自分が彼女を本当に幸せにできるのかと悩み、結局大西さんとは別れてしまったのだという。
カーテンの向こう
カーテンの向こう : 怖い話のまとめ – オカ学.com
これは俺が中学生の時の体験で恐怖感はあまり無く、今でも思い出すと不思議な気持ちになります。
中学二年の二学期に、急性盲腸炎で緊急入院しました。
定期テストの前だったのでよく覚えています。
明け方に腹痛を覚えてそのまま救急車で運ばれ、即日入院で手術に備えました。
手術は翌日に決まり、痛み止めを服用してその日は病室で横になっていました。
病室は6人用の大病室でしたが、入院患者は僕と、その隣の人しかいませんでした。
夕方、仕事を終えた母が着替えや身の回りのものを持って見舞いにやって来ました。
しばらく話をしていると、60歳くらいのお婆さんが病室に入ってきました。
隣の人のお見舞いのようでした。
母が
「これから一週間ほどですがお世話になります」
と挨拶すると、向こうも
「若いですからすぐに元気になりますよ。こちらこそよろしく」
と微笑んでくれ、とても感じの良い人でした。
お婆さんは、隣の人のベッドのカーテンの中に入り1時間ほど話してから帰っていきました。
面会時間が終了して、母も家に帰りました。
その夜、僕は翌日の手術のことを考えて少し興奮し、すぐに眠れませんでした。
すると隣のカーテンの中から話し掛けられました。
「やぁ、この病室に入院してくる人は久しぶりだ、ここ何ヶ月か1人だったから退屈だったよ。どうして来たんだい?」
と聞かれました。
声の感じから、どうやらさきほどのお婆さんの旦那さんのようです。
優しい声でした。
「盲腸です。今日の朝に急にお腹が痛くなってしまって・・・テストもあるんですけどね。」
などと、僕は学校のことや部活のことなども話しました。
母が帰り心細かったので話相手が欲しかったのもありますし、相手のお爺さんの声が優しかったのでスラスラと話せました。
お爺さんは笑いながら話を聞いてくれて
「若いというのはそれだけで素晴らしいね。大病で無くて良かったね。」
と言ってくれました。
私は、悪いかとは思いましたがお爺さんにも入院理由を尋ねてみました。
「もう悪いところが多すぎて、何が悪いという訳でもないんだよ。寿命と言うには早いが私は満足しているんだ。おそらくもう退院は出来ないだろうけれどね。」
と言いました。
内蔵の病気を併発しているとのことで、確かに長く話しているとつらそうでした。
僕は、急に悲しくなって
「そんなことはない、僕は先に退院するけれど、お見舞いにも来るし、いつか退院できますよ。」
と言いました。
自分が病気になってみて、どんなに心が弱るか少しだけ分かった気がしていたので、元気づけられればと思ったからでした。
お爺さんは笑いながら僕にお礼を言ってくれました。
そして次の日、僕は手術をしました。
全身麻酔だったのでその後の半日を眠ったまま過ごしていました。
目を覚ますともう夕方を過ぎており、ベッドの周りには母と父が待っていました。
あと1週間ほど入院して、経過が良好なら退院できると説明されました。
しかし気になったのは隣のお爺さんのベッドが空いていたことでした。
病室移動かもしれないと思い、その時は、退院する日に挨拶をしにいこうと思った程度でした。
経過は思ったより順調で、5日ほどで退院の日になりました。
僕が入院道具を整理していたら、あのお婆さんがやって来ました。
僕がお爺さんのことを聞こうと思いましたが、お婆さんが涙目なのに気がついてすこし動揺しました。
するとお婆さんは
「あの人が手紙を書いていたのよ。渡すのが遅れてごめんなさいね。」
と僕に手紙を渡してくれました。
そこには
「最後の夜が1人でなくて良かった。ありがとう。元気に育ってください。」
そのような内容が乱れた字で書いてありました。
話を聞くと、お爺さんは僕が手術をしていた日の午前中に容態が急変して、そのままお亡くなりになっていたそうです。
僕は泣きながら
「僕もあの夜はお爺さんと話せて安心できました。心細かったけれどとても優しく話をしてくれた。」
とお婆さんに言いました。
するとお婆さんは不思議そうな顔をして説明してくれました。
説明によると、お爺さんは喉の腫瘍を切り取る手術が上手くいかずに、声帯を傷つけてしまったために話すことはもちろん、声を出すことはほとんど出来なかったらしいのです。
最後の手紙は、恐らく亡くなる前日の夜に、自分なりに死期を悟って書いたのだろうとのことでした。
今でも、あの夜にお爺さんと話したことを思い出します。
あれはなんだったのでしょうか。
不思議だけれど、あの優しい声は忘れないと思います。
入院中だった祖父
『入院中だった祖父』 – 怖い話まとめブログ
祖父は入院中だったが、術後で体調が安定したので外泊した。
翌朝に祖父が起きると、突然
「今日ぼくは死ぬから、(うちの父で医者)君を呼びなさい」
と伯母に言った。
その頃には祖父は少しぼけていたし、
「明日また入院するんだから、顔色もいいし大丈夫よ。迷惑でしょう」
と取り合わなかった。
その日の午後、祖父は
「○田×男、○月○日、88歳。(祖母)をよろしく、頼む」
と力強く言ったあと、お気に入りの椅子で居眠りをはじめ、気づいたら息をしていなかったそう。
かっこよすぎですおじいちゃん。
私も病院勤めだけれど、老衰でもないのに「今日死ぬよ」と言って、そんな風に穏やかにいく人にはまだ会ったことはない。
フルートの音
フルートの音 : 怖い話のまとめ – オカ学.com
これは去年、オレが高1だったとき、オレには大学に通う姉がいて、その姉の友達(以下M)にまつわる話。
Mは吹奏楽をやっていて、フルートがめちゃくちゃ上手かったらしい。
同じ東京の大学に通う姉とMは、休暇があると二人してオレの住んでいる栃木の実家まで遊びにきた。
Mは人見知りするらしく、初め会った時(そのときはオレが姉のアパートに遊びに行った)にはほとんど会話がなかった。
オレも自分が年下ということもあって、当時は敬語で挨拶する程度だったのだが、それから姉が実家に帰るごとにMを連れてきたので自然とオレもMと打ち解けて、そのうち敬語もつかわなくなっていた。
なんというか…普通の友達?位にはなった。
でも一つだけ腑に落ちないことがある。
Mがフルートが得意だとは出会う前から姉に聞かされていたから、仲良くなってからオレはMに
「演奏してみせてよ~」
と何度も頼んだ。
しかしMはそれを拒んだ。
何でも、自分は下手だし恥ずかしいとか。
でもMはコンクールにも出てるし、姉も
「Mってフルート超上手いんだよ~」
と言っていたので、下手というのは嘘か自分に自信がないだけだろと思っていた。
だから家に遊びに来る度にMに聞かせてほしいな~って感じでオレは言っていた。
そしてある日、ついにMは
「じゃあ今度来るときフルートも持っていくね」
と笑顔で答えた。
その場面は今でも忘れない。
姉から連絡があったのはその二日後であった。
Mが交通事故にあったということ。
病院で意識不明の重態だということ。
オレは「まさか」と思いつつ、不安にでその日の夜は眠れなかった。
そして朝…その日は日曜だったが、不安と寝不足で疲れていたオレは2階の自分の部屋でぼーっとしていた。
まだ5時半位だろうか、いきなり1階の玄関が開くような音。
親も起きていないし、第一玄関には鍵がかかっている。
でもその鍵を開ける「ガチャ」という音が聞こえない。
面倒臭えなと思いつつ、階段で下におりて行った。
そして玄関前に着いて、オレは驚いた。
鍵がかかったままだ。
家の中にある扉と玄関の音なら、オレだって聞き分けられる。
でも確かに2階で聞いた音は玄関の開くギィという音今思うと不思議だったが、何故か恐怖とかは全然なかった。
そして疑問を抱きつつ、玄関から離れようとしたその瞬間だった。
もの凄い耳鳴りに襲われた。
オレには微々たるものだが霊感があるらしく、よくいるはずのない人の気配を感じると同時に、キィンキィンと強烈な耳鳴りが連続的というのか、音源が遠ざかったり近づいたりする感じで、オレを襲う。
極稀にだがその気配の主を見たりもする。
その朝も同じような耳鳴りで、眩暈がしてヨロヨロと自室に戻ろうと、階段を上がる。
だがそのときも、恐怖がなかった。
階段を登る途中、ふと耳鳴りが止んだ それと同時に笛のような、でもそれより高くて細い小鳥の囀りの様な音がどこからか聞こえてきた。
よく聞くとその音が何かの曲を演奏しているんだと分かる。
曲名は分からないが、とても心地がよくて、心が洗われる音色で、オレは足を止めてその音に聞き入っていた。
なんというか、感動してオレの目からは涙が溢れていた。
そして曲が終わったとき、ふと後ろに…玄関から何かの気配がした。
気配がするのに耳鳴りが全然しない。オレはこういうこともあるんだなと思った。
玄関から声が聞こえた。
まぎれもなくMの声で
「心配かけてごめんね」
オレは全てを悟った。
そして心の中で
「気にすんなって、それよりありがとな」
と答えた。
すると玄関が開くと同時に
「フフ」
と微笑む声が聞こえて、気がつくと気配が消えていた。
オレは気をつけろよと言いつつも、涙が止まらなかった。
開いた玄関から気持ちいい春風が流れこんでくる四月の朝だった。
玄関がしまる直後、家の電話が鳴り響いた。
出てみると姉で、5時過ぎ頃にMが亡くなったとのこと。
オレは知ってはいたが、その後自室にこもって泣いていた。
恥ずかしいくらい嗚咽も吐いた。
昼頃になってやっとおさまった。
一週間後。
姉からMについて詳しいことを聞いた。
コンクールを控えたMが大学から家に帰る途中で車にひかれたこと。
完全に車側の過失であったこと云々。
最後に姉は
「実はM、○○(オレの名前)のこと好きだったんだよ!だから休みの度に家に連れてきてたのに何で気づいてあげられなかったの」
と泣きながら怒られた。
ちなみに、Mが亡くなった日の朝、親は寝室で寝ていたのだが玄関の音も、フルートの音(多分だけど)も聞こえなかったとか。
今日は学校も休みだし、Mのお墓参りに行こうと思います。
車の運転免許
『車の運転免許』 – 怖い話まとめブログ
私と若くして亡くなった主人との出来事・・・
主人は重い病気にかかってしまって車の運転が出来なかったのです。
私はその頃無免許。
何とか自分が免許を取って主人とドライブに行きたかった。
なのに頭が弱くて筆記試験に落ちてしまう私。
合格発表の日には、不合格になってしまってがっかりしている私を反対に慰めてくれた。
「大丈夫だよ、ここと、ここを覚えておけば合格するよ、一緒に付いて行って教えてやる」
なんて冗談も言ってくれた。
それなのに又不合格。
主人の様態がますます悪くなり、ついに帰らない人になってしまったんです。
主人が居なければ免許など必要ないが、あともう少しなのだから頑張らなくちゃと誰かが自分を押した。
試験日、自転車に乗って前後だれも居ない道のりで、サイドミラーに誰かが映った。
「あ、○○さん?(主人の名)約束通りついて来てくれたんだね。 今日は合格だね? 」
その日は思った通り晴れて合格になった。
ありがとう○○さん。
懐かしい人
懐かしい人
まだ小学一年生の頃、真夜中に突然の喘息の発作に見舞われた。
苦しくて声をあげようにも声にならず呼吸もままならない。
両親は襖を隔てて隣の部屋で就寝しているらしく寝息が聞こえている。
苦しくて(もう駄目だ)小さな私にも『死』が頭をよぎった。
その瞬間、寝ている私の頭を包み込むように畳から人間の手が現れた。
まるで畳から手が生えていると言う表現が一番しっくりくるんだろうか。
その手が、優しくひんやりと私の額を撫で胸の辺りに手が置かれた瞬間に吸う事しか出来ずに苦しかった呼吸が、まるで魔法の様に楽になった。
不思議に思いながら、うっすらと目を開けると日本髪を結った黒い着物を着た女の人が、私の枕元に正座して座り、仕切りに私の頭を撫でている。
優しくて冷たいひんやりとした手。
その左手には金の指輪が2つ光っていた。
朝に目を覚ますと女の人は消えていた。
それから暫くして、小学校三年生の時に曾祖父が亡くなり、遺影を飾る際にだだっ広い和室に曾祖父の遺影が一つだけでは寂しくて可哀想だからと、祖母が早くに亡くなった曾祖母の遺影も一緒に飾る事にした。
その写真を見て、びっくりしたあの女性だった。
話に聞くと、結核で入院していた曾祖母はよく、結核で苦しい時に
「私の子供や孫にはこんな苦しい思いをさせたくないねえ。」
と仕切りに言っていたらしい。
それから、程なくして実際は結核ではなく医療ミスで亡くなったらしい。
曾祖父は生前曾祖母に頭が下がる様な手厚い看病をして頂いたと病院を訴えなかった。
曾祖母が死んで、半月後に私は産まれた。
生前、曾祖母は私の誕生をとても楽しみにしていたらしい。
私は産まれる直前までずっと、産婦人科医に男の子に違いないと宣告されていた。
母も男の子が産まれるものだと思っていた時、曾祖母が私の母の夢枕にたち
「由美ちゃん、子供が産まれたんだって?良かったねえ!私にも抱かしとくれ。元気な子だねえ。あら、由美ちゃんこの子は男の子なんかじゃないよ。女の子だよ。」
産まれてきた私は曾祖母の言葉通り女の子だった。
時を超えて、まだ見ぬひ孫の私を曾祖母が救ってくれたのだと思う。
あの時、曾祖母の手に光っていた2つの指輪は銀婚式と金婚式の金の指輪だった。
その一つは、形見分けで貰った母の指で今も輝いている。
祖母のしたこと
祖母のしたこと : 怖い話のまとめ – オカ学.com
私の一番古い記憶は三歳。
木枯らしの吹く夕方、一人でブランコを漕いでいるところ。
手も足もかじかんで、とても冷たい。
でも今帰れば母に叱られる。
祖母に迎えに来て欲しい、ここはいつも来る公園なのだからきっとすぐわかるはず。
そのうち、風に揺られてるのかブランコに揺られてるのかわからなくなる。
私は母に虐待されて育った。
飲み物をこぼした、ちょっと足音をたてて歩いた、声を出して笑った。
そんな理由ですぐ折檻された。
気が済むまで殴られる、安全ピンでお尻を刺される、冬に水風呂に入れられる。
煙草を吸わされ背中を灰皿にされる、食事を抜かれる、家に入れてもらえない。
私に向かって拳を振り上げる母は、喜んでいるように見えた。
父は見て見ぬ振りをした。
失敗して叱られ何度も蹴られる私の横で、テレビを見ながら食事をしてた。
終わると、
「お母さんの言うことをちゃんと聞きなさい」
と言った。
助けてくれたのは祖母だけだった。
折檻の傷の手当てをして、一緒の布団で眠ってくれた。
私をかばい、代わりに蹴られてしまったことすらある。
それを見た時、恐ろしさに泣いてしまった。
お前のせいで痛い目にあったと叱られるんじゃないかと思った。
それ以上に、もう自分を嫌いになるんじゃないかと思って、恐怖で息が詰まりそうだった。
二人で部屋に戻ると泣きながら祖母の足に湿布を貼り、自分は殴られても大丈夫だから、いいからと必死に訴えた。
何より祖母に嫌われるのが怖かった。
祖母は私を抱きしめて泣いた。
そしてそのまま一緒の布団で眠った。
あれは多分五歳頃。
ふと夜中に目を覚ますと、隣で眠ってるはずの祖母がいなかった。
きっとトイレに行ったんだろうと思い、そのまま目を瞑った。
でも、しばらく経っても戻ってこない。
もしや母に何かされたのかと思い、そうっと起き上がり、襖の外の様子を伺った。
何も聞こえない。
音をたてないように襖を開け、祖母を探しに出た。
真っ暗な家の中、どこにもぶつからないようにと注意していた。
気づかれればまた殴られる。
トイレにも台所にも、居間にもいなかった。
もしかして自分を置いて出て行ってしまったのだろうかと思い、居間を通って玄関に靴を見に行こうとした。
庭に面した窓のカーテンが、少し開いている。
外に人が立っているように見えたので、隙間から覗いてみた。
祖母がいた。
こちらを向いて、無表情に突っ立っている。
良かった、私を置いて行ったんじゃなかった。
安堵で胸が一杯になり、カーテンを開けようとした。
すぐに思い留まった。
何かおかしい、いつもの祖母と何かが違う。あんな気味の悪い祖母は見たことない。
何がおかしいのかはすぐにわかった。
祖母は犬の首を持っていた。
どこから捕まえてきたのだろう、薄い茶色で、舌がでろりとたれている。
大きさは多分中型くらい、それでも首を切るのは大変だっただろう。
犬の頭も、足元に転がった体も、祖母も、赤く染まっていた。
しばらく突っ立ったままだった祖母はやがてだるそうに犬の胴と頭を持ち、どこかに行ってしまった。
見てはいけないものを見たんだろう。
私は震えながら布団に戻り、どうか祖母を元に戻して下さいと神様に祈っていた。
神様なんていないとわかっていたけれど。
目が覚めると、祖母は隣で眠っていた。
元に戻っていなかったらどうしようと思い、起こさずにずっと見つめていたら、目を覚ましてくれた。
「おはよう、おなか空いたかい?」
そう言って笑ってくれた祖母は、いつもの祖母だった。
あぁ良かった。安心して、
「うん、おなかすいた。」
と返事をした。
祖母から漂う生臭い匂いは、気にしないことにした。
家の中を、狐や狸や犬のようなものがうろうろしているのが見えるようになった。
父も母も気づいていないようなので、自分にしか見えていないんだろうと思った。
ある日祖母にそのことを言うと、とても嬉しそうな顔をした。
それは何をしてるんだい?と聞かれたので、ありのままを答えた。
父と母にまとわりついていて、それがくっついてると二人ともとても気分が悪そうだと。
夜中に母が叫ぶことが多くなった。
昼間も青い顔をしている。
どうやらあまり眠れないらしい。
母の体調が悪くなってから折檻はだいぶ減ったが、いらいらしているのだろう。
体中ライターの炎であぶられ、手のひらに研いだ鉛筆の芯を何本も差されたりした。
その頃から祖母に、玄関から出入りしちゃいけないよと言われた。
理由は問わなかった、大好きな祖母の言いつけだ。
祖母と私は裏の勝手口に靴を置き、そこから家に出入りするようになった。
家の中が生臭くなってきた。
特に父と母から強く臭うようだ。
二人とも奇麗好きだったのに、だんだん身なりに構わなくなってきた。
爪が伸びて、中に黒いものが詰まってる。
服もなんとなく汚れてる。
お箸を使わない。
父が独り言を言うようになった。
何を言ってるのか聞きたくて、後ろからそっと近づいてみたが、聞き取れない。
父はとても臭い。
それは獣の匂いなのか、父の下着に溜まった排泄物の臭いなのかわからない。
母が金切り声をあげる。
空中に向かって包丁を振り回す。
そういえば最近、折檻されていない。
もう母には私が見えていないのだろう。
七歳の時、市役所や病院の人が来て、父と母を連れて行った。
祖母は宜しくお願いしますと頭を下げていたが、みんなが帰ると私を振り返ってにっこりした。
私もにっこりした。
大好きな祖母と二人だ、これでもう何も怖くない。
十三歳の時に祖母は脳梗塞で倒れ、体が不自由になってしまった。
家の中にいた獣達は、皆祖母にまとわりついていった。
そう告げると祖母はため息をつき、きっと返ってきたんだねぇと呟いた。
それから二年、痴呆でゆっくりと子供に戻りながら、祖母は他界した。
全身に原因不明の湿疹と蕁麻疹が広がり、掻き毟りながら逝ってしまった。
遺体を解剖して、死因は蕁麻疹で喉が腫れた窒息死だったそうだ。
原因不明の湿疹と蕁麻疹は、動物アレルギーからくるものだと言われた。
動物を飼ったことはなかったけれど、わかりましたと返事をした。
私はまだあの家に住んでいる。
相変わらず勝手口から出入りしている。
獣達の姿も、獣のようになってしまった祖母の姿も見える。
祖母が何をしたのかは聞かなかったが、きっと私の為を思ってのことだろう。
どのような姿であれ、祖母が側にいてくれる。
それだけで嬉しい。
父が亡くなった日の朝
『父が亡くなった日の朝』 – 怖い話まとめブログ
うちの父は近所の公園で朝の散歩中、心臓発作で亡くなったんだけど、 亡くなった日の朝、父はまだ帰ってなくて、私は遅刻ギリギリで自転車にまたがった瞬間、学校と反対側の父が散歩してるはずの公園にどうしても行きたくてたまらない気持になった。
「でも!今日は試験だから!!!!」
「いや、ちょっと行くくらいなら」
「でも!試験があるし!!!」
と心の中で押し問答の末、学校へ行くことにした。
その道中、私を追い越した救急車が、私の行く手を阻んだ。
「もう!!!」って思いながら、急いで駅へ向って、ぎりぎりで到着したのに、自転車置き場の自転車をダーーーーって倒してしまったり、こけそうになったり、とにかく私を学校に行かせまいと誰かが止めてる感じだった。
そして試験中、担任に父が亡くなったことを知らされた。
私が行くか行かないか格闘してた時間に公園で倒れていたこと、 私の行く手を阻んだのが父の乗った救急車だったこと。
父はきっと、私を呼んでたんだ。
公園で散歩だったので、身元を確認するものを持ってなくて、だれにも看取られず逝ってしまった。
結局、死後、首に巻いてたタオルに宣伝の名前が入ってた近所の酒屋のおじさんが、身元を確認してうちの父だと判明した。
なんであの時、公園へ行かなかったのだろうと、20年以上たった今でも後悔してる。
昭和のある悲話
昭和のある悲話
これは20数年前、私が大阪の天六あたりをうろついていた頃の話です。
行き付けの焼き鳥屋「人生劇場」という店がありました。(まっちゃん元気やろかな)
そこのお客さんにA君というお客さんがいて、その彼女Bさんとの話です。
大筋は記憶してますが、詳細がうろ憶えなので、セリフなどは演出しますのでご容赦願います。
ある晩、BさんはA君のアパートに泊った。
深夜、Bさんがベッドの中で寝言を言い出した。
一緒に寝ていたA君は寝ぼけながら
「こいつ何夢見てるんやろ」
と思ったがそのまま朝まで寝てしまった。
朝、Bさんに、
「なんの夢見てたん?」
と聞いたが、
「いやあ友だちのCが出て来てな、なんか言うてんねんけど、忘れたわ」
といってその時は仕事に出て言った。
その夜、Bさんは再びAくんの部屋へ。
「あんなあ、Cがなー、一昨日から帰ってないんやって」
「行方不明なんか?」
「わからん、彼氏もつかまらへんねん」
あちこち電話したらしいが、家族も友人も2人の行方を知らない。そして彼氏の自動車がない。
「どっか旅行でもいったんかな」
捜索願いなどは家族が出すだろうと心配しながらも、ベッドに入った。
その晩もBさんがベッドの中で寝言を言い出した。
A君は「こいつまたや」と思ったらしいが、よく聞いてみると、六甲山の○○と言っている。
そして
「Bちゃん・・・Bちゃん・・・」
と自分自身の名前を呼ぶ。
不思議に思ったA君は
「B、B、どしたんや?六甲山がどうした?」
Bさんは目を瞑ったままゆっくりと上半身を起こし、つぶやくように言った。
「Bちゃん、私たち六甲山のカーブの崖下にいてる」
「探して、助けて」
A君は驚き、Bさんの肩をゆすって起こした。
「B、どしたんや、Cちゃんが出てきたんか?」
目を覚ましたBさんは
「A君、Cちゃんが助けてくれって、車が崖の下に落ちてて2人ともフロントガラスにつっこんで・・・」
そこまで言ってぼろぼろと泣き出した。
A君は、これはただ事ではないと感じ、いそいで深夜に実家に帰り、父親の車を借りて六甲山へ向かった。
六甲のMドライブウェーについたのは午前5時頃だったらしく、初夏と言うことですでに明るかった。
ドライブウェーといっても奥Mとか表とか裏とかいっぱいあって、特定出来ない。
仕方なく、A君の知っているルートを走ってみることにした。
A君とBさんはガードレールが壊れているところがないか、カーブにタイヤ痕がないかなど、慎重に探しながら走った。
気になるカーブでは停車し、崖の下を覗いたりしてみたがわからない。
そもそも走り屋が多い場所だからタイヤ痕や潰れたガードレールなどはいっぱいあった。
(当時は「バリバリ伝説」ブームでバイクが多かった)
一通り走ってみたがわからない。
ふたりはあきらめ、その日は仕事があるので、また今晩来ようと帰路についた。
阪神高速はすでに渋滞にかかっており、まちがいなく遅刻すると思ったA君は運転しながら遅刻の言い訳を考えていたと言う。
Bさんは寝不足もあり、Cさんの心配をしながらも渋滞の車中では睡魔に勝てなかった。
数分後、Bさんが突然、
「キャー!!」
といって飛び起きた。
びっくりしたA君は、その時渋滞で徐行していてよかったと言っていた。
「もどって!、今視た!事故の遭うた瞬間!山が迫って来る!」
A君は高速を降り、再び六甲へと向かった。
途中、勤務先に連絡し、2人ともその日は休みをとったという。
Mドライブウェーの上りをゆっくり進む。
後ろからバイクがいらつくように追い抜いて行く。
「もうちょっと先の左カーブ」
とBさんは言う。
左カーブで山が迫ってくるということは反対車線にはみだして壁面に激突したということか。
右カーブで崖に飛び出したものとばかり思っていたので気がつかなかったのか。
「あああっここや!あぶない!」
とBさんは顔を手で覆い、叫んだ。
そこは急カーブではなく、緩やかな左カーブで次のカーブまで短い直線があるところだった。
スピードの乗るところで、タイヤ痕など無数にあったがガードレールは新品のように傷が少ない。
どうやら事故も多いようで、数メートルだけ最近付け替えたような白さだった。
ハザードを点滅させ、停車するとBさんは降りてカーブの出口の山側の壁面を見つめていた。
無数の接触痕があり、比較的新しいものもある。
レンズやウインカーは砂のように散らばっている。
「ここに当たって、はじかれて・・・」
歩きながらBさんは説明する。
「ここから落ちたんやわ」
と憑かれたように崖を見下ろす。
そこは車を縦にしなければ通れないようなガードレールと雑木の隙間だった。
なだらかな斜面はたしかに大きな物体が通り抜けたように木々が倒れていた。
しかし車は見えない。
十数メートル先は急な崖になっており、死角になっている。
ふたりは崖下が見える場所を探そうと道を移動するが見えるところがない。
「絶対にここや、警察呼ぼう」
とBさんは確信を持って告げた。
ドライブウェーの入口ちかくに派出所があったそうで、そこに駆け込み、車が転落していると伝えた。
警官は現場を確認後、レスキューに連絡し捜索が始った。
数時間後、カーブから50メールほど下に、雑木に引っ掛かったクルマを発見した。
しかし乗員がいなかった。
シートベルトの習慣がないころの事故だけに、フロントガラスが割れ、放り出されたようだった。
ナンバー照会で持ち主はCさんの彼氏と判り、警察は家族に連絡したようだが、Cさんの家族には連絡しなかった。
その後も捜索は続けられたが、日没になり捜索活動は終了した。
A君とBさんはその夜、Cさんの家に行き、両親に経緯を話した。
俄に信じ難い話ではあるが、事実彼氏のクルマが事故っている以上、Cさんが同乗していたのはまちがいないだろうと、父親は明朝、現場に行くといって嗚咽する母親とともに2人に感謝の言葉を述べた。
その夜、Bさんはひどい寒気を感じ、
「寒い、Cが寒いっていうてる」
といって泣きながらそのままAくんの部屋で寝てしまった。
翌日、両親、友人の願いも空しく、ふたりは遺体で発見された。
彼氏は崖を転がり、かなり下の木の枝に引っ掛かっていた。
Cさんはさらに下の小さな沢に飛ばされていて、上半身が水につかった状態で発見された。
Bさんはそれ以降、Cさんが乗り移ったような状態はないらしい。
ただ、Cさんの母親に
「もしまたあの子が現れるような事があれば、伝えてやって下さい」
と手紙をあずかったそうだが、私にはどういう内容なのかは知る事は出来ない。
そしてその手紙をBさんを通じて、Cさんが読んだのかどうなのか、気になる事ではある。
私は幼い頃、一人でいる事の多い子供でした。
実家は田舎の古い家で、周りには歳の近い子供は誰もいませんでした。
弟が一人いたのですが、まだ小さくかったので一緒に遊ぶという感じではありませんでした。
父も母も祖父も、弟が生まれてから、以前ほど私をかまってくれなくなって、少し寂しかったのだと思います。
とにかく、その頃の私は一人遊びで日々を送っていました。
私の家は古い田舎造りの家で、小さな部屋がたくさんありました。
南西の隅には納戸があり、古い道具や小物が納められていました。
その納戸に入り込んでは、仕舞ってある品々をオモチャ代わりにして遊ぶのが、当時の私の楽しみでした。
その鏡を見つけたのが何時のことだったのかは、ハッキリしません。
もともと手鏡だったようなのですが、私が見つけたときは、枠も柄も無いむき出しの丸い鏡でした。
かなり古そうなものでしたが、サビや曇りが殆ど無く、奇麗に映りました。
そして、これもいつ頃だったのか良く憶えていないのですが、ある時、その鏡を覗くと私の背後に見知らぬ女の子が映っていました。
驚いて振り返りましたが、もちろん、私の後ろに女の子など居ません。
どうやら、その子は、鏡の中だけにいるようです。
不思議に思いましたが、怖くはありませんでした。
色白で髪の長い女の子でした。
その子は鏡に写る私の肩ごしにこっちを見て、ニッコリと笑いました。
「こんにちは。」
やがて私たちは話を交わすようになりました。
私は彼女の事をナナちゃんと呼んでいました。
両親は、納戸に籠り、鏡に向かって何ごとか喋っている私を見て気味悪く思ったようですが、鏡を取り上げるような事はしませんでした。
それに、大人達にはナナちゃんは見えないようでした。
ある日、私はナナちゃんに、
「一緒に遊ぶ友達がいなくて寂しい」
というようなことを話しました。
すると、ナナちゃんは、
「こっちへ来て私と遊べばいい」
と言ってくれました。
しかし私が、
「どうやってそっちに行ったらいいの?」
と聞くと、ナナちゃんは困ったような顔になって
「わからない」
と答えました。
そのうちナナちゃんが
「・・・聞いてみる」
と小声で言い足しました。
私は誰に聞くのか知りたかったのですが、何となく聞いてはいけないような気がして黙っていました。
それから何日か経ったある日、ナナちゃんが嬉しそうに言いました。
「こっちへ来れる方法がわかったの。私と一緒にこっちで遊ぼう。」
私は嬉しくなりましたが、いつも両親に、
「出かける時は祖父か母へ相談しなさい」
と言い聞かされていたので、
「お母さんに聞いてくる」
と答えました。
すると、ナナちゃんは、また少し困った顔になって、
「このことは誰にも話してはいけない。話したら大変なことになる、もう会えなくなるかもしれない。」
というような事を言いました。
私は、「それはイヤだ」と思いましたが、言いつけを破るのも怖かったので黙り込んでしまいました。
するとナナちゃんは、
「じゃあ明日はこっちで遊ぼうね?」
と聞いてきました。
私は、
「うん」
と返事をしました。
「約束だよ。」
ナナちゃんは微笑んで小指をこっちに突きだしてきました。
私はその指に合わせるように小指の先で鏡を触りました。
ほんの少しだけ暖かいような気がしました。
その夜はなかなか眠れませんでした。
両親にはナナちゃんのことは話しませんでした。
しかし、寝床に入って暗闇の中でじっとしていると、いろんな疑問が湧いてきました。
鏡の中にどうやって入るのだろう?
そこはどんな所なんだろう?
ナナちゃんはどうしてこっちに来ないんだろう?
こっちへ帰ってこれるのだろうか?
そんな事を考えるうちに、だんだん不安になってきました。
そして、ナナちゃんのことが少し怖くなってきました。
次の日、私はナナちゃんに会いに行きませんでした。
次の日も、その次の日も、私は納戸には近寄りませんでした。
結局、それ以来、私は納戸へ出入りすることを止めたのです。
月日が経ち、私は町の高校へ行くために家を出ました。
卒業しても家に戻ることもなく近くの町で働き始め、やがて私は結婚して所帯を持ちました。
その頃になると、ナナちゃんのことはすっかり忘れていました。
結婚後しばらくして、妻が妊娠し、しばらく親元に戻ることになりました。
すると、家事をするのも面倒だし、誰もいない家に一人で居るのも寂しかったので、私は何かと用事を作って頻繁に実家に帰る事が多くなりました。
その日も、実家で夕食を食べ、そのまま泊まることにしました。
夜中に目が覚めてトイレに立ちました。
洗面所で手を洗いながら、何気なく鏡を覗きました。
廊下の途中の仕切が開いていて、その向こうの暗闇にあの納戸がうっすらと見えていました。
その時、おやっと思いました。
トイレに来る時にはその仕切を閉めた覚えがあったのです。
振り返ってみると、やっぱり仕切は閉じています。
しかし、もう一度鏡を見ると、仕切は開いていて、納戸の白い扉が闇に浮かび上がるように見えています。
全身が総毛立ちました。
と、その扉が少し動いたような気がしました。
その瞬間、私はナナちゃんの事を思い出しました。
とっさに「ヤバイッ」と思いましたが、鏡から目を離すことは出来ませんでした。
やっぱり扉は動いています。
もう一度振り返っても廊下の仕切は閉じたままです。
鏡の中では納戸の扉がもう半分以上開いていました。
開いた扉の向こう、納戸の奥の闇に白いモノが浮かんでいました。
これまでにない恐怖を感じながらも、わたしはその白いモノを凝視しました。
それは、懐かしい少女の笑顔でした。
そこで私の記憶は途切れています。
気がつくと、私は布団の中で朝を迎えていました。
気味の悪い夢を見た・・
そう思った私は、実家にいるのが何となく嫌になり、その日は休みだったのですが、すぐに自宅に帰る事にしました。
私の自宅のマンションには住民用に半地下になった駐車場があります。
日中でも薄暗いそこに車を乗り入れ、自分のスペースに停めた後、最後にバックミラーを見ました。
すると、私のすぐ後ろにナナちゃんの顔がありました。
驚いて後ろを振り返りましたが、後部座席には誰もいません。
バックミラーに目を戻すと、ナナちゃんはまだそこに居ました。
鏡の中からじっとこっちを見ています。
色白で長い髪を両側で結んだナナちゃんは、昔と全く変わっていないように見えました。
恐怖のあまり視線を外すことも出来ず、震えながらその顔を見返していると、やがて、ナナちゃんはニッコリと笑いました。
「こんにちは。どうしてあの時、来てくれなかったの?私ずっと待っていたのに。」
ナナちゃんは相変わらす微笑んだまま、そう言いました。
私が何と言って良いのかわからずに黙っていると、ナナちゃんは言葉を継ぎました。
「ねえ、私と今からこっちで遊ぼう。」
そして、ミラーに映った私の肩越しにこっちに向かって手を伸ばしてきました。
「こっちで遊ぼう・・・」
「ダメだ!」
私は思わず大声で叫びました。
「ごめん。ナナちゃん。僕は、もうそっちへは行かない。行けないんだ!」
ナナちゃんは手を差し伸べたまま黙っています。
私は、ハンドルを力一杯掴んで震えながら、さっきよりも小さな声で言いました。
「僕には妻もいる。子供だって、もうすぐ生まれる。だから・・・」
そこで私は俯いて絶句してしまいました。
しばらくそのままの姿勢で震えていましたが、やがて、私は恐る恐るミラーの方を見ました。
ナナちゃんは、まだそこに居ました。
「そう・・わかった。○○ちゃんは大人になっちゃったんだね。もう私とは遊べないんだ。」
ナナちゃんは少し寂しそうにそう言いました。
「しょうがないよね・・」
ナナちゃんは、そこでニッコリと笑いました。
本当に無邪気な笑顔でした。
私はその時、ナナちゃんが許してくれた、と思いました。
「ナナちゃん・・」
「だったら私はその子と遊ぶ。」
私がその言葉を理解出来ぬうちに、ナナちゃんは居なくなってしまいました。
それっきり、ナナちゃんは二度と私の前に現れることはありませんでした。
2日後、妻が流産しました。
以来、今に至るまで、私達は子供をつくっていません。
シベリアン・ハスキーがトコトコ走ってきた
『シベリアン・ハスキーがトコトコ走ってきた』 – 怖い話まとめブログ
十数年前の話。
夕方、田舎の一本道を車で走ってると、前からシベリアン・ハスキーがトコトコ走ってきた。
その頃、ハスキーはいわゆる流行りの犬種で多く飼われていたけど、ハンパない運動量が必要な犬なので、持て余した飼い主が捨てたり、犬の方が飼い主に見切りつけて脱走って話がよくあった。
うちの旦那は犬好きで、呆れるくらいのジョギングマニアなので、そういうハスキーを過去に二度保護した。
その日のハスキーもきっと同じ境遇だろうと、即車をUターンさせたが、数秒前に居たハスキーがどこにも居ない。
田んぼの真ん中の一本道で、隠れる場所なんてない。
旦那と二人、おかしいねって言いながら進路戻してしばらく行くと、動物霊園があった。
きっと戻りたい場所がある、幸せな犬だったんだろうな…そう思ってちょっとホッとした。
先生
先生
中学2年生のとき、私はひょんなことから腰を痛めてしまった。
波はあったけれども、ひどいとそれはもう歩くだけで激痛が走るほど。
病院へ行き、接骨医へ行き、占い師へ行き、それでも治る気配はなかった。
最後に行き着いたのが御茶ノ水のカイロプラクティックだった。
親戚が昔からお世話になっているところで、父とも顔なじみのようだった。
狭い階段を登り、ぼろいドアを開けると中から白髪のおじいさんがでてきた。
それが先生との出会いだった。
先生は独身で趣味はスキーと山菜取り。
そしてとにかくよく喋った。
それから私は毎週1回、先生のところへ通ったんだけど施術よりそのあとの先生のトークのほうが圧倒的に長かった。
体にいいからと先日採ってきたというきのこを食べさせられたり、筋肉を刺激して足が速くする不思議な靴下をくれたり、アルファベットは元々象形文字なのだと熱く語ってくれたり、筋肉自慢をしてくれたり、とにかく変わった先生だった。
13歳ながらも独身だというのもうなづけた。
クセがすごくあったけどいつも親切で私は嫌いじゃなかった。
毎回出してくれたお茶も美味しかったし。
私の腰がだいぶ良くなるといつしか足は遠のき、先生に会うことなど全くなくなっていった。
それから数年が経ち、私は高校2年生になっていた。
また腰が痛くなり、久しぶりに先生の下へ足を運んだ。
桜が咲き乱れる4月のことだった。
最初先生を見たとき誰だかわからなかった。
容姿があまり変わっていたのだ。
何が違うのか分からなかったけど、とにかく目がものすごくギョロッとなっていた。
おまけに腕を骨折していた。
スキーでやっちゃったらしい。
目がぎょろっとしているのは先生曰くすごく痩せたらしい。
先生の研究した方法で食事をとったら痩せられたんだって。
よく意味が分からなかったけど、骨折のショックで痩せたのかなと勝手に解釈することにした。
心なしか先生は弱弱しくて線も細い気がしたけど、そんなことに私は気にも留めなかった。
久しぶりに会った先生はなんだか私とすごく話したがっているように見えた。
繁盛しているとも思えなかったから人とたくさん話すのが久しぶりだったのかもしれない。
でも、私はそのとき初めての彼氏ができたばかりで、彼氏には御茶ノ水にまでわざわざ来てもらっていた。
頭の中は彼氏のことでいっぱい。
先生のトークも正直面倒くさかったし、良く聞いていなかった。
結局、私は先生がまだ話したそうにしているのを振り切って彼氏のもとへ走っていった。
それからまた半年して。
やっぱり通わないと効果はないらしく、腰が痛いので再び先生のもとを訪れた。
そのときには4月に付き合っていた彼氏とはとっくに別れていた笑。
先生は腕も完治し、目もギョロッとしていなかった。
トークは健在だった。
前回は全然話を聞かなかったから、今回は努めて聞かなきゃなと思って私はいつものあのお茶をすすりながら先生のわけわからん運動マシーンの話やら、いい枕の見分け方の話を聞いていた。
先生は前回と違ってかなり元気そうだな、ただ私はそう思った。
でも、先生と会うのはそれが最後だった。
最後に会ってから数年後。
20歳の秋口、私は腰の調子が良くなかったのでまたあの先生のところへ行こうか考えていたが、それより先生がまだカイロプラクティックをやっているのか分からないので、電話をしてみたら現在使われていなかった。
どうしているのかなと思った母も親戚に電話すると残念なことに先生はすでに亡くなっていることが分かった。
私が高校2年生の6月の時に癌で。
意味が分からなかった。
高2の秋に間違いなく会ったのに。
あの時先生はすでにこの世の人ではなかったのだと、理解すると私はただただひたすら自分の馬鹿さ加減を恨んだ。
あの時あんなに痩せていたのは癌のせいだったのに。
結果的にすぐ別れちゃった彼氏に会うために先生と話すのを中断してどうして走っていっちゃったんだろう。
さびしそうな目をしてこちらを見たのをなんで、なんで、なんで、無視しちゃったんだろう!!!!!!!!!
生きているうちに話したかった。
後悔のあまり私は先生の働いていた場所へ行くこともできなかったけど、先日やっと意を決し、その場所へ行き手を合わせてきた。
でも何度謝ってもあのときの悲しい目を思い出す。
本当にごめんなさい。
会いにきてくれてありがとう。
去年のちょうど今頃の話なんだが。
仕事の関係で俺はほとんど日本にいなかった。
で、六ヶ月振りに日本に帰って来たんだよ。
帰ってきた港の直ぐ近くに祖母と叔父夫婦が住んでる家があったんで、土産持ってな。
んで、いつも通り
「おいばばぁ!今年の夏は暑いけどくたばってへんやろなw」
とか言いながら家に入った訳。
でも祖母の返事が返ってこない。
いつもなら
「お前こそ死んだと思ってたわwwww」
とか笑いながら出てくるのに。
で、代わりに出てきたのが叔父。
「ばあさん、3月に脳梗塞で・・・」
って突然言われたんだよ。
慌てて祖父の仏壇のある仏間に行ったら、祖父の遺影の横に祖母の遺影が。
俺もう、大声出して泣いたのよ。
祖母は大好きだったのに、その死に目にも会えなかったのかよってな。
そしたら、突然祖母の声が聞こえたんだよ。
「○○(俺の名前)、うちが死んだら笑ってやるって言ってたやないか!笑え!」
ってな。
一緒にそこにいた叔父夫婦もしっかり聞こえたらしい。
もうそこからは俺も叔父夫婦も大笑いしながら大泣き。
滲んで良く見えない視界の隅で、祖母の遺影が笑ったような気がした。
姉が亡くなってから霊感が強くなった
『姉が亡くなってから霊感が強くなった』 – 怖い話まとめブログ
姉が数年前に亡くなってから霊感が強くなった。
火事や事故が起こる前に夢で教えてくれたので、大事にはいたらなかった。
「夢にでてきて!」と祈ると、夢の中で普通に会話できた。
二週間位前に「小動物に生まれ変わった」と夢の中で言ってて、なんだろう?と思ってたら、数日前に山の公園でその小動物に実際に会った。
凄いビックリしたけど、私の周りでクルクル遊んで何度も振り返りながら山に帰って行きました。
家に帰ってから、涙がとまりませんでした。
小動物とはリスです。
生まれ変わりなのかどうかはわかりませんが…
昔、姉と一緒に写真を撮った思い出の場所でリスに会ったので不思議な感じがしました。
下半身のない女
下半身のない女
私は昔から霊感が強く、母も霊感があり、遺伝だとは思うのですが…。
今回のお話は今まで体験した中で一番怖かった話です。
築30年も経っているだろうアパートに、家族5人で住んでいた時の話。
今から7年も前の話になるんですが、そのアパートは、私達家族を除いて3世帯ほどしか住んでいませんでした。
部屋もがら空きでしたので、201号室は家族が、202号室は私一人で使っていました。
ただそのアパートに入る時に、あまりにも他の部屋は古く、 使える状態ではなかった為に、唯一リフォームされていた、家族の家と向かい合わせになった202号室になってしまったんです。
それがあんな事になるなんて予想もしていませんでした。
その日、私はベッドで横たわりながら漫画を読んでいました。
するとどこからか変な音が聞こえてきたんです。
「キィ…キィ……」
何かが回ってるような規則的な音でした。
その時すごく嫌な予感がしたんです。
私は霊感は強いですが金縛りにあったことはないし、霊が出る時背筋がゾッとするとかそういうのが全くないんです。
ただ逆に霊がいる…と思う時は、じめっとした、肌にまとわりつくような温かい空気が一緒流れるんですね。
その時も案の定、生温かいものを感じたんです。
私の勉強机の椅子はキャスターがついている回る椅子だったのですが…
ふと勉強机の方に目をやると、椅子の上に女の人が座っていたのです。
長いバサバサな髪を垂らし、私に背を向けて座っていたんです…椅子を左右小刻みに回して。
よく見ると…その女の人の体は下がないんです。
ぶつ切りの状態で上半身だけが椅子の上に乗っていたのです。
今にも振り向きそうだったので、私は腰が抜けるような思いで這いつくばりながら201号室に駆け込みました。
母が部屋に行った時はもう既に姿はなかったですが、椅子の上には長い毛がたくさんついていました。 (当時私はショートでした)
その後、塩を盛り1ヶ月くらいは家に入れなかったんですが、女の人は出てくることはありませんでした。
当時は原因がわからなかったのですが、その何年後かに事実を母から聞かされる事になるなんてその時の私は知る由もありませんでした。
その女の人の霊の他に、実は男の子の霊も現れていたんですね。
男の子は結構頻繁に現れていて、霊感のない父も見たと言っていたほどでした。
当時、私の弟はまだ5才くらいで、その男の子と同じくらいの感じでした。
バタバタと走る音が聞こえたり、のれん下から色白の細い足が見えてたり、弟かと思ったら、その時弟は違う部屋にいたり、明らかに霊だったんですね。
ある時は電子レンジって鏡みたいに反射して映るじゃないですか。
ご飯を温めて待っていたら電子レンジ越しに男の子の横顔が映っていたりしたみたいです。(母の話です)
あとよくあったのは、雨が降った時や雪の時は窓が曇るじゃないですか。
私でも届かない位置に小さな手形がついてたり…というのがありました。
結局引っ越しをするまで男の子が出てきていたんですが、引っ越ししてからも、ついてくるのでは…と心配していたんですが、大丈夫でした。
新しいマンションに引っ越して、いつしかそんな出来事も忘れてたんですが、母が突然、話し始めたんです。
母「もう時効だと思って…言うんだけどね…」
私「え?どうしたのいきなり。」
母「前住んでた所…よく霊が出てきてたじゃない?実は愛が怖がると思って言わなかったんだけど…事件があった場所だったんだよね。」
私「え…事件って何?」
母「10年前くらいになるんだけど、この辺じゃ有名な事件だったみたいで…あのアパートに3人で暮らしてた家族が住んでたんだけど、奥さんがうつ病で引きこもりだったらしいの。ある時何を思ったのかまだ当時4才だった息子をベランダから突き落として、母親は首吊り自殺をしちゃったみたいなのよ。息子は即死だったって…」
私「じゃああの男の子の霊は…」
母「たぶんね…。お母さんも住んでから大分経ってから聞いた話なんだけどね…しかもね。その事件があった部屋っていうのが202号室だったんだって。」
私「私の部屋!?」
母「住んでる時にこんな話をしたら住めなくなると思って…ごめんね。」
私「……。」
たぶんあの男の子は自分が殺されたのがわからなくて201号室と202号室を行ったり来たりして、お母さんを探していたのかな…と思うと悲しいですね…
友人に山岳部のやつがいるのだが、そいつが何処だか忘れたが結構有名な日本の山に部員とのぼった時、ちょうど山の中腹ぐらいで濃霧が立ち込めてきて他のメンバーとバラバラになったとかで、とりあえず目標の山小屋まで行こうとおもい登っていったらしい。
しかし、友人は何度もその山を登った事があるのに、完全に迷ってしまったとか、そうこうしていると濃霧の向うから人影が2つ見えてきて、他の部員かと期待が高まったのだが、全然関係ない一般客(伯母さん2人)で、どう見ても本格的な感じがしない伯母さん2人に尋ねるのもしゃくだと考えた友人はその伯母さん2人の脇を素通りしようとしたらしい。
その時、伯母さん2人が友人に
「この先は危ないから行っちゃダメだよ」
っとだけ言って、また濃霧に消えていったそうです。
確かに濃霧で視界が悪いから闇雲に移動するのはよそうと考えた友人はそこでしばらく岩に腰をかけて休んでいました。
すると濃霧の向うから友人を呼ぶ部員達の声がして、やっと一安心したわけです。
それからなんとか山小屋にもつけて疲労困憊の友人はぐっすり眠ったらしい。
だがその晩ひどい雷雨がおとずれ深夜に友人は目がさめ、もう一度眠りにつこうとしたとき、誰かが枕もとに立っているような気がして一度閉じかけた目をもう一度開いた。
そこには暗闇が広がり何も見えない。
っとここで雷がひかり暗闇から出てきたのは今日友人に警告したあの伯母さん2人一瞬だがはっきりと友人には伯母さん2人の顔やからだがぼろぼろだということや手が不自然な方向に曲がっているということがわかったという。
それを見てから次の日の朝他の部員におこされるまで友人は意識がとび、下山後、俺にこの話を打ち明けてくれた。
俺に打ち明け終わり、友人が一言。
「よく考えれば、”この先行っちゃダメだよ”っていわれたけど、伯母さん2人とも ”この先”から来たし、警告してから消えていった方向も同じだった。」と
サボテンの花
『サボテンの花』 – 怖い話まとめブログ
都会に出るときに、持っていた親指大のサボテンを親に預けた。
何の気なしに、
「このサボテンの花が咲くとき結婚するからちゃんと面倒みてね」
と渡した。
親に
「あんたいつ結婚するの?」
と言われたら、彼氏もいないのに
「サボテンの花が咲いたらw」
と答えてた。
親は必死に育て、親指大から赤ん坊の頭大にサボテンは育ったw
都会に出て十数年後、付き合って間もない彼氏が実家に行きたいというので、連れて帰った。
親に紹介し、そこでプロポーズされた。
都会に戻った次の日に、サボテンの花が初めて咲いたw
もちろんその後すぐに結婚しました。
言霊のせいなのかな?
しかし、サボテンじゃなかったらもう少し早く嫁に行ってたかもw
お父さん
お父さん
「・・・よしっと。 これで全部だね。忘れ物は無いかい?」
おれの名は裕史。
大学生活も無事終了し、今年の春からおれは東京で働く事となった。
正直、かあさんを一人残して東京へ行くのは抵抗が有る。
母一人、子一人でここまでおれを育ててくれた母さん。
そんな母さんを一人残してはるばる東京へ行く訳だ。
母さんに最初東京へ就職したいと話をした時は一瞬戸惑った表情をした。
でも母さんはそれを必死に隠し、
「裕史の事は、裕史が決めたらいいから・・。」
と、後ろ髪を引っ張るような事はしなかった。
思えばこの22年間。
母さんは、おれがやりたいと言った事を遮った事は一度もなかったような気がする。
むしろ、何をやるにしても母さんは応援してくれた。
ありがとうな。母さん。
母さんは今、荷造りの手伝いが終わって夕食を台所で作っている。
(小さくなったな・・・母さんの背中・・・。)
そんな母さんの背中を見ながら、おれは22年間過ごしたこの部屋で大の字になって寝そべった。
天井を見る。
(あ、あの染み・・・)
天井の、入り口から見て右奥に小さな染みがある。
父さんとの思い出の染みだ。
小学2年生の頃、友達がやっているというのを聞いて、おれはクリスマスパーティーをやってほしいと両親にダダをコネた事があった。
父さんは、
「うちは仏教徒だから、そんなの関系ねぇ!」
って、前かがみになって、左ウデを上下させながら言ったっけ。
おれはワケもわからず、「オッパッピー!」って怒ったんだ。
そしたら母さんが、
「・・おとうさん。 やってあげましょう。できるのも、今のうちしか無いんだから。。。」
って、説得してくれたな。
しぶしぶ父さんはクリスマスパーティーをやってくれた。
あの天井の染みは、父さんがビビリながら開けたシャンパンの蓋がぶち当たった時に出来た。
(懐かしいな・・。 ふふ。)
そんな思い出を思い出しながら、おれは目を閉じた。
目を閉じた暗闇の中、ふと、左の方に青白い光を感じた。
目をあけてその方向を見てみる。
家族の写真・・・。
そのクリスマスパーティーの時に、家族三人で撮った写真があった。
少し照れる父さんと、左に笑顔の母さん。そして真ん中手前に満面の笑みで、赤いとんがり帽子をかぶったおれ。
(もうあれから10年以上経つんだな・・・。)
父さんを撮った写真は、この写真が最後になった。
この一ヵ月後に、父さんは入院し、そして数週間後にあっけなく息を引き取った。
おれは詳しく聞かされてはいないのだが、ひょっとしたら何か病気でそう永くない事を、
両親共に知っていたのかも知れない。
今となっては、おれが知っていようが知っていまいが仕方の無い事だ。
「裕史~。夕飯できたよ~。」
「うん。今行くよ母さん。」
おれはゆっくり立ち上がり、さっきの写真を見て、
(今までありがとう・・。父さん。 母さんをこれからもよろしくな。)
と、心で呟いた。
照れ顔の父さんの表情が、一瞬微笑んだように見えた気がした。
母さんと一緒に生活する最後の夕飯を食べながら、いろんな話をした。
坂上がりの練習を、父さんと母さんが必死に公園で手伝ってくれた事。
参観日に白目を向いて寝てた事。
その時に父さんもつられて寝てた事。
鎌男に襲われた事。
給食のパンが机の中でカビだらけになったのをもって帰った事。
給食が食べれず、放課後まで机の上に置いたままという仕打ちを担任にされて、母さんにちくったら、母さんにも怒られた事。
中学になって引きこもりになりかけた事。
中学の暴力教師に反抗したら、ヤンキーが家にお礼を言いに来た事。
高校の頃、けっこう学校をサボってた時に母さんが悲しんでた事。
大学から帰ってきて、母さんが
「あら? おばさんの顔が一瞬見えた気がしたけど・・・。」
っていって、ビビッた事。
話し出したらキリがない。
「向こうへ行ったら、体に気をつけるんだよ。」
母さんは、ずっとおれを心配してくれている。
今までも、そしてきっとこれからも・・・。
その夜、おれは自分の部屋では無く、母さんの隣に布団を敷いて、居間で寝た。
今日で、おれはこの家を出る。
最後くらい、小さい頃家族三人で布団を敷いて、話をしながら寝たこの部屋で寝ようと思ったからだ。
いざこうやって布団をしいて寝てみると、少しばかり照れもあり、ほとんど会話も無いまま眠ってしまった。
そして、ふと夜中に目が覚めた。
今何時だろう?
外はまだ真っ暗だ。 三時くらいだろうか・・・。
そんな事を考えていると、目に青白い光が入ってきた。
見てみると、バレーボールくらいの大きさでボーっとした、青白い塊だった。
それが部屋をふわふわと浮遊していた。
不思議に思いながら、おれはそれを見ていた。
すると、その光はおれに気付いたからか、おれにゆっくり近づいてきた。
そしておれの頭を小さく三回ほど回り、そのまままたゆっくりと部屋の端に進んで行き、壁の中に吸い込まれるように消えて行った。
不思議と怖さは無かった。
奇妙な事に、安堵感があった。
おれはそのまま眠りに入っていった。
「裕史!朝よ~。」
台所の方から母さんの声がする。
味噌汁のいい香りも漂ってきた。
おれは起き上がり、ボサボサの頭をクシャクシャってして、ふと昨日の夜の青白い光の事を思い出した。
(・・・あれ・・何だったんだろう・・・。)
何気に、青白い光が消えていった壁の方を見てみた。
あの、クリスマスに家族で撮った写真があった。
(あれ・・・父さんだったのかな・・・?)
顔を洗い、歯を磨き、台所に行って母さんと朝ごはんを食べる。
その時に母さんはこんな事を言った。
「そういえばねぇ。裕史。父さんは、アンタが何かやるときは、必ず頭を三回、クシャクシャって撫でて、‘がんばれよ‘って言ってくれてたよ。きっと、もし生きてたら、今日も励ましてくれたろうねぇ。」
あの光は、父さんだったんだ。
ありがとう。父さん。
おれ、東京に行っても頑張るからな。
ありがとう。
荷物をかかえ、おれは家を出た。
たまに振り向き横目で後ろの母さんを見る。
母さんは、見えなくなるまでずっと立って見送ってくれていた。
曲がり角を曲がって、母さんが完全に見えなくなってから、おれはハンカチを取り出して涙を拭いた。
ありがとう。 母さん。
二人の暖かさを胸に、おれは生まれ育ったこの町を出た。
怖い話と言うか…
俺は小学生の時父親を亡くし母一人子一人で育ったんだけど…
中学生の時、授業中に突然先生から
「おい〇〇!!お母さんが職場で倒れたそうだ。すぐに××病院に行け!!」
と告げられ、自転車で慌てて向かった。
病院まではかなりの距離があり途中には長い上り坂があった。
こいでもこいでも坂は続いていてなかなか上り切らない…
気ばかりが焦っているとフッとペダルが軽くなった。
まるで誰かに押されたかの様に…
俺は振り返って確かめようとしたけど出来なかった…
なぜならその時、亡くなった父親の匂いがしたから…
なんとも懐かしい匂いになぜだか涙があふれてきた…
息を切らして何とか坂を上り切った時、俺は泣きながら「ありがとう」と呟いた…
病院では母親が意識を失っていたけど何とか一命は取り止めた。
後日、意識を取り戻した母親から聞かされた。
意識を失ってる間ずっと父親の夢をみていたと…
俺は心の中で改めて父親に礼を言った。
仲の良い祖父母
『仲の良い祖父母』 – 怖い話まとめブログ
うちの祖母の話なんだけど、駆け落ちして一緒になった祖父とは本当に仲が良くて、チャーミーグリーンの昔のCMみたいで可愛いらしかった。
祖父は最後にボケて、スイッチが入ると祖母に
「浮気してるだろー見たぞ」
とか夜中に起きて祖母を責める&タクシーを拾う高度な徘徊で、温泉病院に入ることになって、亡くなった。
最後は毎日塗り絵を『仕事』として一生懸命に塗っては、
「頑張って稼がないと、ばーちゃんに苦労させたくないからな」
と。
そんな祖父が亡くなった直後、祖母の夢だか枕元に立ったのか祖父が現れて、塗り絵が入ってた箱をしきりに指さして何かを言っていたと。
目が覚めて箱を開けると、塗り絵の他にスケッチブックが入ってて、そこの1ページに祖母宛てに手紙が書かれていたそうだ。
内容はもうラブレターに近いもんで、祖母は誰にも見せずに泣きながら読んで、いつも首から下げてるお守りの袋に畳んでしまい、
「これは私の宝物。私が亡くなったら一緒にお棺にいれてね」
と笑顔で言った。
だから約束を守って誰も読まずに、一緒に入れてあげた。
























