【悪とは何だろうか?】日本の近代思想家10人を並べていく【世界の端で悪を叫ぶ】

koitate2016
内村鑑三、新渡戸稲造、岡倉天心、石原莞爾、大杉栄、西田幾多郎、鈴木大拙、三木清、和辻哲郎、谷岡俊一。知る必要などない。一握り一握りの人間さえ分かれば良い。少なくとも、何の役に立つのか、という人間は知る必要ない。是非教えて下さい。人間は何の役に立つのか?

目次

内村鑑三
新渡戸稲造
岡倉天心
石原莞爾
大杉栄
西田幾多郎
鈴木大拙
三木清
和辻哲郎
谷岡俊一

内村鑑三

人類の歴史は、その初めから終わりに至るまで、信仰と腕力との競争史である。ある時は、信仰が腕力を制し、またある時は、腕力が信仰を制している。

新渡戸稲造

一体偉い人とは如何者だろう。偉いというのは何も破天荒なことをのみいう人ではない。万人の言わんとし語らんとして未だ語り得ない事実を言てくれる。これが偉いのだ。
『イエスキリストの友誼』新渡戸稲造

岡倉天心

われわれは、一閃闇を切る白刃の剣を待っている。なぜならば、このおそるべき静寂を破られなければならず、新しい草花が咲きいでて、大地を一面におおってしまうまえに、新しい生気をふくむ雨の滴が、それを清新にしなければならないからである。
『東洋の理想』岡倉天心

lonely audience@fishy1038

これも玉川上水沿いにある平櫛田中彫刻美術館へ。107歳まで生きた彫刻界の巨匠は、≪鏡獅子≫や東京藝大のキャンパスにある岡倉天心像で一番馴染みがあるけれど、若い頃からの作品も含めてじっくり観ることができ、あらためてその真髄にふれた。 pic.twitter.com/k0FvtvzFmQ
【オペラ白狐 出演情報】
来月11/17(土)新潟県 妙高市文化ホールにて再演される、「オペラ白狐」に出演させて頂きます! pic.twitter.com/COpsYhlOCf

石原莞爾

戦争発達の極限に達するこの次の決戦戦争で、戦争が無くなるのです。人間の闘争心は無くなりません。闘争心が無くならなくて戦争が無くなるとは、どういうことか。国家の対立が無くなる、即ち世界がこの次の決戦戦争で一つになるのであります。
『世界最終戦論』石原莞爾

眞葛原雪@pririn_

近衛上奏文は尾崎秀実の論文を読めば、革命的最終戦争の後のユートピア待望論は不思議でもなんでもない。石原莞爾の「世界最終戦争論」は、数十万部のベストセラーだったそうな。閉塞感を感じていた共産主義者のものだけではなく、軍部も大本教もキリスト教も同じ指向だったのかも。

むくむくさん@naze_1848

田中智学、高山樗牛、石原莞爾、宮沢賢治、北一輝で娑婆即寂光日蓮ジャーを組むことをまだ私は諦めていないぞ

大杉栄

精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。生れたままの精神そのものすらまれだ。
『僕は精神が好きだ』大杉栄

思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにはまた動機にも自由あれ。
『僕は精神が好きだ』大杉栄

大杉栄の子供の名前、長女は魔子、次女はエマ、三女もエマ、四女はルイズ、長男はネストルで、魔子ってのもアレだけど、次女と三女を重ねていくってのが色々と凄いと思う。で、全員結局改名してるっていう

栗林佐知@KuribayashiS

若い時、大杉栄は女たらしでサイテー!と思ってたら
西川文子『平民社の女』に「大杉さんは女性の話を一生懸命聞くので、ああいう人が女にもてるのは無理ない」というようなことが書かれていて、ほう! と思った。
けど大杉自伝に、昔は犬猫をよくいじめ殺したとあって、一瞬で凍りついた。
①②葉山の日影茶屋。創業300年の名店。懐石料理を食べることが出来る。アナキストの大杉栄が起こした「日影茶屋事件」で知られる。その顛末は瀬戸内晴美の小説 『美は乱調にあり』が詳しい。pic.twitter.com/UwL0fn8PvS

西田幾多郎

宗教的要求は自己に対する要求である、自己の生命についての要求である。我々の自己がその相対的にして有限なることを覚知すると共に、絶対無限の力に合一してこれに由りて永遠の真生命を得んと欲するの要求である。
『善の研究』西田幾多郎

宗教とは神と人との関係である。神とは種々の考え方もあるであろうが、これを宇宙の根本と見ておくのが最も適当であろうと思う、而して人とは我々の個人的意識をさすのである。
『善の研究』西田幾多郎

鈴木大拙

愛は、自我をしてその愛する対象の中にみずからを失わしめる。しかも同時にまた、その対象を自分のものにしようとする。これは矛盾であり、また人生の一大悲劇である。

キリスト教的にいうと神は世界を創造したという。もう一つ上へ上って、何が神をして世界を造らしめたか。神が何故世界を造らなければならなかったか。

真理というのは、下駄の鼻緒を治したり、着物を縫ったりする日常のつまらない動作の中に現われている。

言葉は言葉であって、それ以上の何ものでもない。言葉が事実を符合しなくなった時、それは言葉を捨てて事実に帰る時である。

拝金主義と享楽主義を是とする社会には宗教は育たない。

偉大な仕事は、人が打算的になっておらず、思考していないときになされる。

真実は無い、もし真実をみたというのであれば、それは真実ではない。

なあに、一歩一歩のぼっていけば何でもないのだよ。気がついたら上に着いている。

ゆら@_yuralyn_

鈴木大拙館で昨年の紅葉の時期に撮った写真です。
何も分からなくても、難しい話が嫌いでも、ここに来たら何となく世界観が分かると思います。現実から切り離された静寂が金沢の中心からほど近いところにあるので、ぜひ観光ルートに入れて下さい pic.twitter.com/pT0ensYpoL

「大乗起信論」を著した仏教学者鈴木大拙は、東慶寺に松ヶ岡文庫を創設し、研究生活を送った(写真は円覚寺から見た東慶寺)。 pic.twitter.com/YIjezlCiiD #kamakura #鎌倉

三木清

愛は私にあるのでも相手にあるのでもなく、言わばその間にある。間にあるというのは二人のいずれよりもまたその関係よりも根源的なものであるということである。
『人生論ノート』三木清

和辻哲郎

現在の社会組織や教育などというものが、知らず知らずの間にどれだけ人と人との間をへだてているかということにも気づきました。心情さえ謙遜になっていれば、形は必ずしも問うに及ばぬと考えていた彼は、ここで形の意味をしみじみと感じました。
『土下座』和辻哲郎

谷岡俊一

全ての命が救われる。
永遠の平和が訪れる。
その為の方法手段として、
一つの命を殺すこと、
それは許されるのか?
『悪の研究』谷岡俊一

彼らが世界を破壊する
彼らが世界を穢す
彼らが調和を乱す
彼らが全ての命を殺す
全ての命が救われる
永遠の平和が訪れる
一つの命を殺すことによって
一つの種の命を殺すことによって
何も間違っていない
何一つ間違っていない
真理 正義だ
『悪の研究』谷岡俊一

https://matome.naver.jp/odai/2157214369473448101
2020年07月09日