むつ小川原開発
太平洋ベルト地帯に集中していた重厚長大産業を青森の過疎地に移転することによって公害や都市の過密の緩和するという計画で、1969年に閣議決定された新全総に盛り込まれた。。
主に石油コンビナートと火力発電所が建設される予定だったが、漁民の反対や二度に渡るオイルショックによる石油製品の需要低下などから計画が頓挫。
1980年代に入りようやく石油備蓄基地が建設されたものの工業用地の大半が売れ残った。
2000年代にはアメリカのエネルギー会社が進出を表明するも、その会社はよりによって世界的な不況の引き金となる不正会計事件を起こし破綻した「エンロン」で当然のごとくこれも頓挫。
その後も液晶ディスプレイ工場の誘致なども計画されたが、その後の値崩れで国内メーカーが軒並み失速して沙汰やみとなった。
もっとも進出が進んでいるのは使用済み核燃料の再処理施設と中間貯蔵施設という状態になっている。
琵琶湖リゾートネックレス構想
構想対象地域は滋賀県の半分に及ぶ27市町、施設整備を促進する重点整備地区は15市町、1万4千ヘクタールに及ぶ大規模リゾート計画。重点整備地区に200を超える施設、総事業費4000億円を見込んでいたが、バブル崩壊によって民間資本の開発意欲が急減。余暇の活動スタイルの変化が当初の構想と齟齬をきたしたため設備整備が進捗しなかった。
設備の進捗はわずか17%、利用者数は見込みの20%足らず、期待していた雇用実績も見込みの6%と完全に期待外れに終わり、2011年に県の企画調整課により「廃止が適当」との答申が出された。
近鉄 宇治山田駅前再開発
駅前にある明倫商店街と老朽化した観光文化会館一帯を再開発、総工費360億をかけてデパートやホテルを兼ね備えた大型の複合ビルを建設するという計画。 平成3年に計画が決定されたが、バブル崩壊によって肝心の近鉄百貨店が出店を取りやめとなり再開発計画が頓挫。平成13年についに再開発計画そのものが中止となってしまった。
再開発の中止と共に明倫商店街での閉店も相次ぎ、全盛時には54軒を数えていた商店も半分以下に減少してしまった。
ヤマハリゾート 南西諸島開発
1962年に観光開発に乗り出したヤマハが離島ブームに乗ってリゾート法施行以前に開始した一大リゾート計画。鹿児島県の奄美群島、トカラ列島、沖縄県の八重山諸島、先島諸島に私設飛行場やプライベートビーチを備えたリゾートを開いた。ところがほとんどのリゾートが採算割れで1982年に大半が閉鎖してしまった。
諏訪之瀬島では島民の数以上の従業員が必要となる大規模なリゾートだったため移住したヒッピーを中心に島を二分する激しい反対運動が展開された末に途中で撤退、多数の廃墟が残るなど深い傷跡を残す一方、宝島では島民がまったく相手にせず土地買収がほとんど進まないことで逆に注目を浴びるなど島によってさまざまな展開があった。
西武鉄道 奥多摩・秩父観光開発計画
奥多摩湖を建設する際に使用した貨物・工事用路線である水根貨物線を観光鉄道に転換、西武拝島線を国鉄(現JR)青梅線と相互乗り入れして連結、奥多摩湖周辺も大規模開発し「第二の箱根」とする計画。
「奥多摩湖の北岸側にホテル、高級キャンプ場、ゴーカートコース、ヘリポートを開設」、「倉戸山の山頂までロープウェーを敷設」、「南岸側に遊園地とモーターボート遊園地、キャンプ場を開設」と非常に大規模な計画で、「豊島園、西武園にささげた情熱に倍する努力と資金を傾注」とかなり力が入っていた。
雲取山を挟んで反対側にある秩父でも「秩父を第二の軽井沢にする」構想があり、太平洋セメントから秩父鉄道(三峰ロープウェイを所有)を買収、雲取山の山小屋や登山道も整備するなど、完成すれば奥多摩・秩父一帯が現在とは全く違う形になっていたはずだったが…。
モータリゼーションの予想外の進捗により鉄道を中心とした開発計画の採算性が悪化した事、夏場の渇水で度々奥多摩湖が干上がった事から観光地としての適性にも疑義が呈され、申請からわずか6年の1964年に取り下げ開発計画が中止された。
秩父側の観光の核である1939年に開業した三峰ロープウェーも秩父鉄道が設備更新の費用が捻出できず廃止された。
戦後の登山ブームで大いに賑わった雲取山荘も秩父鉄道が建てたものだったが、老朽化による建て替え費用も拠出せず、1999年に管理人の新井信太郎氏に営業権を売却してしまった。
手賀沼ディズニーランド
高度経済成長期に構想が持ち上がった千葉県のレジャー開発計画。
東京五輪のボート競技会場の誘致を目指しながらも果たせなかった手賀沼に「後楽園、上野動物園、船橋ヘルスセンターを合わせたような複合施設を建設」「ロサンゼルスのディズニーランドの規模を参考」という意欲的な計画だったが、手賀沼の水質汚染と開発会社の財務悪化を理由に頓挫。 埋立地は宅地用の分譲地として売却された。
南アルプス完熟農園
土産物屋や食事処の不足により登山客や果物狩りの観光客などが滞在せず流出してしまう対策として計画された大規模農園。農産物の生産から加工、流通までを行う「6次産業」の拠点として、南アルプス市が8億円を出資する第三セクターとして設立されたが、開園後わずか3ヶ月で運転資金が枯渇、半年あまりで経営破綻し営業を停止した。
しばしば取りざたされる3セクによる開発失敗の中でもまれにみる猛スピード破綻であった。
富士ガリバー王国
オウム真理教の本拠地としてネガティブに名が知られてしまった山梨県・上九一色村が起死回生のイメチェンを図って童話『ガリバー旅行記』をモチーフとして開発されたテーマパーク。
新潟中央銀行の主導で隣接地にゴルフ場とホテルも開業しており一大リゾート地となるはずだった。
ところがバブル崩壊後の経営悪化で肝心の新潟中央銀行が破綻。「オウム真理教の本拠地」のネガティブイメージが払拭できなかったうえ、交通アクセスの悪さ、既に知名度のある富士急ハイランドとの競合により顧客数が伸び悩んだこともあり、開業後わずか4年で経営破綻してしまった。
跡地にはドッグランができるもこれもわずか一年で閉鎖。 上九一色村は市町村合併で2006年に消滅し、ホテルやゴルフ場を買収し再生を目指したアーバンコーポレーションは2007年に倒産と呪われたような失敗の連鎖が続いた。
丸の内マンハッタン計画
三菱地所が計画し1988年に発表された丸の内地区の再開発計。
高さ200m級の高層ビルを60棟近く建て、国際金融業務に特化したオフィス街にしようという壮大な計画だった。
バブル崩壊とともに計画は頓挫。
東日本大震災以降に再開発が進み新しいビルは次々に立っているものの、100m以上のビルは合計は現在で30ほどと当初の計画にはまだ及んでいない。




