食べるのにも困っていた…下積み時代があった芸能人たち

mashikara
生瀬勝久、松重豊、甲本ヒロト、鈴木亮平、井ノ原快彦、小籔千豊、阿部寛、谷原章介、芸能人の苦労した下積み時代のエピソードをまとめた。

◆ 生瀬勝久は食えない時代もあったが苦労したとは思っていなかった

2年留年したが大学卒業後、就職をしなかった

大学卒業後、内定していた就職先を断って小劇場の世界へ。30代前半までは貧乏したが、好きでやってきたことだしお金はなくて当たり前。
生瀬勝久インタビュー「台本は、みっちり読みませんね」 そのココロは… – ライブドアニュース

「苦労」とか「下積み」なんて言葉に意味があるとは思えない。大切なのは、目の前の現場にどう向き合うか。関西小劇場シーンを経て、1990年代半ばから全国区のテレビドラマに進出した。
生瀬勝久インタビュー「台本は、みっちり読みませんね」 そのココロは… – エキサイトニュース

「芸術的才能とかそういうものはまだわからない。でも、お芝居は好き。で、ちょうどバブルの手前で、浮き足立ってたっていうかお金があった。バイトもいくらでもあった。だから、バイトしながら好きな芝居をやっていくという人生もあるのかも知れない、いいんじゃないかな、と思った」
「生瀬勝久 アルバイト」の検索結果 – Yahoo!検索


https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001/2147582885236180003
「探偵!ナイトスクープ」のレポーターとして顔が売れた!

1988年から1年間にわたって放送された、深夜のコント番組『週刊テレビ広辞苑』にレギュラー出演、当時からコメディアンとしての才能をいかんなく発揮して人気を呼び、『探偵!ナイトスクープ』では槍魔栗 三助として探偵の初期メンバーの1人だった。
生瀬勝久 – Wikipedia

◆ 松重豊と甲本ヒロトが下積み時代を共にしていた

先日、松重豊のラジオ番組に甲本ヒロトがゲスト出演

俳優の松重豊(53)が、10月からFMヨコハマの新番組『深夜の音楽食堂』(毎週火曜 深0:30)でラジオDJに初挑戦する。
松重豊がラジオDJ初挑戦 初回ゲストは“バイト仲間”甲本ヒロト – ライブドアニュース

積み時代に東京・下北沢の中華料理屋でバイト仲間だったザ・クロマニヨンズの甲本ヒロト(53)を迎え、熱いトークを繰り広げる。
松重豊がラジオDJ初挑戦 初回ゲストは“バイト仲間”甲本ヒロト | ORICON STYLE

2人ともバイトの日当はその日のうちに飲みきっていた

下北沢「みん亭」で甲本ヒロトがバイトしてたの有名な話だけど「孤独のグルメ」の五郎さん/松重豊さんも同じ日にバイトを始めた仲間っていうのに驚き!
[第一回]深夜の音楽食堂 2016.10.04 FM Yokohama 松重豊 – YouTube

中華料理屋さんのバイトとだけでは収入が足りず、二人とも品川の運送屋さんでもバイトをしていたとか。「渋滞が嬉しかったんだよなー、休憩時間になるから」
深夜の音楽食堂 : 調理職人ドラセナのオムライスが自慢!

◆ 鈴木亮平は事務所が決まらず、役者のスタートがなかなか切れなかった


https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001/2147582885136177503
初めはエキストラの会社に入るしかなかった

かつては、自ら飛び込みで芸能事務所に売り込みに行っては、門前払いされる日々を送っていたという。それでも俳優になる夢をあきらめなかった鈴木は、エキストラなどのキャスティング事務所に仕事を紹介してもらうようになり、現在の事務所に所属するに至って、ようやく道が開けていく。
鈴木亮平、意外な下積み時代を激白 『さんまのまんま』初登場 | ORICON STYLE


https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001/2147582885136177603
モデルの仕事もこなした

その後制作会社を回るも「無駄だ、こういうことしても絶対使わない」とプロフィールをゴミ箱に捨てられたこともあったという。
鈴木亮平、冷たくあしらった事務所の”手のひら返し”エピソードを告白 – エキサイトニュース

「ドアを少ししか開けてくれなかった」事務所があったという。「ちなみにどこの事務所ですか?」というMCのくりぃむしちゅー・上田晋也の質問に鈴木は「今でも覚えてますよ」と答え「いまだにそこの会社の人と会うと”ちくしょう”と思いますよ」と答える。
鈴木亮平、冷たくあしらった事務所の”手のひら返し”エピソードを告白 | RBB TODAY


https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001/2147582885136177703
プロフィールをゴミ箱に捨てられた事務所に「ウチに来れば良かったのに」と……

鈴木は、最近になってその事務所と仕事をしたときの打ち上げで「君みたいなタイプはウチに来れば良かったのにね」と言われたエピソードを明かした。鈴木は「あ~そうですね…」とさわやかに対応したという。
https://web.hackadoll.com/n/5CrH

◆ 井ノ原快彦はV6でデビューするまで、後輩のバックアップをしていた


https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001/2147582885136177803
後輩が次々デビューするのを見続けた

下積み時代も「得体の知れない自信というか、『忙しくなっちゃうからな、もうちょっとしたら』ってずっと思っていた」とポジティブだったという井ノ原だが、後輩のKinKi Kidsが出てきてデビュー前から人気となり、半分先輩で半分後輩というTOKIOがデビューした頃は焦りが芽生えたという。
V6井ノ原の下積み時代を支えた″勝者のマインド″に感動の声「グッときた」 – ライブドアニュース


https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001/2147582885136177903
後輩のバックと言う屈辱に耐えて、デビューに漕ぎつける

「ある時、社長に『キンキのバックの仕事なんだけど』と仕事を振られた際、後輩なんだけどなぁ」と違和感を感じつつも、率先して手を挙げた長野博にならってこなしたようだ。
イノッチ、後輩のバックで踊る理由 SMAPを見て「カッコイイ」 (MusicVoice) – Yahoo!ニュース

「1回、KinKi KidsのバックでSMAPが踊った時があって、えらい盛り上がった。『後輩のこと思ってバックについてるんだ』っていうのと『先輩バックにつけて踊ってる』っていうのですごい盛り上がって、その気持ちでやっていたの。俺、スペシャルゲスト」と笑った。
V6井ノ原の下積み時代を支えた”勝者のマインド”に感動の声「グッときた」 | マイナビニュース

◆ 小籔千豊は地獄の時代が2年もあった


https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001/2147582885136178003
デビューしているが激貧という生殺し状態にあう

コンビ「ビリジアン」を解散し2001年に新喜劇入団を果たした小籔は、その年に「9年付き合っていた彼女」とめでたく結婚した。しかし「一番下っ端」からのスタートであるため劇中のセリフは少なく、当然収入も安定していなかったそうだ。
【エンタがビタミン♪】小籔「中島みゆき、ホンマか?」 セリフは一言だけ。辛い下積み時代を語る。 | Techinsight|海外セレブ、国内エンタメのオンリーワンをお届けするニュースサイト

新喜劇なら安定収入が得られるかと思って(笑)。でも、結婚してからの2年間は地獄のようでしたね。とにかく、仕事もお金もない。新喜劇で頑張ろうと思っても、セリフは「ありがとう」のひと言だけ。それで月給は2万円……。当時28歳でしたけど、生活費を稼ぐために家の近所のファミレスでバイトをしていました。
今、もっとも“すべらない男”吉本新喜劇最年少座長・小藪千豊「高校時代は週3で合コン。女のコ相手に自分のしゃべりを試す場でした」 – ライブドアニュース


https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001/2147582885136178103
家は金持ちだったのに、月給2万の時期が続いた

自慢やないんですけど、僕ってええところの子だったんですよ(笑)。子供の頃はファミコンソフトを200本くらい、『がんばれ!!ロボコン』の超合金も全種類持っていました(笑)。そんな下積み時代があったからこそ、ハングリーになれたんやろうなと思いますけどね。
今、もっとも“すべらない男”吉本新喜劇最年少座長・小藪千豊

◆ 阿部寛は役者として開眼するまで紆余曲折が長かった


https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001/2147582885136178203
一時はパチンコで食べていたという

「ぼくがいろんな番組に出られたのは“人気者”だったからなんですよ。でも人気者には時代性がある。1年かそこらで“古い”感じになっていくんですね。若手の俳優もどんどん出てくる。カッコイイ男の役でひとことふたことセリフを言うだけ。“それをやるのにおれの何が必要なんだ”って思って。本当につまんなかった」
阿部 寛 | R25

モデル時代の武器だった189cmという身長もコンプレックスになっていったという。「相手役の女性との身長差から、役を降ろされることも少なくなかったようです」(芸能関係者)こうして次第に仕事が少なくなっていった阿部は、今の人気からは想像もできないが3年間ほど、パチンコで生計を立てていたという。
阿部寛 3年間のパチプロ生活を経て『あの人は今』で再起│NEWSポストセブン


https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001/2147582885136178303
命がけで役者をやろうと決めてから道が開けた

阿部だったが、バラエティー番組『あの人は今!?』(日本テレビ系)に取り上げられたことで、一念発起し再び役者への道へと舞い戻る。1993年につかこうへいさんの舞台でバイセクシュアルの主人公を好演、それまでの長身二枚目俳優から、実力派俳優への足がかりを掴んだ。
阿部寛 3年間のパチプロ生活を経て『あの人は今』で再起 – エキサイトニュース(2/2)


https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001/2147582885136178403
バイセクシュアルの役で注目を集める

「“モデル上がり”と呼ばれるのが嫌でそのイメージを壊すためにこの役をやることにしました。舞台が終わって、つかさんから『俺の芝居の中でベスト3に入る出来だった。絶対にお前はこのままでいけるぞ!』と言われたことが、今でも支えになっています」
阿部寛「投資失敗で大借金」「役作りで苦悩」の知られざるドン底時代 – ライブドアニュース

◆ 谷原章介もまるまる1年仕事がなかった時期があった


https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001/2147582885136178503
20代後半に仕事が激減

20歳で『メンズノンノ』の専属モデルとなり、23歳で俳優デビュー。ここまでは順調だ。だがここから急に、しぼんでいってしまう。仕事のオファーが数か月間ないこともザラ。それどころか27歳の頃には1年近くまったく仕事がなかったという。
下積み長かった谷原章介 鼻っ柱折られた結果培った「気遣い」 – ライブドアニュース

「横浜の実家で暮らしていたから、何とか仕事を続けられたようなものです。20代の頃は、実力も運もなくて、仕事もない。天・地・人、何もなかったですね(笑い)」連ドラのレギュラー役をもらったのは、30代を目前にした年齢だ。
下積み長かった谷原章介 鼻っ柱折られた結果培った「気遣い」 – ライブドアニュース


https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001/2147582885136178603
30代から仕事がようやく安定した

2004年にはNHK大河ドラマ『新選組!』に出演。2005~2008年にかけて、15クール連続でテレビドラマ出演という快挙を達成する。2008年には『ハンサム★スーツ』で映画初主演も果たした。そんな時に谷原は、『王様のブランチ』という生放送の司会のオファーを受ける。34歳の時だ。
下積み長かった谷原章介 鼻っ柱折られた結果培った「気遣い」 – エキサイトニュース(3/4)

https://matome.naver.jp/odai/2146719409721019001
2016年10月07日