有名人の自殺・他殺死・変死・事故死まとめ(女性芸能人・女子アナ編)

岡田有希子の交際相手として峰岸の名前が浮上し、急遽「記者会見」を開いたがたまたま自局での会見のため、私も駆りだされたが、さすがの私も彼の憔悴しきった顔を見て「上手く話せよ」と言うのが精一杯だった。辛かったろうに。
また一人、友を逝かせてしまった。峰岸徹お前の生き方はカッコ良かったぜ。:飲酒楽堂

峰岸徹さんの友人のブログから・・・

「あれは思うんだけど、最初のね、青山での自殺未遂と、ここで飛び降りたのは動機が違うような気がするんですけどね」
《中略》
自室で手首を切り、ガス栓を開いたとき、彼女の頭の中を占めていたのはおそらく愛する男性 峰岸徹のことだった。
《中略》
「うん、だからね、峰岸さんに最初に発見してほしかったんじゃないですかね、彼女はね」
《中略》
死を決意した彼女は峰岸に最初に発見してほしいと思いながらガス栓を開いた。がその計算ははずれ、自殺未遂騒ぎは自分の予想を超えて大きくなっていった。遺書は警察に渡り、マスコミは集まってくる・・・福田専務とタクシーで事務所へ向かう彼女はしだいに落ち着きを取り戻していったが、冷静になればなるほど前述の異常なまでに周囲に気をつかう性格が彼女をどんどん追いつめていった。峰岸のこと、事務所にかけた多大な迷惑、両親、姉が受けた衝撃、そしておおくのファンへの思い・・・。第1の誤算が第2の思いもしない悲劇に彼女を突き進ませてしまったのか。
YUKIKO NO OHEYA

福田時雄氏が語る岡田有希子の2度目の自殺の動機・・・

遠藤康子《自殺》享年17(1986年)

えんどうやすこ1968年10月21日 – 1986年3月29日
日本のモデル、アイドルタレント。東京都出身。
中山美穂はデビュー前からの親友であった。

遠藤康子は女優として活躍していたが、この年は念願のアイドルとしてデビューする予定だった。《中略》
アイドルとしてデビューするからには、男がいる事はイメージダウンになる事を恐れた事務所は、早く男と別れるように諭したが、悩んだ彼女は自ら命を絶ってしまった。
デビュー前アイドルの自殺事件の真相: うさぎいぬのぶろぐねっとステーション

不幸の続く昭和60年度堀越学園3年D組

堀越学園卒業アルバム
堀越学園芸能コースD組
桑田靖子
石野陽子
岡村有希子
河上幸恵
※菊池陽子
※本田美奈子
倉沢淳美)
※岡田有希子
柴田くに子
高部知子
田中久美
長山洋子
松尾久美子
※松本友里
南野陽子
宮崎ますみ
森奈みはる
永瀬正敏

※すでに4人がお亡くなりに・・・

若山セツ子《自殺》享年55 (1985)

わかやませつこ1929年6月7日 – 1985年5月9日
1946年、東宝のニューフェイスとして入社。デビュー作は『四つの恋の物語』(1947年)。
1949年の『青い山脈』で丸メガネの女学生・和子を演じて人気を博す。「次郎長三国志」シリーズのお蝶役も名高い。戦後第一期の東宝を代表する清純派スターであった。
1956年に谷口と離婚。1961年に病気で引退するが、その後1971年に週刊誌に取り上げられたのがきっかけで復帰。夜の番組や、『お祭り銀次捕物帳』にレギュラー出演したが、次第に奇行が見られはじめ、1973年に出演した『婦系図・前後篇』(マキノ雅弘監督)が最後の出演となった。

1984年に共に暮らしていた母(それ以前に姉も失っていた)を亡くしてから精神状態が悪化、強制入院させられてから1ヶ月後の1985年5月9日、東京・調布市の病院で首吊り自殺する。享年55。80代としか思えないほどのやつれぶりだったという。
若山セツ子とは – goo Wikipedia (ウィキペディア)

菊容子《絞殺》 享年24 (1975年)

きくようこ1950年9月26日 – 1975年4月29日
2歳の時に富士フイルムのモデル、6・7歳の小学生の頃から少女雑誌の表紙モデルで芸能キャリアをスタート。中学に進学した時に一時芸能活動を止めるが、中学3年生の秋にNHK主催の新人オーディションで2位合格となり、後に女優業に転向する。
6歳の時から若柳流の舞踊を習い、15歳でその名取となった。
1967年、竜雷太主演『でっかい青春』第26話から、レギュラーとなり、女生徒・丸山しぐれ役を演じる。
1971年、朝日放送系で放映したドラマ『好き! すき!! 魔女先生』のヒロイン・月ひかる役を務め、その他ドラマ・映画・舞台を中心に活躍した。

1975年4月29日、交際を強要されていた23歳の元俳優の男性(のち自殺未遂後、逮捕)に、新宿区諏訪町の自宅に侵入され、首を絞められて殺害された。
菊容子とは – goo Wikipedia (ウィキペディア)

事件の直前の4月2日から4月29日まで「新宿コマ劇場」の水前寺清子公演「姉ちゃん仁義」に出演中で、殺害された日は千秋楽だった。
菊は1年前からテレビタレントの藤沢陽二郎(23)と交際しており、4月29日3:00、菊から父に、藤沢がマンションに来ていると電話があり、父ははっきりと交際を断るようにアドバイス、菊は父に舞台があるので、朝早くに電話をして起こして欲しいと頼んでいた。
藤沢は「柔道一直線」や「仮面ライダー」などに出演していたが、特撮ものに脇役で出るような役回りの俳優。
10:00、世田谷区の友人宅に車で藤沢は現れ、殺人を漏らし、午後に自首するので同行して欲しいと頼んでいた事から、菊殺害は藤沢の犯行と断定された。13:30、小田原市早川の箱根ターンパイク内の橋の欄干に2度、車をぶつけ、右足首に3ヶ月の負傷をした藤沢が逮捕された。
自殺を図ったものだが、藤沢は菊に冷たくされ、よりを戻そうと当日も菊の部屋を訪れたが、別れ話がもつれて手で首を絞め、さらに電話線のコードで絞めて殺害したという。
菊容子事件

保倉幸恵《自殺》享年22(1975)

やすくらさちえ1953年4月5日 – 1975年7月8日
1960年代から1970年代にかけて「週刊マーガレット」、「女学生の友」、「少女フレンド」などの少女雑誌に少女モデルとして頻繁に登場していたほか、週刊朝日でも1970年1月2日から1971年12月31日までカバーガールを務めた。若草時代の同期生に女優の桃井かおりがいる。少女を中心に高い人気を得る。
NHKの銀河テレビ小説「黄色い涙」で本格的な女優デビューを果たす。
その後、「鏡の中の女」に出演して仕事を順調にこなしていたものの、私生活では1974年12月頃に母親が重病を患ったことがきっかけとなってノイローゼを発症してしまい、1975年2月頃より通院のために芸能活動を一時休止。

女優業を休止して療養中だった1975年7月8日午前5時55分、東京都大田区の自宅近くにある東海道本線大森~蒲田間の跨線橋において1.2mの柵を越えて8m下の線路に飛び降り、そこを通りかかった横須賀線久里浜発東京行きの普通列車に轢かれて即死した。享年22。 高速列車に轢かれたために事故現場は凄惨で、遺体は顔面が完全に粉砕され、胴体も手足が轢断して四方八方にバラバラに飛び散るなど損傷が酷かったと言う。
はてなブックマーク – Akt

警察では身許を確かめられず身許不明のまま火葬にしたという。22歳の若さだし、仕事も順調にいっていたので誰もが自殺するとは思わなかった
「黄色い涙」と保倉幸恵 – 本はねころんで

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https://matome.naver.jp/odai/2136266095474533901
2015年02月08日
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