【津軽為信】関連武将まとめ

shinichiokada
【敵対】南部晴政 南部信直 石川高信 北畠顕村 【味方】豊臣秀吉 津軽信建 津軽信枚 森岡信元 兼平綱 小笠原 信浄

津軽 為信(つがる ためのぶ)

津軽 為信(戦国炎舞-KIZUNA-)

津軽家の当主。(独立前は”大浦”)
津軽家の独立と、津軽地方の統一を躍進させた人物。

南部 晴政(なんぶ はるまさ)

南部 晴政(戦国IXA)
【紹介文】
東北地方の勇猛な武将で、南部家の最盛期を築いた人物だワン!
織田信長に鷹を献上した事があるらしいワン。

南部家の24代当主
南部家は、当時の大浦家を支配下にしていた。

南部 信直(なんぶ のぶなお)

南部 信直(戦乱のサムライキングダム)
【セリフ】
全然あかんわ、そんな強さじゃ話んならん。今更命が惜しいって?ごめんな。仲間ん士気を上げるには、あんさんの首が必要なんや…ほな、さいなら!

津軽為信に、実の父”石川高信”を討たれた因縁を持つ。

石川 高信(いしかわ たかのぶ)

石川 高信(戦国大戦)
【紹介文】
南部家22代当主・政康の子といわれる。兄
の安信から信頼され、石川城にて津軽地方の
政治を任された。晴政の代になっても重用さ
れ、陸奥岩手郡へ侵入した戸沢家との合戦で
は見事な采配で勝利を収め、出羽では安東家
を撃退するなど、知勇兼備を謳われた。

「すまんが、ワシは手加減を知らぬ!」

1571年 津軽家(当時は大浦)は、石川高信を討ち取った。その後、南部家と対立するようになる。

北畠 顕村(きたばたけ あきむら)

北畠 顕村(信長の野望)

祖先は南北朝時代の武将、北畠顕家(きたばたけ あきいえ)

1578年 浪岡城の戦いで北畠家を滅ぼす。降参してきた北畠顕村を、自害に追い込んだ。

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし)

豊臣 秀吉(信長ストライク)
【セリフ】
従わねぇ奴は、泣く事も笑う事も許さん!お前らは俺の所有物だ!

天下人の豊臣秀吉に、津軽地方の支配を認めらる。
南部家との抗争も、豊臣秀吉が決着をつかせた。

津軽 信建(つがる のぶたけ)

津軽 信建(信長の野望)

津軽為信の長男。
豊臣秀頼の小姓についていた為、関ヶ原の戦いでは西軍についた。
しかし、津軽家は東軍についた為、家中で分裂が起こる。
真田氏や九鬼氏などと同様の「家中二分による生き残り策」とも言われている。

京にて病を発症。
同じく病を患った父・為信が、信枚を伴い京まで見舞いに駆けつけるものの、すでに長男の信建は亡くなっていた。

津軽 信枚(つがる のぶひら)

津軽 信枚(戦国サーガ)

津軽為信の三男
兄や父の相次ぐ死により家督を継承した。

森岡 信元(もりおか のぶもと)

森岡 信元(鬼武者Soul)

大浦三老の一人。
為信の戦国大名としての独立に、大いに貢献するが、為信と対立することとなり、関ヶ原の戦い前に暗殺される。

兼平 綱則(かねひら つねのり)

兼平 綱則(鬼武者Soul)

大浦三老の一人。
和徳城攻め・浪岡城攻め・大光寺城攻め・六羽川合戦・田舎館城攻めで功績を残している。

小笠原 信浄(おがさわら のぶきよ)

小笠原 信浄(鬼武者Soul)

大浦三老の一人。
大浦為信に仕えた重臣で、さまざまな戦いで貢献した。森岡信元や兼平綱則らと並んで、大浦三老の一人に数えられている。

関連リンク

https://matome.naver.jp/odai/2139771554356343201
2015年08月19日