武田鉄矢氏 戦争と日本の政治 『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命』片山杜秀 著

スイカのタネ
武田鉄矢、今朝の三枚おろし。未完のファシズム: 「持たざる国」日本の運命 (新潮選書) を読む。片山 杜秀 著(かたやま もりひで、1963年 – )(新潮選書、2012年)司馬遼太郎賞受賞
未完のファシズム: 「持たざる国」日本の運命 (新潮選書) を読む
片山 杜秀(かたやま もりひで、1963年 – )(新潮選書、2012年)司馬遼太郎賞受賞
徳富蘇峰 (とくとみ そほう)
1863年3月14日〜1957年11月2日
評論家、歴史家。肥後藩郷士の子。熊本洋学校に学び、同志社英学校に移るが退学。熊本に戻り大江義塾を設立する。『将来之日本』(1886)で好評を得て上京、民友社を創設。『国民之友』『国民新聞』を発刊し平民主義を唱えた。その後国権主義へと転換し、明治30年(1897)松方内閣の内務省勅任参事官に就任、桂内閣にも深く関与した。昭和4年(1929)国民新聞社を退き大阪毎日新聞の社賓となる。17年日本文学報国会・大日本言論報国会会長、18年文化勲章。敗戦後A級戦犯容疑者に指名され公職追放。27年『近世日本国民史』100巻を完成させた。
複葉機
小畑敏四郎(おばたとしろう)陸軍中将
1885年(明治18年)2月19日 – 1947年(昭和22年)1月10日。陸軍中将、留守第14師団長
ニコライ二世一家の最後
ニコライは1894年に、ロシア帝国ロマノフ王朝の第18代皇帝ニコライ二世として即位したが、日露戦争で破れ、1917年の二月革命 (三月革命) で皇位を追われてシベリアのエカテリンブルクに流された。
翌1918年に、アレクサンドラ皇后 (当時46歳。ニコライ二世は50歳)、皇女オルガ (23歳)、皇女タチアナ (21歳)、皇女マリア (19歳)、皇女アナスタシア (17歳)、皇太子アレクセイ (14歳) と4人の従者とともにボルシェビキに処刑された。
石原 莞爾(いしわら かんじ)陸軍中将。アダナは「帝国陸軍の異端児」
1889年(明治22年)1月18日 (戸籍の上では17日)- 1949年(昭和24年)8月15日。
関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者であるが、のちに東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気のため戦犯指定を免れた。

統制派(とうせいは)……昭和初期、陸軍内で皇道派に対立した派閥。永田鉄山・東条英機らが中心で、直接行動を唱える青年将校の運動を封じ、一元的統制の下での国家改造を目ざした。二・二六事件以後、軍部の指導権を握った。

■スカイライン伝説


https://matome.naver.jp/odai/2137095690602482401/2137152774035538203
1970年のスカイラインは「愛のスカイライン」と呼ばれた

ここで武田鉄矢氏が言っている通称:ケンメリは1972年9月発売の4代目 C110型(1972年-1977年)日産・スカイラインのこと。

http://www.youtube.com/watch?v=xxUKVbIar7U
https://matome.naver.jp/odai/2137095690602482401
2013年06月18日