【中森明菜】
16歳の時に出場した日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』合格を機に、ワーナー・パイオニアとのレコード契約を締結。1982年にシングル「スローモーション」でデビューした。
キャッチフレーズは、「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」
25年振りに出した、ベスト盤『オールタイム・ベスト-オリジナル-』は現在大ヒットしている。
【小泉今日子】
1982年3月21日にシングル「私の16才」でアイドル歌手としてデビュー。キャッチフレーズは「微笑少女。君の笑顔が好きだ」。
デビュー2年目、所属事務所の方針に嫌気が差し、突然、無断で髪を刈り上げに。また自身を「小泉」と苗字で称したことから、「キョンキョン」というニックネームと並行して、初めて苗字で呼ばれるアイドルの先駆者となった。
現在の御活躍は言うまでもないですね。
【早見 優】
14歳の時、ハワイ三越のエレベーターで「サンミュージックプロダクション」にスカウトされ、単身帰国し、「サンミュージック」と契約。1982年4月21日 シングル「急いで!初恋」でアイドル歌手としてデビュー。
帰国子女アイドルの先鞭を付け、「バイリンギャル」と称された。
現在も御活躍されています。
【石川秀美】
中学3年生だった1981年の夏、芸映プロが主催した「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」に応募。応募総数55,460名の中から選ばれる。
1982年4月21日、「妖精時代」でデビュー。各音楽祭で新人賞を獲得する。
現在は3男2女の母親として日々奮闘している。近年も夫婦でCMに出演し、夫に関するコメント(書面・声)を出すなど、健在ぶりをアピールしている。
【堀 ちえみ】
1981年に開かれた第6回ホリプロタレントスカウトキャラバンの優勝をきっかけとして芸能界入り。
キャッチフレーズは「GOOD FRIEND」
現在は、松竹芸能所属。実子5人、現夫の連れ子2人の計7人の子が居ることでも知られる。
【三田寛子】
雑誌『セブンティーン』のモデルに応募し合格、これがきっかけで上京。1981年にTBSのドラマ『2年B組仙八先生』の生徒・高坂ひとみ役でデビュー。
翌1982年3月21日、CBS・ソニーより酒井政利プロデュースにて「駈けてきた処女(おとめ)」で歌手デビュー。
1991年に中村橋之助と結婚。第一子を流産した後、将来の歌舞伎役者となる男児を3人もうける。その後は「4人の歌舞伎役者」を抱える“梨園の妻業”が生活の中心となったが、「主婦タレント」「元アイドル」としてメディアに登場している。
【北原佐和子】
元来「オスカープロモーション」の美少女モデルであり、読者モデルとして掲載された女性ファッション誌『mcシスター』を見たマネージャーによってスカウトされた。高校在学中にミス・ヤングジャンプに選ばれグラビアデビュー。
自身の18歳の誕生日である1982年3月19日にシングル「マイ・ボーイフレンド」で歌手としてソロデビュー。
当時のキャッチフレーズは「さわやか恋人一年生」
現在も、ドラマのわき役で御活躍されています。
【新井薫子】
TDKコアが手掛けた初の新人だったが、1年程活動しただけで療養のため休業し、趣味だった日本画や絵本を学ぶ傍ら、快復後には端役出演などこなした。
1980年代末よりイラストレーター・キャラクターデザイナーに転身し、カオルコ・KAORUKO名義で各方面で活躍する傍ら、サイケポップユニット『the TABLES』を結成し中野薫子・KAORUCO名義で音楽活動も展開した。
現在は芸術家として活躍されています。
【真鍋ちえみ】
所属事務所はオスカープロモーション。愛媛県出身。デビュー当時の身長は165cm。血液型B型。
同じ事務所の北原佐和子、三井比佐子とともにアイドルグループ・パンジーを結成していた。
パンジー解散後はファッション誌などでモデルとして活動した。
【坂上とし恵】
ビクターからアイドル歌手としてデビュー。デビュー曲は「き・い・てMY LOVE」。「クイズ・ドレミファドン!」(フジテレビ)のアシスタントを務めたほか、「笑福亭鶴光のオールナイトニッポンサンデースペシャル」(ニッポン放送)では「がけっぷちトリオ」の一員として活躍した。
10年以上にわたって交際(同棲)した野々村真と1995年に結婚。以降、本名の野々村俊恵で『はなまるマーケット』に出演し、タレント活動を再開。夫婦共演でのテレビ出演も多い。1男1女(香音)の母。
【白石まるみ】
1978年、TBSのテレビドラマ『ムー一族』で主演の郷ひろみの恋人役のオーディションに応募し、4万人の応募者の中から2位で選ばれた。
1982年、松任谷正隆プロデュースにより、ビクター音楽産業から「オリオン座のむこう」でアイドル歌手としてレコードデビュー。
夫はインテリアデザイナー・建築家の南川芳広、娘はグラビアアイドルの守永真彩。
現在も御活躍されています。
【伊藤さやか】
モデルとしてデビュー。資生堂「シャワーコロン」のイメージガールとしてCMに出演。日本テレビのドラマ『陽あたり良好!』のヒロイン・岸本かすみ役に抜擢され注目を集める。1982年5月「天使と悪魔〜ナンパされたい編」でビクターより歌手としてデビュー。
“花の82年組”の歌手デビューを果たしているが、本人はぶりっ子アイドル路線を拒否。ロック色の強い曲での活動を希望し、自称「ロックンローラー」として一時注目を集めた。
現在も御活躍されている。
【川田あつ子】
「花の82年組」と言われる新人アイドル豊作の年にレコードデビュー。
アイドル歌手的な活動は2年ほどであったが、ブロマイド売上ベスト10入りするなど人気を得た。
女優業中心へと移行し、テレビドラマ、映画、舞台等と多数の出演作品がある。
また声優活動、ラジオパーソナリティー、CM等でも幅広く活躍。
この他、作詞家として歌手に詞を提供している。
現在は柳 ユーレイさんの奥様。
【スターボー】
1982年7月7日、「ハートブレイク太陽族」(作詞:松本隆、作曲・編曲:細野晴臣)でデビュー。当初の名義は宇宙三銃士スターボー。太陽系第10惑星「スターボー」から脱出し、地球に「A・I(愛)」を伝えるためにやってきた性別不明の3人組アイドルという設定の下売り出された。ただし、ラジオ出演した際には「悪い地球人にさらわれた母親を探しに男装して来た」という発言(設定)も明かされている。
その後、2013年に「ハートブレイク太陽族」が朝の連続テレビ小説「あまちゃん」のコンピレーションアルバム「春子の部屋〜あまちゃん 80’s HITS〜 ソニーミュージック編」(宮藤官九郎選曲)の中に収録され、当時以下の世代にもその名が知れ渡る事となった。
【水野きみこ】
中学3年生の時、渡辺プロダクションの音楽学院(名古屋校)に入学。名古屋のスクールメイツとして活動。
1981年末、渡辺プロのオーディションを受け合格。1982年3月、上京。
同年5月、ポリドールより「私のモナミ」でレコードデビュー。 キャッチフレーズは、「は・に・か・む・キ・ミ・が・好き・な・ん・だ」。
上京してからわずか2年程の活動で芸能界を引退し、地元名古屋に戻る。 その後は、名古屋市中村区の名鉄百貨店に勤務していた。その後寿退社されたそう。
【水谷絵津子】
水谷絵津子(みずたに えつこ、本名:関谷 靖子、1967年4月18日- )は、大分県大分市出身の元アイドル。血液型:A。大分市立大東中学出身 在学中は軟式テニス部。
スター誕生!第39回グランドチャンピオン。
1982年5月21日にシングル「キラリ・涙」でデビュー。
わずか数曲しか出していない。
【新田純一】
フジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』で合格。新栄プロダクションに所属し芸能界入り。
1981年、NHK『レッツゴーヤング』で「サンデーズ」のメンバーとしてデビュー。この時期にジャニーズ事務所からスカウトを受けたが断った。翌1982年、キングレコードから「Hop・Step・愛(LOVE)」で歌手デビューした。当初はアイドル歌手として活動し、「たのきんトリオのライバル」として人気を得た。その後21歳で俳優に転身し、様々なドラマや舞台(主に時代劇)に出演。
現在も御活躍されています。
【川島 恵】
1981年4月よりNHK総合テレビの音楽番組『レッツゴーヤング』のマスコットグループ「サンデーズ」の一員としての出演を経て1982年(昭和57年)2月21日、東芝EMIより「ミスター不思議」で歌手デビュー。
その後、演歌歌手に転向。キングレコードに移籍し、1987年さいたまんぞうとのデュエット曲「東京カントリーナイト」を発売。
1989年頃に芸能界を引退されたものと思われる。

