日本各地の民話・伝承を集めてみた…秋田県編

かのえうま
なまはげ、あきたこまち、秋田犬などがある秋田県にはどのような伝承が現代に伝えられているのでしょうか。雪国なのでやっぱり雪に関するものが多いのでしょうか。
秋田県
東北地方、日本海側にある県

同じ日本海側の山形県や新潟県と同様に冬季には対馬暖流の影響もあってか日本海側から湿った冷たい風が吹き、みぞれや雪を降らせる。
秋田県 – Wikipedia

コシヒカリの産地である新潟県と似た気候のようです。

あきたこまち
西は日本海に面し、対馬海流の恵みで温暖である。東は南北に連なる奥羽山脈が「ヤマセ」をさえぎり、山越えした寒風はフェーンの風に変わって、8~10度温度が高くなる。これを秋田では「宝風」と呼んでいる。大部分の田んぼは盆地の中にあって、昼と夜との温度差が大きく、稲の育ちと実りに好適な条件を備えている。
なまはげ
本来は小正月の行事であった。
「男鹿(おが)のナマハゲ」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

古くから伝わるお話

犬ぼえの森
秋田県の昔話 – 民話の部屋 – とんと昔あったとさ-フジパン

むかし、むかし。秋田にサダ六(ろく)というマタギがおった。マタギというのはな、クマやシカを鉄砲でうつ猟師(りょうし)のことだ。そのマタギの中でも、サダ六は腕が良かったので、将軍さまから、天下御免(てんかごめん)の巻物をもらっていた。この巻物には、よその国に入って猟をしてもよいということが書いてあった。
ある年の春のこと、サダ六は犬のシロをつれて猟に出た。シロはよく鼻のきく、たくましい犬だ。遠くの獲物をすぐにかぎつけ、恐ろしいクマにもおくせず立ち向かう。サダ六は、そんなシロをたいそうかわいがっていたと。

山にはまだ雪が残っていた。あっちの山、こっちの山と獲物を探し回ったが、どういうわけか今日は一つとして獲物がみつからない。

「しかたがない。シロ、帰ろう」

サダ六がいうたとたん、突然シロが、ワンワンワンワンほえたて、走り出した。向かいの山に黒い影が動いた。

「カモシカだー」

サダ六は追いかけた。カモシカも必死だ。なかなか追いつかない。いつのまにかサダ六は、隣りの国、南部領に入っていた。ようやく追いつき、

「ズドーン」

と一発、カモシカをしとめた。すると、その音を聞きつけ、南部のマタギ達がやってきた。

「おい、ここは南部の領内だが、おめぇはこの国のもんじゃねぇな」

「わしは、秋田のサダ六というマタギじゃ。将軍さまから、どこの国で猟をしてもよいというお許しをもらって」

サダ六はそういうて、腰に手をやると、巻物がない。

「家に忘れてきた、しまった」

サダ六はお城につき出され、牢屋に入れられた。他国に無断で入った罪は重い。役人の取り調べを受けたが、巻物がない以上、申し開きのしようがなかった。
ついに、サダ六は、明日の夜明けに処刑と決まった。

「あの巻物さえあれば」

と、サダ六はくやしがった。すると、どこから入ってきたのかシロが牢屋に現われた。

「シロー、家(うち)から巻物を持ってきてくれー」とサダ六がいうと、

「ウワォーン」

とさけび、すぐさま牢屋を飛び出して行った。

「シロー、頼むぞー、明日の朝までだー」

サダ六は、さけんだ。シロは、雪道をひた走りに走った。山を越えた。谷を越えた。十里の山道を走り続けた。サダ六の家では、女房が、いつまでも帰らないサダ六の身を案じて、寝むれない夜を送っていた。夜中のこと、外でシロのワンワンほえる声が聞こえた。女房が戸を開けると、シロが飛び込んできた。

「シロー、何かあったの」

シロは、神棚の上にある巻物に向かって、狂ったようにほえ続けた。女房は、ハッとして気がついた。すぐに巻物を取りシロにくわえさせた。シロはまた、隣りの国めざして、走りに走った。だんだん空が白んでくる。そのころ、サダ六は牢屋の中でいっすいもせず、シロの帰りを待っていた。
ついに夜が明けた。シロは戻ってこなかった。サダ六は処刑場に引き出され、役人に処刑されてしまった。そのとき、巻物を口にくわえた一匹の犬が刑場に飛び込んできた。遅かった。サダ六は、もう冷たくなっていた。シロは、サダ六のなきがらを引きずって、峠の森まで運んだ。そして、南部の国の方を向いて、

「ウワォーン、ウワォーン」

と、何度も何度も、遠ぼえを続けた。それからというもの、村人達は、この森を“犬ぼえの森”と呼び、いつまでもいつまでも、サダ六とシロの情愛深い物語を語り伝えている。

つよい男、かしこい男
秋田の伝説

むかし、大湯(おおゆ)の草木(=くさぎ、いまの鹿角市十和田字大湯)に八郎という者がすんでいた。
八郎は雲つくような大男で、だれひとりかなう者ないほどの力もちであった。けれども気だてがやさしく、まい日、山や谷をかけまわって、鳥やけものをとったり、たきぎをとったりして、父や母をやしなっていた。
ある日、八郎はふたりのなかまといっしょに山をいくつもこえて、奥入瀬(おいらせ)の渓谷へはいった。 渓谷には谷川がきよらかにながれている。三人はながれのちかくに小屋をつくり、そこにとまって、山しごとをすることにした。

その日は八郎が食事のしたくをすることになり、あとのふたりは、山へでかけていった、八郎が川へ水をくみにいくと、数ひきのイワナがおよいでいる。 八郎は木のえだでヤスをつくり、三びきのイワナをついた。さっそく小屋へかえってくしにさし、ジエージューあぶった。イワナはこんがりやけて、とてもよいにおいをただよわせる。

「これはうまそうだ。みんなはやくかえってこないかな。」

けれども、ふたりはなかなかかえってこない。八郎はがまんできなくなって、じぶんのぶんを一ぴき食べた。あぶらがのっていて、とろけるようだ。あまりのうまさに八郎は、とうとう三びきの こらず食べてしまった。

すると、どうしたのか、きゆうにのどがかわいてきた。谷川からくんできた手おけの水をがぶがぶのんだ。のむほどかわきはひどくなる。

「ああ、のどがやけつくようだ。」

八郎はうめき声をあげながら、谷川のそばへかけていった。そしてはらばいになって身をのりだし、ながれにロをつけて、むちゅうになってのんだ。
なん時間、のみつづけただろうか。ようやくのどのかわきがとれたので、顔をあげると、あたりは夕ぐれの色につつまれている。立ちあがろうとしたとき、水の上になにかのかげがゆれているのに気づいた。よく見ると、それは、目がらんらんとかがやいて、ロが耳までさけた竜の顔ではないか。八郎はおもわず、

「あっ。」

と、さけんだ。その顔こそ、水かがみにうつったじぶんの顔だったのだ。八郎はいつのまにか、竜になったのである。
そこへふたりのなかまが、八郎の名まえをよびながらさがしにきた。八郎が声のするほうをむくと、ふたりはびっくりぎょうてんしてにげだそうとした。

「ちょっとまってくれ。」

八郎はかなしげな声で、ふたりをよびとめた。

「おれは、こんなおそろしいすがたになってしまった。もう、いっときも水からはなれることができないんだ。だから、このへんに湖をつくって、そこでくらそうとおもう。どうか家へかえったら、おとうやおかあたちに、そのように話してくれ。」

いいおわると八郎は、大きな声でないた。なき声はまわりの山やまにひびきわたり、なん十里もとおくまできこえたという。八郎はふたりのなかまとわかれると、なおも水をのみつづけ、三十三日めに、からだが三十余丈(百メートル以上)もあるりっぱな竜になった。 竜になった八郎は、山やまの谷川をぜんぶせきとめた。まんまんと水をたたえた大きな湖ができあがった。この湖が十和田湖(とわだこ)だといわれている。八郎はながいからだをくねらせながら、ずぶずぶと青い水の中にもぐつて湖のそこへしずんでいった。こうして八郎は十和田湖の主になったのである。
そのころ南部(いまの青森県の一部と岩手県の一部)の三戸(さんのへ)に南祖坊(なんそうぼう)という修行僧がいた。南祖坊はえらい坊さんになるために全国の霊場(れいじょう)やお寺をまわって、からだをきたえ、心をみがいた。こうして七十六歳まで修行して、さいごに紀州(きしゅう)熊野山(くまのさん)へのぼった。
熊野権現(くまのごんげん)に二十一日間のおこもりで、あすは満願(まんがん)という日、ゆめの中にひとりの坊さんがあらわれ、

「南祖坊よ。おまえはよく六十年間の苦行にたえた。ここに一足のわらじをあたえる。このわらじのひもがきれたところを、おまえの永住の地とせよ。」

といってすがたをけした。目をさますと、まくらもとに鉄のわらじがおかれてある。南祖坊は、(これこそ、ほとけさまのおつげにちがいない。)とおもい、夜があけると、さっそく鉄のわらじをはいて旅にでかけた。
南祖坊は諸国の霊場をめぐつて、北へ北へと旅をつづけているうちに、大きな湖のほとりにでた。その岸べをたどつていくと、わらじのひもがぶっつりきれた。

「おっ、わらじのひもがきれたぞ。すると、ここがわしのすみかなんだ。なんとすばらしいすみかだろう。」

南祖坊がそういって、お経をとなえながら湖にはいろうとすると、いままでしずかだった湖面が、にわかに波立ちはじめた。そして、波のあいだから大きな竜がおどりでて、大きな声でどなった。

「おまえはいったいなに者だ。おれは八郎といって、ここの湖の主だぞ。ひとのすみかへかってに入ってはいかん。」

しかし南祖坊はびくともせず、

「なにをいうか八郎。わしは熊野権現のおつげで、この湖をすみかとする者だ。おまえこそ、湖からはやくでていけ。」

そういってお経をとなえ、その巻きものをハッシと八郎めがけてなげつけた。すると巻きものはたちまち九ひきの竜となって八郎におそいかかった。八郎もからだのうろこをつぎつぎにはぎとって、南祖坊へなげつける。すると、うろこはみな小さな竜になって、南祖坊へかみついた。 いままではれわたっていた空に、もくもくと黒い裏がわきだし、雷鳴がとどろいて、ものすごいあらしとなった、八郎が雲をよんだのである。 こうして八郎と南祖坊は七日七晩たたかったが、なかなかしょうぶがつかない。さいごに南祖坊が、いちだんと声をはりあげてお経をとなえると、お経の文字がひとつひとつするどい剣となって、八郎のからだにつきささった。 八郎のからだから血がふきだし、湖につきだしたがけの岩をまっかにそめた。そのあとが御倉半島(おぐらはんとう)の千丈幕(せんじょうばく=十和田湖の東岸から湖につきでている半島の崖で、岩が赤い)だといわれる。
八郎はとうとう南祖坊の法力によって十和田湖をおわれた。たたかいにやぶれた八郎は、米代川をくだって比内(ひない)地方を湖にしてすもうとかんがえた。そして、いまの北秋田郡と山本(やまもと)郡のさかいにある鼠袋(ねずみぶくろ)というところをふさいで、米代(よねしろ)川をせきとめ、ほそながい湖をつくった。こうしてようやく湖ができたが、八郎のすみかとしてはせまいはかりでなく、水があさくて、からだをぜんぶしずめることができない。 ちかくにすむ八座(はちくら)の神たちは、なんとかして八郎をおいだしたいとおもっていたから、ここぞとばかりに、

「ここは、あなたがすむにはせますぎます。この川をどんどんくだると、男鹿半島とのあいだにひろい土地があります。そこに大きな湖をつくられたらどうでしょうか。」

と、もちかけた。八郎もそうしようかとかんがえたが、なにぶんにも湖がせまくて、身うごきもできない。  すると神さまたちは、八座のうちの一座をながして洪水をおこさせ、八郎を米代川の河口ちかくまではこんでくれた。二ツ井(ふたつい)町七座(しちくら)は、八座のうち一座がながされたので、できた地名だという。
さて、八郎が見わたすと、南のほうにたしかに、ひろびろとした土地がひろがっている。海からはげしい潮風がふいて、草もろくにはえない、あれはてた土地だった。

「よし、ここにすみかをつくろう。」

八郎はさっそく海岸に土手をきずいた。すると、これまで海へながれていた川の水がたまって大きな湖ができた。十和田湖よりもさらにひいろ湖である。八郎はその湖にからだをよこたえた。ふかさもじゅうぶんにあって、ゆっくりくつろげる。

「ああ、やっとじぶんのすみかができた。」

八郎は十和田湖をおわれていらい、ひさしぶりにのんびりとからだをやすめた。こうしてできた湖は、八郎潟(はちろうがた)とよばれるようになった。八郎は、いままでのつかれがとれると、みぞをほって湖と海をつないだ。すると、さかながどっと湖にはいってきた。さかなはつめたい北の海をのがれて、あたたかい湖へおしよせてきたのである。八郎は湖のそこにからだをしずめて、さかなのむれをたのしそうにながめた。こうして八郎は八郎潟の主となったのである。
ところが八郎潟は冬になると、いちめんにこおりがはりつめてしまう。それで八郎は、冬でもこおらない湖をさがそうとおもった。そこで目をつけたのが、男鹿(おが)半島の北浦(きたうら)町にある一ノ目潟(いちのめがた)である。しかし一ノ目潟の女神は、

「冬のあいだだけでも、いっしょにくらそう。」

という、八郎のもうしこみをうけつけなかった。
そのうち八郎は、東のほうにある、田沢湖(たざわこ)の主である辰子姫(たつこひめ)も、人間のむすめが竜になったのだ、という話をきいた。辰子(たつこ)は神代(じんだい)村の神成沢(かんなりざわ=いまの仙北郡田沢湖町)にすむ美しいむすめだったが、じぶんの美しさを永遠にたもちたいと願をかけ、観音(かんのん)さまのおつげによりヘビとなって、田沢湖にすみつくことになったのだった。八郎はおもいきって冬のはじめに田沢湖をたずねた。すると辰子姫はこころよく八郎をむかえてくれた。
それいらい八郎は、冬のあいだは田沢湖で辰子姫とくらし、春になると八郎潟へかえるようになったといわれる。八郎が田沢湖へくるのはまい年十一月九日の晩といわれ、いまでも田沢湖町では、八郎が田沢湖へはいる音がきこえないように、この晩になると辰子姫をまつった神明堂(しんめいどう)で、にぎやかに宴会をおこなうならわしがのこっている。

魔法使いの文王
魔法使いの文王 秋田県の民話 <福娘童話集 きょうの日本民話>

むかしむかし、秋田の仙北郡六郷(せんぼくぐんろくごう)というところに、文王(ぶんおう)という男が住んでいました。
地元の人たちは文王の事を、
「あいつは、魔法使いじゃ」
「へたな事をいうと、どんな目にあわされるかわからんぞ」
と、ひどく恐れていました。

ある日の事、この文王が横手(よこて)の町に現れて、
「今日の昼、この横手一の大橋(おおはし)の蛇の崎橋(じゃのさきばし)を、のみ込んでみせるぞ」
と、大声で言いふらしました。

さて、文王が橋をのみ込むと言うので、町中から大勢の人が集まってきました。川の両岸はもちろんの事、家の屋根や木の上にまで見物人でいっぱいです。文王はニヤニヤ笑いながら、橋のたもとを何度も歩きまわっています。

「どうやって、この橋をのみ込むつもりだ?」

「いくら文王でも、これは無理だろう」

集まった見物人が話し合っていると、いつの間にか橋はもう文王の口の中へ半分ほどのみ込まれていたのです。あまりの事に見物人はあっけにとられて、声を出す物は一人もいません。と、その時、観音寺(かんのんじ)の大杉(おおすぎ)に登っていた一人の男が、

「おーい! 文王は、橋をのんではおらんぞ。ただ、うろうろ歩いておるだけじゃあ!」

と、大声で言ったのです。さあ、それを聞いて腹を立てた文王は、両手を組み合わせると大杉にむけて術をかけはじめました。すると大杉がギギギーと、川の中まで弓なりにたれ下がったのです。

「うわーっ!」

大杉にいた男は見事に振り落とされて、川の中へ水しぶきをあげて落ちてしまいました。そして男が落ちると、大杉は前と同じように、ちゃんと寺の前に立っていました。

「わははははっ」

大杉の男をこらしめて気をよくした文王は、笑いながら町のさかり場へ歩いて行きました。そして一軒の茶店に入ると、茶店の主人に言いました。

「酒をたのむ。あつかん(→あたためた、お酒)で、いそいでな」

文王が塩をさかな(→お酒のおつまみの事)に、お酒を飲んでいると、馬方(うまかた→馬を引いて荷物や人を運ぶ仕事の人)が十人ほど入ってきました。

「じいさん、酒だ、酒だ!」

馬方たちは酒がまわると、馬のじまん話を大声ではじめました。それを聞いていた文王は、表につないだ馬をチラリと見ると、

「どいつもこいつも、やせ馬ばかりだな。うわははははっ」

と、バカにしたように笑ったのです。それを聞いた馬方たちは怒って、文王につめよりました。ところが文王は、ニヤリと笑って馬方たちに言います。

「まあ、そう怒るな。おれはただ、本当の事をいっただけのことさ」

「なにっ!」

「怒るな、怒るな。こんなやせ馬の十頭ぐらい、おれならわけなくペロリとのみ込んでみせるぞ」

「馬をのみ込む?」

「うそをつくな! のみ込めるものなら、今すぐのんで見せろ!」

「そうだ、そうだ。のんで見せろ!」

「いいだろう」

文王は立ち上がると、みんなが見ている前で一頭の馬の尻尾をつかみ、スーッと、お酒を入れていたとっくりの中に馬を押し込んでしまったのです。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

ウマ方たちはビックリして、声も出ません。文王は次から次へと十頭の馬をとっくりの中に入れてしまうと、とっくりをみんなの前に並べて、

「では、十頭の馬をひと口にのむぞ」

と、とっくりの中身をうまそうにのどを鳴らしながら、飲み干してしまったのです。さあ、馬方たちの顔が青くなりました。 馬がいないと、仕事が出来ません。馬方たちは文王の前に手をついて、

「文王さま。どうぞわしらの馬を返してくだされ。お願いしますだ」

「お願いしますだ」

と、何度も何度も頭を下げました。

「よし、返してやろう。その代わり、わしに思うぞんぶん酒を飲ませろ。どうだ?」

「へえ、へえ。そりゃあ、馬を返してくださるならば」

「どうぞ、どうぞ、お酒の方はいくらでも」

そこで文王は馬方たちの目の前で、四斗だる(→およそ、七十二リットル)のお酒を飲み干したのです。

「どれ、さすがに少し酔ってきた。・・・さあ、馬を返してやるから、ついてこい」

店を出た馬方たちは、文王のあとをぞろぞろとついていきました。しばらく行くと文王は立ち止まって、指さしました。

「それ、馬はあそこだ」

そこは広い墓場で、文王にのみ込まれたはずの十頭の馬が、のんびりと草を食べていたという事です。

封蛇石
みちのく怪道風まかせ>青森県の伝説

享保のころ、この地に銀色の斑点のある巨大な蛇が生息していた。ところが、石の割れ目に蛇体を見せても、誰一人として頭と尾を見たものはなく、土地の人々は霊蛇としてあがめたてまつっていた。
だが、この霊蛇も、いずれ時がくれば自ら雲や風を呼んで大地を振動させ、大水を湧き上がらせて昇天するだろうが、その時の被害を恐れて、人々は非常に心配していたのだった。

そのころ、松原の補蛇寺二三世の住職である徳善民道禅師がこの地に来てこの話を聞き、霊蛇を秘法でもって石の中に封じ込めてしまったが、そのときに霊蛇は禅師に、「慈恩にこたえるために万病平癒・大漁満足・所縁吉祥を善男女に与える」と誓ったため、村人は岩清水大竜王神社と名づけて祀るようになった。
その後は、封蛇石の下から湧き出る清水につかると、足腰の立たなかった人が不思議と再起するので近所に知られるようになり、ご利益を頼っておとずれる人が多くなったのだという。

それでも、おどは出かけて行ってしまった。しばらくしておがは、ものすごく雪が降るので、窓から外を見ていた。雪の降る中をこっちにやって来る者がいた。よく見ると、それはおどではなく、鬼だった。
さあ大変だ!おがは、びっくりして、いろりの上にある火棚の上にあがって、隠れていた。しばらくして、鬼が戸口から入ってきて、ドダバダと足の雪を払うと、

「おが、居るか?(おがあ、居だが?)」

と言いながら、座敷に上がって来た。おがの姿がないので、

「どこに隠れているんだ!(どごサ隠れでら。)」

あっちこっち戸棚の戸を開けたり、板戸を開けたりして探したが、なかなか見つからなかった。しばらく探しているうちに、火棚の上から、おがの黒い長い髪が、下がっているのを見つけた。鬼は、その黒い長い髪を、ダックリ引っ張って、おがを座敷に引きずり下ろすと、むしゃむしゃと食ってしまった。
やがて、何にも知らないおどが、町から帰ってきた。

「おが、帰ってきたぞ(おが、今来た。)」

そう言いながら、家に入った。いつもなら、すぐ出てきて、

“さあ、何があったんだ、どんな事ががあったか?(何かあったが、どんな事があったが?)”

などと、いろいろ聞くのに、今日はどうしたことか、おがは出て来ない。

「おや、おかしいな、何かあったのかな?(おがしな。何があったべが?)」

不審に思って、座敷に上がって見たときに、おどは、ヤヤヤ・・・座敷が血だらけだ、と気が付いた。

▼関連リンク

参考文献

https://matome.naver.jp/odai/2137669756872640701
2014年10月18日