広島原爆で降った「黒い雨」
「黒い雨」は、原子爆弾の爆発20~30分後頃から広島市の北西部に降り始めました。雨の間は夏にも関わらず急に気温が低下して裸や薄着で逃げ回っていた人々は寒くてふるえました。
被害状況
約5%弱あるいは20人に1人の被爆体験者にとって黒い雨は、「いまでも忘れられない」こと、「恐ろしく思っている」ことのひとつであると言えよう。5%弱という比率を大きいと見るか、小さいと見るか筆者には判断しかねるが、「黒い雨」が原爆投下時の記憶の中で無視しえない一要素であることは否定できまい。
長崎原爆では「黒い灰」が襲った
長崎消防署の『原子爆弾記録』に、「閃光に次いで物体の破壊音と共に砂ぼこりを巻き上げ夕やみのようになった」とあるが、この砂ぼこりは「黒ぼこり」ともいわれるように瞬間燃焼の黒い灰のほか、紙片、布切れなどさまざまな微軽量物も含まれていた。
長崎市|平和・原爆|原爆の記録|黒い灰・黒い雨
その範囲は正確には分っていないが、落下紙片――三菱兵器製作所大橋工場の文書と三菱製鋼所の伝票――から推して、大体、爆心地から半径1,500メートルに及ぶ地域と見られている。地上約500メートルの空中で炸裂した原爆は、まさしく、直径3,000メートルに及ぶ巨大な竜巻を現出したのであった。
現在も残る後遺症
後遺症の一つにガンがあります。1960年頃から、甲状腺癌・乳ガン・肺ガンなどの発生率の増加が疑われるようになってきました。現在は放射線がガンの発生に重要な関係があると認められる報告もされています。
被害状況
去年の暮れ、長崎の医師の問い合わせをきっかけに、被爆に関する「あるデータ」が突然公表された。原爆投下直後に降った放射性物質を含む雨「黒い雨」に、1万3千人もの人があったことを示す分布地図だ。
山下博子さん=当時18歳=は、6歳の弟と爆心地から800メートルにあった大手町の自宅1階で被爆しました。
放射線は、髪が伸びるための機能も破壊しました。放射線の影響を受けた被爆者は第2週目から髪の毛が抜け始め、中にはすべて抜け落ちてしまう人もいました。
※画像:平和記念資料館(原爆資料館)
被爆57年目の平成14年の長崎、広島で過去帳に納められた方は以下のとおりである。半世紀以上も経った現在でも原爆の恐怖は終わっていないのである。
平成14年過去1年間死者数(累計死者数)
長崎 2,564名(129,093名)
広島 4,977名(226,870名)
合計 7,541名(355,963名)
原子雲
「黒い雨」を描いた作品
1945年8月6日、広島。高丸矢須子は瀬戸内海の小舟の上で強烈な閃光を見た。その直後晴れた空はたちまち暗くなり、矢須子は黒い雨を身体中に浴びてしまう。被爆後遺症の村人たちに小沢昭一や三木のり平といったベテラン・コメディアンを配し、悲惨な物語をどこか喜劇的に描いている。矢須子が風呂場で髪をとかし髪が抜け落ちるシーンで、矢須子役の田中好子が浮かべる笑いは衝撃的だ。
黒い雨|ストーリー@ぴあ映画生活







最初にできたのは、爆発の衝撃で舞い上がった土やほこりなどが、火球と地表の間の空気が暖まってできた上昇気流にのって約4000メートルまで上昇してできた雲だ。
次にできたのは、きのこ雲の「かさ」の部分。火球が上昇し、上空で膨張するうちに温度と気圧が下がり、空気中の水蒸気が水滴となったものだ。
三つ目の雲は、熱線で発生した大火災が原因だ。熱気に伴う上昇気流で、水蒸気とすすなどが約800メートル上空で雲になった。空襲問題に詳しい小山仁示関西大名誉教授の「改訂 大阪大空襲」には「大空襲があると、必ずといってよいほど、黒い雨が降った」と記述がある。
※画像 中国新聞「10代がつくる平和新聞」