夢の風景
子供のころの体験をひとつ
俺は小学生のころよく怖い夢を見てたんだけど、小さいころ寝る前に親父が怖い話をよくしてくれた影響もあったのかもしれない。
そんな夢の中でとりわけ恐ろしく今でもはっきりと覚えている夢がある。夢の始まりはいつも決まっている。季節は夏で時間帯はおそらく夜中の23時くらいだと思う。
夢の中の俺は寝るために部屋の雨戸を全部閉めるんだけど、この雨戸を閉めるという作業が俺は大嫌いだった。
雨戸を閉めるためには窓ガラスと網戸を、片側に全部寄せて雨戸を引っ張りだす必要がある。
そのため外の闇と対峙しなくてはならず、闇の中で何者かがこちらをじっと伺っている気がして俺はとても怖かった。
俺の部屋には窓が二つあった。庭に面した南向きの大きな窓と西向きの小窓。
南向きの窓はまだよかったんだけど、西向きの窓の雨戸を閉めるのが何より嫌だった。
西向きの窓を開けると、手を伸ばせば届くくらいの距離にブロック塀があるんだけど、その向こう側には雑木林が広がっていて、
真っ暗な雑木林の中で何者かがこちらをじっと伺っているようで怖かった。で、夢の話に戻るけど、夢の中でもやっぱりこの西向きの小窓の雨戸を閉めるとき俺は怖がっていた。
そして、この西向きの小窓の雨戸を閉めるときいつもそれは起きた。
俺は雨戸を閉めるため片側に窓ガラスと網戸を全部寄せて雨戸を引っ張り出そうとする。
そのとき雑木林の暗闇の中に何者かの気配を感じる。
恐怖で鳥肌が立つ。俺は恐る恐る雑木林の方に目を向ける。暗闇の中にはっきりと見える人影。
その正体はスーツ姿の3頭身くらいの小柄なおじさん。そのおじさんがじっとこっちを見ている。
そして目が合った瞬間、そのおじさんがなぜかもう目の前のブロック塀のところまで迫っている。
俺は恐怖で速攻で雨戸を閉めようとする。
しかし、締め切れなかった雨戸の隙間から、ものすごい勢いでおじさんの腕が部屋の中に飛び込んできて俺の胸倉をつかまえようとする。
俺は恐怖で叫び声を上げようとするが声が出ない。
そしていつもここでシーンが変わる。
気づくと俺は片側二車線くらいの広い砂利道の真ん中に立っているんだ。
道の両脇には森が広がっていて、季節が夏なのか蝉の声が聞こえる。
お礼外には誰もいない。道はずっと向こうまで続いていている。
俺は道の真ん中を歩き始めるところで夢の記憶は終わる。ここまでが、子供のころ頻繁に見ていた夢の中でも一番怖かった夢の話なんだが、
これだけだと単に子供のころに見た怖い夢というだけで終わってしまう。しかしこの後、俺は一生忘れることの出来ない恐怖の体験をすることになる。
今度は俺の小学生5、6年生くらいの実生活の話。
季節は夏でちょうど夏休み。夏休みは毎日近所の友達と遊んでいた。
今はうちの周りは多くの人が引っ越してきて住宅ばかりになったけど、昔はそこらじゅうに空き地や雑木林などがあって子供の遊び場には困らなかった。
当時はファミコンがはやってたけど、今と違って外で遊ぶことのほうが多かったかな。
空き地でドッジボールやキックベースしたり、川や沼とかも近くにあったりしたから釣りとかザリガニ捕まえに行ったり、あとはカブトムシやクワガタ捕ったりかな。
とりわけ俺も友達もカブトムシやクワガタは大好きだったので毎日のように捕りに行ったね。
で、俺の住んでいた町ではクワガタやカブトムシを捕るなら絶対あそこという場所があった。
そこは自衛隊の駐屯基地で一部一般の人も通りぬけとか出来るような場所だった。
基地内には広い雑木林や貯水池、土砂などが積まれて出来た小高い丘などがあって、
エアーガンとかでサバイバルしたりと、子供遊ぶ場所としては最高だったが、
その場所は学区外ということもあって小学生が行くにはちょっと遠く、
貯水池などもあるから親からは危ないから行ってはダメといわれることも多かった。
しかしカブトムシやクワガタ捕りには絶好の場所ということもあって、夏休み友達と行ってみることにした。
自転車で一時間ほどのところだった。
国道からわき道に入り森の中を抜けるといつの間にか敷地内にいた。
敷地は広大で、ところどころにある立ち入り禁止区域には自衛隊の施設らしいものがあり、
地面が土のところは戦車かわからないけどキャタピラーの跡らしきものがあちこちに残っていた。
誰かがつくたっとみられる秘密基地のようなものもあった。エロ本もいっぱい落ちていた。俺と友達はよさげな雑木林に入り、スズメバチに注意しながら夢中で木を蹴っては落ちてくる虫を広い集めた。
うわさとおり木を蹴るとボタボタと落ちてきた。ミヤマ、ノコギリ、ヒメジジョウ(地域によって呼び名異なるかも)、コクワ。
2時間もするとカゴ一杯になり、俺は友達と開けた場所に移り、持ち帰る虫の選別をして楽しんだ。
選別も終わり日も暮れ掛けてきたのでそろそろ帰ろうということになり、自転車を置いた空き地まで行くことにした。
空き地の近くまで来たところでふと置いた自転車のすぐ近くに車が止まっているのが見えた。
青塗りの軽トラックで、運転席には男性らしき人が座っているのが見えた。
少し離れていたのでよく見えなかったが、車の中で頭を前後に揺さぶるような動作を続けていた。
俺と友達はなぜか急に恐怖に怖くなった。
基地内は一般の人も通り抜け出来ることは知っていたし、悪いことをしていたわけでもなけどなぜか怖かった。
茂みの影から車のほうを伺いながら自転車捕りに行こうか迷っていた。
意を決して自転車を捕りに行くことにした。
鍵をすぐに解除できるように手に持って、車の後ろの方からそっと近づき、鍵を解除してその場から逃げるように二人で走り去った。
路面は砂利や水溜りなどがある整備されていない道路なので、乗るより手で押して走ったほうがはやかった。車の人は特に追ってはこなかった。それでも怖く逃げる速度はゆるめなかった。
そのとき後ろで友達の「待って!」という声が聞こえた。
走りにくい砂利道なので足をとられどうやらコケタらしい。俺は振り返った。
その瞬間、俺は凍り付いた。俺の目に飛び込んできた景色は夢に出てきたあの景色そのものだった。
遠くまで続く広い砂利道。両側には広大な雑木林。
腰を抜かしたわけではないが、恐怖で保っていた気持ちの糸がプッツリ切れてしまうという経験をはじめてしたように思う。
もう男の人のことなどどうでもよかった。一刻もはやくその場から離れたかった。
俺と友達はなんとか無事に家まで戻ってきた。友達には夢の話はしなかった。後日、同じ学年の違うクラスの子供のお父さんが自殺したという噂が広がり、自殺場所はその自衛隊駐屯基地内だということだった。
俺と友達はしばらく駐屯基地でみた男の人の話で盛り上がった。
あのとき見た車に乗った男の人がその子のお父さんなのかは今でもわからない。それ以来、俺も友達も怖くなってしまい、その自衛隊駐屯基地には行っていない。
俺は自分に霊感などないと思っているが、子供の頃はよく金縛りにあったり正夢も見たりした。
金縛りはしょっちゅうだった。体は動かないし息も出来ない。
足の親指から少しずつ動かそうとするんだけど、あと少しってところで一気に力が抜ける。
まぁ最後は「ウワー」って大声と一緒に汗びっしょりで飛び起きるんだけど。
正夢は2回見てる。中学2年と3年のときクラス替えがあったんだけど、夢の中で同じクラスになった人が全員同じクラスになった。ただ今にして思えば俺は昔少し苛められていて、この人と同じクラスになりたいとかなりたくないとかいう願望があった。
クラス替ってのは先生が苛められっ子などに考慮して人選するっていうから、
夢の中での俺の願望と先生が考えてくれた人選がマッチしただけなんだと思ってる。
金縛りも精神的ストレスからきてたもんだと思っている。
ただ、あの駐屯基地で体験した恐怖だけは今でも忘れることが出来ない。
振り返った瞬間初めて訪れた場所が夢に出てきた風景と全く同じだった瞬間よみがえった夢の記憶と恐怖。
不思議な体験だった。今は大人になって怖い夢も不思議な体験もないけど、やぱっりあの駐屯基地にだけは今でも行きたくない。
おわり
夢の風景
てっぐ様
これは俺の親戚のおばちゃんから聞いた話だ。
おばちゃんは多少霊感がある人らしくて近所では「伝説のおばちゃん」
とか言われてて自分でもそう言ってる。
昔から俺に色々な怪談話やホラ話を聞かせてもらったりしているが、
俺はオカルトはあまり信じてないので、胡散臭い所や荒唐無稽過ぎる
所は省いたり少し脚色したりして小説っぽくしたり、地名とかも微妙
に変えてここに書きました。以上50年くらい前の日本での話だって
当時、有縁市に住んでた12歳のおばちゃんに妹が出来た。
妹が産まれたという事では無くて、遠い親戚の子を親が引き取る事
になったのだと言う。
当時おばちゃんは急に妹が出来たのが凄く嬉しかったらしい。
妹ちゃんも独特な訛りがあって話す事が恥ずかしいみたいな感じだった
んだけど、おばちゃんにはすぐ懐いたみたい。
妹ちゃんはずっとTVも無い超ド田舎暮らしだったらしいのだが、色々な
遊びを知っていた。
お手玉は近所の誰よりも上手で、全然意味の判らない童唄や踊り、目
隠しと人形と箸とオハジキを使ったおまじない(今思えばコックリさんに
似ていた)や長い紐を使って体を引っ張り合う見た事も無い不思議な
遊びや、当時おばちゃんの住む町で男子達の間で爆発的ブームになって
いたベーゴマ遊びが凄く上手だった。それまで女子でベーゴマやってる子はおばちゃん家の近所では全く居
なかったのだけれど、田舎から持ってきた貝で作られた独楽を使えば
妹ちゃんは、ほぼ負け無しだったと言う。
おばちゃんは常識的に考えて貝独楽と鉄独楽では普通勝負にならないと
思うのだがその貝独楽は異様に強かったのがとても印象に残っていると
語った。
遊んでる内に、おばちゃんは妹ちゃんがあまりにも沢山の遊びを知って
いるので、何処でその遊びを教えてもらったのかを知りたくなって、
妹ちゃんに聞いてみたそうだ、すると、「ヤマババさん」と言ったそうだ。
どうやら前住んでた超ド田舎の村に居た「ヤマババ」と呼ばれる
お婆さんに教えてもらったという事らしい。
おばちゃんは興味津々にヤマババさんの事をもっと聞きたいと言った。以後、おばちゃんから聞いた妹ちゃんの田舎の話。
物心付いた頃ド田舎の妹ちゃんはヤマババさんが食事や生活の面倒を
全部見ていた、田舎の食べ物は皆美味しいのだが、中でも蜘蛛の味噌漬は
病み付きになるという、何故かヤマババさん以外の村の大人達は一切蜘蛛
を食べようとしなかったが、殆どの子供達は蜘蛛が大好物だったそうだ、
都会では蜘蛛料理が全く無いのがとても残念だといつも言っている(これは
本人にも俺が確認取った)。妹ちゃんは毎日、一日中村の子供達と一緒に田んぼや山や沼や川や洞窟で
遊んでいたという、学校には一度も行った事が無かったらしい。
学校をサボってたの?とおばちゃんが聞いたのだが、妹ちゃんはそもそも
この街に越して来るまで学校という物がこの世に存在していた事さえ
知らなかったと言う、読み書きはヤマババさんに教えて貰ったし、おば
ちゃんに指摘されるまで「ああ、学校というのは都会にしか無く、私が居た
様な田舎には無い物なのだ」と勝手に思い込んでいたらしい。
そして、ここからが更に異様なのだが、村は森の中にあったらしい…
森の麓の集落っていう事では無くて、もう文字通り深い森の木々の中に、
人の住む家々があったというのだ、後年の妹によればN〇Kスペシャルとか
でたまにやってる東南アジアやアマゾンの秘境に住む人達の住んでる家
に激似だと言っていたそうだ。
ヤマババさん家の壁は土壁だか土器みたいな感じで屋根は茅葺だった。
玄関に凄く古そうな真青な鳥居があって、家の中は神社みたいな感じで、
熊か猪の毛皮を敷いてある仏壇か神棚みたいな祭壇の中に犬(みたいなもの)
に乗った鹿の角の生えた真黒な手と顔がいっぱいある仏像が飾られていたとか。
ヤマババ以外の家は木造で屋根は同じく茅葺。
村人は全員和服だった、そして丁髷をしていた人が少し…
村はとにかく子供の数が異様に多くて、ほんの一部の田仕事を手伝ってる
子達(なんか今思うと妹ちゃんはこの子達には意識的に避けられてた
感じがすると言っていた)を除けば皆が一日中遊んで暮らしていた。
妹ちゃんはヤマババさんともよく遊んだが、もっぱら山で遊ぶ事の方が
多かったらしい、とにかく山の中の色々な所で1日中遊んだという、
森、川、田、沼、池、滝、洞窟
池で釣りをしたり、滝壺に飛び込んだり、やたらデカイ犬(話を聞く限り
狼としか思えない…)の群れをおちょくったりしたり、底無沼でドツキ合い
をしたり、洞窟の中を何時間も探検したり…
とにかく山の中の全てが遊び場だった、そして遊び疲れて村に戻る頃には
何故か出かけた時よりも人数が減っていたという…
妹ちゃんは今にして思えばよく自分は生き残れたものだと、当時の事を
思い出すと今でも背中に悪寒が走るそうですが、楽しい思い出の方が多いの
で自分はあそこで育つ事が出来て幸せだったといつも言うそうです。
でも怖い事も結構あったと言う、森の中で遊んでいる時に明らかに異形と
しか思えない存在が混ざっている事があり(イマジナリーフレンドとか
言うらしい)それらは最初遊んでいる時は何も気にならないのに、思い出
してみるとその違和感に吃驚するそうですが、不思議と嫌な感じはしない
との事。
でも、一番怖かったのは、ある日、石の丘みたいな所を遊び場にして
いると焼き物の埴輪みたいな人形がいっぱい置いてあった、嬉しくなって
ママゴトを始めたのだが、そこに急に普段は田仕事ばかりやってる
超絶放任主義の大人達(ヤマババは数少ない例外だったので子供達から
好かれていた)がやって来て「こん!みかぶしさまんちにはいっちゃ
むらもろさ たたっころされっぞ!こんくそばちったりどもがー」と
血相を変えて大声で怒鳴られた事は忘れられないと言う。恐らくそれは古墳か何かだったんだろうとおばちゃんは俺に言ったが、
妹ちゃんによれば、それが何だったのか大人達は教えてくれなかった
そうだ。
当時、半信半疑で妹ちゃんの話を聞いていたおばちゃんは田舎の暮らしで
一番楽しかった思い出は何だったか?と妹ちゃんに聞いた。
妹ちゃんはニコニコしながら、鹿の角をくっ付けた熊の毛皮を被った山伏
だか修験者みたいな沢山のおっちゃん達(だいたい40人位)が来た時が
楽しかったと言う。
おっちゃん達の顔は村人達とは全然違う初めて見る顔だった、堀が深くて
髪の毛も茶色っぽい色で、日本人よりも越してきて初めて見たTVで見る
外国人の顔に似てる感じだったという。
おっちゃん達は村に入ると全員でヤマババさんに深々と御辞儀をしてから
ヤマババ様以外の村の大人達全員と少数の子供達に目隠しをして家の
中に入らせて家の中から戸が開けられない様な木組みの仕掛けを施すと、
それ以外の子供達を呼び子供達を取り囲む様に円陣を組んでお経か
祝詞か外国語みたいなものを一斉に唱えはじめる。
そして持って来たお札がいっぱい張ってある気味悪い壺の中から小さな
白いお菓子みたいな塊を取り出して、子供達に配って食べさせたのだ…
そして、「さあ、たんがみさまらのとこさ遊びに行けよ」とおっちゃん
が言うと田んぼから沢山の歓声を上げながら、真っ黒な顔の無い
泥だらけの人の形をした者達が無数に這い出して走って来た…
そして子供達の手を掴み田んぼへと引きずり込もうとする…何が何だか
わからずに引っ張られる子、面白がって自分から手を繋ぎ異形と一緒
に田んぼに走っていく子、泣き叫びながら必死に抵抗する子…次々と
泥中に消えていく…
妹ちゃんだけが、なぜか田んぼの中へ連れ去られなかった…しばらく
ぽかーんとしていると、「妹ちゃんはこどま(子供?木霊?)さまに
みみった(魅入られた?)だけなただのわっし(童子)だけん ここ
にいっ(入)ちゃなんね、さっ(寂み)しいかもしろんが、おれっ
ちゃらがわぜん(和人?)ぼんぞ(坊主?)らとはなす(話)つけっ
けらあっすん(安心)せえ」
とおっちゃんの一人が言ったそうだ、そういえば、自分一人だけは
あの白い塊を貰えなかったと言う。
その後、おっちゃん達が戸を開けると、出てきた村人は「てっぐ様あざっす」
「てっぐ様のおかげっす」とか口々に言うとお礼をたんまり渡した。
その後、数日酒宴が開かれた後おっちゃん達は山奥へと帰っていき
その数日後、妹ちゃんは田んぼで遊んでる時に急に村人目隠しを付けられて手を引かれ
ながら山を降りたそうだ、道が急に平らになったと思ったら目隠しを取られて産まれて初め
て見る車に乗せられて遠い親戚のおばちゃんの家にやって来たそうだ…。「そんな怖い話のどこが楽しいの!?」とおばちゃんは言った。
妹ちゃんは不思議そうな顔で「全部!」と言ったそうな。終わりです。
てっぐ様
世界でも有名な山
私はある国で勤務している大使館員です。 もちろん、いまは海外からアクセスしています。
今年の夏、家族(妻、子供(5歳、3歳))を車にのせて、国境の山岳地帯に夏休みの旅行に出かけました。世界でも有名な山の隣町です。
観光シーズンだったのですが、事前にホテルを予約していたので何の問題もなく旅行を楽しんでいたのですが、
明日そこを出発しようとする日、それは起こったのです。その日は午前中、ホテルの付近の山を散策していました。
昼になり家内が突然、「○○山(有名な山)を見に行きたい」と言い出しました。
その山はケーブルカーで山頂近くまでいけるのですが、以前一度登ったことがあるので、私は乗り気ではありませんでした。
しかし、家内があまりにしつこく言うので、車を30分程とばして、その山まで行ったのです。
ケーブルカーを登っていると途中から天候が荒れてきて視界が悪くなり、ケーブルカーでも休憩所でも観光客は私達だけでした。
それでも、「こんなふうに山を独占できる機会はそうないね」
と家族で写真をとったりしながら数時間を過ごし、山を下りてホテルに戻りました。満車に近いホテルの駐車場に車を入れてすぐ、もっと良い場所が空いたので車を回そうとしたのですが、
なぜだかエンジンが全くかかりません。うんともすんとも言わないのです。
もう夕方でその日はどうしようもなく、食事をして(最後の日になるはずの)ホテルでゆっくりとしていました。ところが、どうにも部屋が気持ち悪いのです。
ベッドの上で色々と考えてみると、そういえばこのホテルに着いてから妙に寝付きが悪いことを思い出しました。
毎日、毎日、人が死ぬ夢を見ているのです。
隣の家内にそれを話すと、不思議だ、自分も同じだ、と言います。
家内が続けて言うには、このホテルに着いた初日、真っ赤な朝焼けで起きた。
あんまり綺麗だったのでもう一度見ようと思い毎朝早く目を覚ましているのだが、今考えると、窓は北向きで不思議だ。
遮光カーテンを通しても窓のサンが壁に映っていたが、そんなことってあるのだろうか…と言い出しました。そこで、びくっとしました。不意に部屋の電話が鳴りだしたのです。電話をとると無言電話でした。
時間は12時すぎです。 こわくなってきたので、もう寝ることにしました。でも、やはり見た夢は人が死ぬ夢でした。
全身汗をかいて目が覚めると、時間は2時半ころ。
うつらうつらしながら考えました。
なぜ、毎日人が死ぬ夢ばかりみるんだろ。もしかしたら誰かが本当に死んでいるのかも…
そう思った瞬間です。
全身がぞくぞくっとして(こんなことは初めてなのですが)身体がいわゆる金縛りのようになり、目の前が真っ白になりました。
そして光の中から、一人の男の顔が、こちらに近づいてきたのです。
光が強くて輪郭だけしかわかりませんでしたが、30歳前の若い感じでした。
そして彼は私に話しかけるのです。
それが不思議なんですが、早送りの映画の字幕を見ているみたいというか、イメージが目の前に溢れてくる感じでした。彼は言ったことをまとめれば、次のようでした。
『お前の車は動かない。しばらくウチには帰れないだろうが、ずっとここにいなければいけなかった 俺の気持ちが分かるか?
俺はお前みたいに子供を持つこともできないうちに、こんなことになってしまったんだ』
この話は関係者の方もおられる話なので、公にするのは不謹慎かもしれせんが、
なぜだか多くの方にお話しすることが自分の役割のような気がするのです。
決して事件を面白ろ可笑しく仕立てるつもりはありません。
また、関係者の方がもしこれを読んでおられたら本当に申し訳ありませんが、ご容赦のほどお願い申し上げます。そこまで彼が言い終わったとき、ふっと身体の固まりがとれました。
不思議とその直後は冷静で、隣にいた家内に声をかけました。
「起きている?今ものすごいことが起きた…」
そこまで話した時、ふと誰かが窓から見ている気がしました。窓を見ると、完全には閉じていなかった遮光カーテンの隙間から、真っ赤な街灯が見えます。
街灯?、それは狂ったように窓の周りをぐるぐるとまわっています。ひとだま?
家内と窓を凝視したまま、身体が固まってしまいました。
恐る恐るカーテンをあけると、窓の外はうごめく赤い火の玉で一杯でした。
急にものすごい恐怖心に襲われました。
なぜだか喉が無性にかわいている自分に気付き、置いておいた1リットル近いミネラルウオーターボトルを一気のみしました。
子供は大丈夫だろうか?
急に続き部屋に寝ている子供が急に心配になり、家内と二人で子供のベッドに走りました。幸い、子供はすやすやと寝ていましたが、もう自分のベッドに戻る気もしないので、
そのまま添い寝をしようと寝ころんだ瞬間、二回目の金縛りにあい、光の中から再び彼が目の前に現れました。
彼は言いました。
『山に登る人間が、山で死ねば本望だというのは嘘だ。自分は早く日本に帰りたかったんだ。』
突然電話のベルが鳴り、私は正気に戻りました。
隣では家内の顔が恐怖でひきつっています。
電話をとると…やはり無言電話でした。
そして三回目の金縛りにあい、今度は彼は言いました。
『いろいろ迷惑をかけてすまないけど、僕(俺でなくて僕と言いました)は本当は悪い人間じゃないんだ』金縛りが解けて、私は家内に言いました。
悪い人じゃないって言っているよ…
言った瞬間、ビシビシビシと部屋中から家鳴りがして、家鳴りは朝まで続き、ほとんど眠れないまま家族で夜を明かしました。翌朝になって、ホテルのフロント頼んで車の修理業者を呼んで貰いました。
一応念の為フロントに確認しましたが、やはり誰も私の部屋に電話しなかったということでした。
昼近くになっても車は直りません。
その日は午後にも出発し次の目的地の海岸に行く予定でしたので、修理業者に確認すると、故障している理由が判らないといいます。
ようやく夕方になって修理業者から電話があり、
「車の鍵穴が壊れていてスターターが回りっぱなしになり焼き切れている、
何か無理なことはしたのか?部品を取り寄せるから修理には2日かかる」
ということでした。
ホテルの方はなぜだか私の次に同じ部屋に泊まる客が体調不良でキャンセルになったとのことで、
再び同じ部屋に泊まることになりました。
幸いその後の2日間は何もなく、車もどうにか直って、2日遅れで次の目的地の海岸街に着きました。
その街で別途休暇を取っていた同僚一家と一緒になり、食事を共にしながら2日前の出来事を話すと、彼は青くなって聞き返しました。
「それって何日のこと?、君知らないの?、その日、遭難していた日本人登山者の遺体が30年ぶりに発見されたんだよ。」
ちょうど家族でケーブルカーで登った山から、全く同じ時間に、氷河の中から日本人登山者の遺体が発見されていました。
遺体は約30年かけて氷河とともに1000メートル下り、地元の警察に発見されたのでした。
その方のお名前は、私の長男の名前と同じでした。
同僚は強く言いました。
「今、地元の総領事官が遺族と連絡をとっているが、この話は担当者に話しておいた方がいいと思う。何だかそんな気がする。」
しかし私は、こんな話を皆にすればするほど何だか自分が馬鹿に思われそうで、同僚の忠告を話し半分に聞いていました。
翌日、海岸で子供を遊ばせている頃には、その忠告のことはすっかり忘れていました。予想外のトラブルがあった為、明日はもう休暇の最終日。海のバカンスはたった一日だけでした。
家族とホテルのテラスで夕食をとりながら、それにしても不思議な旅だった、と振り返り、
でもまあ、あまり人に話すと変だと思われるから地元の総領事館に電話するのはやめておこう、
と話しかけた瞬間、ズボンのポケットに入れておいたカメラが足下の砂浜に落ち、綺麗に真っ二つに割れました。
海の休暇の写真はダメになってしまいました。
おいおい、と思いながら夕食を終えてエレベーターに乗り込むと、
ボタンを押してもないのに動き出し、開いた扉の目の前には、山のホテルと同じ部屋番号がありました。
家内はすでにそうとう怯えていましたが、何とか気を取り直し、翌日出発しようと車の鍵を回すと…動きません。
何度やっても動きません。前と同じ症状です。いやもっと酷いようです。ホテルを通じて修理業者を呼ぶと、予想していたとおり巨大な力で鍵穴がねじ曲がっていてスターターが粉砕されている、
酷い状況なので修理には数日かかる、ということでした。電車で家に戻ろうと駅に問い合わせても翌日の便しかないとのこと。
どうしようもないと諦めて、職場の大使館の上司の許可をとり、休暇を一日延ばすことにしました。
そして色々と考えるうちに、もしかしたら総領事館の担当者に連絡を入れないから
いつまでもこんな目に巻き込まれているのかもしれない
、被害者は遺族に自分のメッセージを伝えたいのかもしれない、と思うようになりました。
翌朝一番で総領事館に電話をしました。
休暇中の職員が多い中で、残っている担当者はこの案件でてんてこ舞いのようでした。幸い知り合いの領事が担当でした。
これまでの経緯を話したところ、相当驚いており、数日後に遺族の方がこちらに来るので話しておく、と言われました。そして電車を使ってどうにか家へ戻りほっとしましたが、車は修理工場に置いてきたままです。
3日位で直るというはずが、何日たっても直りません。毎日催促しているうちに、
工場の担当者が「注文した部品が届いたが、みると箱の中が空だったので再注文している」などと言い出す始末です。そんな中、総領事館の担当者から電話がかかってきました。
2日後にご遺族がこちらにくることになったが、ご遺族は君と話したがっている。
どうやらご遺族も日本で不思議な体験をされているようだ、との連絡を受けました。
そしてご遺族が当地に来られる前の日のことです。
夜も12時になろうという時、一本の電話がかかってきました。
起きていた家内が電話をとり、しばらくして青い顔でやってきました。
何か変な電話。無言なんだけれど、電話の向こうからウチの中の音が聞こえる…。私がかわって聞いてみると、たしかに、ウチには変わった音のする時計があるのですが、
その時計がなる音が電話の向こうからします。
しばらく家内が我慢比べのように電話を聞いていましたが、突然、ひやぁ、と素っ頓狂な声をあげました。
低い男の声で「さよなうなら」って言われて電話が切れた、というのです。
翌朝、修理工場から、車が直ったとの連絡がありました。
出来過ぎたような話ですが、電車に乗って取りに行くと、確かに直っていました。
その後、総領事館のはからいで、ご遺族の方と電話で話しました。
遭難者のご両親は既に亡くなり、弟さんと、当時一緒だったパーティーの方が来られていました。
遭難者は当時20歳代前半の方でした。ご遺族の方に一通り体験したことをお話しすると、しばしの間のあと、今日は彼の言葉が聞けて本当によかった、
自分たちがもう遺体を引き取って帰るのでご安心下さい、とのことでした。
当時、浮き石に足を取られて滑落した被害者は、大きなクレパスに落ちたそうです。
クレパスは非常に危険なため、クレパス中に食料一式を落とし、救助活動は即日打ち切りとなったそうです。
一緒に滑落し、ロープに腕がひっかかって助かった当時一緒のパーティーの方は、
今までなんともなかった腕が今年の滑落した日から突然腫れ上がったが、ミイラ化した遺体と対面して、
腫れが嘘のように消えた、とのことでした。
中には、夏頃日本に帰るから、と本人が夢枕に立った方もおられました。それからは、私の身の回りには何も起きていません。
なぜ自分がこのような目にあったかは良くわかりませんが、自分の「役目」は果たせたような気がしています。
長い時間おつきあい下さり、皆様本当にありがとうございました。
世界でも有名な山


