愛されないと感じたときどうするか?

jga

愛されていないと感じたとき

自分が愛されていないということを、感じることは悲しいことです。
人間はパンののみで生きるものではなく、愛情を供給されなければ枯れてしまいます。

世の中で自分が愛されていないと感じる人はいます。愛されていないと感じた瞬間にこれは自ら愛情の供給を無視している状態です。

愛されていないという責任を自分ではなく、他者に求めていくとさらに深みにはまっていってしまいます。つまり周囲の人間が愛してくれないからいけないのだ。そちらに原因があるのだ。こういう社会がわるいのだ。こういう世の中が間違っている。そういう世の中を作った神が間違っていると、どんどんと回りに責任を求めていくとさらに、自分は愛されないという誤解を強めてしまいます。

勝手に愛情の供給源を限定していってしまう人

実際のところ、愛されないと語る人の多くは視野が狭すぎるのです。
愛されていない人間など存在しないのです。しかし、「親に愛されないとだめだ」とか「恋人から愛されないとだめだ」などと、勝手に愛情の供給源を限定していってしまう人がいます。
しかしよく考えてみてください。
別にすべての人から愛される必要はないし、別に親が愛してくれなくてもよいのではないでしょうか。恋人が愛してくれないならそれはそれでいいじゃありませんか。
ある特定の人から愛されないことを自分は誰からも愛されないと勘違いして、そして、一人で沈んでいくのは愚かでしょう。

親が愛してくれない時どうするか

人間は確かに誰かに愛されたいという思いはあります。
例えば三角関係などその最たるものです。A君がすきなのにA君は自分を好いてくれない。B君は自分を好いてくれるが、B君に好かれてもなぁ
というような状態です。この時にB君が愛してくれるという事実に対してはしっかりと愛情を感じ取るべきなのです。ここでB君の愛では意味がない。と言って「全然愛してくれない」と落ち込んでいくのはこれは、自分で愛の形を狭めていることになります。
B君が自分を愛してくれるという事実に対して自分は愛されているのだということをしっかりと自覚するべきなのです。

他の問題でもそうでしょう。親に愛されたいと思う人は多いでしょう。特に親に愛されないということはつらいことです。でもそれは確かに世の中の1人、2人に愛されないというだけのことでもあるのです。これはどこかで「まぁ愛されなくてもいいか」と割り切ってしまうと楽になります。
真面目な人ほど、親に愛されないなんて、自分はおかしいのではないか。また親が愛してくれなかったから自分は曲がってしまったのだと考えるのです。
しかしそうやっていつまでの親に執着することに問題があり、また自分の性格が曲がったことと無理やりに理由付けをしていることもあるのです。
自分の元々の弱さや、性格のまずさを親のせいにしているという面もまたあるのです。

本人の視野が狭すぎて悩んでいることもある

また東大や早慶を卒業した学生はそれなりに優秀な人間です。間違いなく同年代の上位10%くらいの優秀な人です。しかし、それでも実際は、彼氏ができない、彼女ができない。というようなことで、自分は何か欠陥があるのではないかとうじうじ悩んでいる人もいるのです。
実際はそれだけ優秀な頭脳をもってうまれたのだから、多少異性にもてないくらい我慢しろと言いたいのですが、本人の視野が狭すぎて悩んでいることもあるのです。
そういう風に自分の欲望の一つが満たされないことを拡大解釈して、自分は愛されないと思い込んでいることが非常に多いのです。

しかしながら、この世には愛されていない人などは存在しません。
むしろ愛されていないという思い込みで、自分の価値を貶めているのは自分自身であると考えるべきです。そして欲望というのはほとんどの場合達成しないことが多いのです。
これまでどれだけの人を好きになったでしょうか。そのうち両想いになって愛し合ったのはどれくらいいるでしょうか。愛し合う可能性の方がずっと低いでしょう。

細かく愛情を指定していくのは、実は、とても自己中心的なこと

こういう人は先の例でいえば、三角関係などになったときは、妥協して、自分を愛してくれる人を付き合った方がいいのです。そうすると自分は思ったよりも愛されているということがわかるでしょう。

あの人の愛じゃないとだめ、この愛情はだめ、あなたに好きになられても困る。という風に細かく愛情を指定していくのは、実は、とても自己中心的なことで、そのくせ世の中を恨むのは少し主観的すぎるでしょう。

例えば、彼氏ができない、彼女ができないとうじうじ悩んでいる人は、まぁ恋人なんてもものは無くてもいい。そんなものは別になくてもよいのだ。と開き直ってしまったらずいぶんと楽になります。別に恋愛の神には愛されていなくともそのほかに色々と愛されている分野があるのだからそれで満足しようと思った方が楽です。

人類の大多数は自分と似たような境遇

人間はとにかく何がないかを考えてしまいます。真面目な人ほど不足分を考えて、どうにかしないとと焦るのです。しかし、人間はそもそも欠落だらけで、周りを見たらわかると思いますが、目立つような才能や才色兼備の人間は実はそれほど多くありません。
毎回やっかみの対象で出てくる人たちは思ったほど数はいません。人類の大多数は自分と似たような境遇で、あれはあるがこれはない。あれもこれもないという人です。
こういう人がほとんどなのですから、毎回毎回、神から多くのものをもらっている人ばかりをやっかみの対象にするのはナンセンスでしょう。

自分の感じている苦しみは実はありふれたもの

それからどんどん視野が狭くなると自分だけがこんなに苦しんでいる。自分は特殊な苦しみを味わっているという謎の思い込みが生まれてきます。
自分で自分の不幸の複雑性を語ろうとするのです。しかしこれもあまりにも主観的な考え方です。
自分の抱えている境遇と同じ境遇の人は割とたくさんいます。
そして、誰だって同じような苦しみを抱えて同じように悲しんだり、落ち込んだりしているのです。
例えば、「大好きな彼氏と別れて本当に苦しい」というような悩みもすごくありふれたものですし、「仕事で大失敗して責められた」というのもとてもありふれているのです。
苦しんでいる最中は自分のことで精一杯ですので、「自分だけ苦しい」と思うのですが同じような苦しんでいる人は星の数ほどいるのです。

深刻さが悪循環を招くこともある

人間は心を病むこともありますが、まぁそれも一つの試練でしょう。まぁ心というのは確かに病みますが、あんまり深刻に考えないことも大切です。

ひどく落ち込むとリストカットをしたりすることもあるでしょうし、自殺未遂をしたりすることもありますが、人生にはそういう時期もあるのだ。少しずつ時期が来るのを待とうとあまり深刻に考えないことが大切です。心を病んでしまうとどんどんと自分で「こんなに病んでいるまずい!」と焦って深みにはまっていくのです。

ですから「まぁ病んでしまったものは仕方ない。そういうときもあるがまぁなんとかなるだろう」と楽観的に考えた方が楽になります。
あまりに自己卑下の思いや、自己嫌悪が強いと今度は、それが自分を破壊するエネルギーになってしまい、さらに悪循環に陥りますのでこういう落ち込んでいるときこそ、客観的な視野で考えることが大切です。

たとえば、100万円貯金を持っていたとします。そこから50万円を支払わないといけないと思うと憂鬱になります。しかし、そもそもすでに100万円を持っていたのですから、そもそも何の貯金もない人よりは多くを持っていたのです。
世の中には恵まれているのに、そのことを当たり前であると勘違いする人が多いのです。
人は何かを失うことを極度に嫌がります。しかし実際はすでに恵まれていた可能性もあるのです。病んでいる人は自分の視野が極端に狭くなっているのだと自覚する必要があります。

別になくてもよい。そんなものなくてもよい。と思うことで多くの苦しみはなくなる。

人間は多くのものを欲しがり、そして、その欲望が満たされないことを悩んでいるのです。しかし欲望を満たすために人間が生きるのではありません。無限の欲望を満たすために走り回るのが人間の生きる意味ではありません。
多くの欲望に対して、叶わぬともよいと思いその欲を捨ててしまえば楽になります。
あれもこれもいらぬ。なくてよい。と思い捨ててしまうことです。
「まぁ、なくてもよい」と開き直ることです。こうすることでそれまでの「あれがない限り自分は幸せになれない。」「何としても欲しい」という固定概念から解放されるのです。
そうして今度は別の目的が固まればよいのです。大切なことは自分は人生において何を成し遂げたいのかということを明確にすることです。人生において何をもって自分の人生勝利とするかという目標を明確にすることです。
簡単にいえば、「これを為せばたとえ死すとも後悔はない」というものを明確にすることです。これはきっと個人の欲望を満たすこととは異なるでしょう。
多くの目標が出てくるのならばまだそれは多種多様の欲望にすぎません。人間が生まれてきたからには何かこれを為すために生まれたというものがあるはずです。
それは自分にとって何か。という問いを明らかにすることが肝要です。

「欲望」ではなく「大志」を抱くこと。

またそうすれば、その自分の使命を達成することが人生の目的となります。そして同時に自分を捨てていくのです。自分を守り、自分の欲を満たすことを捨てるのです。
「自分などどうなっても構わぬ」と開き直れば細かなことで毎回気を病むこともないのです。自分のことを考えすぎるから、細かいことにまでこだわりが生まれてしまうのであり、自分のことは後でよい。と思えば細かいことは考えなくなります。
心を病む人はあまりにも自分のことを考えすぎているのです。自分のことで頭がいっぱいだからこそ細かい取るに足らないことで悩むのです。
もし大きなことを成し遂げたいならば自分を捨てることです。自分を捨てて、大志の達成に全力を注ぐことが肝要です。
人間は心の奴隷として生まれます。心の奴隷とは数々の欲望に振り回されることです。しかし、本当に自分が望んでいることは、個々の欲望を満たすことではないと気づくことが大切です。個々の欲望は、時間とともに変化し続ける無為なものであるから、その欲望を満たした、満たしていないとのは人生において決定的な価値を持たない。では決定的な価値をもたらすものとは大志である。人間が生まれたときにもってうまれた役割、使命である。これにまず気がつくことが大切です。そしてその役割、使命を果たすことをもって人生に勝利したか否かが出てくるのだ。こうすることで自分を捨て、心の奴隷から解放されるのである。

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2016年08月05日