アメリカ空軍
当初、海軍に属さない航空戦力は陸軍が受け持っていたが、国家安全保障法の策定により陸軍より独立、1947年9月18日に設立された。設立から今日まで、世界各地の多くの戦争や紛争に関与してきた歴史がある。2000年代現在、アメリカ空軍は7,000機以上の航空機を運用する世界最大の空軍であり、世界各地に空軍基地をもつ。
アメリカ空軍 – Wikipedia
1940年台
生産数:10,037機
双発双胴の高速戦闘機。大戦中の名称はP-38。
双胴形式が特徴の双発戦闘機。同時期の双発戦闘機が単発戦闘機に対抗出来ない中、唯一対等に渡り合うことが出来た。
600km/hを超える高速と重武装が持ち味。戦争初期は不利な格闘戦に挑んだことで、日本側から「容易に撃墜できる=ペロリと食えるP-38(=Pろ8)」から「ペロハチ」と呼ばれる有様であった。しかし、高速を活かした一撃離脱戦法に切り替えてからはキルレシオが逆転し、強敵と認識されるようになった。連合艦隊長官山本五十六を撃墜した機体としても有名。
欧州では対地攻撃機としても活躍した。
生産数:13,738機
大戦初期にアメリカ陸軍航空隊を支えた戦闘機。大戦中の名称はP-40。
性能的には平凡な機体であったが実用性が高く、戦争初期にも量産体制が整っていたため、他の戦闘機の補完的存在として広く使われた。
開戦直後は日本軍やドイツ軍戦闘機相手に苦戦したものの、国外にも広く輸出され、中国戦線やアフリカ戦線、ソ連などでも使用された。
中国国民党を支援した米国義勇軍「フライングタイガース」の機体としても有名。
生産数:15,660機
大火力・重装甲で活躍した重戦闘機。大戦中の名称はP-47。
大直径の強力なエンジンと胴体下部にターボチャージャを装備した太く大柄な機体が特徵。操縦性や機動性は良くなかったが、頑丈で強力な火力(12.8mm機銃×8)が持ち味であった。
航続距離も長かったことから、欧州では対独爆撃機の護衛戦闘機として使われた。また爆弾搭載量を活かした戦闘爆撃機としても大いに活躍した。イギリスやソ連でも使われた他、戦後は中南米の国々で余剰となった機体が使われた。
生産数:16,766機
第2次大戦の最優秀戦闘機と呼ばれる名機。大戦中の名称はP-51。
開発当初は米国製エンジンを搭載していたが、イギリスのロールス・ロイス マーリンエンジンを搭載したことにより高性能を獲得。元々の優れた設計に優秀なエンジンがマッチし、大きな航続力、高高度性能、運動性、700km/hを超える最大速度を持つ最高のレシプロ戦闘機となった。
戦争末期のドイツ空爆や日本空爆の際には多くのP-51が爆撃機の護衛に来襲し、日独の迎撃機を返り討ちにした。
戦後も多くの国で運用された他、エアレースでもその高速を活かして活躍している。
生産数:66機
アメリカ初のジェット戦闘機。大戦中の名称はP-59。
1940年頃からジェットエンジンに各国の注目が集まり、米陸軍でも開発がスタートした。ジェットエンジンの技術で専攻していたイギリスの支援を受け、1942年にアメリカ初のジェット戦闘機としてP-59は完成した。
初期ジェットエンジンの宿命で燃費・応答性・信頼性と全てが実用以下であったが、1943年8月には量産機80機が発注された。
機体は最高速度664km/hを発揮したが、当時の米陸軍主力のP-47やP-51には劣り、運動性能も低かっため、量産30機で残りはキャンセルとなった。
生産数:742機
強力なレーダーを装備した大型夜間戦闘機。大戦中の名称はP-61。
ドイツによるイギリスの夜間爆撃が始まると、アメリカは夜間戦闘機開発の必要性を認識し、試作を命じた。
双胴式の機体に夜戦用のレーダー、4連装のリモコン式の12.7mm旋回機銃を装備。12tを超える重量級の機体ながら、2000馬力の大馬力エンジンでこれを補った。また、大型機ながら軽快な運動性も持ち味だった。
初期型は旋回機銃が原因でフラッターを起こす不具合があったが後に改善され、大戦後半の夜間戦闘や地上攻撃、夜間爆撃などに従事した。
生産数:3,305機
ソ連への供与機として多数が生産された戦闘機。大戦中の名称はP-63。
ベル社前作のP-39は高高度性能が弱点であった。そこで同コンセプトのまま高高度性能の高いアリソン-V1710エンジンを装備して開発されたのが本機。
プロペラ軸発射の37mm砲と主翼の12.7mm機銃×4、660km/hの高速と層流翼が特徴。
しかし航続距離の短さから米陸軍では訓練用に留まり、ソ連などへの海外輸出に回された。
派生型に爆撃機銃手の標的用練習機RP-63がある。これは弾が当たるとランプが光る仕組みの有人標的機であった。
生産数:1,715機
戦後も各国で活躍した米軍初の実用ジェット戦闘機。変更前名称P-80。
1943年6月に計画がスタートし、僅か半年後には初飛行に漕ぎ着けた。
エンジンに英国製遠心式ターボジェットエンジンを1基搭載。900km/hオーバーの最高速度を発揮した。武装は12.7mm機銃×6に各種爆弾ロケット弾を装備可能。
終戦までに部隊配備されたのは40機程度で、交戦の機会は無かった。戦後、朝鮮戦争ではソ連のMiG-15に対して性能で劣り、対地攻撃任務に使われた。
本機を練習機化したT-33は生産数6,500機という大人気を誇り、西側諸国で広く使われた。
生産数:270機
ムスタング2機を連結させた、長距離/夜間戦闘機。
ドイツ・日本への戦略爆撃が始まると単座の護衛戦闘機ではパイロットの負担が大きいという問題が浮上した。開発期間短縮のため、ノースアメリカン社はP-51を2機連結した戦闘機を設計。大量発注がされたが、部隊配備は終戦後となったため生産数は減らされた。
しかしその後、初期のジェット機が苦手とした長距離戦闘や夜間戦闘を補佐する戦闘機として重用され、朝鮮戦争ではMiG-15撃墜を記録するなど活躍した。
1950年台
生産数:7,524機
主翼を直線翼から後退翼に改修した初期ジェット戦闘機。
第二次大戦中の1944年から計画はスタート。P-47譲りの頑丈さを持った直線翼機だったがやや重量過多ぎみであった。朝鮮戦争では戦闘爆撃機型のF-84Gが参戦し、対地攻撃に活躍したが中国義勇軍のMig-15には敵わなかった。
朝鮮戦争で戦闘爆撃機の需要が増すと後退翼に回収したF-84Fの開発が勧められた。結局朝鮮戦争には間に合わなかったが速度性能、搭載量、航続距離が伸びたことで強力な対地攻撃機となった。
空軍アクロバットチーム「サンダーバーズ」の初代使用機でもある。
生産数:9,860機
朝鮮戦争で活躍した名戦闘機。
第2次大戦末期、米海軍は艦上ジェット戦闘機FJ-1開発を開始。この機体は直線翼のジェット機で失敗に終わるが、ドイツから得た後退翼の技術を使うことで性能が飛躍的に向上。陸軍航空隊がP-86として採用した。
武装は機首の12.7mm機銃×6。後にサイドワインダー空対空ミサイルも装備。
朝鮮戦争ではソ連製ジェット戦闘機MiG-15を圧倒した。また日本を始め西側各国に供与、輸出され初期ジェット戦闘機の代表的機体となった。
海軍型のFJ-2/3、全天候型のF-86Dや戦闘爆撃機型などの派生系も存在する。
生産数:1,050機
複座の全天候型戦闘機。
P-61夜戦の後継機として開発され、強力なレーダーを搭載した全天候型戦闘機となった。
機体は直線翼を持つ複座機でパイロットとレーダー担当がタンデム式に座った。広大なアメリカ本土を防衛するため長大な航続距離を誇っている。それを実現したのは翼端の増槽だが、後期型では増槽前部にロケット弾を搭載した武器庫兼用となった。
生産数:855機
ロケット弾を主武装にした迎撃戦闘機。
F-61、F-82といったレシプロ機の後継であるジェット夜間戦闘機として、開発期間短縮のためT-33(F-80から派生した練習機)を元に本機を開発。
レーダや地上とのデータリンクによって全天候・夜間での戦闘が可能となった。また実用機として初のアフターバーナーを装備した。
B型までは12.7mm機銃×4を装備。C型以降は機銃を外し、機首や主翼にマイティマウス70mm無誘導ロケット弾を装備した。就役後は朝鮮戦争にも参加。
F-89やF-86Dが就役すると一線を退き、1959年ごろまで州軍で使用された。
1960年台
生産数:2,294機
世界初の実用超音速戦闘機。
F-86の後継機として開発開始。F-86の後退角を35度から45度に改めた他、各種機体設計も一新されている。
新開発のP&W J-57により、水平飛行での音速突破を達成。これは機外搭載物無しでのものだったが、実用機としては世界初の快挙であった。
世界最高性能の戦闘機と喧伝されたが、すぐに他の超音速戦闘機も実用化されたため、戦闘機としての運用期間は短かった。ベトナム戦争では主に戦闘爆撃機として使われたが、その高速性能が仇となり対地攻撃には使いにくかったとされる。
生産数:885機
超音速の長距離戦闘機。
原型は長距離戦闘機として計画されたXF-88で、この設計を大幅に改良。当初は爆撃機の護衛を目的としていたが、その後核敵地に高速で侵入し核攻撃するための核攻撃戦闘機、米本土防衛のための長距離要撃機などと用途が変わっていった。
高出力エンジン2基により最速マッハ1.7を発揮し、高速と長距離航続性能が持ち味であった。一方でT字型の尾翼配置が原因のピッチアップという問題も抱え、運動性能はあまり良くなかった。
主にアラスカ方面で本土防空任務についた他、ベトナム戦争での偵察任務などに使われた。
生産数:1,000機
エリアルール理論を取り入れたデルタ翼戦闘機。
1949年、ソ連の爆撃機迎撃のために開発が開始された本機は三角翼が特徵の単発機である。当初は音速を突破出来ず採用が危ぶまれたが、当時発見されたばかりのエリアルール理論(機体の断面積変化を滑らかにすると抵抗が減る理論)の採用でなんとか音速を突破した。
クッククレイギープランにより、初めから量産型を生産することでコスト減を狙ったが上記の改設計のため多大なコストと時間を無駄にした。
改良型のF-102Bは後のF-106に発展。
本土配備がほとんどのため実戦経験は少ない。
生産数:2,578機
細い胴体に小さな主翼が特徴の高速戦闘機。
シンプルな軽戦闘機として設計された本機は米軍初のマッハ2を超える最高速度を発揮。軽量な機体に強力なエンジンの組み合わせで加速力、上昇力にも優れていた。
多くの西側諸国で高速要撃機や低空侵攻用の戦闘爆撃機として採用され、最後のF-104はイタリア空軍で2004年まで運用された。
しかし米軍では航続距離や武器搭載量の少なさから短い期間しか運用されなかった。
生産数:833機
「FとBを付け間違えた」と言われるほどの爆弾搭載量を誇った戦闘爆撃機。
F-84の後継の戦闘爆撃機として開発され、機体には核爆弾も搭載できる爆弾倉を備え、大馬力エンジン単発の大型機となった。エリアルール理論採用による再設計などで配備は1958年まで遅延した。
配備後はベトナム戦争で主に爆撃任務で使用された。一方で戦闘機としての性能も充分に誇り、多くのMiG-17撃墜も記録している。
全天候型のD型が最も多く生産され、複座型のF、G型は練習機や地対空ミサイル破壊用のワイルドウィーゼル機として使用された。
生産数:340機
F-102を改良した戦闘機。
F-102が開発初期から要求値を満たさないことが判明。そのため大幅な設計変更を加えたF-106が開発された。マッハ2を超える速度や高高度性能、航続距離など敵爆撃機迎撃のための高い性能が要求された。
エリアルール理論を取り入れた設計にエアインテーク一の改良などで性能はF-102を大きく上回った。軽量な機体に大きめのデルタ翼の組み合わせは迎撃機ながら良好な運動性能を発揮し、この時代で最高の格闘戦性能を持つと称された。
良好な空戦性能を生かして仮想MiG-21として訓練でも利用された。
1970年台
生産数:5,195機
海軍機ながら空軍でも採用され、各国でも活躍したベストセラー戦闘機。
アメリカ海軍初の全天候型双発艦上戦闘機として開発。二人乗りの大型の機体に強力なエンジンを装備。大量の燃料搭載量は長い航続距離を実現。空母への離着陸のため比較的大きな翼を持ったことで空戦性能にも優れていた。
ベトナム戦争では他の米軍機が格闘戦の得意なミグ戦闘機に苦戦する中、艦上戦闘機として小回りの効く本機は大活躍を見せた。
アメリカ軍では全機退役したが、2019年現在も世界各国で使用されている。
生産数:2,236機
安価な供与用戦闘機として成功した軽戦闘機。
新戦闘機開発で遅れたノースロップ社は中小国向けの安価な戦闘機という市場に活路を見出した。同時に練習機型も開発することでコストを下げた結果、輸出用戦闘機F-5A/Bとして正式採用された。(姉妹機である練習機はT-38タロンとなった。)
小型高出力エンジンの双発で航続距離や搭載量は低いが、軽量ゆえの軽快な運動性能と運用コストの低さが売りであった。
1974年にはレーダーを搭載し、エンジンを強化したF-5E/Fが開発され、愛称はタイガーIIとなった。
西側諸国を中心に20ヶ国以上で使用された。
生産数:554機
世界初の実用可変翼戦闘機。
当時の国防長官の指示の元、空軍の戦闘爆撃機計画に海軍の艦隊防空戦闘機計画が相乗りしてスタートしたが、結局海軍機としての開発は中止された。
機体は最高速度マッハ2.5の可変翼機として完成。世界初のアフターバーナー付ターボファンエンジン2基を搭載するなど最新技術を詰め込んだ大型機であった。
軽快な機動は出来ず、ベトナム戦争始めその殆どで爆撃機として使われた。爆撃機としては大搭載量と低空高速飛行性能で重宝されている。
派生型に電子戦機EF-111レイヴンや戦略爆撃機FB-111がある。
1980年、1990年台
生産数:1,233機
第4世代を代表する戦闘機。
大型の機体に強力なエンジンを搭載、良好な運動性能が特徴の機体。これはベトナム戦争で運動性を軽視し、北ベトナムのミグ戦闘機に苦戦した戦訓を取り入れたもの。
1機3000万ドルと当時としては高価であり、導入国は数カ国しかない。イスラエルやサウジアラビアでは何度も実戦を経験しているが、現在まで被撃墜ゼロという伝説的な記録を持っている。
発展性に余裕があり、初飛行から40年以上が経過した現在でも近代化改修を受けながら第一線機として君臨している。
生産数:4,500機以上
優れた性能ながら低コストで多くの国に採用されたベストセラー機。
高価なF-15の補完や中小諸外国の安価な戦闘機への需要を受け開発がスタート。単発軽量の機体で、翼と胴体を滑らかに一体成型するブレンデッドウィングボディという形状が特徴。先端技術を積極的に取り入れ、安価ながら優れた機体に仕上がった。
現在も改良が続き、C/D型以降では対空戦闘に加え対地攻撃任務もこなすマルチロールファイターとなった。採用国は20カ国以上に及び、各国で一線級の機体として活躍している。また日本では本機を原型としたF-2戦闘機も開発されている。
生産数:64機
平面で構成された独特のステルス攻撃機。
レーダーで探知しにくいステルス機として初の実用機。設計はロッキード社の精鋭スカンクワークスが担当。電磁波を特定方向のみに反射させることで探知を難しくしている。そのため機体は平面で構成されており、空力的には不安定な形となったがフライバイワイヤとコンピュータの操縦補助により安定性を確保している。
存在が公になる1988年まで超極秘扱いであった。Fナンバーだが実際には攻撃機として使われた。湾岸戦争やコソボ空爆などに参加。コストの高さもあり2008年に全機退役した。
生産数:3機
F-5の後継を狙った輸出用戦闘機。
F-5戦闘機のヒットで中小国向けの安価な戦闘機の需要があることを知ったノースロップはこの後継機を計画した。
機体はF-5をベースにしながら、エンジンを大出力のF404単発とし、各種アビオニクスも強化。主翼前縁のストレーキの大型化など機体設計もより洗練され、優れた運動性、操縦性を誇った。
当初は競合機のF-16よりも安価であったが、F-16が各国で採用されるにつれ、量産効果で安くなったこともあり、結局F-16に破れてしまい、本機を採用する国は現れなかった。
生産数:420機
F-15を大幅に再設計した第4.5世代の戦闘爆撃機。
F-111戦闘爆撃機の後継としてF-15を元に開発された。見た目の差は少ないが、内部構造やシステムは大幅に変更されており、F-15の特徴を継承しつつ、ほぼ別の機体として仕上がっている。
最大の特徴はF-15を上回る兵器搭載量で11tにも達する。これは現在の世界中の戦闘爆撃機で最も多い量である。
この優れた兵器搭載量と最新のアビオニクスを活かし、湾岸戦争やアフガン戦争、イラク戦争などで活躍した。
2000年台以降
生産数:197機
世界最強の呼び声高い第五世代ステルス戦闘機。
F-15の後継となる制空戦闘機として、冷戦まっただ中の1985年に開発開始。ステルス性と強力なレーダー、スーパークルーズ能力、推力偏向ノズルによる高い格闘戦性能を持っている。
しかし、1億5千万ドルという高コストに加え、制空戦闘機としての性能のみを求めたために対地攻撃など他任務に使いづらいといった運用上の問題から197機で生産は打ち切られた。
日本やイスラエルでも採用の見込みがあったが、高度な機密情報を含むため、他国への輸出はされなかった。
最新鋭のステルス戦闘機。
米国を中心に数カ国参加の共同計画として開発開始。空軍、海軍、海兵隊の複数機種を1機種で担うことを目指した。
要望が多岐に渡り開発は難航したが、計画開始から20年を経て2015年に運用が始まった。
空軍向けのA型、垂直離着陸型のB型、空母搭載用のC型が存在する。
空戦性能や速度は従来機に比べ落ちるが、高いステルス性能と戦場のあらゆる情報を分析する最新の情報処理技術により、従来機を寄せ付けない戦闘能力を発揮する。
◆関連まとめ
アメリカ海軍の歴代戦闘機はこちら





























生産数:5,936機
(データは全てSBDドーントレスを含んだもの)
海軍のSBDドーントレス急降下爆撃機を陸軍でもA-24攻撃機として採用し、それを発足間もない空軍が引き継いだもの。
高い信頼性や操縦性、爆弾搭載量から大戦の全期間を通じて第一線で活躍。珊瑚海海戦での祥鳳撃沈を皮切りにミッドウェー海戦や第二次ソロモン海戦でも空母を撃沈し米軍勝利に大きく貢献した。
陸軍でも艦上機用の装備を外し、A-24バンシーの名称で使用された。空軍発足後は攻撃機を示すAカテゴリがなくなったため、F-24の名称に変更された。