【科学者の卵におすすめしたい書籍】ルクレティウス 物の本質について

koitate2016
眼を上げてみたまえ、空の鮮やかに澄み切った色を。又、天空の抱いているあの方々を彷徨い歩く星を。又月を、又太陽の輝く光を。

暗示に対して耳と目を閉じないタイプの学者ならば、ルクレチウスのこの黙示録から、おそらく数限りない可能性の源泉をくみ取る事ができるであろう。少なくもあるところまで進んで来て行き詰まりになっている考えに新しい光を投げ、新たな衝動を与える何物かを発見する事は決して珍しくはあるまいと思うのである。
『ルクレチウスと科学』寺田寅彦

ルクレチウスの書によってわれわれの学ぶべきものは、その中の具体的事象の知識でもなくまたその論理でもなく、ただその中に貫流する科学的精神である。この意味でこの書は一部の貴重なる経典である。もし時代に応じて適当に釈注を加えさえすれば、これは永久に適用さるべき科学方法論の解説書である。またわれわれの科学的想像力の枯渇した場合に啓示の霊水をくむべき不死の泉である。また知識の中毒によって起こった壊血症を治するヴィタミンである。
『ルクレチウスと科学』寺田寅彦

共和制ローマの詩人兼哲学者ティトゥス・ルクレティウス・カルスの作品です。

ご存知の方はかなり少ないかと、読んだ方はもっと少ないと思います。

物理学者の寺田寅彦が、おすすめしていた書籍です。

☆物の本質について(ルクレティウス・羅)事物は断じて神々から生じたものではなく原子と空隙により構成されている。原子は流れ、衝突し、編成されそれが事物の態様を決定する。音、映像、臭いそして我々の精神もまた原子であり、我々の死は生命を構成する原子の体内からの流出に他ならない。
樋口勝彦訳 ルクレーティウス「物の本質について」岩波文庫 目を通してみたが、

とりあえず不完全でも最後まで目を通そうと思って頁を繰ったのみで内容はほぼ弁えないが
彼は原子論から宇宙の法則に思いを致し、「世が神の思惟によって動くのでなく自然の法則で動く」と言いたかったのか。それで…

ライチ@letchi_litchi

ルクレティウス「物の本質について」
『1417年、その一冊がすべてを変えた』を読んでから絶対に読むと決めていた本。キリスト教が支配する15世紀、1人の古文書オタクが古代ローマ時代のこの本を写本した事で唯物論が広まった。その本を現代日本で手にして読める幸せ。浪漫すぎる。#読了 #読書記録 pic.twitter.com/8fxPnqVp8P

狂える波によりて岸辺に打ちつけられし水夫の如く、
人の子は母の胎内より世の明るみの中へ、
自然によりて荒々しく押し出されし時より、
言葉も知らず生きる便りも持たで、
あわれや裸にて地上に横たわれり。
彼はその生れし場所を、
泣き叫ぶ声もて満たしき。
その泣くやむべなり。不幸なる者よ。
汝には生涯苦しむべきものあまたあり。

しかるにもろもろの動物は、
大いなるも小さきも、
また猛獣の子も、難なく生い育つ。
からからと鳴る玩具も、乳母の優しき言葉も用なし。
四季折々の着物もいらず。
武器も、高き壁も、彼らの室を守るに要なし。
何となれば、大地とたゆまざる自然とは、
豊かに彼らの欲するものを与うればなり。

我らの死後に、時我らの亡骸を集め、
それを材料として今日と同じ形のものを再び造り成し、
これに生命の光を返すことよしありとするも、
想出の糸一度び絶えたる上は何にかはせん。

人は霊魂の性質について知るところなし。
そは肉体と共に生れたるや。それとも、
肉体が生れたる時これに入れられしにや。
そは死によって我々と共に滅びるや。
或いは独り暗き地獄、空虚なる国に赴くや。
或いはまた、神のために、他の獣の体内に入れらるるや。

かくのごとく、時は歩みつつ、万物の運命を変う。
かつて尊ばれしもの今やさげすみの内に落ち、
別のもの、それに代りて、さげすみの中より出ず。
日ごとに、人々は、ますます新たなるものを求め、
新たなる発見は、あらゆる賞賛を得。
人々の軽々しくそれを信ずること驚くにたえたり。

諸感覚は決して我らを欺かず。
もし理性が、何故に物近くにあれば角あり
遠くにあれば円く見ゆるかを、説明しえざるならば、
如かじ、この二つの現象に、
嘘の解釈にてもよし案じ出して与えんには。
ゆめ、手の中より明証をとり逃すべからず。
ゆめ、最初の所信を捨つべからず。
我々の生命と存続とがよって立つところの、
あらゆる信頼の基礎をくつがえすべからず。
何となれば、感覚を信じて谷を避け、
またその他さまざまの危害を避けざるならば、
たんに合理性のみならず全生命が、
たちどころに崩れ去るべければなり。

ここに一軒の家を建つるに、もし、
定規に曲りありて正しき角度を与えざれば、
また水準器に少しなりとも狂いあらんには、
必ずすべては曲り傾き
一部は早くも崩れ落ちなんとす。
やがては全部、ただ始めの過ちのために、崩れはてなん。
同様に、我らの判断もまた、ことごとく、
必然的に誤謬のみならん。そは、
すべて、我らの誤れる感覚の所産なればなり。

それらの物始めて人々の前に現われ、
突如として彼らの眼を射たりとせよ。
人はそれらを何ものにもくらべ得ざるべし。
そはかつて夢にだに思い見ざりし物なればなり。

心もし不徳より清められずば、
内なる敵をいかでか防ぎうべき?
いかなる憂い、いかなる恐れに、
煩悩の男は、その身を裂かれざる?
誇りや驕りや又憤りが、彼の心に、
いかなる悶えと怠りとをもたらさざる?

恐怖と憂鬱とはその身を去らねども、
武器のひびきも刀槍の光も恐るることなし。
黄金の光をもあえてはばからず、
王侯貴人の許に平然として坐せり。

時の荒々しき攻撃が肉体を弱らせ、
四肢にあふるる力を奪いゆく時、
判断もよろめき、舌ももつれ、
機知もまた消えゆくなり。

シュリ・プリュドム…フランスの詩人。ルクレティウスの『物の本質について』をフランス語に翻訳し、哲学や科学の調和を図ろうとした業績で、トルストイが存命中にも関わらず第1回ノーベル文学賞の受賞者となった。代表作に詩集『スタンスと詩』や『壊れた花瓶』。1901年にノーベル文学賞受賞。
気になってた本、近所の本屋にあって良かった〜
内容は原作の動画である程度わかってるけど、書籍化で新たについた挿絵がいい感じ
『物の本質について』の挿絵が一番好き

#奇書の世界史 pic.twitter.com/18PuJKhyjT

https://matome.naver.jp/odai/2157311018691777101
2020年07月12日