「火垂るの墓」の登場人物、清太と節子の父は重巡洋艦「摩耶」の乗組員であり、作中にも摩耶の観艦式のシーンが登場する。
1988年(昭和63年)に公開された「火垂るの墓」で原画を担当し、神戸港での観艦式(清太の回想)の場面の軍艦(高雄型重巡洋艦「摩耶」)を出来るだけ史実に則って描写する事を求められ、舷窓の数やラッタルの段数まで正確に描いた。もっとも完成した映画ではすべて影として塗り潰され、庵野の努力は徒労に終わった。
庵野秀明 – Wikipedia
「火垂るの墓」作中に出てくる摩耶の描写には、庵野秀明氏のこんなエピソードも。
摩耶(まや)は、日本海軍の重巡洋艦。高雄型重巡洋艦の3番艦である。川崎造船所(現在の川崎重工業)神戸造船所にて起工。艦名は兵庫県神戸市の摩耶山にちなんで命名された。レイテ沖海戦で米潜水艦の雷撃により沈没、戦艦「武蔵」に救助された乗組員が翌日の「武蔵」沈没を体験したことで知られる。
摩耶 (重巡洋艦) – Wikipedia
Wikipediaの記事の見出し
重巡洋艦「摩耶」の名前の由来になった摩耶山
「摩耶」は神戸の川崎造船所で建造された、「火垂るの墓」の舞台は神戸、と神戸に縁が深い軍艦。
ちなみに、「艦これ」における摩耶はこんな感じ。
作品の設定や考証などに対する突っ込みや揚げ足取り
ばんぶぅ@Retina対応版@banb0o
父親が重巡「摩耶」に乗っているそうですね
清太が父親に手紙を送ったのは呉鎮守府
摩耶は横須賀なのでそら届かん
ちなみに映画の時系列は20年5月
重巡摩耶、昭和19年10月にレイテ沖海戦で沈没してるので父親は最初から仏になっているのでは!!!
ノイズカ。本垢@療養中@noizu_ka
黒川ケンキチ@krokawa
Kazu@ダークフレイム提督@Kazu_ZF1
ウボァー@_uboar_
おっさん「あかんあかん。とうの昔に全部沈んでもうて一隻も残ってへんわ」
雪風「」
響「」
鳳翔「」
長門「」
北上「」
高雄「」
58「」
「火垂るの墓」×「艦これ」ネタツイート集
クーウォン@The_Qoowan
おっさん「あかんあかん。とうの昔に全部沈んでもうて一隻も残ってへんわ」
清太「羅針盤か!?E-5があかんかったんか!?だから改二にしとけとあれ程…」
おっさん「何を言っとるんや…あんた…」
シロク兄さん 黒煙中毒者@AichiB7A2
おじさん「あかんあかん、そんなんとっくに擬人化されてしもうたわ」
清太「そんならお父ちゃんは? お父ちゃんの乗った巡洋艦はどないなったんです!?」
摩耶「アタシ、摩耶様だぜ」
清太「お父ちゃんのバカーッ!」
赤城@akagi_1kousen
「ほら、これあたしだよ、あたし!」
と騒ぎ出し、自分はこんな作品に出たという自慢合戦になり、最終的には
「「「大和ばっかりずるい!」」」
とみんなで一致団結して、誰も内容を見ていません
Wikipediaの「大和型戦艦に関連する作品の一覧」もご参照ください。
ふじけん@大湊警備府@fujiken_ja22w
・平時
蛍なんですぐ死んでしまうん?
節子、それはドロップやない!おはじきや!
DQN親戚のおばさんvsクズ兄妹
・今回
摩耶様!摩耶様!摩耶様!
連合艦隊の船は一隻も残ってない→はぁぁぁ!?
父ちゃんはどこで戦争してるの→E-3
この温度差、クソワロタ
π @提督@pai__hijbvajih
おっさん「あかんあかん。とうの昔に全部沈んでもうて一隻も残ってへんわ」
清太「羅針盤か!?E-4があかんかったんか!?だからDMMに課金してダメコン積んどけとあれ程…」
おっさん「何を言っとるんや…あんた…」
キョロ@7代目 MIX師募集中@LOSTLOSTLOST48
おっさん「あかんあかん。とうの昔に全部沈んでもうて一隻も残ってへんわ」
清太「課金さえすれば、、、…」
おっさん「何を言っとるんや…あんた…」
あずにー@balthazar821
おっさん「あかんあかん。とうの昔に全部沈んでもうて一隻も残ってへんわ」
清太「イベント海域で慢心か!?提督がイベント海域で慢心したのがアカンかったんか!?」
おっさん「何を言っとるんや…あんた…」