おんな城主直虎・市川海老蔵が演じる織田信長とは?(ネタバレ注意)

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おんな城主直虎では、市川海老蔵(いちかわえびぞう)が信長(のぶなが)を演じる。井伊直虎(いいなおとら)、井伊直政(なおまさ・虎松・とらまつ)、徳川家康、瀬名(せな・築山殿・つきやまどの)、松平信康(のぶやす・徳川信康)ネタバレあり。

おんな城主直虎では、市川海老蔵が織田信長を演じます

市川海老蔵が織田信長を演じます

海老蔵の大河ドラマ出演は主役を務めた2003年の「武蔵 MUSASHI」以来14年ぶり。「久しぶりに大河のスタジオで撮影をして、懐かしい場所に帰ってきたなという思いです。今回演じる役は織田信長。過去にも舞台で演じた経験はありますが、計り知れない“強さ”と“怖さ”を持った魅力ある男だと思います。楽しみにしていてください」と意気込みを寄せた。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/03/02/kiji/20170302s00041000181000c.html

私にとっては、2003年の〈武蔵 MUSASHI〉以来の大河ドラマとなります。
久しぶりに大河のスタジオで撮影をして、懐かしい場所に帰ってきたなという思いです。
今回演じる役は織田信長。
過去にも舞台で演じた経験はありますが、計り知れない“強さ”と“怖さ”を持った魅力ある男だと思います。楽しみにしていてください。
織田信長 役は、市川海老蔵さんに決定!|ニュース|NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』

ファンも期待

海老蔵さんは自身のブログやインスタグラムでも信長役での出演を写真付きで報告。「いつ登場するのか、、、お楽しみに笑…」とファンに呼びかけた。コメント欄には「ぴったりな役ですね」「迫力ありますね」「気性の激しい信長公を楽しみにしています」といった声が続々寄せられている。
全文表示 | 海老蔵、NHK「直虎」で信長に ぴったり?それとも… : J-CASTニュース

市川海老蔵

直虎のウェブサイトの織田信長の説明

桶狭間の戦いで、圧倒的な兵力を誇った今川義元(春風亭昇太)を破り、今川家が弱体化する原因となる。
その後、今川から独立した松平元信(後の徳川家康・阿部サダヲ)と同盟を組み、天下統一を目指す。
桶狭間の戦いで多くの戦死者を出した井伊家の行く末にも大きな影響を及ぼす。
後年井伊直親(三浦春馬)の嫡男で、井伊直虎(柴咲コウ)の養い子、虎松(後の井伊直政・菅田将暉)が徳川家康に仕官したため、主従ともに織田信長の天下取りに奔走することになる。
家康の嫡男・竹千代の妻に織田の姫を迎えたことからある悲劇が・・・。
そのことが家康と直政の絆をより深くする。
本能寺の変で信長が討たれた年に、井伊直虎も逝く。
直虎と同時代を生きた最も有名な戦国武将。
織田信長 役は、市川海老蔵さんに決定!|ニュース|NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』

一般的にいわれている織田信長とは?(大河ドラマとかぶる部分だけをおおむね抜粋)

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。
尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。
尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏をも凌ぐ力をつけて、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大した。
足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令した。
後には義昭を追放して室町幕府を事実上滅ぼして、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立して天下人となった。
これによって他の有力な大名を抑え、戦国乱世の終焉に道筋をつけた。
しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。
すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で自刃し、信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと引き継がれていくことになる。
織田信長 – Wikipedia

1562年 清州同盟

徳川家康

戦国時代に尾張の戦国大名・織田信長と三河の戦国大名・徳川家康との間で結ばれた軍事同盟。それぞれの一文字から織徳同盟(しょくとくどうめい)、尾三同盟(びさんどうめい)ともよばれる。
清洲同盟 – Wikipedia

1568年 信長が足利義昭を奉じて上洛

足利義昭

永禄11年(1568年)9月、北近江の浅井氏などの支持も受けた上で、直接には織田信長軍と浅井長政軍に警護されて上洛を開始した。
足利義昭 – Wikipedia

家康も信長へ援軍を派遣している。

1570年 姉川の戦い

浅井長政

元亀元年(1570)織田信長・徳川家康の連合軍と浅井長政・朝倉義景の連合軍とが、姉川の流域で争った合戦。織田勢が大勝し、浅井・朝倉両氏滅亡のきっかけとなった。
姉川の戦い(あねがわのたたかい)とは – コトバンク

1572年 三方ヶ原の戦い

武田信玄

三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)は、元亀3年12月22日(西暦1573年1月25日)に、遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で起こった武田信玄と徳川家康・織田信長の間で行われた戦い。信長包囲網に参加すべく上洛の途上にあった信玄率いる武田軍を、徳川 ・織田の連合軍が迎え撃ったが敗退した。その後の家康の人生観に大きく影響した戦いとして知られる。
三方ヶ原の戦い – Wikipedia

1575年 長篠の戦い

長篠の戦い(ながしののたたかい)

長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、戦国時代の天正3年5月21日(1575年6月29日)、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、3万8千の織田信長・徳川家康連合軍と、1万5千の武田勝頼の軍勢が戦った合戦。
長篠の戦い – Wikipedia

1579年8月 信長の疑いにより瀬名殺害

瀬名(築山殿)
徳川家康の正室(奥さん)

瀬名殺害(築山殿)
1542‐79(天文11‐天正7)
徳川家康の室。
今川氏の一族関口義広(一説に親永)の女で今川義元の姪。
1556年(弘治2)家康に嫁し信康,亀姫を生む。
62年(永禄5)岡崎に迎えられ,駿河御前とも,居住地築山にちなみ築山殿とも称された。
70年(元亀1)家康が浜松城移転後は別居。
79年武田勝頼への通謀を疑われ,織田信長に迫られた家康の命令で,8月29日遠江国敷智郡富塚(現,浜松市)で殺害された。
築山殿(つきやまどの)とは – コトバンク

1579年9月 信長の疑いにより松平信康切腹

松平信康(徳川信康)
徳川家康の長男

松平信康切腹(徳川信康)
永禄(えいろく)2年3月6日生まれ。
徳川家康の長男。
母は築山殿。
駿河(するが)(静岡県)駿府(すんぷ)で誕生。
織田信長の娘徳姫と結婚。
元亀(げんき)元年岡崎城主となり岡崎次郎三郎信康と名のる。
武田勝頼(かつより)との関係を信長にうたがわれ,家康の命で天正(てんしょう)7年9月15日遠江(とおとうみ)(静岡県)二俣城で切腹。
21歳。
徳川信康(とくがわ のぶやす)とは – コトバンク

1582年 本能寺の変

明智光秀

天正10年(1582)明智光秀が織田信長を京都本能寺に襲い、滅ぼした事件。
羽柴秀吉の高松城攻撃を救援するため本能寺に止宿中であった信長を、先に増援を命じられて丹波亀山城にいた光秀が引き返して急襲し自害させた。
本能寺の変(ほんのうじのへん)とは – コトバンク

余談ですが・・・
同年に直虎も亡くなっています。

さらに余談ですが・・・井伊直政は同年に↓

本能寺の変と同じ年に井伊直政元服

井伊直政

井伊直政
22歳で元服し、直政と名乗る。
この年、家康の養女で松平康親の娘である花(後の唐梅院)と結婚する(結婚は天正12年説あり)。
同年の本能寺の変では、家康の伊賀越えに従い、滞在先の堺から三河国に帰還する。天正壬午の乱で北条氏との講和交渉を徳川方の使者として担当し、家康が武田氏の旧領である信濃国・甲斐国を併呑すると、武田家の旧臣達を多数に付属されて一部隊を編成することとなり、士大将になった。
これにより、徳川重臣の一翼を担うことになる。その部隊は、家康の命により武田の兵法を引き継ぐもので、その代表が山県昌景の朱色の軍装(または小幡赤武者隊)を継承した井伊の赤備えという軍装であった。
井伊直政 – Wikipedia

参考リンク

https://matome.naver.jp/odai/2149547139683667401
2018年02月08日