「ID野球」
「ちいさな大打者」
通算成績は2062試合に出場し、2173安打、220本塁打884打点、通算打率(4000 打数以上)は.319とレロン・リーに次ぐ2位と非常に高い数値を残している。
「ブンブン丸」
90年には遊撃手として史上初の3割30本、サイクルヒットも記録。遊撃手として5年連続30本塁打という記録も持っている。
「和製ライアン」、「ライアン小川」
「ギャオス」
1997年、1991年以降に痛めた肘の影響もあり、29歳の若さで現役引退。
「東都の不沈艦」
「ハマの核弾頭」、「突貫小僧」
「豆タンク」「ハマのプーさん」
flickr DSC09674 by shiori.k
「ハマの大魔神」「DAIMAJIN」
横浜(現DeNA)、大リーグのマリナーズで「大魔神」の異名で絶対的な守護神として活躍し、日米通算381セーブをマーク。持ち球は、150km/hの速球、140km/h弱のスピードと落差を併せ持ったフォークのほぼ2種類。カーブも投げられるが、ごくたまに投げる程度だった。
「ハマの番長」
「マシンガン打線」
「カミソリシュート」
「スーパーカートリオ」
「史上最強のアンダースロー」「魅惑のアンダースロー」
「ダイハード打線」
「怪童」
高松第一高等学校時代は本塁打を量産し、「怪童」といわれていた。
「熱男(あつお)」、「マッチ」
「ドカベン香川」
「常勝軍団」
「平成の怪物」、「Dice-K」、「D-Mat」※アメリカメディア
プロ入り後は3年連続で最多勝を獲得するなど輝かしい成績を残して、2007年より海を渡りメジャーへ。
「松坂世代」
「V9の頭脳」
「AK砲」
https://matome.naver.jp/odai/2139807861381775801/2140080810368187003
「カリブの怪人」
「おかわり君」
「メジャーに最も近い打者」、「ホームランアーティスト」、「ミスターメイ」
「優勝請負人」
「鉄腕」
1961年にはヴィクトル・スタルヒンと並ぶシーズン最多勝利42勝を記録し、シーズン最多登板記録(当時)となる78試合に登板するフル稼働を見せた。
「ケンカ投法」
「闘将」「燃える男」
「闘将」という異名は監督に就任してからのもので、感情をそのまま出し、吠えたり暴れたり、容赦なく鉄拳制裁を振るう熱血タイプの指揮官としてチームを鼓舞しいくつものタイトルを手にした。
「怪童」
「平成の怪物」
「二刀流」「みちのくのダルビッシュ」
「最後のPL戦士」
「サイレントK」
「親分」
監督時代は通算7回の退場記録(マーティ・レオ・ブラウンに抜かれるまでの最多記録)を持つ。べらんめえ口調とどう見てもそのスジの人な風貌(と、退団した選手の就職先を見つける面倒見の良さ)から「親分」と呼ばれた。
「ドクターK」「トルネード投法」
大阪近鉄バファローズに5年、その後は日本人メジャーリーガーとして活躍したパイオニア的存在。メジャーでは2度の“ノーヒットノーラン”を記録している。
「いてまえ打線」、「猛牛打線」
「ミスターフルスイング」
「ハゲ魔人」「テカテカ投法」「ピッカリ投法」
「コンニャク打法」
1979年の球団初パリーグ優勝経験選手の一人であり、その年から81年まで3年連続でベストナインとダイヤモンドグラブ賞を獲得し、パリーグを代表する捕手に成長した。守備面では福本豊が現役時代で盗塁を重ねていったのにも関わらず、盗塁阻止率5割を記録するなど、かなりの守備力を誇った。
「赤鬼」
「安打製造機」「魔法使い」「振り子打法」
2000年11月フリーエージェントとしてシアトルマリナーズに移籍。2001年アメリカンリーグの首位打者、盗塁王、新人王や日本人初のMVPを獲得した。2007年にはオールスターでMVPを獲得。2012年途中、名門ヤンキースへ電撃移籍し、自身初の背番号31を背負っている。