呪う夫
約5年前、私は26歳で結婚しました。
夫とは1年ほど同棲してから入籍をしたのですが、その頃から私は夫に呪われ始めました。
嫉妬深く、依存的で、私の行動を逐一把握したいようで、知らぬ間にメールを転送されたりしていました。夫はデザインの仕事をしていましたが、ある会社に引き抜かれて主任を任されていました。
入籍をしてたったの半年で私は夫に対し、何か奇妙な気持ちを抱くようになったのです。入籍をしてから引っ越しを繰り返す夫。少しずつ、確実に引っ越し先は私の実家から遠くなっていきます。
ある日、夫と喧嘩になった時に、夫を睨み付けた私を見て、夫は怯えたようにこう言いました。
「みっちゃん(私)鏡見てきなよ…顔が笑っているよ…恐いよ」
私は激昂しているので、笑っている筈などありません。自分の顔の筋肉の強張りようからしても。
しかし、夫はそれ以降、喧嘩をする度にそう言うのです。
更には「死ね!」と言われたので「何てことを言うの!」と言うと「幻聴じゃないの?」と言われました。その繰り返しでした。私は自分が幻聴を聴いたり、怒りながら顔がにやついていることを真に受けるようになりました。
私は徐々に精神的に参っていきました。夫は私の行動を見張っているし、メールを転送されているのでうかつに友人にも愚痴れません。
私はある日家を飛び出し、つかまらないように民家の陰に隠れながら住宅街を抜け出し、道に出て夜中にタクシーで実家に逃げ帰りました。
母親から、忍耐力が足りない、あんたは我が儘だと言われましたが、兎に角私は恐怖で一杯で、母親から罵られても実家で暮らすようになりました。
数日後…夫は何の承諾もなしに大量の荷物や家具と共に私の実家に引っ越してきました。
私の両親は自営業をしており、ほとんど家にはいませんでした。私は夫と一見普通に暮らしていました。
母親は夫のことを「みっちゃんより1つ年下なのにしっかりしている」などと話していました。
私の家族は全員仲が良かったのですが、夫が同居するようになってから、次第に仲が悪くなっていきました。
夫「みっちゃん、お母さんが悪口言ってるよ。みっちゃんにお金盗られたって言ってたよ」
私「え?お金なんて盗ってないよ。そんなことうちのお母さんが言うわけないよ」
しかし、内容は忘れましたがリアルに細かく母親の言動を言われ、私は夫の言葉を信じるようになり、母親と口を聞かなくなりました。
母親はいつも通りでしたが。
そんな毎日が1年近く続いたある日のことです。私に何かが取り憑いていると近所のおばさんに言われました。
私は関西方面に友達もいないし、行ったこともないのですが、私が急にどすのきいた声の流暢な関西弁で怒鳴り出し、壁やドアを破壊したそうなのです。
私は咄嗟に「私は精神病なのでは」と言い、すぐに精神科を受診しました。医師は「うーん…解離していたのかなあ」などと言っていました。
数種類の向精神薬を処方されましたが、私の奇行と謎の関西弁は治らなかったようです。私はメールを転送されていたり、精神的に参っているだけだと思いましたが、夫の母親が変わったカトリック系の宗教の熱心な信者だということが気になりました。
夫の母親が宗教にのめり込み、家庭は夫が幼少の頃から崩壊寸前だったことも知っていました。夫は近親相姦も体験したらしいです。
夫は私が3~4メートル離れると「死ね」と言い、私が「何よ」と返すと「また幻聴始まったよ(笑)」とよく言うのです。
ですが私は幻聴と言われても、夫の「死ね」以外は聴こえたこともありません。自分が病気なのか、夫の嫌がらせなのかはわかりませんでした。
そしてまたある日、夫の車で喧嘩になった時に「みっちゃん、お母さんはみっちゃんのことが嫌いなんだろうね」と言われました。
「みっちゃんがお金を盗って行くから迷惑だって」と言われ、またかよ、盗ってもいないのに。と、半ば狂乱状態で私は車の助手席から電話を掛けようとしました。
夫は何故か鬼の形相で私の携帯を奪い取ろうとします。私は夫を突き飛ばします。夫は更に奇声をあげながら携帯を奪おうとします。
揉み合いになり、結局私は母親に電話をして問い詰めました。すると母親は
「○君はおかしい。誰を信じるか、間違えちゃ駄目だよ」とだけ言って電話を切られました。
私はその言葉に混乱し、もはや誰を信じれば良いのかもわからなくなりました。
私はある日、夫に、あなたの携帯電話を見せてくれと頼みました。夫は普段から「俺は携帯にやましいことなんかないからいつでも見せられる」
と豪語していたのですが、携帯を見せてくれません。部屋の中で揉み合いになり、夫が居間へ逃げました。私は追いかけました。
私の父も母も起きてきて、父は「携帯ぐらい見せられるだろう!」と言いました。しかし夫は頑なに拒みます。私は正気ではなくなり
カウンターに置いてあった刺身包丁で右腹部を刺しました。生温い血が吹き出しダラダラと流れます。父や母は「携帯を見せなさい!」と
夫に対して初めて怒鳴りました。私は床に倒れたまま「携帯に何が入っている」と言いました。
救急車で搬送される時にやっと携帯を見ることができました。私宛ての他愛もないメール(転送されている)に紛れていたのが
浮気相手とのメールでした。パチンコが嫌いな私に、交際前からパチンコなどしないと言っていた夫が、パチンコをしていることがわかっただけではなく
複数の男性とも体の関係を持っていました。出会い系サイトで男女両方と会っていたのです。
そして私は夫に呪われていたのです。
詳しくは書けませんが、呪いをかけていたことは把握できました。
救急指定病院で傷の深さを計る為に傷口に棒状の物を入れられ、再び生温い血が流れました。レントゲン撮影もし、傷はあと少しで内臓に達するところでした。
私はそれ以来、夫と家庭内別居状態になり、母親と自室で寝るようになりました。夫は物音も立てずに寝ているようだったので
母親と、今後の話をしていました。ふと、母親がトイレに行ってくると言い、ドアを開けたかと思いきや、再びドアを閉めて電気を点けだしました。
「お母さんどうしたの?」と私が言うと、深夜1時を過ぎているのに「部屋の掃除をしたくなった」と不自然に明るく振る舞い、部屋中の電気を点けました。
それから母はまんじりともせずに夜を明かしたようでした。私は昼になり、夫がいない間に母親と話をしました。
母「あのさ、トイレに行こうとしてドアを開けたら○君が目の前、至近距離に死んだような顔をして立ってたの。殺される!と思って…」
それで母は深夜にもかかわらず家の電気を全て点けたらしいです。母は夫に「お願いだからもうみっちゃんから離れてやって。新しい部屋が見つかるまではいいけど、見つかったら出ていってください」
と頼み込んでくれた。私はやっと別れられると、ほっとした。しかし既に私の家族も呪われていたのです。
ある日私にお祝い返しの贈り物が届き、嬉しくて開封していると父が急に発狂し、私に向かってきました。父は何かに取り憑かれた顔をして
私の自室まで追い掛けてきて、部屋にあったデザイナーが作ったプラスチックの大きな照明を投げ、私の背中を足で突き飛ばし、私の脛はその照明の破片で傷だらけになりました。
何が起きたのか全く解らないまま、私は靴下のまま冬の夜道に逃げました。恐怖のあまり一週間実家に帰れず、ビジネスホテルに泊まり
そのまま、家具の揃ったアパートに急遽引っ越しました。何故か夫も着いてきて善人ぶっていました。父の奇行のことが頭から離れず、私は引きこもりました。夫は嬉しそうに毎日のように豪華な食事をさせてくれたりしていました。
しかしやはり、夫が奇妙な作り笑顔をしているのが気になりました。やっと外出ができるようになってから、やはり私は夫の監視下におかれていることが恐くて
結局逃げました。何故なら、静まり返った住宅地にも関わらず、夜になるとカーテン越しでも明らかに複数の人間の気配を感じるのです。
以前、私が何かに取り憑いていると言っていたおばさんの言葉が気になり、恐くなり逃げて、アパートも解約し、夫には会わず
5ヶ月が経過した頃にひょっこり、母親の元に離婚届を持った夫が来たらしいです。夫は化粧をし、女装をしていたそうです。離婚後は私の家族は今まで通りの明るく普通の家に戻りました。ただ、私が独身時代に購入したROLEXの腕時計やゲーム機、アクセサリーなど
お金になりそうな物は一切無くなっていました。そして何故か夫の父親から私に慰謝料、と言って大金が送られてきました。
そう言えば思い出したのですが、披露宴でご祝儀を沢山いただき、数十万円黒字が出たのですが、夫が預金すると言ったので預けていたのに
数日後に車内から盗まれたという騒ぎが以前ありました。警察に届けることを頑なに拒否し、上司から穏便にと言われたからできないとの一点張りでした。
今は私は県外で新しい恋人と暮らしていますが、元夫は現在は女性として暮らしていると噂で聞きました。また、元夫の元カノと偶然に連絡が取れたのですが、彼女も交際していた頃に精神を病み、引きこもりになり実家に逃げ帰ってから治ったそうです。
元夫は怨念の塊だと聞かされて、背筋が凍りつきました。元カノは本当に病んで、気付いたら暗闇でリストカットをするほどだったそうです。
私も元カノも今ではあれは何だったのだろうと言うほど元気で普通に仕事をしています。
霊的な話ではありませんが、とても尋常ではない出来事が他にも沢山ありました。
生きている人間の妬みや怨みの力は、実際にあるのではと思い投稿しました。
長文駄文ですみません。
私は霊感が強いので、他にも話はありますが、今回は恐ろしかった人間との関わりを書きました。
元夫は現在は何故か破産をしており、男性に恋をして、追い回しているそうです。
呪う夫
謎の多い公衆電話
突然だが、僕は電話が苦手だ。
それは電話が面倒だとか、メールの方が楽だとかそういうことではない。
電話が掛かってくる度にぎゅうと心臓が掴まれたようになる。とある夏休み。
僕、丸井、高島、伊勢、天満の五人。
いつものメンバーで、いつもの通り僕たちはヒマを持て余していた。夏のコンビニの光には大量の虫と、大量のヒマ人高校生が集まる。
僕もその中の一匹だ。
田舎のコンビニは駐車場だけはご立派だ。
あまり人が来ない時などは店員とも話をするくらいには慣れていた。
と言っても、そのコンビニの店長は知り合いだったが。
田舎特有の気軽さと言うヤツだ。
「何か面白いことない?」
そんなセリフを一日一回は誰かが言う。「ないなあ」
それに対する返答も同数誰かが言う。しかし、その日は少しいつもと違う日だった。
「お前らやることないなら、この人から面白い話聞いたから、そこ行けば?」
コンビニの店長が僕たちにそう言い、タクシーの運転手を紹介した。「幽霊が出るとか出ないとか、そういう公衆電話があるんだ」
そう言ってそのタクシーの運転手が話し始めた。
「俺たちの中では有名なんだけど、あの●●霊園。あそこの裏手に山道あるよね。そこの公衆電話出るんだって。高速に出るにはあっち通る方が近いから、遠距離に行く客がいたら大体そこ通るんだけどさ。俺は見たことないけど、結構お盆辺りには出る出る言ってるから、今ぐらいの時期なんかちょうどいいんじゃないかい?」
当時、携帯電話普及に反比例するかのようにだんだんその数が減って来ていて、公衆電話は珍しくなっていた。
その話を聞いたときのみんなの反応は、しょうがないからそこに行って暇つぶしをするか、というものだった。
何も選択肢がない状態で、行くか行かないかどちらかを選べ、と言われたら誰でも消極的にだが行く方を選ぶだろう。
僕たちもそんな心理状態だった。自転車で一時間。
途中にある長いトンネルを抜け、目的地に着いた。
真っ暗な中に白い明かりが一つ。
周りには外灯すらなく、やたらと公衆電話ボックスの存在感があった。
これかぁなどと、わいわいと群がり、ああでもないこうでもないと感想を言い合う。
ひとしきり騒いで満足したのか、はたまた飽きたのか。
誰かが、帰るか、と言ったのを合図に帰ろうと自転車にまたがった。その時、
リーん
と、公衆電話が鳴った。僕たちはそのあまりに響いた音に固まった。
今更だが、その霊園の近くの道は恐ろしく車や人の気配がなく、静まり返っていることに気付く。
時間は夜中、田舎の山道。
山の中というのは想像する以上に暗い。
公衆電話の蛍光灯だけが周りを照らす唯一の光だ。
規則的な音が妙に大きく聞こえる。
逆説的だが、公衆電話の大きい音が却って静寂を気付かせた。
リーん
急かすように公衆電話は鳴り続け、僕たちも誰かがこの電話に出なければならないのでは? と思い始めた。
今になって考えると、あの時逃げ出せば良かったと思う。
しかしそのときの僕たちは、肝試し的な感覚で、電話が鳴ったら出なくてはならないという思いに捕らわれていた。「なあ。お前出ろよ」
「いや、お前こそ」
みんなでビクビクしながらそんなことを繰り返していた。
公衆電話の音は鳴り止まない。「じゃあ俺、出るよ」
僕たちの中でリーダー格だった丸井が言い出した。
おっかなびっくり電話に近づき、扉を開けた。
知らない人もいるかもしれないが、公衆電話ボックスは大体が一人しか入れない。
バリアフリー目的の広々としたものは、あまりこういう場所には設置されていない。
ぎゅうぎゅうになりながらも僕たちは中に入ろうとすし詰めになる。
一人になるのが怖かったんだと思う。
少なくとも僕はそうだった。扉を開け放し、丸井は僕たちにも聞こえるように受話器を取った。
「………………………………み……」
何かを喋っているのか。
わからないが、聞き取り辛い。
しかし、相手がいることは分かる。
何かを繰り返して言っているようだ。「……か…………あ……と…………み……」
か・あ・と・み
ずっとこれを繰り返している。
そのうちに電話が切れてしまった。「最初は怖かったけど、何か拍子抜けしたなあ」
丸井はそう言って、受話器を置いた。
僕も強がりから、面白いネタできたなあ、とか何とか言っていた。翌日にはみんなそのことを忘れていた。
またいつものようにコンビニに集まり、「何か面白いことない?」と言い合っていた。
さらに二日後。
丸井が死んだ。僕たちはあまりに突然のことに、わけが分からなくなった。
通夜、告別式が終わっても僕たちは一言も喋れなかった。
丸井の兄が、「君たちの事はよく聞いていたよ、今まで仲良くしてくれてありがとう」と言った時に初めて涙が出た。僕たちは、コンビニではなくファミレスで話をした。
告別式の帰りで喪服だったからでもあるが、ちゃんと話をしたかったからだ。「アイツがいないなんて、今でも実感がわかないよ」
伊勢は、亡くなったとは言わず、いないと言った。
「そうだな。アイツと最後に会ったのいつだっけ? ……コンビニか」
「いつもコンビニだもんな、はははっ……はは……」
それにつられて他の三人も力なく笑う。
この喪失感を何とかしよう、そう考えていたんだと思う。「たしか、あの公衆電話を見に行った後、すぐだったよな」
「そうそう。カートミとか何とかずっと言って切れちゃったんだよなアレ」
「正直に言うと、あの時俺ちょっと……ビビってた」
皆が笑いながら、実は俺も、俺もと言い合った。
「カートミって何だったんだろうなあ?」
皆、丸井が死んだことに対して逃避したかったんだろう。
分けわかんないよな、とか、幽霊とかそんなのいないし、とかくだらない方向に話を持っていこうとしているのが分かった。
カーコンビニクラブとかの車屋の宣伝じゃねえのかなあ、いやいや電話の電波チェックだよ多分、でも雑音が酷かったぞその割には。
僕たちはやいのやいの努めて明るく下らなくなる様に笑いながら話し合った。
「カートミ、カートミ、カートミかあとみ、か、あと、みっか、……あとみっか」
「あと三日……」
「………………何だよそれ」
おい、どういうことだ。
三日って、丸井が死んだのは。
丸井が死んだのは公衆電話に行った後の三日後だった。
二時間後、僕たちは公衆電話の前にいた。
もしもこの公衆電話のせいで丸井が死んだのだったら、僕たちは仇を討たなくてはいけない。
皆、手にバットやカナヅチを持っていた。
喪服姿の高校生が凶器を持って自転車に乗っているのはさぞ奇妙に見えただろう。
僕たちは夜が更けるまで待った。
リーん
電話が鳴る。
誰も声を出さない。伊勢が身を出し、ボックスの中に入った。
僕たちも後に続く。
ぎゅうぎゅうとすし詰めで、またも扉は開け放している。「……もしもし」
受話器の向こう側からは何も聞こえない。
サー、という機械音がなるだけだ。
しばらく待ってみたが、プツっツーツーという音が聞こえ、切れてしまった。「なあ、ただの偶然だったんじゃない?」
「…………」
トンネルの向こう側からクルマのライトが僕たちを照らし、駆け抜けていく。
そのライトのおかげで、今やっていることが妙に気恥ずかしくなった。「そうかも知れない。何だろうな、俺たち。バカみたいじゃないか」
伊勢が笑い、僕たちも笑った。
僕たちは、丸井が死んだことに対して何も出来ないことに、罪悪感を持っていた。
何かの理由をつけたかった。ユーレイ何かいないって。
そんなもんにあの丸井がやられるわけねーじゃん。
ははは。リーん
電話が鳴った。
僕たちはお互いの顔を見合わせ、黙った。
一番最初に動いたのは高島だった。高島が受話器を取り耳に押し当てる。
「…………あ…ふ…か…………と…………つ……あと……か」
「聞こえないって! もっと大きい声でいえよ!」
「……あ………………か…………ふ…………あと、ふつか」
プツリと音を立てて電話が切れる。
「後、二日か……」
天満がそう呟いた。
「二日って、バカこんなの信じてるの? 俺があと二日で死ぬわけねーだろ!? なあ?」
誰に言っているのかは分からないが、高島はそう叫んだ。
「そうだよな。ゴメン」
天満が謝り、僕と伊勢もそれに対して文句を言う。
「偶然だって」
「そうだよ、混線してるんだよきっと」
だよなあ、と言って僕たち四人は笑いあった。
二日後、高島は死んだ。
高島の出棺の後、その足でたまり場となっているコンビニに向かう。
店長からタクシーの運転手のことを聞きだすためだ。
伊勢、天満、それと僕。
少し前までは五人いた仲間が三人。
ついこの前まであったものがない。
寂しいとか違和感とか、そういったものでなく、当たり前のものがない。
片腕と片足がなくなったようなものだ。
ちくしょう。
コンビニに着く。
店長は僕たちを見て、悲しそうな顔をした後、コーラを三つ差し出した。「残念だったな……」
「店長。タクシーのおじさんの連絡先知りませんか?」
「ああ、この前の人か? 知らないな。何か用事でもあるのか?」
「公衆電話について聞きたいんです」
「公衆電話か、あれなあ……いや、いいや。分かった。今度来たらお前達にメールするよ」
今更だったが、店長と僕たちは携帯のアドレスを交換し合った。
一週間たっても二週間たっても連絡は来なかった。
僕たちはコンビニに行く習慣もなくなってしまった。
携帯がなる。
「いま、いるから」伊勢だ。
そう言って、返事も聞かず電話を切った。
一人、自転車を走らせる。
もう何度この道を通ったのだろう。
この道を通るたびに友達が死んでいく。ポツンとたたずむ公衆電話からの明かりだけがその道を照らす。
周りには何もない。
何もない?誰も居なかった。
リーん。
あの鈴の音のような、電話ベルの音が闇夜に鳴る。
公衆電話以外のものは暗くて見えないから、自然とその音の発信源に目を奪われる。
怖くて、足が、震える。
かちゃり、きい、と言う音が妙に響き、ボックスの中に入った。
ぱたり、と軽い音を立て扉が閉まった。目の前で、りーんりーんとうるさくがなる電話。
僕は震える手でその受話器を持ち上げるが、耳につけられない。
ぼそぼそ、と言っている。「……ぃ………………」
聞きたくない、聞きたくない。
空いたもう片方の手で、携帯電話を取り出し、伊勢に掛けようとする。
くそ、圏外だ、こんな時に!
ボックスから逃げ出そうと扉に手を掛けるが、びくともしない。
さっきはあれほど軽い音を立てたのに今度は壁にでもなったかのように全く動かない。ぼそぼそ、受話器はずっと繰り返している。
もういいよ、助けて誰か。
バンバンと扉を叩く。
誰か、誰か!
ひた、ひた。
目線の先には足が見える。
とっさに顔を上げるが、顔が見えない。
助けてくれと叫ぼうとした、が、その足、その足は何も履いていなかったのに気付く。
山中を裸足で歩く人などいない。
さらにその白さに、助けを掛ける人間でないことを理解した。
恐怖した。ぱん……ぱん……ぱん……ぱん……
断続的に叩かれるボックスのガラス。
姿が見えない。
しかし、ぱん、という音がなる瞬間に、暗闇からにゅっと手のひらが現れる。ぱん……ぱん……ぱん……
力なく窓ガラスを叩くような音。
目の前で鳴ったと思ったら、後ろで叩かれる。
色々な方向からぱん、ぱんと手のひらとともに音が鳴る。異様に白い足、手。
見えるのはそれだけ、外は真っ暗闇で何も見えない。
ぼそぼそ、と受話器はまだ何かを続けている。
狭い空間でこんなこと、頭がおかしくなりそうだ。足元の隙間から、妙に指の長い手のひらがすうっと入ってきた。
そして、すうっと引っ込む。
その手がまた入り、引っ込む。
一本、二本、回数を重ねるたびにそれは増える。僕を探しているのか。
いやだいやだ。
手のひらに触らないように逃げる、避ける。
たくさんたくさんの手。
すうっ、すうっとたくさんの手が足元で現れ消える。
ぼそぼそ言う、受話器。
「もう止めてください! ごめんなさい!」
とっさに返事をしてしまった。
僕を掴もうとしている手のひらがひゅうっと闇に引っ込んだ。
受話器から声が聞こえる。
「いまいまいまいまいまいまいまいまいま」
あぁぁだめだ、と情けなくも体中から力が抜けた。
その時、轟音が耳をつんざいた。
ばりばり、とガラスが砕ける音。
顔や服にガラス片が散らばる。伊勢・天満がボックスを壊している。
「おい! 大丈夫か!?」
助かった、と思った瞬間僕はその場でへたり込んでしまった。
コンビニについて、落ち着いた僕は夏なのにホットコーヒーをすすりながら話をした。
二人と僕の話はかみ合わなかった。
二人によると僕がボックスの中で暴れているのが見えただけ。
人? 手? 知らない。
そもそも伊勢は僕に電話などしていない。
確かに着信履歴に伊勢の名前はなかった。
大体、何故あの声が伊勢だと思ったのだろう。
妙に抑揚のない女のような声だったはずだ。伊勢は天満と僕の家に行こうとした。
天満とは連絡が付いて合流したが、僕とは連絡が取れない、もしやと思い公衆電話に行ってみた。
着いてみると僕がボックスの中で暴れていた、と。
謎だらけの結末だった。
タクシーのおじさんは結局、二度とあのコンビニには来なかった。
何の意図であの話を僕たちに教えたのか、店長は知っているようだったが、教えてくれなかった。あの声が耳から離れない。
僕は電話が苦手だ。
謎の多い公衆電話
おいぼ岩
時刻は夜十時を幾分か過ぎた、とある冬の日のこと。
僕を含めて三人が乗った車は、真夜中の国道を平均時速80キロくらいで、潮の香りを辿りつつ海へと向かっていた。
僕が住む街から車で二時間ほど走ると、太平洋を臨む道に出る。
その道をしばらく西に進むと、海岸線沿いに申し訳程度の松林が見えて来る。
僕らが今目指しているのは、その松林だった。
おいぼ岩。松林の奥にそう呼ばれる岩があるそうだ。詳しいことは知らないが、何か黒い曰く付きの岩らしい。
おいぼ岩を見ること。それが今日の肝試し兼オカルトツアーの目的だった。
発案者は後部座席で就寝中の友人Kだ。運転席にはS、助手席に僕、いつものメンバーだ。
車内では噂を仕入れてきたKが、何も語らないまま車酔いでダウンしてしまっているため、
これからオカルトに挑むというのに、緊張感も期待感も何も無い。
情報は現地に着いてから。行き当たりばったり。僕らの肝試しは大体いつもこんな感じだ。
「なあなあ、Sは知ってるん?おいぼ岩」
やがて後ろで倒れたKの寝息が聞こえてきた頃、僕は運転席のSに訊いてみた。
Sはさほど興味も無い口調で、
「いや、知らん。……まあ、Kの奴が飛び付く様な話だからな。ロクなもんじゃないだろ」
「おいぼ岩の、おいぼ、ってどんな意味なんだろ?」
「おぶるってことじゃなかったか?確かな記憶じゃないが、昔ばあちゃんに言われた気がするな……」
「『おいぼしちゃおか?』 とかかな。あー、何か分かる気がする。
ってことは、二つの岩が縦に重なってるんかな。雪だるまみたいにさ」
「知らん。ま、行けば分かるだろ」
車は順調に走り、目的の松林に着いたのは丁度夜中の十一時になった頃だった。
僕は後部座席のKを起こして車を降りた。
松林を挟んで海岸と、反対側には小高い岩山が構えている。
道路側から見る岩肌は、人の足で上るのには苦労しそうな急勾配をしている。別に上るつもりは無いけども。
足元には針の様な松の葉が散らばっていて、夜の木枯らしに撫でられてザラザラ音を立てていた。
と言っても松は常緑樹なので、枝には青い葉が残っている。
寒い、とりあえず寒い。
車のライトビーム懐中電灯を片手に、僕は光を松林の中に向けた。
Sは車から降りて来ず、ウィンドウを開いて右肩を外に出し退屈そうに欠伸をしている。
隣を見ると、起きたばかりのKも欠伸をしていた。
目の前の松林には、僕らの乗って来た車と同じくらい大きな岩が其処ら中にごろごろ転がっていた。
数え切れないほどではないが、おそらく両手の指では足りないだろう。
そのほとんどが、川で見かける様な角の取れた白っぽい岩ではなく、ごつごつした形のいびつな黒い岩だった。
「なあなあKー。そのおいぼ岩って、どれなん?」
僕はひとしきり欠伸を終えたKに訊いてみる。
「全部」
「え、何?」
「だからゼーンブ。この辺りにある岩は、全部そう呼ばれてんだよ」
予想外の答えに、僕はもう一度周りを見回した。
おいぼ岩とは、予想に反して岩の種類とかそんな話なのだろうか。
Kがガードレールを乗り越えたので、僕も続いてガードレールを跨いで松林に入る。
Kは停めた車から一番近くにあった岩の傍で立ち止まった。
その岩は他の岩に比べると角が少なく、球に近い形をしていた。大きさは縦に二メートル、横に一メートル半くらい。
その岩を見て僕は、昔博物館で見た恐竜の卵の化石をふと思い出した。
「……噂じゃあ、どっかに手形とか人型がついてるはずなんだけどなー。
人型なら魚拓みてえにさ。この岩じゃあないみてーだな、見当たんねえわ」
岩の周囲をぐるりと一周してKはそう言った。
しかしながら当然、まだ何も聞かされていないのだから、手形と言われても僕には何のことだか分からない。
「なあなあ。そのおいぼ岩って結局なんなのさ。血なまぐさい言い伝えがあるって話だけど……」
Kは僕の方をちらりと見て「くふっ」と一つ笑った。
それから、唐突に手に持っていた懐中電灯を自分の顎の下にあてると、
鼻っ柱や頬を光らせながら、何処となく稲川淳二風に語りだした。
「……おいぼ岩の『おいぼ』 って言うのは、実はおんぶするって意味なんですよね……。
でもほらー、この岩は何も背負ってないでしょ?おっかしいなあ、とか思いません?」
「いや。そういうのいいから」
おいぼの意味はSが言っていた様に、おぶる、背負う、で正しかったようだ。
僕の言葉を無視してKはそのまま話を続ける。
「実はですねー、この辺りには昔、一風変わった罪人の処刑方法があった様でしてね。
……ほら、向こうに山があるでしょ?ごつごつした岩山。
……処刑方法ってのはね?あそこで切りだした岩に罪人を括りつけて、転がすんですよ。山の上から」
「……転がす?」
「私もそれ聞いたときねー、思ったんですよ。『あ、これ来たな』 って。
ロープで両手両足、それと首、一つずつ縛るんですよ。一つ千切れても岩から離れないようにってね……」
稲川淳二じゃないが、僕もそれを聞いた瞬間、ゾッと来た。
「罪人が背負う岩、だからおいぼ岩って言うんです。
噂じゃあそれぞれの岩に一人ずつ、そうやって処刑された罪人の念が染み込んでいるって話……。
いやあーしかし、人間ってのは怖い生き物ですねぇ……そう思いませんか……?」
そうしてKは、懐中電灯の光を、パチ、と消してライブを締めくくった。
話が終わった後も、僕の心臓は普段よりも早いスピードで脈打っていた。
そんな馬鹿な。
いくらなんでも、岩に縛って転がすとか、そんな幼稚で残虐な処刑方法が、日本で行われていただなんて信じられない。
「……結局は、噂話なんでしょ?」
僕が言うと、別の岩に行こうとしていたKが振り返る。その顔には、また顎の下から光が当てられていた。
「さあ……、わたしには何とも分かりませんが……、
それでも、多くの文献やら古い資料やらにも載っている、『噂話』 ではある様ですけどねぇ……?」
そう言い残して、Kは一人松林の奥に行ってしまった。
僕はKについて行かず、この卵の様な、自分より少し背の高い岩の横でじっと固まっていた。
そんなことが本当にあったのか。僕には分からない。
ただ昔、この辺りは今よりもずっと交通の便が悪く、周囲から孤立した地域だったとは聞いたことがある。
だとしたら。
僕は想像する。もしかしたらあったのかもしれない。罪人を岩に縛り付けて、山の上から転がす処刑方法が。幾度目か僕は辺りを見回した。月明かり。見える範囲いたるところに黒い岩の影。
人を轢き殺した、圧し殺した、擦り殺したかもしれない無数の岩に、今僕は囲まれている。
ぞくり、と何かが僕の首筋を撫でた。
一瞬眩暈がして、僕は傍らの岩に両手をついて身体を支えた。いかんいかん、僕は想像力が豊かすぎる。
目を瞑って、グラグラ揺れる感覚を平常に戻そうと意識を集中させる。
その時だ。僕はふと、背中に人の気配を感じた。
Sかな、と思った途端、違和感を感じる。気配は一人のものではない。
Kが戻って来た?いや、Kはさっき車と反対方向に行ったはずだ。
それ以前に、この気配は二人や三人といったものではなかった。大勢の人間だ。
音。押し殺した息づかい。布どうしが擦れ合う。砂利を踏む。
眩暈はまだ続いている。それでも僕は、ゆっくりと目を開き後ろを振り返った。
目の前に人がいた。十人……二十人……、いやそれ以上かもしれない。
眩暈のせいで視界がぼやけているが、皆着物を着ていて、顔はミイラの様に白い布を巻いていて分からない。
隙間から目だけが覗いている。松明を持つ者、丸太を持つ者、縄を持つ者。
僕は声を出そうとした。でも出なかった。口に違和感がある。どうやら僕はさるぐつわを噛まされているらしい。
何時の間に、と考える余裕は無かった。
さるぐつわだけじゃない。両手両足も動かない。僕の身体は岩に括りつけられていた。
一番ぞっとしたのは、首に巻かれた縄を意識した時だ。
何だこれ何だこれ何だこれ。
でたらめにもがく。硬く結ばれた縄はびくともしない。
周りの景色さえ変わっている。ここは山の上だ。さっきまでの松林の中じゃない。
人の動く気配。そこでようやく僕は、目の前に居る人間が僕をどうしようとしているのかが分かった。
僕は今、罪人なのだ。
白い布で顔を隠した幾人もの人たちの前で、代表の様な者が一人進み出て僕に何か言っている。男だと思う。
声は聞こえなかったが、辛うじて布の口の辺りが動いているのが分かる。
男が僕に一礼した。
それを合図に、その場に居た者たちが僕の傍に寄って来る。
太い丸太を持った者が、それを岩の下に差し込んだ。何本もの腕が岩に触れる。
やめてくれ。声が出ない。僕はもがく。もがいて、もがいた。
ごん、と何かが外れる感覚。岩を伝って来る振動。
徐々に、徐々に。まるでスローモーションのように僕は空を見上げていく。仰向け。
星。月。……そう言えば、今日の月も満月だったな。などと場違いなことを考える。
空気を裂く様な大きな音がした。同時に後頭部に衝撃。死んだと思った。気がつくと僕は松林の中で、地面に仰向けで、大の字の状態で倒れていた。
そのまま充分な時間放心してから、僕は自分の状況を確かめる。
息が荒い。心臓ぼ鼓動がすごい。頭が痛い。怪我はない、たぶん。
……いきてる。良かった、生きている。
ゆっくりと上体を起こしながら、僕は先程の大きな音は車のクラクションだと気付いた。
Sが鳴らしたのだろうか。そんなことを思いながら僕は立ち上がった。
懐中電灯が地面に落ちていて拾おうと手を伸ばす。そこで、僕は自分の掌に何か付着していることに気がついた。
それは紅黒く粘り気のある液体だった。両の掌についている。
はっとして、拾った懐中電灯で目の前の岩を照らす。よく見るとそこには、同じく紅黒い液体がこびりついていた。
二か所。丁度僕が、眩暈を押さえるため両手をついたところに。
掌を確認する。僕は怪我をしていない。
「おーい……。大丈夫か」
振り向くと、車から降りてきたSがガードレールを跨いでこっちにやって来ていた。
「車ん中で見てたんだが。突然倒れるわ、その後起き上がってじっと岩を見てるわ。……何かあったのか?」
僕は無言でSに掌を見せ、次いで岩の手形を指差した。
Sも無言で見やって、それから岩に付着したそれを指でなぞり、匂いを嗅ぐ。
「血だな。怪我したのか?」
僕は首を振る。
Sは何か考える様な仕草をし、「後頭部」と呟いた。次いで、「触ってみろ」と言う。
僕は言われた通り後頭部を撫でる。
激痛。
吃驚して撫でた手を見ると、粘り気の無い真新しい血が付着している。
どうやら後ろに向けて倒れた時に、頭に傷を負ったらしい。幸い大した怪我では無い様だが。
「そういうことだ。じゃないと、岩から血が染み出たってことになっちまうからな」
どうやらSは、この血は全部僕のものだと言いたいらしい。けれども僕は後頭部を触っていない。
釈然としなかった僕は「でも……」と言おうとしたが、それより先にSが口を開いた。
「Kはどこだ?」
そこで僕はやっとKの存在を思い出した。
確か、松林の奥に行ったはずだったが、近くには居ない様だ。
「おーいー、Kー」と大声で呼ぶが、返事は無い。
僕とSは顔を見合わせた。
二人で探しに行くと、松林の奥、岩の影でうつ伏せに倒れているKを発見した。
死んでいると思った。肝が冷えると言うのは、まさにこのことを言うのだろう。
慌てて近寄り、身体をひっくり返して呼吸を確かめる。
呼吸は……、ある。死んでない。どうやら気絶しているだけの様だった。
ほっと息を吐いた途端、全身の余分な力が抜けるのがわかった。
「おい。起きろボケ」とSがKの頬をバシバシ叩くが、Kは起きなかった。
Kの身に何が起きたか。僕には大体の見当がついていた。
おそらく、Kと僕はほぼ同じ体験をしたのだ。罪人となり、岩に縛られて、転がされる。
僕はSが鳴らしたクラクションでこちらに引き戻された。
Kは何処まで『見た』のだろうか。
不意に得体の知れない恐怖がじわりと染み出てくる。僕はそれをやたら首を振ってごまかした。
揺すったり蹴ったりしたが、Kは何時まで経っても起きない。
仕方が無いので、このまま車まで運ぶことになった。
ジャンケンして負けた僕がKを背負う。脱力した人間というはすごく重いのだな。
「……そういや、これ、おいぼだな」と、車に向かう間にSがぼそりと呟いた。
確かにそうだと僕も思った。だからどうしたとも思った。結局Kが起きたのは、走行中の車の中だった。
その時僕とSは、明日になってKが起きない様なら病院に連れて行こう、と相談していたところだったので、
突然Kが飛び起きた時はびっくりした。若干車も左右に揺れた。
「お……だっ、は。って、ここは……車の、中か?」
Kは明らかに混乱していたが、ここがSの運転する車の中だと僕が説明すると、とりあえず落ち着いた様だった。
そうしてKは僕の方を見やり、
「……お前、あれ、見たか?」
僕は頷く。僕が見たもの。Kが見たもの。『あれ』 が何を指しているかは分かり切っていた。
「何処まで見た?」
「転がり落ちる寸前まで」
「……あー。そうか。そら良かったっつーか。……俺は全部、最後までだ。……ヤバかった」
言葉が出なかった。Kは、『あれ』 を全部体験したと言うのだろうか。
僕たち二人の様子に、運転席のSは何か言いたそうな顔をしていたが、
結局何も言わず、ハンドル操作に専念することにした様だ。
「『あれ』 は一体何なんだろう……」
僕はひとり言のように呟いた。
「……岩の記憶か、罪人の記憶か。たぶん、岩の数だけあるんだろうぜ……」
Kはシートの上に胡坐をかき、下方向へと大きく息を吐く。
「途中までしか見てないんだろ?続きを教えてやるよ」
唾を飲み込む音が僕自身のものだと気づく。
「……ころんころん転がって転がってよ、途中で右の手と左の足がトんだな。
正直、漏らしてた。ここでじゃねーぞ、『あの中』 での話だ」
例え漏らしたって馬鹿にはしない。僕も怖かった。死ぬと思った。
実際、あのまま転がっていたら、少なくとも『あの中』 で僕だった罪人は死んだだろう。
しかし、Kが次に言った言葉は僕の予想とは違っていた。
「ぜってー死ぬだろこれ思った。でもな……。俺の岩の奴は、死ななかったんだ」
「……え?」
「転がり終えても、生きてた。
だから良かったっつーか、岩の形か転がり方が良かったっつーか、運が良かったっつーか……。
死んでたら、ヤバかったな。たぶん、俺、ここに居ねーだろ」
そしてKはぶるぶると身体を震わせて、その震えを口から絞り出すように再度大きく長く息を吐いた。
死んでいたら、ヤバかった。
おかしな言葉だが、言いたいことは分かる。『あれ』はそれだけリアルな体験だった。
もしも夢と現実の間に何かあるとしたなら、『あれ』 はその類のものだと思う。
長い息を吐き終えた後、Kはすっと顔を上げた。
「大して期待もしてなかったおいぼ岩が、まっさかあんなにやべーもんだとはな……」
僕は深く頷く。Kも頷く。
「……全く、いい経験をしたもんだぜい」
車内から一瞬、一切の音が消えた様な気がした。
僕は脳内で先程のKの言葉を復唱する。でも意味が分からない。
もう一度。それでも意味が分からない。もう一度。
「当たりもアタリ、大当たりじゃん?噂広めれば、すっげースポットになるぜあそこ。
あんな風に死にかけるなんて、中々出来ることじゃねーしな!」
車内にぱっと光が灯る。見ると、Kが顎の下で懐中電灯を構えていた。
「いやあー、不思議なことって、本当にあるもんですねぇ」
そう言ってKは嬉しそうに「うははは」と笑った。
Sが「……このまま病院行くか?」と小声で僕に囁いた。僕は力なく首を振る。
「深夜の病院なんて、絶対喜ばせるだけだって……」
その後。僕は窓の外を見やりふと考える。
もしKが縛られた岩が『死ぬ岩』 で、罪人と一緒にKまで死んでいたらどうなっていただろう。
もしあのままKが眠ったまま起きなかったとしたら。
散々悩んで想像して、僕なりに辿り着いた結論は……。
『それでも馬鹿は治らなかっただろう』だった。
たぶん、僕はまたKをおいぼするハメになるのだろう。
僕が吐いたため息は、車の窓に僅かの白い跡を残したきり、すぐに消えていった。
おいぼ岩

