「世界の盗塁王」、「韋駄天」
福本 豊(ふくもと ゆたか)
現役時代は阪急ブレーブスの不動の1番バッター。通算1065盗塁(当時の世界記録)、シーズン106盗塁、13年連続盗塁王などなど、盗塁に関しては他の追随を許さない(通算記録2位の広瀬叔功に倍近い差をつけている)圧倒的な日本記録を保持する盗塁の神様。その足を止めるため、当時南海ホークスの正捕手だった野村克也がクイックモーションという投球術を作り出した話は有名である。
「T-岡田」
T-岡田(てぃー おかだ)
※「T」は下の名前の頭文字や、ティラノサウルスの学名の略表記「T.rex」に由来する
本名は岡田貴弘。高校通算55本塁打を記録し、55という数字やヘッドスピードが約150km/hに達するという豪快なスイング、恵まれた体格から、松井秀喜の愛称であるゴジラにあやかり、浪速のゴジラと呼ばれるようになった。
2010年6月に入ってからホームランを量産し、セ・パ交流戦MVPを受賞。オールスターにも初出場を果たし、清原和博を抜くパ・リーグ史上最年少4番として出場。途中ケガがあったが、最終的には打率.284 33本塁打 96打点の成績を残し、ホームラン王、ベストナインを受賞した。
「パンチ」
佐藤 和弘(さとう かずひろ)
プロ野球選手時代の髪型だったパンチパーマがトレードマークであり、芸名の由来ともなっている。ニックネームは「パンチ」(1994年には登録名としても使用)。1994年限りで引退。通算成績は5年間で打率274、本塁打3、打点26。
「マサカリ投法」
村田 兆治(むらた ちょうじ)
高校時代から豪腕を発揮し、3年の時点で既に150kmの剛速球を繰り出していたという。1967年にドラフト1位で東京オリオンズに入団後、23年間同チームで活躍し続け、その豪腕を見せ続けた。
82年に肘を故障し、選手生命を絶望視されるが、タブーとされてきた肘部分の手術に挑戦し見事成功。
リハビリに2年を費やしたが、1985年には復帰後11連勝を挙げるなど、強烈な復活劇を見せた。
1990年、40代でありながらシーズン2桁勝利を達成して引退(40代での2桁勝利は、当時史上2人目)。先発完投にこだわり続け、最後までパワフルな活躍を見せ続けた、武骨で見事な選手人生であった。
「サブマリン投法」、「ミスターサブマリン」
渡辺 俊介(わたなべ しゅんすけ)
現在ではほとんどいない、アンダースロー投手として有名(世界一低いと言われるアンダースローが特徴)。球速はMAX130キロ前後と遅いが、地上5センチとも10センチとも言われる超低空リリースポイントから放たれるアンダー独特の浮き上がるストレートとストレートとほぼ同じ球速の高速シンカー、スローカーブを用いて打者を翻弄する。
「ジョニー」、千葉ロッテマリーンズの「魂のエース」
黒木知宏(くろき ともひろ)
1994年ドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団。そこから13年間ロッテに在籍。背番号も54番を維持し続け、ロッテの暗黒期をエースとして支え続けた。1998年7月7日、チーム16連敗中の中、登板し9回2アウトまで抑えるも、同点ホームランを打たれる。その後、延長戦で近藤芳久がサヨナラホームランを打たれ、チームは17連敗。後に七夕の悲劇と呼ばれた。
「投げる精密機械」、「ミスターコントロール」
小宮山 悟(こみやま さとる)
高い制球力を持ち味とするとともにほぼ全ての球種を使いこなし、両者が噛み合う時には緩急自在のピッチングで相手打者を打ち取った。一方球速の遅いピッチャーの印象が強いが、ストレートの球速が147㎞を記録したこともあり、プロ入り当初は荒れ球を武器とするタイプだった。05年には唯一習得できなかったナックルボールの代用として新魔球「シェイク」を発明。通常とは明らかに違うフォームで投げる80㎞ほどの球であり、独特の変化をする。
「サンデー晋吾」
小野 晋吾(おの しんご)
93年ドラフト6位でロッテに入団。99年まではほとんど二軍暮らしだったが、2000年に先発ローテに定着。日曜日に登板して11連勝し、「サンデー晋吾」と呼ばれる。この年は最高勝率のタイトルを受賞した。変化球はキレ味が鋭いシュートとスライダー、カットボール、フォークなど。ストレートはMAX140km/h中盤ぐらいだが、ほとんど投げないことで有名。また、クイックも上手く、牽制がとてつもなく早い。防御率が良い一方で、勝ち星に恵まれないことが多かった。
「幕張の防波堤」
小林 雅英(こばやし まさひで)
主な持ち球は、150km/hを超える直球と、直球と同等かそれ以上の球速のシュート、縦のスライダー。長くロッテのクローザーとして活躍していたが、投球スタイルはランナーを出しながらも抑えていくものであったため、佐々木主浩のような歴代の名クローザーに比べると安定感に欠けていた。その綱渡りのような投球スタイルはコバマサ劇場、(真の防波堤は小坂誠ではないかという揶揄も込めて)幕張の土嚢などと呼ばれ、良くも悪くもファンの注目を集めていた。
⊿高校野球
「和製ベーブルース」
清宮幸太郎
出典
cimg.sp.baseball.findfriends.jp
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清宮幸太郎
父は元早大ラグビー部監督で現ヤマハ発動機監督の清宮克幸さん。13歳時で183cm93kgと恵まれた体格と活かし、打てばホームラン、投げれば130キロ近くを記録し、“怪物”と称された。高校は早稲田実業に入学。甲子園に出場し、1年生ながら3番を任され2本塁打を放つ。1年生での1大会2本塁打は83年の桑田真澄(PL学園)以来。
「清原2世」
勧野甲輝
現福岡ソフトバンクホークス所属。名前は「甲子園で輝くように」という思いを込められて命名されたという。PL学園では1年夏からベンチ入りし、左翼手のレギュラー兼投手で4番打者を任されるなどした長距離砲だった為、「清原2世」と称された。
「高校ビッグ3」
「ハンカチ王子」
斎藤 佑樹(さいとう ゆうき)
2006年、夏の甲子園大会で早稲田実業が勝ち進むにつれて、斎藤が試合中にマウンド上で丁寧にたたんだ青いハンカチで顔の汗を拭く姿が話題となり、「ハンカチ王子」と呼ばれるようになる。大学野球でもその名を轟かせ、通算30勝を挙げるなど、大学野球界に名を残す活躍をした。2011年ドラフト1位で日本ハムに入団。ルーキーイヤーで19試合6勝6敗、防御率2.69とまずまずの成績を残したが、2年目からはプロの壁とケガ等に苦しんでいる。
「ほほえみ王子」
大野 健介(おおの けんすけ)
斎藤佑樹投手が「ハンカチ王子」と言われている中、静岡では「微笑み王子」と呼ばれることもありました。静岡商業→早稲田大学の後、プロ志望届を提出しませんでしたが、ヤマハへ入社し社会人からのプロを目指している模様。
「がばい旋風」
佐賀県立佐賀北高等学校
第89回全国高等学校野球選手権大会における、佐賀県立佐賀北高等学校の活躍を表した言葉。この大会に於いて同校は、甲子園で一勝もしたことのない無名の県立校でありながら開幕試合を白星で飾ると、そこから数々のドラマティックな試合を演じ、優勝を果たした。新聞・テレビなどのメディアが連日「がばい旋風」と紹介した。「がばい」は佐賀弁で「とても」という意味。
「山陰のジャイアン」
白根 尚貴(しらね なおき)
体格通り豪快なバッティングが持ち味でレフト方向に巻き込んでいく打球が多い。芯で捉えた時の打球の速さ・飛距離は圧巻。また、器用なバットコントロールもでき、センターから右方向へも打てる。フォームは、グリップを高めに置き、揺らしながら構える。高校通算40本塁打。高校時代に務めていた投手としては、ノーワインドアップからインステップしてテークバックを大きく取ってリリースしていく最速149km/hを記録した球質の重いストレートが持ち味。変化球はスライダー・ フォーク・シュートと多彩で、大柄な体格ながら器用に操る。
「さわやかイレブン」、「やまびこ打線」
徳島県立池田高等学校(とくしまけんりついけだこうとうがっこう)
74年の春の甲子園に出場した池田高校は、メンバーが11人という、どうにかゲームが出来る人数であったが快進撃を続けた。惜しくも準優勝であったが、全国から注目を浴び「さわやかイレブン」と称された。
その後「芯を外れていても腕力が強ければ飛距離が伸びる」という当時の監督の考えで、ひたすら部員の上半身を鍛え上げた。こうして、とにかく打ちまくるという強打の「やまびこ打線」を生み出し、1982年夏の甲子園ではチーム6戦85安打という、当時の大会新記録を見事に打ち立てた。
「KKコンビ」
桑田真澄(くわたますみ)&清原和博(きよはらかずひろ)
元プロ野球選手、桑田真澄・清原和博の2人を指す。由来は2人の名前の頭文字をとったもの。中村順司監督率いるPL学園高等学校で甲子園に1年生の夏(1983年)から3年生の夏(1985年)まで連続で5度出場し、桑田・清原はそれぞれ1年生の時からエース・4番として活躍し、甲子園に伝説と記録を残した。
「逆転のPL」

https://matome.naver.jp/odai/2139807861381775801/2152628369981264203
PL学園
大阪のPL学園高校のことを指し、1978年(昭和53年)の第60回全国高等学校野球選手権大会で、当時大阪府の私学7強の一角であったPL学園高等学校が2試合続けて奇跡的な逆転劇を起こし、初優勝した時についた異名がこれ。
「阿波の金太郎」
水野 雄仁(みずの かつひと)
徳島池田高校のやまびこ打線を擁し、甲子園夏春連続優勝。またその風貌から“阿波の金太郎”と親しまれた。1984年ドラフト1位で巨人入団。度胸満点のプレートさばきとフォークボールを武器に、中継ぎ・抑えとして活躍。特に1990年は34試合に登板して2勝2敗11セーブ、防御率1.97で巨人の優勝に大きく貢献した。1996年に13年間の現役生活に別れを告げる。
「愛知三羽ガラス」
工藤公康、槙原寛己、浜田一夫
工藤公康(名古屋電気高)と槙原寛己(大府高校)、浜田一夫(愛知高)の3人は高校時代に愛知三羽ガラスと呼ばれ名を馳せていた。工藤は西武に、槙原は巨人に、浜田は中日に、それぞれ入団した。
「四国四商」
四国四商
四国四県の県庁所在地に在る、高校野球における強豪商業高校4校を指す。具体的には香川県の高松商業高校、愛媛県の松山商業高校、徳島県の徳島商業高校、高知県の高知商業高校のこと。 高松商と松山商は戦前、徳島商は戦中、高知商は戦後と台頭してきた時期は違うものの、4校はいずれも長らくの間、各県のみならず四国の高校野球を引っ張ってきた名門であり、四国大会などの舞台で切磋琢磨し激しい試合を繰り広げてきた。
⊿その他・野球関連
「人気のセリーグ実力のパリーグ」
セントラルリーグ&パシフィックリーグ
1949年、新チーム加盟の是非をめぐり日本野球連盟が分裂し、加盟反対派の読売ジャイアンツ(巨人)、中日ドラゴンズ、松竹ロビンスを中心に、大阪タイガース(現:阪神タイガース。当初は賛成派だったが巨人戦との兼ね合いで撤回し残留)、新球団の大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)、広島カープ(現:広島東洋カープ)、西日本パイレーツを加えた計7球団でセントラル野球連盟(セントラルやきゅうれんめい)が発足。袂を分かった賛成派は、3つの新チームと共に太平洋野球連盟ことパシフィック・リーグ(パ・リーグ)を結成した。
「侍ジャパン」
野球日本代表
2009年3月に開始された第2回ワールドベースボールクラシック(以下WBC)において、原辰徳監督率いる日本代表チームを指す愛称として使用されたのが始まり。原監督率いる「サムライジャパン」として大会2連覇を達成し、以降、野球日本代表の愛称として「侍ジャパン」が定着することとなる。
「黒い霧事件」
「黒い霧事件」
プロ野球関係者が金銭の授受を伴う八百長に関与したとされる一連の疑惑および事件。新聞報道などをきっかけに、1969年から1971年にかけて相次いで発覚した。日本野球機構は八百長への関与について「(野球協約第355条が規定する)『敗退行為』に該当する」との見解を発表。関与が疑われた現役選手には永久出場停止(追放)、長期間の出場停止、年俸減額などの処分を下した。
「ナックル姫」
吉田えり
神奈川県横浜市出身の女性プロ野球選手(投手)。サイドスローから、最速101 km/hのストレートと80 km/h台のナックルボールとカーブを投げる。遠投70m。50m走は8秒。2011年からは投球フォームをスリークォーターに変更した。
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2020年05月25日
























