<閲覧注意>身の毛もよだつ本当にあった長編怖い話まとめ(96)

kent303
<閲覧注意>身の毛もよだつ本当にあった長編怖い話をまとめました。

近道

初投稿したいとおもいます。長文になりましたすいません。

県外へ遊びに行った帰り
深夜過ぎなったが近道として、山の峠を使うことにした。
山の中腹ぐらいで突然霧が出はじめて、もう前が見えにくく真っ白になってしまった、なので、左右のガードレールをもとにゆっくり登って行った。
一歩間違ったらぶつかっちゃうので、緊張して走ってる中カーブにさしかかろうとしたとき
、流してたCDが突然止まった。
終わったとおもったので助手席の自分はCDを変えようとCDBOXみてたら
友人が叫びながら急ブレーキ、全然速度出してなかったけど、つんのめった
何事かとおもって前を向いたら。

霧で乱反射して真っ白の視界のなか赤い何かが運転席の前方にカーブの先の霧のかなへ消えていくのがみえた。
如何したと聞いたら、カーブを曲がりきる前に、赤い服を着た子供がいたといった。
こんな時間だし山奥だし絶対人なんかなんかいないし、まして子供がいることさえ異常だった。
見間違えかなと思ったけど、自分もちらりとみたし。
自分と友人は、そこで如何しようと話してたけど、戻るのもUターン出来ないくらい狭いし。
また、ここまで遅くなったら、もどって家に帰るのもすごく時間がかかる、戻るより進んだほうが早いからということで、恐る恐る、すすむことにした。
CDは激しい曲を大音量で流した。

回りは霧でみとうしがきかなかったけど、さっき変なことがあったので、車は少し飛ばし気味になってた。
自分も、怖かったし早くここから降りたいとおもってたし、二人とも前を集中してみてた。
カーブ2つぐらい曲がったころ、フッて感じにCDが止まった。
自分も「え゛」っておもってカーステ見たとき、運転してた友人が叫びながら急スピードで飛ばし始めた。
びっくりして固まってしまった、霧で見えないところをスピードだしてるものだから。
おい!って叫んでも、友人はスピードだずのやめず・・・
でも、霧で前が見えなかったのですぐにカーブ曲がりきれなくてガードレールに横こすった。
とっさにハンドルをまげて大声で止まれ!止まれって!叫んだもう必死だった。
なんとか友人ブレーキして止まった。
おい!どうしたんだ!ってもう涙目で友人見たら。ぐったりしてた。
もうどうしたらいいかわからなかった。
携帯が普及して間もないころだったので、携帯とかもってなかった。

とりあえず、友人をゆすったり、ほほたたいたり大声で読んでも復帰せず。
ここにとどまるのも怖いし、友人が心配だったし!もう必死で
友人を後部座席に移動させて、自分が運転した。
とにかく、ここから早く逃げて、ふもとまで降りたかった。
すぐに峠こえた、そしたら霧がはれ始めた。
回りが見えただけでも本当にホッとした。
霧が晴れたとすぐに、後部座席で友人が動いた気配があったので友人を呼んだ。
返事があった、本当に泣きそうだった。怖かったしこのまま意識が戻らないと思ってたりしたんで、本気で涙がでた。
そのまま何事もなく、峠をおり近くのコンビニについた時は二人して泣いた
良かったと泣いた。

そこで、缶コーヒー飲みながらようやく落ち着いた友人に聞いたら。
音楽が止まったときにルームミラー見てしまったらしいそしたら、逆さになった子供が窓にめいっぱいに映ってたらしい。
とにかく振り落とさないとやばいと思ってアクセル踏んだとのこと
自分は、もう、急発進を止めるのが必死だったので気がつかなかった。
その後、自分が叫んだとの一緒で女の叫び声が聞こえて気が遠くなったとのこと。そしてブレーキ踏んだのは覚えてなかったとのこと。
無事五体満足でよかったんですけど、自分も友人も3日ぐらい寝込んでしまった。車に盛大に傷はいった友人はまた泣いてたし…
もうあんな目には逢いたくない。
長文しかも乱文で申し訳ありませんでした。
近道

何かの戦

これは今現在、俺も信じきれていないので、他人は誰も信用しないと思う。
親父の大法螺かもしれないし、幻覚、幻聴の類かもしれない。
しかし、目の前で様子を見ているのでまるで嘘とも思えない。
なんともいえない妙な感じがしているので出勤前に書き込んでみる。

親父は茸採りが趣味なんだ。
毎年8月のお盆過ぎ頃から11月に入る位まで、天気が良いと早朝山に入る。
スーパーのレジ袋をぶら下げて、時期ごとに一定のコースをまわる。
8月22日の日曜日も朝から山に入り、8時位に帰宅した。
俺はちょうど起きたばかりで、親父が山に持って行ったビニール袋から
チチタケ、タマゴタケ、トンビマイタケなんかを出しているところだった。

あまり採れてねえなと思いながら、洗面所で顔を洗っていると、
「なあ、かんなめのまつりって何のことで、何日か知ってるか?」と聞かれた。
「知らん。」と答えると、
「ちょっと調べてくれねえかなあ。」と言うんで、ググってみた。

神嘗祭(かんなめさい・かんなめのまつり・かんにえのまつり)
は宮中祭祀のひとつ。五穀豊穣の感謝祭にあたるもので、宮中および神宮
(伊勢神宮)で儀式が執り行われる。
宮中祭祀の大祭で、その年の初穂を天照大御神に奉納する儀式が執り行われる。
かつては旧暦9月11日に勅使に御酒と神饌を授け、旧暦9月17日に奉納していた。
明治5年(1872年)の太陽暦改暦以降は新暦9月17日に実施するようになったが、
これでは稲穂の生育が不十分な時期になってしまうため、明治12年(1879年)
以降は月遅れで新暦10月17日に行われるようになった。

で、「多分これだろ」と上記のWikiの内容を印刷してやった。
何かぶつぶつ言ってるんで、「何か用事でもあんのか?」と聞くと、妙な話を始めた。

今朝も5時頃に出かけていくつか茸を採り、山頂付近で一休みした。
山頂付近に大きな岩が有り、その横の石に腰かけて一服していた。
突然、ザーッと強い風が吹いてきたと思ったら、次の瞬間目の前が真っ暗になった。
目も見えないし、手も足も動かない。親父は脳の血管が切れたと思ったらしい。
しばらく焦っていると、「おい、おい」と呼ぶ声が聞こえ、甘い匂いがする。
誰か来たと思い、「助けてくれ」と言おうとするが声が出ない。
また声が聞こえる。

「すまんなあ。誠にすまんなあ。すぐ元に戻すが一つ頼みを聞いてくれ。
久方ぶりに総出で戦に出にゃならなくなったが、後に残すこいつが心配だ。
他の奴らは先に出陣したんで頼める奴がおらん。ぬしに是非とも頼みたい。
帰った暁には礼をするぞ。かんなめのまつりの頃までには迎えに行くぞ。
もしも迎えに現われなんだら、信州飯綱の御山を頼れ。頼んだぞ、頼んだぞ。」

こんな内容の声が聞こえたと言う。
聞こえてからすぐに、ぼーっと視界が明るくなり、しばらくすると普通に目も見え、
手足も動くようになった。石の上に座ったままであり、あちこち動かしてみたりしたが
体調も別に悪くない。頭痛もしない。
何が起こったのか考えたが、怖くなって山を下り、家に帰って俺に質問という経緯だったらしい。

親父も俺もやはり脳疾患だと考えた。親父は知人の医者に電話を掛け、症状を話して
しばらく様子を見ろと言われていた。だが、強引に翌日の脳ドッグの予約を捻じ込んでいた。
そんな騒ぎをするものだから、俺はその日外出せずに家に居て、親父は寝込んでいた。
昼時になり、饂飩を食べたのだが、親父が頻りに首を傾げている。
味がしないらしい。それから親父は1日の内の半分位味覚が無くなった。
はっきりと、何時~何時までというのではなく、味がしたりしなかったりしていたという。
次の日、早速脳ドッグへ出掛けた。1泊し、検査して帰って来たんだが、
年齢相応の古い小さな梗塞の跡は見られるとの事だが、特に異常は無かった。
血液検査も異常無しで、味覚の異常は原因不明で経過観察。
その翌日も、大学病院の脳外科にかかったが異常無し。
検査で異常がないと言われて、やっと落ち着いたみたいだった。

落ち着いてくると、親父も声の内容が気になってたらしく、
「なんか連れて来たせいで、おかしくなったのかな」とか
「10月になれば治るのかな」とか、色々話をした。
飯綱山を調べると、日本八大天狗の内の飯綱三郎という大天狗がいるとある。
結局、体調は問題ないんだから、「山の天狗に何かを押し付けられたんだろう」ということで、
10月中旬まで様子を見ようということになった。

普段は、味がしない事があるだけで普通に生活できていたんだが、時々、後頭部の髪の毛を軽く
引っ張られる感覚があったらしい。
親父は頭頂部が大分ハゲかかってきているので、場所の問題ではなく非常に不愉快だと怒っていた。
食事が味気ないせいなのか、体重も8kg程減ったらしい。

今月の10月15日の夜、親父は仕事帰りに同僚と居酒屋で一杯飲み、23時頃帰宅。
俺は、別の所で友達と飲んでおり不在だった。
帰宅後、風呂に入って24時前には寝たらしいんだが、夢か現かまた声が聞こえた。
「無事に帰って来れたぞ。世話になったなあ。うつしよのぬしらのよ(現世のぬし等の世?)
にても大難がおこるであろうが心配ないぞ、心配ない。山に空きができてこれから忙しくなる。」
と言い、水戸黄門で印籠を出した後の黄門様みたいに大笑いしたところで目が覚めた。
親父はこれで治ったと思い、布団の中から起きだして、サッポロ一番(味噌)を作って
おいしく頂いた。味覚も元にもどっていた。元にというより、何でも美味しく感じるらしい。

親父は約束の御礼を心待ちにしている。俺は、ひょっとすると美味しく感じるのが御礼?
と思っているが、親父に言うと落ち込むので言わない。
目に見える形での御礼というものは未だに無い。
しかし、御礼よりも気になるのが大難だ。何が起こるんだろう。
何かの戦

マラソンの練習

ちょいと一つ挟みますよ。

俺は小学1年の夏に引っ越して、ど田舎の小学校に転入した。
引っ越す前までは気ままに過ごしてこれたんだけど、
引っ越してからはよそ者ということも含めて周囲から浮いてしまい、
アウェーな生活を送っていた。

そんなこんなで同じ年の冬。
地域のマラソン大会の選手を選ぶためのマラソン練習が始まった。
夜8時ぐらい公民館に地域の大人数人と子供たちが集まり、
公民館からスタートとして夜の山道をぐるっと走って戻ってくる。
子供が走る後ろから、大人が車のライトで照らしながら伴走するのだ。
何度か参加させられていたが、俺はこの時間が一番嫌いだった。

俺は運動ができない。
みんなについていくこともできず、余りに遅れるもんだから
俺は『どう考えても選手には選ばれないのに何で参加させられてるんだ…』
といつも考えていた。

ある雨上がりの夜の練習中のことだ。

こういう後ろ向きな考えの子供がモタモタしているものだから
伴走の大人達の苛立ちを買ったのか。車から声をかけられた。

『おい坊主!お前ちっと遅すぎるから、おっちゃん達、先の子たちに付いていくかんな!
車もたくさんは無いから、我慢しろ!先に着いて待っとくからな!』

俺は唖然とした。
田舎の夜の暗さは尋常じゃない。車のライトもなしにどう走れと言うんだ。

『頑張れよー!!』
表向き前向きな言葉をかけながら伴走車は去って行ったが
よそ者の子供を真っ暗な山道に置き去りにする大人達には
心に一物あったのではと疑ってしまう。

車がいなくなると田舎の山道の暗闇が容赦無く襲ってくる。
人家も全然無いので明りなんてロクに無い。
山道のほぼ中間なので、行くも帰るも地獄である。

月明かりにかろうじて照らされる道を吐きそうになりながら走った。(辛くなって時々歩いた)
何度か走ったコースだが、明りがあるのと無いの、後ろに大人がいるのといないのでは全然違う。

暗い!怖い!帰りたい!!
こけた、痛い!水たまりでズボンがドロドロになっているが暗くてどうなってるかもわからない!
膝はジンジンする、涙があふれてくる、でもきっと誰も迎えには来ない。

泣きじゃくりながら走りに走って、
左右から竹がせり出してドーム状に覆われた道に差し掛かったときだった。
ドームが開けた向こうの路上に、淡い月明かりの中、ぽつんと黒い人かげが立っていた。

『おじちゃん達のだれかだ!迎えに来てくれたんだ!!』
俺は猛烈に救われた気になって、短距離走ばりのスピードを振り絞って駆け寄ろうとしたがふと思った。
なんで車も無いし電灯も持ってないんだろう。

まだゴールはずっと先のはずだから、おじさんだって車が無いと大変なはずだ。
迎えに来たんじゃないのかな…?じゃあ何のためにこんな暗闇に電灯も持たず一人でいるのかな…?

もしかして人間じゃ、ないのかな…?
急にやばい気がして立ち止った。

と同時、人かげがこっちに向かって走ってきた。
俺は『ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!』と泣きわめきながらもと来た道の方へ走りだした。

泥にまみれた靴の中で足が滑り、顔からずっこけたがそれどころではない。
足引きずってでも人かげから離れようとした矢先、
人かげが「○○とこの!!」(○○は俺の名字)と叫んだ。

「○○とこのガキじゃないか。どうした大丈夫か」
恥ずかしながら、俺は失禁して腰砕けになっていた。
真っ暗なので顔がはっきりとは見えないし、まだ面識も広くないのでよくわからないが、
俺の名前を知っていることから察するに、地域のおっさんの誰かのようだ。
張りつめた緊張が色んな形でブチ切れたので、俺は耐えられずおんおん泣いた。

「まあ帰ろう。親御さんも心配してるだろう」
おっさんは俺の手を取って立たせ、失禁も気にせずおぶってくれた。なんと幸せなことか。
おっさんの背中に安心しきりだったが、ふと思い立って肩越しに聞いてみた。
『おじちゃん、車も電気も無いの?大丈夫?』

「あー… ダメだダメだ」
おっさんが答えた。
変な返事だなwwダメってダメだろwww
緊張の糸が切れた有頂天の俺には何か遠い世界の声に聞こえた。他人事みたいだ。

『おじちゃんだけ来てくれたの?他のみんなは?』
「あー… ダメだよそれ」

噛みあわねぇwww どういう答えだよwww
あれ?山側に向かって歩いてる?www

『おじちゃん、こっちは…』
「あっ ダメだよダメ!
「ダメダメ! もう聞くなっ、きくなっ、きくなっ
きくなっあ゙あ゙あ゙あ゙あああ!!!!」

おっさんの声が伸びたテープみたいなモァンモァンの声になって、
肩越しに急に振り向いた顔は目の前で見ても真っ暗闇だった。
俺の記憶はそこで飛んだ。

俺が目を覚ましたのはその日の深夜。
心配して探しにきた親に泣きながらビンタされて起こされた。
俺は山道から谷側に少し入った草むらに倒れていたようだ。

一番怖かったのは地域の連中が一人も俺を探しに来ていなかったことだ。
新居を引き払い、俺達一家は引っ越した。 あ
マラソンの練習

自分の体験じゃないけど思い出したのでまた書きます。

これは友人が体験(?)した話。
そのとき私も近くに居たんだけど話を聞くだけで全くかかわりなしだった。

まだ学生だったころ、休みの日や講義をサボった日などにバス釣りばかりしていた時期が
あった。近くには、今ではバス釣りのメッカとも呼ばれるような湖もあったが、当時、我々
はもっぱら近くの川がメインだった。(意外に知られていないがバスは川でも釣れるのだ)

その時釣りをしていたのはかなり川幅の狭い川で、ちょっと勢いをつければ簡単に向こう岸に
ルアーが届いてしまうくらいの川だった。
川とはいえ実績があり人気のあるポイントというものはあって、我々が釣っていた場所も
橋がすぐそばにあることもあって、左岸右岸ともにすでに数人が入っていた。
(余談だが、左岸右岸というのは上流から見て左を左岸、右を右岸と決まっている。
下流から見たら右が左岸、左が右岸となる)

適当に対岸正面に人がこないように場所を取り、自分のいる側の岸近く、ついで正面の対岸と
ルアーで狙いながら少しづつ移動していく。

ここからは後で聞いた話になる。
ちょうどロッド交換かなんかで、車に戻っていたため直接は見ていないためだ。

友人はあちこち釣りながら移動していたため、たまたま対岸の二人組みの釣り人の正面に近づ
いてしまった、そのため、またもときた場所に引き返そうかと思いながら、引いてきたルアー
を水面から抜きあげた。そのとき。

対岸の二人組みがこっちに向かって騒ぎ出した。
「うわーっ!!!!」「おいっ、そこそこそこ!!!」
友人に向かって指を指しながら大声で騒いでいる。指はこちらの足元を指しているらしい。

友人はとんでもないデカバスでもいて、対岸の連中がそれを教えてくれてるのかと思い
それらしい場所を探そうとした。自分の足元は葦や水草で意外と水面が見えないものだ。
すると対岸から
「うわっ、行くな行くな!!」「下がれ!逃げろ!」

(逃げろ・・・?)

(・・・あーーー、そうか!マムシでもいるのか)と思った友人は、マムシではかなわんと思い
岸辺を離れ、土手の上に上がってきた。ところが。
対岸の二人組みまでもが大慌てで土手に駆け上がり、こちらに向かって走り出した。表情が
尋常でない。

いったい何なんだ?合流した友人と私は、こけつまろびつといった態の彼らが我々の元に合流
してくるのを待った。

「あんた!さっきの見た?!」
「化けもんだよ化けもん!!」
二人組みは顔が真っ青だった。しきりに元いた下流方向を気にしている。

二人の話によると、友人が釣っていた場所近く、葦の茂みの手前(川側)2m位の所にボコッと
波紋が立ったのだそうだ。(ん?)と思って対岸を見ると、バレーボール程の何か黒いものが水中
からヌッと現れ、2人の見てる前でそれはゆっくりと回転し始めたという。
最初は、捨てられて苔などで真っ黒になったボールに、水草が絡んだ物のように見えていたが
回転するにしたがって、それが人の顔を持っていることがあらわになった。
長くボサボサの髪の毛らしきものがまとわり付くそれは、真っ黒でどろどろぬらぬらした人の
頭で、うつろに虚空をさまよう目だけが白かったという。

顔がちょうど岸のほうを向いたとき、すぅーっと1mほど岸に向かって移動しざま水中に消えた
のだそうだ。その方向に釣り人(友人)がいたため大声で知らせたものらしい。

大慌てでそれだけ言うと、東京からきたという彼らは釣りを引き揚げて帰っていった。
無論我々もあまりに気持ち悪いのですぐに引き揚げた。

我々自身は何一つ怖い思いをしていない、ちょっと気持ちの悪い話を聞かされただけだが
それでもそれ以来、2度とその場所には立ち寄らなくなった。
バスではかなり名の知られた湖沼に注ぐ川での話である。
下がれ!逃げろ!

下がれ!逃げろ!

女子大生らしき集団

夏休みに俺が親父と山登りに行ったときの体験。
車で何時間もかけてようやく山の麓まで到着。その時にはもう夕暮がかっていた。
「道かなり渋滞してたからね。もうすっかりこんな時間だからぁ 少し登ったらおりよっか。」
そう言って準備運動を始めた親父。さっきも車の中で脚を吊ったもんだから、慎重に取り組んでいる様子。
歳はとりたくないもんだね、、、 まだ若い俺はそう思いながら少し大きな岩をエイヤッと乗り越えた。
そのときに膝が嫌な音を立ててその場にうずくまる俺。
親父はよもぎかアケビを見つけて採ってくると言って山を登って行った。
俺は麓にある休憩所?のベンチに座って待機。準備運動の大切さを思い知った。

痛い足を引きずりながらそこらを歩き回ったがつまらん。
あたりも暗くなりだした頃、俺は携帯アプリで遊んでいた。すると賑やかな声が聞こえてきて
顔をあげてみると5~6人の女子大生らしき集団がやって来た。
「そんな薄着で山登り?」という疑問をよそに、スカートから突き出している生足を俺はじっと眺めていた。
山を舐めているとしか思えない服装の割に、荷物はやたら大きい。
女子大生たちが俺を取り囲むような感じでベンチに座ると、俺はキョドッて携帯をじっと見つめる。

話しかけてきたからビックリ。
「ねーねー、彼!高校生?今夏休みなんだー」
「夏休みじゃね?」
「あ、はい。」
「進路は・・・?」
「あー、進学です」

こんな感じで同じような応答が繰り返される。
流石にこっちも何かしゃべらんといけないかな、と思って俺は口を開いた。
「みなさん大学生でしょうか」
高校生、働いてる人、身分を語らない者、大学生などなど。特に決まった学校同士での集まりではなさそうだった。

人見知りで話すのが苦手な俺でも女の匂いに舞い上がってきて、ベラベラと話し始めた。
中でも俺が警察に逮捕された時の話に興味津津。俺も話していて楽しくなってきた。
そのうち1人がそろそろ山に登ろうと言い出す。
ギャグのつもりで言ったんだろうな、と思ったら誰も突っ込まないし本当に登る気みたいだった。
もうこんなに真っ暗なのに・・・。
俺の手を引いて行こうとするもんだから、足を怪我しているので無理なことを説明する。

それでも「10分で戻ってこれるから」「じゃあ入口のところでバイバイすればいいよ」と言って許してくれない。
仕方ないから入口まで着いていくことに。女に手を握られるなんて10年ぶりなので、その柔らかい感触を手に焼きつけるのに必死。
その女たち、俺の親父が入って行った所から行くのかと思いきや
脇のほうの獣道に入ろうとする。ちょっと待てよ、そっちはマズイだろ。
どうやらこの先に『入口』があるらしい。本当だろうか。

獣道ですらかも認識できなくなった頃、流石にちょっとおかしいぞと俺は思い始めた。
周りは完全に真っ暗だし、女の子たちの顔すらもよく認識できない。
「もう本当に無理です。帰ります。親父が探していますから・・・。」
頭をペコペコさせながら嘆願すると、別に女の子たちは怒った様子もなく
「うん。今まで着いてきてくれてありがとね。ご褒美あげたいから、そこの休憩所までね。」
さっき俺が休んでいた所とはちょっと違い、神社のなりそこないのような山小屋に到着。

羽虫が飛び交っていて、顔に当たる。耳元でおかしな音が聞こえる。
もう意味がわからないし、帰りたかった。
やっと女の子たちはお礼をする気になったらしく、ズボンを脱ぐように命じられた。
「え お礼ってそういうことなのか」と悟ったがもうどうでもいい。気味悪いし帰りたい。
ズボンを下ろすも、全然興奮しない。俺はなすがままに外の水道場まで連れて行かれる。
女の子たちが数人がかりで俺の脛にクリームのようなものを塗ったくった。
股間が熱くなってくる。そのとき、聞き取れなかったが何かの準備をしようと言い出した女がいる。
俺と1人の女の子を残して小屋の中に入って行った。

いったい何を始める気だろう。俺は気になったので女の子に聞いてみることに。
「準備だよ」
「何の準備なんです?」
「これ、○○○(名前忘れた)だから」
女の子は、しれっとした態度で教えてくれた。
なんで脛にクリームを塗られているのかは分からなかったが、とりあえず何となくの事情は知れた。
どうやらオカルトサークルのようなもので、何かを始める気らしい。
なんとか見逃していただけないだろうか、半ば命乞いをする形で女の子に頼んだ。
あっさり「好きにすれば」とのことだ。
なぜ俺の脚にクリームを塗ったのか、その謎は解けぬまま。俺は脚をきれいにして帰り道を目指して走った。

帰り道は枝を掻き分けながら進んだ。来る時は枝なんて掻き分けなかったから
道を間違えたのは確定。俺はパニックに陥っているし半泣き。しかも転んだときにメガネを落っことした。
山で野良仕事?してるおっさんに出会ったときは、思わず心の中で山の神に祈りを捧げた。
「すみませーん。どっちに行けば○○(店の名前)のところまで行けますかね?」
話しかけても、ずーっと立ち尽くしている。気味悪いけど助かりたい一心で近寄ってみる。
木に服やら、リュックサックなどがたくさん引っかかってた。目が悪くてあまり見えないが、たくさんの吊りあげられた衣類が確認できた。
俺はとりあえず人でないことが分かり、ポカーンとしていると

背後から地の底から響くような声でボソボソと呟いた者がいる。男の声であることは間違いないんだが、人の声にしてはあまりに低すぎる。
そしたら木の上から首吊りロープが凄い勢いで目の前に落ちてきた。
俺は数秒ジッとしていると、背筋に寒気が走って一目散に駆け出した。
ド近眼で前がほとんど見えないから、何度も木にぶつかりながら走った。
無我夢中で走り続けると、道路っぽいところに出た。釣り堀があったからそこに避難してやっとこさ安心。
親父に電話して迎えに来てもらった。膝は紫色に腫れあがっていた。

長文すみませんでした。
最近知ったのですが、この山は色々とある山で有名だったそうな。
女子大生らしき集団

黒板に書かれた「呪」

A高校は新学期から一年生が1クラス増え、
その教室は今まで教材置き場としてしか使われたことのなかった教室だった。
梅雨に入った6月の半ばごろ、そのクラスのTは早めに学校についた。
教室に入ると早く来たせいか誰もいない。ふと黒板を見ると赤いチョークで
「呪」という字が大きく書かれていた。Tは何かの悪戯だろうとそれを消した。
翌日、Tが朝一番に教室に入ると、またそれはあった。
Tはすぐに消したのだが、気味悪く思い、朝は学校を遅めに出る事にした。
それから三日後、Tが教室に入ると、黒板には最初に見た時と同じように
「呪」の文字があった。ただ違うのはその字が赤いチョークよりももっと濃い赤で
まだ乾いていない絵の具のようなもので書かれていた事だった。

既に登校していたクラスメートも何人かまわりに集まっていた。
その日一番最初に登校したSに話を聞くと、
「ここ3日ほど最初に教室に来てて、「呪」の字を消してたのだけど、
気味悪い悪戯だから今日はこのまま残して、
先生やみんなに見てもらおうと思った。」と言った。
朝のHRが始まるころには、クラスの大半が登校していて、字を見てざわついていた。

担任が教室に入ると、字を見て「誰がこんな事をしたのか?」と言い、
TとSが今までの事をみんなに説明した。
担任が職員会議にその話を持ち込むと
夜中に誰かが忍び込んで悪戯するのだろうという事になり、
その教室は学校が終わると鍵をつけることになった。
しかし、鍵をつけたのにも関わらず、次の日も「呪」の文字はあった。
その字は赤黒く、黒板にこびりついて容易には消せなかった。

その日の授業で突然Tが狂ったようにわめき暴れ出し何人かの教師におさえられ、
救急車で運ばれていった。
さらに次の日、学校が終わったらその教室に鍵をかけて、
夜に校内を見回る宿直の教師がその教室の前で死んでいた。
死因はショック死だった。
生徒は混乱し、「呪」の祟りだと一時パニック状態になった。
そのクラスは臨時に教室を視聴覚室に替えることになったが、
霊がいるだの、学校に来なくなる生徒が増え、
PTAにまで噂がのぼり、霊媒師にお払いしてもらう事になった。

夜、校長をはじめ学校側の教師数名とPTAからの数名の立ち会いのもとに、
霊媒師を呼んでの御払いがその教室で行われる事になった。
外は雨が降り蒸し暑いというのに、教室の中はうすら寒く、異様な空気が流れていた。
午前二時を過ぎた頃、霊媒師が「来ました。」と言った。

ろうそくの薄明かりに霊媒師が一心にお払いの言葉を唱えている中、
皆は黒板に釘付けになった。
そこには何も無いのに「呪」の字がゆっくりと現れ、
字からは血がしたたり落ちるように流れた。次の瞬間字はフッと消えた。
霊媒師はその場で倒れ、保健室に運ばれた。
しばらくして霊媒師が目を覚ますと、
「お払いすることができませんでした。」と言った。
理由を聞くと、昔この土地で死んだ女の霊が現れたという。
立ち会いの何人かもその時女が見えていた人がいて、
髪が顔が見えないくらい長く、白い服で、口から舌がへそくらいまで垂れていて、
手の指先が切られ、その指で「呪」の字を書いていたと、皆同じ事を言った。

霊媒師によるとその女は強姦され、その時のショックで狂ってしまい、
自分の指を噛み切り、自分の舌を噛み切り、井戸に飛び込んで自殺をしてしまったらしい。
その井戸が教室の真下の位置に埋められており、だから女はそのクラスにとり憑いたと言う事だった。
女の怨念は凄まじく、お払いする事ができない為、その教室はおふだが貼られ、
誰も入る事が出来ないように鍵もかけられ、一年の教室も別の教室に移されることになった。
今でもその教室には「呪」の文字が乾く事無く残っているらしい。
黒板に書かれた「呪」

過保護な山の神様

私が小学校2年生の頃に母が再婚した先の祖父母の家の話しなんだが、
祖父母の家は山の中にある集落の元地主らしく庭が山という山の中の家にしては
庭に池がふたつあって50年以上生きてる鯉がうようよしてたり庭の竹やぶの前にお稲荷様の社があったり
山の中にいきなり立派なお屋敷がある感じなんだけど、そこにいる山の神様が過保護だった。

・祖父から小さい頃(おそらく6~70年前)庭の池にホタルが飛んでた話しを聞いて
「ホタル見たい!今もいないかな!」とはしゃぐ私に流石にもう何十年も前の話しで今は居ないと諭されたが
その夜父親が騒いでいるので見に行ったら池でホタルが一匹だけ飛んでいた。その年以降も一度も見ていない。
・ずっと前に庭にカモシカが出た話しを聞いて「うわー!見てみたい!」→次の日の早朝カモシカが庭に出る。
・「見たかったー!起こしてくれたらいいのに!」と抗議したらすぐにいなくなってしまったそうな。

その後祖父母の家に遊びに行ってたまたま泊まらないで帰った次の日父親がバタバタと出かける準備をしているから
何かと聞けば「庭にカモシカが迷って居座ってるから捕まえて山に返してくる。危ないからきちゃだめ。」
この間私が見れなかったからだろうか・・・。
・学校の授業でふくろうの話をやり、祖母に「ふくろうみたい!この山にはいないの?」と聞いてみるが
祖母は一度も見たことがないそう。その夜どうしても見たくなって庭に出て山を眺めてみる。
→どこからかふくろうの鳴き声が聞こえてきて頭上を大きな鳥が飛び去っていく。その後すぐに屋敷に引き返して
ふくろうがいた!!と言っても信じてもらえず。
・山で山菜が取れるのだがもう時期も遅いし他の場所から来た人間がとりつくしてしまった話しを聞く。
→行ったらなぜか食べごろの大きさでめっちゃ生えてる。
・たけのこの話しを聞いて「掘りたい!」→時期的にはまだ出てこないはずなのにたくさんもこもこしてる。

他にも色々あったけどとにかく何かみたい!やりたい!と私が言ったらいるはず、あるはずがない物も見せてくれた。
その場に居合わせて大人が驚いていることが結構あったから全部が子供の頃の妄想ではないはず。
山の神様に会った!とか、霊的な何かを見た!とかは一切無かったんだけど今思うと山にこれ以上ないぐらい
歓迎されていたんだなぁと思う。散々山に繰り出して道も知らないのに怪我ひとつ、迷ったことすらなかったし。

2年前に久しぶりに祖父母の家に行って山に行ってみたら何故か山の中の何も無いところに大量に果物が捨てられていた。
(スイカやメロン、大量のりんごや柿。今思うと季節感がめちゃくちゃ。)しかもどれも全く痛んでいない。
祖母に話したら「もったいないことをするねぇ。」と言っていたからその集落の習慣とかでもないみたい。
もしかしたら神様が久しぶりに来たから歓迎していたのかも知れない。もう子供って年齢でもないのに
相変わらず過保護なようだ。

ちなみに熊被害のニュースを見て、
私「ねぇねぇ!この山に熊はいないの?」
祖母「ずっと深いとこには居るかもしれないけどもうずっと誰もみたことないねぇ・・・」
私「へぇ~。・・・でも別に熊は怖いから見なくていいかな」
→その二~三日後近所数件今まで合ったことが無い熊被害にあう。

見たいって言ってたらどうなってたんですか神様・・・。
過保護な山の神様

源さんのある日の猟

じいちゃんの幼なじみの猟師から聞いた話
爺ちゃんの幼なじみ以後源さん。

一日目
その日はホントに何もとれなかった。犬を放しても足跡が見つかるには見つかる
が、川を横切ったり、足跡をピッタリ合わせて後ずさりして、全然動物が
見つからなかった。それと、すごく気味悪いものをみた。獣の骨だ。でも、
クチバシのようなものがあったので、鳥だと思った。だが、不思議なのが
白骨化したくせに妙にきれいでしっかりした骨だった。
その日はその骨しか見つからず、その日は山を下りた。

二日目
この日、源さんは山に止まる準備万端で、味噌おにぎりをたくさん持って行った。
しかしやっぱり何もとれやしない。
しかもまた、骨をみた、角と馬に少し似た骨格から鹿だと判断したが、また妙だ。
今回し四匹くらいいっぺんに骨になっているし、骨のある周りには、鹿の足跡が
ワラワラあった。あるで群れでもあったように。
その日は山小屋に入って犬と味噌にぎり飯を食って、寝た。

三日目
この日は朝早くから猟に出た源さん。この日は骨ではないが、今までで一番
気持ち悪いものに出会った、目は落ちくぼみ、体は皮だけになったような
不気味な鹿の死体だった。そして、そこで奇妙なものを見つけた。
長さが7~8メートルはある太い髪の毛が一本落ちていた。手に巻いて

犬にかがせたが、犬はクゥ~ンと鳴いて怖がるばかりだった。
しかし、あることに気づいた、毎回、毎回、最初に見つけた骨とは方向が
反対になっていること。つまり、最初に南側で遺骸が見つかれば、次の日は
北側、その次の日が南側、と交互になっている。鳥の白骨を見つけたのが
だいたい南側なので、明日は南側方面になると見当がついた。
その日はそこで切り上げ、持ってきた味噌握り飯を犬と食べて、早く寝た。

四日目
その日は朝の一時とかなり早い時間に猟にいった源さん。
そして、南側の岩の陰に隠れていた。十分ほどすると、ズドドドドドッっという
轟音とともにイノシシやら鹿やらヤマドリやらが一斉に逃げていった。
何かと思うと鹿の鳴き声、笛を吹くような鹿の鳴き声が上から聞こえる、
岩を挟んで自分と反対側から髪の毛のようなものがのびでている。その先に

鹿がぶら下がり、ヒューヒュー鳴いている。ほかにも長い髪の毛のようなものが出てきて
みている目の前で、鹿に髪の毛が巻き付いたかと思うと次にはミイラ化していた。
岩の間から猟銃で一発撃つと、低い声で、誰だ、という。黙っていると
岩の上に乗り、辺りを見回し始めた。岩の陰に隠れて、死角になっているので
見えていないようだった。そして、それをみるためにゆっくり顔を上げた。
驚愕した。髪の毛の固まりみたいなものに目がついただけの化け物だった。
恐怖からか、下から化け物に向かって銃で撃った。すると化け物は
「どこだぁ・・・どこにいる・・・居ないのか・・・流れ弾なのか・・・
致し方あるまい・・・去るならば・・・今・・・」
というとわさわさと髪の毛を木や石や岩にかけ、山の奥へと上っていった。
それっきりであっては居ないが。何だったのかが気になって仕方がないという。
源さんのある日の猟

鉄砲水の話

前に何処かに書いた気がするが、渓流釣りが好きな友人の話

渓流釣り、特に源流まで分け入るとなれば、釣りよりも
沢や崖を登っている方が長いというような、登山なのか釣りなのか
よくわからないような状態になる、時には岸が切り立っていて登れず
滝壺を泳いでわたったり、足場が悪く苔で滑る滝の横を登ったり、
はたまた山ダニや山蛭の猛攻に悩まされながらのか、なりきつい行程となるのだが、
釣り人本人は目の前に魚がちらついて苦にも成らない、当然日帰りが不可能な場合も多く
キャンプの用意をして沢に泊まることもしばしばだ、中には数日間居続けて
釣った魚はその場で薫製にして持って帰る強者まで居る、こんな状態であるから
「怖い」体験にも事欠かない、転倒・滑落など登山に付き物の体験は言うに及ばず
目の前の斜面から熊が駆け下りてきたりとバラエティに富んでいる、
そんなも源流行をしている友人が、死ぬかと思ったといつも言っているのが
鉄砲水の話だ、

そのとき友人は数人でいつものように釣りながら源流に向かって、
遡上していたらしい、まあ、そこそこの釣果を得て真っ暗な中で火をおこして
釣った魚をおかずに夕食をすませ、次の日のルートなどの打ち合わせを済まして
就寝したらしい、所がどうもいつもと感じが違う、寝付かれないと言うのか
取り立てて、なにかが聞こえると言う訳ではないが気が付くと外の物音に耳を澄ませている
自分に気が付く、そんな感じだったらしい次の日もきつい行程だから寝ないと不味い
と思った友人は持ってきていたスキットルからウイスキーを煽って無理矢理に寝てしまったらしい
何時間くらい寝ただろうか、不意に誰かに起こされた気がして飛び起きた周りを見ると
他の人達もまさにタイミングをぴたりと合わせたようにガバッっと言う感じで起きている。
テントの外の様子を伺うと小雨が降っていたそうだが、釣りに影響するような雨ではなかった
時計を見ると、昨日打ち合わせた出発の時間より2時間は早い、普通ならそのまま沢の様子でも
見に行って朝食を取ってと言うことになるのだが、その日は仲間の一人が突然

「早く出発しないといけない」と言い出した、普通なら早すぎると文句が出そうなものだが、友人は
不思議と逆らう気にもならなかったらしい、他のメンバーもそうらしく支度を始めていたらしい
隣にテントを張っていた仲間にそれを伝えに行くと、此方も全員起きていて出発の準備をしていたらしい
が、誰もそれを不思議とも思わなかったのが今考えると不思議だと友人は言っていたが、
とにかく、そんなこんなで予定時間よりかなり早く朝食も取らずに出発したらしいのだが、
次のポイントに向かうために斜面を登ったとたん、水音がかわったので沢の方を見ると

川の色が真っ茶色になって、水位が上がりキャンプを張っていた岸も激流に飲み込まれたらしい
そのときになって、後少し起きるのが遅かったら、出発するのが遅かったら荷物をすべて失っただろうし
下手をしたら死んでいただろうと、ぞっとしたらしいです、しかしあのとき、なぜ隣のテントに居た人まで
全員が計ったように同じ時刻にとび起きたのか、友人が出発時間にもならないのに出発しようと
言い出したのか、そして誰もそれに異を唱えなかったのか、どう考えても不思議だと今でも言っています。
鉄砲水の話

林間での出来事

かなり昔の話なのですが、当時本気で洒落にならんかったので
書かせてもらいます。
文才無いので読みにくいとは思いますがお付合いください。

小学五年生の林間だったと思います。
H高原のKという旅館に二泊三日だったはず。
一日目、二日目は怪我も何もなく、楽しく過ごしました。
三日目。「夜の集い」(だったと思う)をやるため、講堂(?)に移動。
みんな早く部屋に帰りたくてすっごいシケてたの覚えてます。
で、私と友達二人がこっそり抜け出して部屋に帰ったんですね。
しばらく三人で雑談して、ネタが尽きて帰ろうか、という時です。
部屋の外にでてドアを閉めようとしたら、何か聞こえたような気がしたんです。
女の子二人の話し声。何を言っているのかはわかりませんでしたが。

気の強いリーダー系の女の子と、聞き上手な女の子。
何故かそんな気がしました。
隣の部屋に誰か居るのかな、と思ってのぞいてみても誰も居ません。
空耳だと自分に言い聞かせてさっさとドアを閉めたら、
一瞬、話し声が止まりました。
私が驚いて手を止めると、また話し声が始まりました。
でもさっきまでと違う。私の事を話している。
また何故かそんな気がして、恐怖で頭がおかしくなってしまいそうでした。
凄い叫び声をあげて、友達放って階段駆け下りて…
無我夢中で走りました。女の子達が追いかけてきているような気がして。
講堂について、息を整えていると友達二人が追いついてきました。
何故急に走り出したのか、と訪ねてくる友人に必死で説明しました。
すると、友人の一人…仮にNさんとします。

その子が青い顔をして「…私も聞こえた」と。
Nさんの話によると、私の聞いたのとは違うみたいなんですけど
「○○ちゃん(私の名前)を追いかけてたときにトイレから女の人の笑い声が聞こえた」
そうです。女の子じゃない、あれは絶対に女の人だと言っていました。
もう一人の子は「何も聞こえなかった」と私たちの話を全く信じていませんでした。
なんか悔しかったので周りに居た子達にその話をして回ったんですね。
そしたら、ある二人の女の子の口から意外な言葉が…
とかなんとか言って続けてみます。

107 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:02/03/20 20:04
続きです。
その二人―仮にAさんとOさんとします―の体験はこんな感じだったそうです。

二日目の昼、二人が食堂で昼食を食べていると後ろで話し声がする。
振り返ってみると、誰も居ない。
空耳かなと特に気にもせずに食事を続けた。
すると今度はバタバタと足音がする。(複数だったらしい)
五月蠅いな、と振り向くと誰も居ない。
呪われると嫌なので誰にも言えなかったんだそうです。(ビビりすぎ;)

誰も信じてくれないことは解っていたのでもう言わないことにして、
集会が終わるとすぐに部屋に戻りました。
恐怖でテンションが下がってしまい、その夜は何もする気になれずに
集合写真を撮るとすぐに寝てしまいました。

家に帰ってから足音や話し声が聞こえるようになった、と皆言っていました。
私も勿論聞こえました。まぁ、ビビりすぎて幻聴聞いてただけかもしれませんが。
テレビが勝手についたり消えたりするとか、風も無いのにドアにつけてるベルが鳴る
とかいうこともありました。
でも、それよりもっと怖いことがあったんです。
それは、最後の夜に撮った写真。
よく見ると、一番怖がっていたNさんの肩に小さな手が乗っているのです。
心霊写真なんて初めてみたので本気で吃驚しました。
これ以上怖がらせるのはいけないのでNさんには黙っておくことにしました。

今でも偶にこの話をします。その度にまた何か聞こえたりするのですが。
長いだけで余り怖くないですね;すみません。
林間での出来事

銅像のお返し

俺はあまり霊というものを信じているとはいえません。
なぜかというと、見たことがないからです。
じゃあこんな所くるなと言われそうですが、興味はあるのです。
それは俺が不思議な体験・・というより、偶然のタイミングに出くわすことが何回かあったからです。
俺が25歳になるまでに、知り合いが何人か亡くなりました。
この年でなくなる知り合いと言うことは、少なくとも老衰というパターンはありません。
事故と言うのが一番多いのですが、その原因が事故だろうが、なんだろうが、その後で、
「ひょっとして、あれが原因なんじゃないのか・・・」
といわれる偶然のタイミングに見舞われることが何回かありました。
それを人によってはただの偶然だと無視するし、又ある人は心霊体験だともいうのでしょう。

俺が高校生の頃でした。
バイクに乗って走り回るのが楽しい頃で、毎日ろくに学校にも行かず夜皆で集まって乗り回していました。
グループ内では意味もなく、根性試しが何回となく繰り返されます。
それは誰がいかに速く走れるかだったり、
壁に向かってぎりぎりまでブレーキを踏まずにいれるかだったり、
けんかの強いのはだれなのかだったり・・・
その中にはもちろん肝試しもありました。

その時も皆で近くにある有名スポットへ肝試しに行くことになりました。
その心霊スポットには銅像が建っていて、それが動いて見えたりすると事故に遭うとかいう、
全国どこにでもあるようなスポットでした。
でも実際仲間内でも事故ったという人間もいて、なかなか評判の場所でした。
今思えばバイク乗りたての高校生が、深夜心霊スポットに行ってビビれば事故る確率は高くなるのですが、

まあそれなりに信憑性も感じて、事あるごとによく行っていました。
その日は動いているようには見えず、その銅像の前でダラダラしていたのですが、
誰かが友人Aに、
「おいA、銅像の膝にヘッチン(でこぴんのようなもの)せえや。」
と言い出しました。
この銅像にはもうひとつ言い伝えが合って、銅像にやったことはみな、自分に返ってくるというものです。
目を触れば目を病気するとか、色々噂がありました。
Aはグループの中でも運転は一番にうまかったのですが、心のやさしい奴で、少し怖がりな所がありました。
嫌そうでしたがそこはお約束、これをやらないと「根性ないやつ」と言われてしまいます。
Aは仕方なく銅像の膝にヘッチンしました。しかし怖がりながらやったせいか、
ヘッチンは軽くかすっただけです。
皆大笑いして「根性なし」を連呼しました。

「もっかいやれ」と皆にせっつかれて、Aはもう一度ヘッチンをしました。今度は大きな鈍い音がしました。
指を強く打ちすぎてうなるAを見て、又皆大笑いです。
「早速呪われてる。」だの、「もうお返しされてる。」だの言いたい放題です。
「くそーっっ!!」Aはもうやけくそで、銅像の乗っているコンクリートの台に、
相撲でぶつかるように抱きつきました。
でも別段怖いこともおこらず、帰る事になりました。

俺達はバイクにまたがって、15台くらいで連なって帰りました。
たまたま前をAが走っていました。
大きな道路の急カーブにさしかかったときです。
みな体を右に倒してコーナーを曲がります。
Aも右側を倒し始めました。どんどん倒します。
しかし、軽く倒せばいいはずなのに、Aはぎりぎりまで倒していくのです。

道路に右ひざがかすったかと思うと、Aはそのまますべるように転倒しました。
なんてことはない急カーブです。転ぶほどの所ではありません。
ましてやAはグループの中でも一番の運転テクを誇っていました。
最初Aが倒しすぎていくときは、わざとふざけているのかと思いました。
しかし現実に、Aは膝を抱えてうずくまっています。
皆で駆け寄りましたが、白いものが傷口から見えました。骨です。
「わー救急車呼べ!!」「A大丈夫かー!!」
皆が叫ぶなか、友人Bが、
「あの銅像の呪いや!」と叫びました。
「こんな時になに言うてんねん!」
「しゃーかて、見ろやAの膝!!骨の見えてる傷の下に、もう少し浅い傷ついてるやん!!
1回目の失敗したヘッチンのぶんやん!!」
皆ぞっとしました。しかし、当のAが
「アホなこと言っとらんとはよ病院つれてけ!!」と叫んでので、皆われに帰って病院へ向かいました。

その後、そんなことも忘れていたのですが、ふとその事件を思い出す日が来ました。
皆高校を卒業し、それぞれの道を歩みだしていました。
そして意外なことに、Aは極道の道を選びました。
俺達の学校でその道を選ぶ奴は決して珍しくはありませんでしたが、
心根のやさしいAがその道を選んだのは、正直以外でした。
そして、その噂は回って来たのです。
Aが勝手にクスリを持ち出し売上を搾取して、今やばい状態だということを。
Aがその世界に入ってから、近所で会うことも無くなりました。
今どこに住んでいるのかも知りません。
あれからもう10数年もたった今、たまに地元に帰って昔の友人と飲むことがあっても、

だれもAの消息を知らないと言うのです。
他の友人で同じ世界に入った奴らとは連絡が取れたり出来ているのに、まったく取れなのはAだけです。
この10数年の間、誰一人とっていないのです。
その日も地元の奴らと飲んでいました。
酒がまわってきたころ、あのときのメンバーだったBがぽつぽつとあの日の話をし始めました。
俺はそれを止めました。Bの言いたいことは分かっていたからです。
あの日Aは最後にやけくそになって、銅像の乗っているコンクリートの台に抱きつきました。
もしそれがAの身に返ってきて、今もコンクリートを抱いていたら・・・
そう思うと、たまらない気持ちになります。
銅像のお返し

エレベーターの行き着く場所

その日は仕事帰りに、自宅近くのショッピングモールに買い物のために寄りました。
時刻は20時すぎだったと思います。
そのショッピングモールは、デパートというには小さすぎる地方の商業施設なのですが、
普段着などのちょっとした買い物にはとても便利なので私はちょくちょく利用していました。

建物は6階建てで、5階と6階が駐車場、商業施設は地下1階から地上4階までの5フロアです。
そして地下1階は現在改装中で立ち入り禁止となっていました。

モールは21時に完全閉店なので、20時半くらいだったその頃はフロアのほとんどの店が閉店準備をしていて、
緑色のネットがかけられていました。
私は4階で買い物を済ませたあと、店の人にも悪いし急いで帰ろうと、
フロアの端にあるエレベーターへと向かいました。(エスカレーターは既に止められていました。)

エレベーターに乗り込むと、私は1階のボタンを押しました。
そのエレベーターには何度か乗ったことがあるのですが、窓がなくて息苦しいし、
照明は暗いし、動きは遅いし音は大きいし、後ろについている鏡がやたらと大きいしで、
あまり居心地のいいものではありませんでした。

エレベーターが動き出してからふとボタンを見ると、
押した筈の1階にランプがついておらず、そのひとつ下の地下1階にランプがついていました。
押し間違えたんだなと思ってもう一度1階のボタンを押してみましたが、ランプはつきません。
エレベーターは低く稼働音を響かせてどんどん下降していきます。
そしてそのまま工事中で立ち入り禁止である筈の地下1階に到着し、扉がゆっくりと開きました。

工事中のそこは照明が一切付いておらず真っ暗で、誘導灯の灯りだけが緑色に光っていました。
もちろんテナントは一切なく、がらんとした空間が広がっています。
なんだか気味が悪くなったのですぐに閉ボタンを押して1階に上がろうと思ったのですが、
扉が閉まりかけたその時視界に何かが映りました。

暗闇に慣れていない目で最初はなんだかよくわからなかったのですが、
どうやら閉まりかけのエレベーターに乗ろうと走ってきている人のようでした。

そこで私は開ボタンを押して待つことにしたのですが、暗闇に慣れてきた目で
もう一度その人影をよく見てみると、走ってくるその人影はゆうに2メートルはありそうなほど
背丈が高く、異様に頭が小さくて、とても痩せていました。

そんな姿をした人が真暗なフロアを、両手を後ろで組んだような感じで、
くねくねと身をよじらせて倒れそうなのをこらえる感じでこちらに向かって移動してきていました。
怖くなった私は急いで閉ボタンを押しました。それを見て急いだのか、
それはより一層身をよじらせながらこちらに向かってきました。

私は怖くて怖くて何度も閉ボタンを押しました。ようやくゆっくりと扉が閉まり始め、
その時誘導灯の光に照らされてその人影の姿が少し見えたのですが、
頭に髪の毛はなく坊主頭のように見えました。
それとよく見てはいないのですが、裸足だったことを覚えています。

扉が閉まった後も馬鹿みたいに閉ボタンを連打していたのですが、
エレベーターは中々動きだしません。私は1階ボタンを押すのを忘れていました。
慌てて1階ボタンを押したのと同時に、エレベーターの扉からドン!とものすごい力で叩いたような音がしました。
私はまたしても1階ボタンを連打しながら、1階に着いたと同時に走って外に飛び出しました。

その後はすぐに友達に連絡して、迎えに来てもらいました。
この話は友達にはしませんでした。
エレベーターの行き着く場所

江戸の大飢饉

天明の飢饉(1781~89)は、有史以来の大量死を記録した悲惨な飢饉である。
長期間にわたって全国で天候の不順や天変地異が続いた天明間は、天変地妖の時代とも言われ、
人々の間では ▲この世の終わりかと騒ぎ立てるほどだった。 特に東北地方では、やませ
(冷たい風)による冷害で壊滅的被害を受けおびただしい餓死者を出した。
天明3年(1783年)には浅間山が大爆発を起こし、火砕流によって、ふもとにあった村を焼き尽くし
多くの人々が犠牲になった。 ▲3か月間続いた噴火は大量の火山弾や火山灰を吹き上げ、
東北地方の冷害に追い討ちをかけ大凶作に拍車をかけたのである。

江戸でも大風のため大火災が続発し、特に丙午(ひのえうま)であった天明6年(1786年)には、
3月には箱根山が噴火し地震が相次いだ。  4月になると長雨と冷気によって稲作に
悪影響を及ぼした。 7月には大洪水が起こり家々を押し流し、あたり一面海のように変わり果てた。
水害は、江戸だけでなく関八州に及ぶほどの広範で、あらゆる河川が氾濫したとある。
この現象は全国的規模で起こり、各地の田作に大被害を与えたのであった。

この飢饉の様子を記録した「後見草」(のちみぐさ)によると、津軽地方が特にひどく、日々に2千人前後の
流民が発生し、他領に逃散していったが、そこでも一飯もない状態ですべて餓死に追い込まれた。
ここでは、先に死んだ人間の屍体から肉を切り取って食べる者もあらわれ、
人肉を犬の肉と称して売る者もいたという。

おまけに、疫病がまん延して、田畑は荒れ果て原野のようになり、そこら中、腐乱した白骨死体が
道ばたに積み上げられる惨状であった。 この有り様を中世で限り無く続いた戦での死者と言えども、
このたびの飢饉の餓死者に比べたら大海の一滴に過ぎないと評しているほどだ。

ある説では200万以上の人間が、この飢饉によって餓死したとも述べられており、戦乱や他の
自然災害を含めても、有史以来の未曾有の大量死であったと考えられている。

「天明卯辰簗」(てんめいうたてやな)という飢饉の様子を記録した書は、飢餓下における人間の
身の毛もよだつ恐ろしい話を残している。
・・・この頃になると、人を殺して食うことも珍しくなくなった。 村人の一人が墓を掘り起こして
人肉を食べたのがきっかけで、ついには人肉を得るための殺人があちこちで起こっているのだ。
ある一家が、人を殺して食べたという罪で処刑されたが、この家を捜索してみると恐怖の真実が
明らかとなった。 大量の骸骨が散らばり、桶には塩づけにした人肉が山盛り保存されていたのである。

人肉は焼き肉や干物にもされていた。首だけでも38個も見つかったのだ・・・このような話が実話で
あると言うこと自体信じられないことだが、現世における餓鬼道の現出以外の何物でもないことは
確かだ。 まさに阿鼻叫喚の地獄絵図を見るようで背筋が凍りつく思いである。

天保の飢饉(1832~39)は、連年の凶作の結果、全国にその影響が及ぶほど凄まじいものであった。
しかも、飢饉は ▲7年間の長きに渡って延々と続いたのであった。 鶏犬猫鼠の類まで、すべて
食べ尽くし後には人を食っているという噂が広がっていった。 人々の心は荒廃を極め、盗人は
見つけられ次第、かます(むしろの袋)に入れられて川に沈めて殺された。

この飢饉では、疫病も猛威をふるいおびただしい死者を出した。 青腫(あおばれ)と言われる
栄養失調の状態では、疫病が襲うとひとたまりもなく、例えば、秋田藩では、傷寒(発熱性の
腸チフス)が流行り達者な者までかかり、多くの人々が病死した。

しかもピークが田植え時と重なったことから、田畑は耕作されないままに荒れ放題になっていった。
この頃、津軽では、食べるものがなく松の皮ばかりを食べ、一家心中や集団自殺といった悲劇が
相次いだ。 さらに、留まって餓死するよりはと、数万人の農民が乞食、非人化して
山越えして逃げ出したとある。

「奥の細道」の作者松尾芭蕉は、東北地方のある村で飢饉による恐ろしい光景を目の当たりにしている。
・・・事態は悪化の一途を辿り、冬になり朝晩の気温が低下すると、着の身着のまま路上で次々と
死に始めた。 そのほとんどが、栄養失調と疲労による凍死だった。 夜が明けてみると、路上で
生活している何人かが死んでいるのである。行き倒れとなった死体には、
たちまち、鳥が舞い降りてきてついばみ始めた。

ひっそりと静まり返った空き家をのぞいて見ると、そこには、とうに飢え死にしてミイラ状になった家族が
抱きあったまま、あるいは壁にもたれたままの姿勢で横たわっているのであった。
空腹に堪えきれず、路上でみさかいなく物乞いしていたお年寄りは、一夜明けると、
物乞いする姿勢のまま息を引き取っていた。
江戸の大飢饉

ヤマメ

あれは母の実家から帰る途中の出来事。
母の実家はG県の田舎で夏はキャンプ、冬はスキーをする人が来るような山の中。
お盆の時期になり、母が祖父の家に帰るらしいので、3人で車に乗り出発。

久しぶりの事もあってか、祖父は大変嬉しそうに私達を迎え入れた。
1泊して自分達の家に帰る日の夜、祖父は月を見てこう言った。
「恵子・・・。もう一泊してかんか?・・わしゃ心配や・・・。山道は暗いしなぁ・・。」
しかし私や弟が明日友達と遊ぶのを知っている母は丁寧に断った。
今思えばその時泊まっていけばよかった。

車の中で私は少し眠たくボーと外を眺めてた。
母は運転をしており、弟は眠っている。
母がたまに声を掛けてくれるも上の空で返答していた。
道は山道と言っても舗装されており、トラックが頻繁に通る為、
二車線のスペースはあるが一車線になっている。

ライトが道路を照らしてゆっくりカーブを曲がると、一瞬白いものが見えた。
母に「今何かいたよね?」と声を掛けると、「怖いから止めて」と怒られた。
その直後私の中に何か入ってきたのが分かった。

一瞬寒気がして、酒に酔ったかのような視界、まともに口が聞けなくて身体が動かない。
「あ・・・やばい・・」って口にした瞬間、後ろで気配がした。
弟が起きている。助けを求めようとするが身体が動かない。
そして目線だけを送っていると、弟が急に背中をそり返した。

「あ”あ”あ”あ”あ”ーーーーーお”お”・・・・・!!!!」
と動物の叫び声のような奇声を発した。
そして私はスっと身体が楽になり弟を改めてみると、
獣のような匂い。目が見開いて、ヨダレを垂らし、そして叫び声・・・。

母の方を見ると泣きそうな顔で弟を見ていた。
車はとっくにとまっており、母を外に連れ出した。
近くに民家があったので助けを求めると、「ヤマ目にやられたか!」
と年配の方が言い、坊さんを呼べと家族に叫んでた。

私の記憶はそれまで。意識を失い気づいたら病院だった。
3日間も寝ていたらしい。母が先生を呼び外出許可が出た。
弟の事は怖くて聞けなかった。でも気がかりになり病院の外で母に尋ねた。

「あのさ・・・剛は・・?」
ピタっと笑顔がなくなり、こう言われた。
「・・・?だれ?それ? 子供はあなただけでしょ?」
はぁ?と思いふざけてるのかと思ったが母は本気だ。

急いで祖父に電話した。
「おじいちゃん!!お母さんが変!剛がいないって言ってる!」
祖父は途切れ途切れ泣きながら答えた。
「・・あの時止めておけばよかった・・・。わしは・・恵子を・・。剛を・・・。」
「・・・・。」
私はその時黙るしかなかった。

そして1ヵ月後退院許可が出た。それと同時に母との別れとなった。
母と弟は精神病院に入院らしい。何でこんなことになったか分からない。

3年経った今でも月に3回は母に会いに行っている。弟には会わせてもらえない。
祖父が自殺して、ますます分からなくなる。
でも私は今でも生きている。それだけで十分だ。
ヤマメ

洒落にならない家

俺んちの隣の物件が洒落にならんのだけど。

見た目は普通の2階建て、何の変哲もない家なのよ。
借家じゃない。普通の一戸建ての売り家。

でも、そこに住む人々、どういう訳か、みんな不幸になって出て行くのよ。

俺が子供の頃、その隣家には、夫婦と小学生男子の3人家族が越して来て、
その男子は俺より1つ年上で、隣同士ということもあって仲良くなった。
その家族が越して来て2年半くらいした時かな、旦那さんが経営している店が潰れちゃったとかで、
借金が出来てその家も売らなきゃいけなくなって、結局どこかに引っ越して行ってしまった。

せっかく仲良くなって、友達でもありお兄さんでもあった隣の男子と別れるのは寂しかったな。
それが小学4年生頃の話。

その後、空き屋になっていたんだけど、1年くらいして、今度は中年の夫婦が越して来た。
高校生の息子が居るらしい。
さすがに俺は小学生だったし、相手は高校生だから、その家の子とは話はしなかったが、
うちのお袋とその家の奥さんとがスゲー仲良くなって、その後は近所付き合いしてた。

でも2年くらい経った時。
その家の高校生の息子が暴走族みたいなのに入っていて、
そこでかなりヤバイ傷害事件を起こしてタイーホされてしまった。
それが新聞とかにも載っちゃったもんだから大変。

それが原因で息子さんは高校退学になるし、傷害事件の賠償問題とかで
かなりの借金も背負ったらしく、それで夫婦仲も悪くなってしまったようで、最後は家庭崩壊。
結局一家離散みたいな形で出て行ってしまった。

俺が中学生になった頃には、今度は独身のオッサンが越してきた。
サラリーマンだったみたいだが、朝早く出社し夜遅く帰って来るような人だったので、当然近所付き合いもゼロ。
で、そのオッサン、1年くらいした時に、変死。
家でぶっ倒れていたのを、何日も出社して来ないから不審に思って駆け付けた同僚が発見したらしい。

その後2年くらい空き屋になっていたんだけど、俺が高校生の頃に、若夫婦が越して来た。子供は居なかった。
でもすぐ妊娠がわかり、近所でも「おめでとう」「良かったね~」なんて祝福ムードだった。
が、その奥さん、その家で階段を踏み外して転落。流産してしまった。

それが原因なのか、夫婦仲が冷めてしまったようで、旦那さんも外に別の女作ってしまったようで
(奥さんがノイローゼになって自分から旦那の悪口を近所に言いふらしていた)、結局離婚してしまったらしい。
また空き屋になってしまった。

いい加減、この辺りで不審に思えて来るが、それでも越して来る人は居る。

次に越して来たのは老夫婦。
ここまで来ると俺も近所の人達も「ああ、また・・・」と嫌な予想をしてしまう。
で、案の定、2年後に旦那さんが胃ガンを発病。
しかもかなり進行していてガンの転移もあったらしく、普通の病院では治療が不可能とのことで、
遠くの病院に入ることになって、看病が必要なこともあり、その病院のある町に引っ越して行ってしまった。

ここまで来るとさすがに近所でも評判の、「住むと不幸になる家」として恐がられるようになる。

ところが不思議と、何故かこの家を買おうとする人が後を絶たない。
空き屋になると、すぐ別の客が下見に来る。
どうやら不動産屋が売値をかなり安く設定してあるらしいんだけど、
まあこれだけ不幸が続いていて悪評判の家だから、値段が安くなるのも当然と言えば当然なんだが。

しかしそれを怪しまずに買おうとする人が居るのも事実で、やはり値段には敵わないんだろうな。
直接幽霊を見たとかいう話は聞かないんだけど、絶対に何かの地縛霊とか取り憑いているとさえ思えてくる。
つーか、不動産屋もお払いとかしているのか?

俺んち含めて、近所の人達はいい加減この物件に人が住む事を恐れている。
が、それでも下見に来る人は後を絶たない。
でもその家を買おうと思って下見に来る人を、
まさか「この物件は住むと不幸になるからやめた方が良いよ」と言う訳にもいかないし、どうしようもない。

その後は同棲カップルみたいなのが住んだけど、またわずか半年で出て行った。
原因は知らん。
ここまで来ると、もう原因なんてどうでも良くなって来る。

で、半年前、また引っ越して来たよ。

今度は水商売している風の若夫婦。小さな子供も2人居る。
その夫婦、ここ3ケ月前からやたら夫婦喧嘩が絶えないんだよね。
最近では深夜に毎日怒鳴り声が聞こえる。子供も泣きわめいている。
早速「不幸」になる兆候が現れ始めている模様。
この分だと、恐らく来年には、また空き屋になっている事だろう。

次にこの家を買おうとする人、マジやめといた方が良いよ。
住むと絶対に不幸になるから。
東京郊外での一戸建て物件探しをしている人は気を付けてね。
下見に行った時、近所の人が渋~い顔していたら、その家がそうかもしれないから。

おわり
洒落にならない家

運がいいのか悪いのか

幽霊とかではないけど、今まで結構危険な目にあってる俺。
しかも全部あと1秒遅かったらとか早かったらってレベル。

・車を運転してて国道に入る為右折しようとしたら信号が黄色に。
いつもなら行ってしまうんだが、くしゃみの為ブレーキ。その瞬間、目の前で国道側から来た車と、
国道に入る左折車が大事故。車から人は飛び出し血まみれの大パニック。

・昼間の田舎道で目の前には何台か車がいる状態での信号待ち
20代前半のDQNカップルがありえない割り込み。イラっとしてたがすぐに信号待ち。
その瞬間、頭のおかしいオッサンがその車の運転席の窓に近づきハンマーで割る。
男の頭もカチ割れる。5分位そいつらパニック。俺も車内で動けずボー然。
医者や看護師が来て取り押さえる。あと一台前だったら・・・。

・高校の時に自転車乗ってたら通り過ぎたダンプカーから石が目の前に落ちる。

・バカなツレがハサミを投げドアに刺さる。0.5秒後そのドアから俺参上。

・彼女を車に乗せて旅行中。あくびの為一瞬速度を落とす。
その1秒後子供がありえないスピードを出しながら自転車で横断。

・ツレの車に乗ってて道に迷う。
小便がしたくなり、立っションしてたら早く乗れと急かされる。
少しふざけて走って搭乗。理由を聞いたらカマを持ったババアがすぐ後ろまで来てたらしい。
あとで調べたらそこは同和地区。

・小学校の頃秘密基地設立。罠とか言いながら竹やりを地面に刺してたら木の上から俺転落。
落ちた後隣を見ると俺の背丈ほどの竹やりとご対面。速攻罠破棄。

・高校の頃のオナニー中。ヘッボフォンをつけてDVD鑑賞。
余韻に浸りズボンを上げた瞬間、音もなく妹登場。

・母の実家に行く途中、人気のない橋の上で女発見。
夜中なのにあれ?って思っていると、一瞬笑い飛び降り自殺。

・久々にバスに乗ろうと思いバス停へ。バスが見えてて走ったが間に合わず。
ヘコんでいるとツレから電話。俺の乗ろうとしたバスが大事故。
運転手の首が飛び出すくらい。当然新聞にのりました。

・サウナに入ってて、刺青なんてクソだよ!と、
調子にのりツレと話して、サウナ室から出たらお絵描きさん沢山登場。

・マイケルジャクソンにハマリはじめ、なりきり歌いながらムーンウォーク。
後ろ向きなので気が付かなかったがあと一歩で地面に釘の山。
古い工場地帯でやってたのが間違いだったか。と思っていたら翌日マイケル死亡。

・花火の火薬を大量に分解し集めて点火しようとおもったが不発。
水を持ちつつ恐る恐る近づき、再点火一秒後大爆発。

・歯医者で親知らずを抜く為に診察。
いざ抜くときに何か変だと第六勘。あぁそっか。麻酔してねぇやこのヤブ医者。

・3年前コンビニで立ち読み。客は俺一人。帰り際に男とすれ違い違和感。
翌日のテレビでそのコンビニに強盗。店員ケガ。俺重要参考人として出頭命令。

・学生時代。いつもより一本早く乗った電車。
そして目的地前に停車。何だよと思っていると、いつも俺の乗る電車で飛び降り自殺。

まだまだあるけど・・・もういっそ殺せとorz
運がいいのか悪いのか

因果応報

20数年前、バブル真っ最中で銀行はどんどん回収見込みの無い所にまで貸し付けをやっていた。
銀行を真似てマリンバンクや農協も組合員に簡単に貸していたんだ。
ある漁業系の貸し付けはめちゃくちゃ酷かった。
1000万円の評価額の土地を担保に2年間で計3000万円を貸りたAという人がいた。

なぜ、そんな貸し付けが出来たのかと言うと、
組合の会長が入院中で代理のBが決済を下してたらしい。
詳しくは知らないが、Aのようにどう考えても絶対に貸りられるはずの無い大金が数人の組合員に貸し付けられた。

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