安保公聴会にSEALDsメンバー 民主が推薦 SEALDsというヘイトな人々

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参院平和安全法制特別委員会は14日の理事会で、安全保障関連法案に関する15日の中央公聴会で意見表明する「公述人」として、法案に反対する学生グループ「SEALDs(シールズ)」の中心メンバーで明治学院大4年の奥田愛基さんら6人を招くことを確認した。

安保公聴会にSEALDsメンバー 民主が推薦

参院平和安全法制特別委員会は14日の理事会で、安全保障関連法案に関する15日の中央公聴会で意見表明する「公述人」として、法案に反対する学生グループ「SEALDs(シールズ)」の中心メンバーで明治学院大4年の奥田愛基さんら6人を招くことを確認した。奥田さんは参院事務局の公募に応じた95人の中から民主党が推薦した。
安保公聴会にSEALDsメンバー 民主が推薦 (産経新聞) – Yahoo!ニュース

SEALDS 奥田愛基

【安保法案】SEALDs・奥田愛基さん中央公聴会に 「路上に出た人々が社会の空気を変えた」

安全保障関連法案を審議する参院の特別委員会は9月15日、採決の前提となる中央公聴会を開き、与野党が推薦する6人の公述人が意見を述べた。
【安保法案】SEALDs・奥田愛基さん中央公聴会に 「路上に出た人々が社会の空気を変えた」(全文)

このうち、安保法案に反対し、毎週末などに国会前でデモをしている明治学院大学生で学生団体「SEALDs」の奥田愛基さんは「国民投票もせず、解釈で改憲するような、違憲で法的安定性もない、そして国会答弁もきちんとできないような法案を作ることなど、私たちは聞かされていない」と批判し、廃案にすべきと訴えた。また、デモについて「新しい時代はもう始まっています。もう止まらない」と話し「政治家とはどうあるべきなのかを考え、この国の民の意見をきいてください」と話した。
【安保法案】SEALDs・奥田愛基さん中央公聴会に 「路上に出た人々が社会の空気を変えた」(全文)

また、蓮舫議員(民主)から「安倍首相に言いたいことは」と質問され「このまま強行採決することは国民を無視する行為だと端的に思います。憲法解釈を変えるのではあれば、国民投票で国民の意思を問うて下さい。このまま通してしまうのは採決以前の問題でしょう。そして、もしよろしければ国会前の抗議を見に来ていただけないでしょうか」、
【安保法案】SEALDs・奥田愛基さん中央公聴会に 「路上に出た人々が社会の空気を変えた」(全文)

川田龍平議員(維新)の「仮に成立しても終わりではないと思うが、どうするか」に対しては「今の状況は、政治家に任せていられないと声が上がっているんです。主体的に連続的に各地で起こっているわけですよね。主体的に考え、動いている人たちは止まらないと思うんです。今の段階でさえも、問われている当事者だと言い切れますし、主権在民という国家に生きているのであれば、次の選挙でも我々が当事者だと思います」と答えた。
【安保法案】SEALDs・奥田愛基さん中央公聴会に 「路上に出た人々が社会の空気を変えた」(全文)

SEALDsの「仮面」を剥ぐ

参院で審議中の安保法案への抗議活動を続ける学生団体「SEALDs」。デモの参加者を水増ししたり、現政権を口汚く罵ったりする彼らは、権力と対峙し、反体制を謳う「反骨」な自分に酔いしれているだけではないのか。SEALDsの「仮面」を剥ぐ。
SEALDsの「仮面」を剥ぐ

時流に沿った勢い

SEALDsの歴史的意味を過小評価するな

SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy/自由と民主主義のための学生緊急行動)が話題になっている。ところがその実態をよく知らず、あるいは知ろうとせずさまざまな憶測が流されている。
SEALDsの歴史的意味を過小評価するな

意図的で歪められた内容の報道やツイッターの書き込みもある。たとえばSEALDsを背後で動かしている組織があるなどという報道は、悪意ある典型だ。「調査なくして発言権なし」。評価は自由だが、まず基礎的知識として事実から出発することだ。
SEALDsの歴史的意味を過小評価するな

SEALDsに集った学生たちは千差万別、先天的に政治性をおびていたわけではなかった。参議院議員の有田芳生はSEALDsが戦後の日本で続いてきた社会運動の文化を確実に変えていると評価する。
SEALDsの「仮面」を剥ぐ

わたしは何人かの中心メンバーに話を聞いた。これまで政治に関わったことはあるかという問いに、24歳の女子学生はこう語った。「人生で最初の経験です」。さらにご両親はと聞くと「父も母も政治には関わってきませんでした」という。同席した男子学生もうなずいた。メンバーの中心に、ヘイトスピーチ(差別の煽動)に抗議する現場でみた顔もあった。それとてことさらに取り立てて言うことではない。メンバーは千差万別、先天的に政治性をおびていたわけではない。
SEALDsの歴史的意味を過小評価するな

公安当局はSEALDsの人脈を調べたという。背後に組織やセクトがいないか――それが調査対象だった。結果は「シロ」。しばしばメディアの取材を受けている奥田愛基(23歳)はこう語っている。「僕はツイッターでも書いていますが、民青も共産党も嫌いだし、シールズを立ち上げるときに周辺に革マルや中核がいないかって調べて、そのへんの人たちとは距離を置きましたよ。だって怖くないすか、そういうの」。
SEALDsの歴史的意味を過小評価するな

SEALDsは、日本の戦後70年間の自由と民主主義の伝統を尊重し、日本国憲法のもつ価値を守りたいという理念を共有している。特定のイシュー(問題、論争点)に特化するのではなく、立憲主義、安全保障、生活保障など、包括的なアクションを目指して活動している。いわゆる「改憲か護憲か」という議論ではなく「立憲主義」という近代国家に不可欠な価値を根拠に、自民党改憲草案や解釈改憲に反対していくという。
SEALDsの歴史的意味を過小評価するな

組合など組織が前面に出たデモや集会では、いまもかつてもこんな光景が日常的だ。「シュプレヒコール!」「おーっ!」「われわれは○○を許さないぞー!」――こうしたアピールは、戦前、戦後から変わることなく続いてきた。ところがSEALDsはそうではない。ラップ調のリズム感あふれたかけ声はとても新鮮だ。渋谷で行われた高校生のデモ(8月2日)で、中年女性がそのスタイルを真似していたが、テンポがとても追いつかない。近くで聞いていて御愛嬌だった。SEALDsは戦後の日本で続いてきた社会運動の文化を確実に変えている。
SEALDsの歴史的意味を過小評価するな

スローガンやシュプレヒコールは論文ではない。現場の言葉は「なまもの」であって「干物」ではない。ひとの心に届く言葉とは単純にして明解でなければならない。確信ある言葉でなければ届く前に揮発してしまう。SEALDsの多くの学生たちが本気で運動に参加していることは、その様子を観察していればすぐにわかる。
SEALDsの歴史的意味を過小評価するな

国会前の集会でムードを作ってきたのは、SEALDsの持つ時代の流れに沿った勢いなのだ。もちろん戦後の長きにわたって、いまでは中高老年の年齢になった世代の、何十年にもわたる民主主義を実現するための地道な営みがあったことを忘れてはならない。その土壌のなかから新しい社会運動としてのSEALDsが誕生した。意図せずして時代の先端に押し上げられたSEALDsの歴史的意味を、たとえ嫉妬や批判があったにしても、過小評価するべきではない。
SEALDsの歴史的意味を過小評価するな

開いた口が塞がらない

国会前デモは来を担う学生たちに注意を払って来なかった我々大人たちに対する異議申し立てだ―。サヨクウオッチャー、中宮崇が学生たちをたぶらかすサヨクな大人を一刀両断する。
SEALDsの「仮面」を剥ぐ

学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

学生団体「SEALDs(シールズ、自由と民主主義のための学生緊急行動)」が、8月30日の国会正門前「戦争法案反対」デモに、警察発表で3万人の動員に成功したそうだ。かつての安保闘争の時代ならいざ知らず、若者が今時それだけのことを成し遂げるとは、それだけでも称賛に値する。学生たちが自らのそうした行動力を伸び伸びと健全に成長させることに、我々大人たちが適切に手を貸してやれるのであれば、いくら少子高齢化などと騒がれていても日本の未来は安泰だ。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

しかし現実は、そうした理想から程遠い。彼らに群がるサヨクな大人どもは、学生たちの行き過ぎや悪事を咎めるどころか、テロや差別をそそのかし、「革命」等の自らの歪んだ目的のために若い芽をスポイルすることに余念がない。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

デモの動員目標人数を10万人と事前に大風呂敷を広げていたせいか、警察発表人数の4倍もの12万人を「主催者発表」人数として「大勝利」を宣言したことも、それだけであれば若気の至りとして見逃せる程度のことだ。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

本来であれば、学生に群がるサヨクな大人どもが、過剰な目標人数設定の見通しの甘さと、まるでかつての大本営による戦果発表のような希望的観測のみに基づいた無根拠な水増しした数字を元に「大勝利」と騒ぎ立てることを諌めるべきなのであろうが、そこまでは求めまい。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

何しろ、そのサヨクな大人ども自身が、伸び伸びと増殖し続けている支那による南京大虐殺被害者数のごとく、常日頃デモや集会の「主催者発表」を十倍以上も水増しして自らの戦果を誇る不誠実さを本能とするような連中なのだから。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

そんなサヨクな大人どもの邪悪さは留まるところを知らない。当初主催者発表で12万人だった参加人数が、誰が水増しをしたのか、その日のうちに35万人と、警察発表のなんと12倍まで急膨張したのだから驚きだ。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

SEALDsのツイッターアカウントのつぶやきは「今日の国会前抗議、のべ人数35万人だそうです!!!!!」となっており、「だそうです」ということは誰かが学生たちの「12万」という過大な数字を諌めるどころか、更に空想的な数字を吹き込んだことを示唆している。理性と良心を説くべき大人が、逆にそれらの放擲を煽っているのだ。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

デモに参加したサヨクな大人たちの中でも、法政大学教授という教育者の立場にある山口二郎の言動は特に、学生たちに理性と良心の放擲をそそのかす、驚くべきものであった。何と彼は学生たちの前で、「安倍に言いたい!お前は人間じゃない!叩き斬ってやる」と、差別やヘイトスピーチどころか、殺人を宣言したのだ。しかも山口は信じられぬことに、法学部の教授だというのだから開いた口がふさがらない。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

その場でこの人殺し宣言を聞いていた参加者はもちろんのこと、デモを肯定的に報じる朝日新聞等のサヨクメディアも、山口のこの恐るべき発言を全く批判していない。今後在特会等が「支那人、朝鮮人は人間じゃない!叩き斬ってやる!」と言ったとしたら、どのようなロジックで彼らの行動を諌められるというのか。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

少なくとも、山口や彼の発言を見てみぬふりをしている朝日新聞等のサヨク連中には、在特会を批判する資格など永遠に失われたことは、幼児の目にも明らかであろう。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

しかし問題はそんなことではない。我が国の、いや世界の未来を担うべき学生たちにまでそのような邪悪な言動をお手本として見せつけることが、人類の未来にとってどれほどの損失、いやマイナスになるか計り知れない。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

ヘイトスピーチの法政大学教授 山口二郎

山口は8月26日にツイッターでこうつぶやいている。
「日本政治の目下の対立軸は、文明対野蛮、道理対無理、知性対反知性である。日本に生きる人間が人間であり続けたいならば、安保法制に反対しなければならない」
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

呆れた思い上がりだ。自分こそが「文明」であり「道理」であり「知性」であり、そのオレサマに反対するやつらはことごとく「野蛮」な「反知性」だと言うのだ。幼児にさえも通じないであろうそのような野蛮なタワゴトで学生たちをたぶらかすサヨクな大人どもこそ、人類の敵である。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

余談ながら、山口の「反知性」という用語の使い方自体、私を含め最近多くの人々が指摘しているよう、「反知性主義」という概念を提唱したリチャード・ホフスタッターの定義からかけはなれた、恣意的で間違ったものである。学者としての能力や良心にも疑問を持たざるを得ない。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人どものこの種の言動は、他にも一々列挙していけば、本一冊に余りある。デモそれ自体が、デマで学生たちに道を踏み外させるための暴力装置と化していたと言っても過言ではない。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

ただ残念なのは、保守勢力からの国会前デモ批判の多くが、学生たちに対する批判や揶揄に留まっているという事実である。サヨクな大人どもが将来ある学生たちを容易にたぶらかし悪の道へ誘うことができるのは、保守勢力が学生たちに対し、魅力的な活動の場を提示できていないからではなかろうか。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

何も政治活動の場を提供しろと言うわけではない。学業やアルバイト、恋愛、友達付き合い等、今の学生たちが安心して充実した学生生活を送れる条件が、果たして十分整っているだろうか。ブラックバイトやうなぎのぼりの学費、生活費、卒業後重くのしかかる「奨学金」という名の借金等、我々大人たちは、彼ら学生たちを余りにも蔑ろにし続けてきたのではなかろうか。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

国会前デモは、「戦争法案」に反対する行動と見るべきではない。将来を担う学生たちに注意を払って来なかった我々大人たちに対する異議申し立てとして捉えるべき事件なのだ。
学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人ども

「8.30国会前」多くても3万人

国会議事堂周辺で2015年8月30日に行われた抗議行動は、安全保障関連法案に反対する運動としては過去最大規模になった。「最大規模」なのは確かだが、参加者数を見出しに取った新聞は皆無だ。主催者発表と警察の調べとで大きな差があるためだ。
SEALDsの「仮面」を剥ぐ

ネット上では、早くも「検証」を試みる画像も出回り始めている。デモを主催した「戦争させない・9条壊すな!総がかり運動実行委員会」は、参加者数を約12万人と発表した。警視庁は警備の人員配置の参考にするために参加人数を集計・把握しているが、発表はしていない。
SEALDsの「仮面」を剥ぐ

各社は「警察関係者によると、国会周辺だけで参加者は約3万3000人」(朝日新聞)といった具合に、警視庁調べの参加者数を3万〜3万3000人程度だと報じている。それ以外に、都内の大学生らでつくる団体「SEALDs(シールズ)」は、ツイッターのアカウントで「今日の国会前抗議、のべ人数35万人だそうです!!!!!」と「35万人説」を唱えた。
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日本の「リベラル」は死んだ

8月30日、国会議事堂前での安保法案抗議集会で、山口二郎法政大教授は安倍晋三首相に対し「お前は人間じゃない」との暴言を吐いた。時代劇の決めぜりふからの借用らしいが、現代の人権感覚からすれば、それは明らかに、安倍晋三という一個人に対する言葉の暴力である。
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反安保法案運動が始まって以来、映画監督の宮崎駿氏は安倍首相のことを「愚劣」と罵倒し、日本学術会議前会長で専修大教授の広渡清吾氏は7月末に安倍首相のことについて「バカか嘘つきか」と二者択一の手法でののしった。
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そして学生団体「SEALDs(シールズ)」の中核メンバーの奥田愛基氏に至っては、8月の連合主催の国会前での安保集会で「バカか、お前は」と罵声を安倍首相に堂々と浴びせた。
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こうした中で反安保法案運動はそのしかるべき趣旨から逸脱して理性と節度を失い、単なる安倍首相に対する「怨念の個人攻撃」へと変質した。このような「平和運動」はもはやその名に値しない。言葉の暴力を平気で振るうような人間たちに、「平和」を語る資格はどこにあるのか。
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さらに問題なのは、前述のような発言に対し、反安保法案運動の陣営から内部批判も自己反省もいっさい聞こえてこないことだ。日本の「保守」とは対極の「リベラル」を代表するような新聞などもそれをいっさい問題視していない。
SEALDsの「仮面」を剥ぐ

このような異様な事態はむしろ、日本のリベラル全体において基本的な人権感覚がまひしていることを示している。言葉の暴力を容認するような「リベラル」はリベラリズムと言えるのか。 奥田氏や山口氏の暴言が吐かれたその日、そしてそれを容認してしまった時、日本の「リベラル」はすでに死んだ。
SEALDsの「仮面」を剥ぐ

今から26年前、私の世代の多くの中国人青年が北京の天安門広場でそれこそ命がけの民主化運動を展開した。しかしわれわれは、本物の独裁者のトウ(登におおざと)小平に対しても「お前は人間じゃない」といった暴言を吐いたことはない。
SEALDsの「仮面」を剥ぐ

われわれはただ、民主化の理念を訴えただけだった。だから、民主化運動がトウ小平の解放軍に鎮圧されたとしても、われわれには誇りが残った。
SEALDsの「仮面」を剥ぐ

民主主義社会の中で「鎮圧」される心配のない日本の反安保法案運動に参加している皆さんも、このような誇りを持ってしかるべきではないだろうか。
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SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

8月30日、国会前広場で大規模な反政府デモが行われた。これは中核派など反社会的勢力を含む日本全国の様々な反政府組織や団体などが連携して行ったものである。一部メディアなどは「反政府学生組織SEALDs」を中心に取り上げているが、実態としては共産党や労組による組織動員がメインであり、学生運動世代が中心となって行ったものであるといえよう。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

また、今回のデモにおいては、その報道のあり方に大きな疑問符が付けられるものであったともいえる。メディアを通じて、嘘が全国や世界に垂れ流された側面があり、悪質な宣伝活動に加担したメディアの存在が明確化したものであったともいえる。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

今回のデモの参加者人数であるが、主催者は12万人、SEALDsはTwitterで35万人、警察は3万人としているわけだが、主催者発表だけを報じていたメディアが多数存在したのである
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

国会前の広場は公開空間であり、劇場のように出入口が決まっていないため、明確な人数を測ることは難しい。しかし、実は面積からおおよその収容限度を計算することが出来るのである。国会前の広場の面積は約4万平米。そこから池や樹木など人が立てない部分を除くと3割程度になり1.2万平米が有効面積であるといえる。この1.2万平米に平米あたりの収容人数をかければ自ずから収容限度が導き出されるのである。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

収容限度は部屋や電車など壁のある密閉空間と公開空間で計算基準が大きく異なるわけだが、警察などが用いる公開空間の算定基準では混雑で平米1.2人であり、平米3人を超えると行列が止まりだし、将棋倒しなどの危険が生じるとされている。このため、混雑状態では回転が期待できるがそれを超えると回転しなくなるという構造であるため、精々3-4万人が国会前の物理的収容限度であるといえる。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

つまり、4万人を大きく超える数字は科学的に嘘であるといえるのだ。1リットルのペットボトルに3リットルの水は入らない。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

これは子供でもわかることである。主催者発表だけを垂れ流す報道は1リットルのペットボトルに3リットルの水が入ると宣伝しているようなものなのである。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

そして、メディアの問題はこれだけにどどまらない。今回のデモであるが、その主催者と責任が不明確であり、この点に関して疑問を呈したメディアが存在しなかったことは大きな問題である。どんなイベントでも主催者には、善管注意義務や安全管理義務などの責任が存在する。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

そして、事故が起きた時などの責任の所在を明らかにする義務がある。またカンパなど資金集めを行っているため、その資金の透明性と会計の責任を明示する必要もある。これは任意団体だから許されるものではない。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

今回のデモの主催者は「総がかり行動実行委員会」とされているものの、HPを見る限り、複数の任意団体の集合体であり、ガバナンス体制などが全くわからないのである。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

また、今回のデモに対して、反社会的勢力でありテロ組織である中核派がHPなどを通じて参加を呼びかけていたこともわかっている。このような危険を排除するのは主催者の義務であり、これが不完全であることを報じるのが本来のメディアの役割であるといえる。今回、これに関する報道は皆無であったと言っても良いだろう。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

また、本質的な問題として、デモの日時や場所について疑問を呈さないのも大きな問題である。基本的に日曜の国会にいるのは、僅かな数の見学者と国会を守る衛視さんぐらいのものである。国会周辺にはデパート等商業施設はなく、図書館があるぐらいでほとんど人は居ない。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

また、日曜は審議がないため、国会議員はいないに等しい。知られていない問題や自らの意見を社会の知らしめるという本来のデモの意味からすれば、日曜に国会前でデモを行うことは単なる自己満足に過ぎず間違っているといえよう。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

しかし、彼らはこのデモに意味を持たすことが出来た。何故ならば、メディアを利用することを前提に考えていたとおもわれるからである。これは呼びかけ団体の一つである共産党の機関紙「しんぶん赤旗」のHPを見れば一目瞭然であり、事前報道も含め国内外のメディアの取り上げ方を大きく報じており、一つの実績として宣伝しているからである。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

これに関しては、記者や報道機関が自ら連携したのかそれとも単に利用されただけなのかわからないが、このような行為は本来の報道の役割を大きく逸脱したものであり、これを批判する報道がないことが日本の大きな問題であると思われる。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

すでに、インターネットにより報道のあり方も変わらざる得ない時代が訪れているのも事実である。今回のデモに関して、空撮写真から国会前の人数を数えた人がおり、あくまでも瞬間的な数字でしかないがほぼピーク時でも4500人程度しかいなかったということが明らかにされている。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

そして、この事実が証拠写真とともにTwitterにより拡散され、主催者と一部メディアへの嘲笑の対象になっているのである。すでに、情報は一部のメディアの独占物ではなくなり、嘘が簡単に暴かれる時代になっているのである。そして、この傾向はどんどん強まってゆくだろう。
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

最後に、子供の頃、祖父から繰り返し言われた言葉で締めたいと思う。
「嘘付きは泥棒の始まり、お天道さまはいつも見ている」
SEALDs大規模デモ 主催者に利用され続けたメディア

「政治はブスがやるもの」というイメージ変えたSEALDs女子のオーラ

誤解を恐れず言えば。女性の政治参加が進まない一因に「政治はブスがやるもの」イメージの浸透、というのがあると思う。
もしくは「自己顕示欲の強いミスコンorタレント崩れの、中途半端に自力で『美人オーラ』を放つオンナ」・・みたいな(笑)
(もちろん実際にはかわいくて素直で能力の高い議員も沢山いますが、あくまで一般的なイメージとして、です)
「政治はブスがやるもの」というイメージ変えたSEALDs女子のオーラ

まあ、リア充してたら、「社会に不満を持つきっかけ」や「政治に関心を持つ機会」も少ないという傾向はあるのだろうし、「こっちの世界に入っちゃったら、二度と戻れない」みたいな迫力を、おしゃもじおばさんたちが発するのを見て、ちょっと行けないな、と思う若者たちがいても不思議とは思わない。
つまりは・・・政治活動をすると「圧倒的にモテなさそう」なので、それとつるむと自分も「モテなくなりそう」。
「政治はブスがやるもの」というイメージ変えたSEALDs女子のオーラ

たぶん多くの「恋愛もしたいし、結婚もしたい」と思っている若い女の子たちには敷居が高い分野だったのだと思う。ところが。
「SEALDs」女子の登場は、そこを良い意味で裏切ってくれた。以前にも書いたけど、リア充な若者は政治について不満を持つことはない。
が、安保法制はそれを越えた、彼らの生活に大きな不安をもたらている、というのが大きいのだろう。
「政治はブスがやるもの」というイメージ変えたSEALDs女子のオーラ

彼女たちは美人であろうが、かわいかろうが、その活動は別に自己顕示欲でやっているわけでないところも受け入れられるんだと思う。
つまり、ちょっと可愛い女子が政治業界に登場すると。どこかに「自己顕示欲」の悪臭…香水つけ過ぎ、プンプン・・一緒に3分もいられない!というのがあって、特に同性はそういうことを敏感に感じるので、輪が広がらない。
「政治はブスがやるもの」というイメージ変えたSEALDs女子のオーラ

が、「SEALDs」の彼女たちが醸し出すオーラはそれとは違い、「もっと一緒にいたい」と思わせるもので、「彼女たちと友だち」というのはステイタスになる。
そういう意味では安保法制という実に残念な形ではあるものの、「女性の政治参加」などとお題目を唱えなくとも、こうして新たな人材の芽が伸びて来てくれていることには希望を感じるのである。
「政治はブスがやるもの」というイメージ変えたSEALDs女子のオーラ

ただでも、まさにここから、なんだと思う。
まっすぐ育ってほしいと思うけど、狡猾な大人たちに利用されたり、下手に「アイドル」的祭り上げられ方して舞い上がったり。
内部分裂(たいていは恋愛のこじれから笑)して互いを批判し合ったり・・そんなことにならないようにと願っております☆彼女たちの年齢見ると、意外には幅広なんだね。10代から20代後半まで。
「政治はブスがやるもの」というイメージ変えたSEALDs女子のオーラ

26歳の子の演説聞きながら、自分のその頃考えたら、結婚して子ども産んでたな〜と思うと、年齢的な縛りで人生の選択をしなくてよくなっていることは、行動の幅や機会も拡げているんだろうな、と率直な感想として思う。
「政治はブスがやるもの」というイメージ変えたSEALDs女子のオーラ

https://matome.naver.jp/odai/2144254304339876601
2015年09月19日