実際に行われていた!怖い「美容・ファッション・化粧」まとめ

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中世〜近代にかけての美容術やファッションの流行の中でも生命に危険を及ぼしかねない方法や技術についてまとめています。

鉛パウダーと瀉血による美白

中世の北部ヨーロッパと英国では、14世紀まで化粧品で肌を塗ることは一般的では
ありませんでしたが、騎士道精神が普及するにつれ、理想的貴婦人として「雪のように
白い肌」が求められました。
エリザベス朝の美容法

鉛粉は、おそらくシルクロードを経由してローマに入り、イタリアからヨーロッパ
全土に広がったと思われます。16世紀末、慶長元和時代には再び日本で鉛パウダーが
流行した、その同じ頃、遠い英国でもまた女王エリザベスを中心に、鉛パウダーが愛用
されていました。
口紅とチークカラーは、植物のアカネと黄土、コチニールの合成物が一般的でしたが、
やはり発色がよいという事で、朱(硫化第二水銀)が好まれました。
エリザベス朝の美容法

鉛には有害物質が含まれているため、胃腸病や脳の病気、神経麻痺などの副作用が発生したといいます。さらに、鉛を慢性的に使うと肌にシミができやすくなってしまうという弊害もあったのだとか。
美しさの秘訣は水銀に血?中世ヨーロッパの美容法が怖すぎる | nanapi [ナナピ]

特権階級の人々は肌を白く見せる為の努力をした。ビールで顔を洗ったり、眉を剃って細くし額の髪の生え際を剃って髪を結い上げることで顔の白さを強調したり、極端な場合は瀉血をして人為的に貧血になることで肌を白く見せようとした。
2013年10月31日 : 小悪魔お姉さんのひとりごと

クリノリン

クリノリン(crinoline)は、1850年代後半にスカートを膨らませるために発明された鯨ひげや針金を輪状にして重ねた骨組みの下着である(後に材質は変化)。1860年代に入るとクリノリンはその形を変化させ、さまざまなバリエーションが生まれた。
クリノリン – Wikipedia

それまでスカートを膨らませるために何枚も重ね履きする必要のあったペチコートに変わってドーム型のシルエットが容易に得られるようになった。ヴィクトリア朝時代のイギリス女性の間で爆発的に広まりこのクリノリンによってスカートの裾は大きく広がれば広がるほど良いという風潮になった。クリノリンが巨大化した理由の一つが1856年、皇太子(ナポレオン4世)を身ごもっていたフランスのウジェニー皇后である。彼女は姿態の不恰好を隠すためにクリノリンを極端に拡大して使っていた。それが新しいモードとしてサロンに受け入れられ、1850年代末には、クリノリンの大きさは最大値に達した。この巨大化は1860年代まで続いた。
しかし動くたびにクリノリンが引っかかって転倒したり、暖炉などの火がスカートに引火して火傷をしたりという事故が多発することになった。一説に年間3,000人の人間がクリノリンによる事故で死亡し、20,000人の人間が事故にあったといわれる。
クリノリン – Wikipedia

ニトロベンゼンの靴墨

ニトロベンゼン (nitrobenzene) は示性式 C6H5NO2 で表される有機化合物で、ベンゼン環にニトロ基が置換した構造を持つ。ニトロベンゾール (nitrobenzol)、ミルバン油 (oil of mirbane) とも呼ばれる甘い味覚を有する黄色油状の物質である。有毒で水に溶けにくい。杏仁豆腐のような、あるいは桃を腐らせたような芳香を持つ。
ニトロベンゼン – Wikipedia

急性症状としてニトロベンゼンの蒸気を吸引したり、皮膚より吸収することで、メトヘモグロビン血症を引き起こし疲労感、めまい、頭痛、吐き気を催す。慢性症状として肝障害を引き起こす。
ニトロベンゼン – Wikipedia

ニトロベンゼンを含む靴墨工場では、長い間それが毒物だと思われておらず何人もの人が病気に倒れたそうです。

X線脱毛

永久脱毛の1つに「X線脱毛」と呼ばれるものがあるようです。
X線脱毛は、1900年にアメリカで行われたようです。

実際は1907年から1957年までの50年間に渡って、
X線による永久脱毛が行われていたようで
文字通りX線を使用した脱毛法で
永久脱毛は可能だったようです。

しかし大きな問題があったらしく、副作用があったようなのですね。

X線脱毛の副作用としてシミ・シワ・傷などが起こり、
脱毛後10年から35年を経って皮膚ガンになるケースもあったようで、
次第に行われなくなったようです。
永久脱毛の歴史: 永久脱毛のウソ・ホント

チョピン靴

チョーピンともいう。高い底や台座のついた靴。一説では小アジアに発したといわれ,中世以後イスラム文化の流入とともにイタリアやイベリア半島に伝播し,16世紀になって特にイタリアを中心として上層婦人用のはきものとして流行した。
チョピン(チョピン)とは – コトバンク

ルネッサンス期のイタリアで流行した靴で、現存するチョピンはごくわずかな美術館に収蔵されています。このチョピンという靴は非実用的で、その存在意義はこれを履いた人を目立たせるところにありました。かかとの高さは18センチもあり、とても高価だったと言います。
まさかの「ヒール無しハイヒール」や男性用ハイヒールなど、世界のトンデモ靴いろいろ – GIGAZINE

ヒ素

ヒ素中毒(ヒそちゅうどく)とは、ヒ素の生体毒性によって生じる病態であり、症状は多岐にわたるが、重篤な場合は重要な代謝酵素が阻害され多臓器不全を生じることなどにより死に至る。
ヒ素中毒 – Wikipedia

ヒ素は毒としての用途以外にも医学用途で何世紀も使われていた。特にヒ素化合物の製剤であるサルバルサンはペニシリンの開発前に梅毒治療薬として広く用いられた。(後にサルファ剤、続いて抗生物質によって取って代わられた。)
また、各種の強壮剤(patent medicine) にも含まれていた。化粧品としても利用され、ビクトリア朝時代には、酢と石灰とヒ素の混合物を塗って、皮膚を白くしようとする女性がいた。ヒ素を使って皮膚の老化としわを抑えようとしたわけだが、ヒ素の一部はどうしても血中に吸収されてしまう。
色素の中には、ヒ素化合物を含むものもある。有名な例は、エメラルドグリーン(Paris Green)・シェーレグリーン(Scheele’s Green)である。画家や職人の中毒事故のうち、この種の色素への暴露が原因だったものも少なくない。
ヒ素中毒 – Wikipedia

オーストリアのシュタイエルマルクという地方(オーストリア南部で、イタリアに近い)では、健康増進・肌の色つやをまして色白の美人をつくるために、そしてたくましい馬を作るためにと、ヒ素を服用したといわれています。
からむこらむその27

スウェーデンのシェーレなる人物が初めて合成した酢酸銅と亜ヒ酸銅の複塩(混ざったものと思って下さい)。これがまた鮮やかな緑色を呈し、そしてこれを絵の具にしたことから上記の不満を持っていた画家達は早速取り入れ、そしてヨーロッパの画壇を席巻しました。 この緑色……「シェーレグリーン(フランス語ではvert veronese…….「ヴェールヴェロネーズ」)」はかなり受け入れられた様で、ドラクロワ、ミレーの傑作絵画にも使用されたと言われています。
こうして流行したシェーレグリーンは、全盛期には壁紙や家具にも使用されました(けばけばしいという話なんですけど…….(^^;;)。 そして、幸か不幸かこの成分のヒ素によって防虫作用があったために流行したといわれています。
からむこらむその27

結核へのあこがれ

結核は長く不治の病でしたが、結核にかかった患者の顔色の悪さや、痩せて目ばかりがギラギラして見えるところなどが当時の人々にとって悲劇の主人公の様に見え、ある意味の「あこがれ」であったそうです。

この為なんとかして自分の外見に「不健康さ」を取り入れようと、ヒ素を少量服用したり、わざと血を抜く女性が続出したそうです。

虫歯への憧れ

爪楊枝が、英国の文献に顔を見せるのは、15世紀の終わり頃であり、16世紀になると、俄然脚光を浴びた。
砂糖の需要が増え、虫歯を持つ人が増えたためである。砂糖を口にできるのは、ほとんどが王侯貴族で、虫歯になるのも一種のスティタスシンボルだった。そのため、人前で歯をほじるのは、行儀の悪いどころか、むしろ裕福なしるしであった。
歯の博物館:外国の口腔衛生の歴史

「歯をほじるには、成金の商人ばかりでない。伯爵夫人の若様だって人目もはばからず歯をほじった」と爪楊枝を使う表現が出てくる。
当時の爪楊枝は、金属製で宝石のついた凝ったものだった。爪楊枝は、衣装と並んで、その人の社会的地位を示すものとなり、伊達だて男達は爪楊枝を帽子につけたり、首飾り、腰のベルトにぶら下げて持ち歩いていた。
歯の博物館:外国の口腔衛生の歴史

庶民もステイタスシンボルとしての虫歯に憧れ、わざと歯を黒く塗ったりしていたそうです。

コワフュール・ア・ラ・フォンタンジュ

コワフュール・ア・ラ・フォンタンジュ(フランス語:Coiffure à la Fontanges、フォンタンジュ風髪飾り)とは、17世紀後半から18世紀初頭にフランス上流階級を中心に流行した女性の髪飾りおよび髪型のこと。
リボンで髪を頭上高く結い上げ、レースなどに針金を入れて作った髪飾りを立てるもの。
コワフュール・ア・ラ・フォンタンジュ – Wikipedia

18世紀中頃までは、髪の毛を上へ、上へと盛り上げるフォンタンジュが流行します。その後ルイ15世の愛人ポンパドゥールのウィッグなしのスタイルが一時的に流行するものの、再び世紀後半から末まではさらに華美なフォンタンジュが台頭し、入れ毛や巻毛がたくさん使われました。

ちなみに、この時代の材質は、ほとんどが馬毛で、白から灰、黒、茶、金、更にピンク、赤、青、紫などの色粉で染められていました。
かつらの歴史 第3回 18世紀~現代のかつら・ウィッグ世界史|カミわざ

セルロイド製アクセサリー

セルロイド (celluloid) は、ニトロセルロースと樟脳などから合成される合成樹脂(硝酸セルロース)の名称である。歴史上最初の人工の熱可塑性樹脂である。象牙の代用品として開発され、加熱(大体90℃)で軟化し、成形が簡単であることからかつて大量に使われた
セルロイド – Wikipedia

硝酸セルロースは極めて燃え易く、摩擦などによって発火し易いことと、光などで劣化し、耐久性が低いという欠点がある。

劣化が進んでいるセルロイド製の9.5mmフィルム
前者の欠点は取り扱いやすさという点では致命的であり、セルロイド工場では素材の自己反応性による発火によりしばしば火災の原因となった。映画の初期作品(1950年代まで)はセルロイドをベースとしたフィルムで記録されており、映画館ではフィルム照明のアーク灯や電球の高温や摩擦によりセルロイドフィルムが発火するなどの事故も起きた。
セルロイド – Wikipedia

https://matome.naver.jp/odai/2144735234246951001
2015年11月14日