サンデーサイレンスの実績
産駒数:1526頭
JRA通算勝利:2749勝(最多勝)
JRAのG1勝利:71勝(最多勝)
JRAの重賞勝利:311勝(最多勝)
タヤスツヨシ(1995年)
1000メートル通過・1分2秒8という超のつくスローペースで進んだこの年のダービーですが、小島騎手はスタートのロスがなかったこともあり道中は中団をじっくりと追走。流れに合わせて前、前でレースを進めるジェニュインとは対照的に、直線での末脚勝負にすべてを賭けます。追い比べで内にササったのは誤算でしたが、直線の坂を上がってからの他馬との脚色の差は歴然。懸命に粘るジェニュインを力強く1馬身半突き放し、タヤスツヨシはダービー制覇のゴールを駆け抜けました。
スペシャルウィーク(1998年)
三冠の舞台ではいずれも1番人気に支持されて3、1、2着。最優秀4歳牡馬のタイトルこそエルコンドルパサーに奪われたものの、栄えあるダービージョッキーの勲章を武豊騎手に初めて授けた時の圧勝劇には、“1強”の称号がよく似合った。
アドマイヤベガ(1999年)
直線、道中では中団にいたテイエムオペラオーが二冠を目指して抜け出しをはかる。これをターゲットとして外から迫るのがナリタトップロード。さらにその後方から轟然と脚を伸ばしたのがアドマイヤベガだ。とりわけアドマイヤベガが見せた切れ味は強烈で、武騎手がスタート後に思い切って後方まで下げ、スパートをギリギリまで我慢することによって引き出されたエネルギーが一気に弾ける。好騎乗に馬も応えて、大外を力強く駆けた。
アグネスフライト(2000年)
河内洋騎手には悲願のダービー初制覇が、一方の武豊騎手には前人未到のダービー3連覇がかかっていた。互いの意地と名誉を真っ向からぶつけ合って、たったひとつしかない勝者の椅子を目指した2頭と2人。そして実際、何度も馬体が接触する場面が見受けられた壮絶な叩き合いの軍配は、10センチにも満たないハナ差で兄弟子にあたる河内洋騎手のアグネスフライトに上がったのだった。
ネオユニヴァース(2003年)
この馬と“次”も戦いたい……ネオユニヴァースに惚れ込んだデムーロ騎手は、本来ならシーズンに入ったイタリアに戻らねばならないところを自国の契約厩舎と話をつけ、日本ダービーも騎乗。パーフェクトなレースで愛馬に二冠目をもたらした。本邦初の外国人ダービー・ジョッキーに輝いたこの日、デムーロ騎手は涙を滲ませながら、ネオユニヴァースに、そして最大級の声援を惜しみなく送る日本のファンに、深い感謝と感動を伝えたのだった。
ディープインパクト(2005年)
大きく柔らかく、宙を飛ぶようなフットワークで坂を駆け上がり、余裕たっぷりの脚さばきでゴールへ。好位追走から早めに抜け出すという勝ちパターンに持ち込んだインティライミを5馬身も突き放す圧勝劇。馬場の大外をただ1頭突き抜ける姿は、いつも通りの光景であり、そして確かに、衝撃的でした。
「血の飽和」を懸念する声もある
日本のトップの競走馬がここまでサンデー系一色になることは、将来的には懸念材料となる。近親交配の弊害が大きくなるからだ。
3歳牝馬女王を決めるオークスでも、18頭中サンデーの孫が14頭でひ孫が2頭。通常、同じ馬の孫同士は交配しないことから、今年のダービーとオークスの出走馬のほとんどは、交配できない組み合わせだ。
「サンデー」の孫が占拠、今年のダービーが示す懸念 :日本経済新聞
この偉大な種牡馬の血は、今、深刻な「血のジレンマ」を引き起こし始めている。優秀な種牡馬群と繁殖牝馬群。そのどちらにもサンデーの血が入り込んでしまい、嫌でも非サンデー系のリリーフ役が求められている状況なのだ。
父シーザスターズとは – ウオッカを訪ねて – JRA-VAN

