30代までの頃の安藤
安藤は、大学への進学は経済的にも学力的にも難しかったこともあって、建築を独学で学びました。その後、設計事務所でアルバイトをしていましたが、「建築をもっと知りたい」「西欧建築の本物に触れたい」という思いが抑えられず、1年ほど海外に旅立ちました。1965年、24歳のときです。「体験」こそが建築の本質。そう考えるようになったそうです。
『建築とは「見る」ものではなく「体験する」ものだと思っている』ことを学んだ
安藤忠雄さんが建築であぶり出す、生きるための着想 | VISUAL SHIFT|ビジュアルシフト
30代以降の安藤忠雄
30代と40代はそれこそ脇目も振らずに、死に物狂いで働いてきました。彼はよく「どういう基準で仕事を選ぶのですか?」と聞かれることがありますが、たいてい難しいものを選んで挑戦してきたように思うと語っています。やりやすいものは誰かがやればいい。特に40代の頃は、「これはちょっとできないのではないか」と思うものばかりやっていました。
その時期の安藤が手掛けた〈光の教会〉は、18×6×6mのコンクリートの直方体を基本とする建物です。正面に十字架が切られ、斜めの壁が立てられているだけの、単純明快な形をしています。十字架を物ではなく光で表すという発明は、教会建築の概念を変えました。厳しい予算の下、安藤が光の十字架の演出にこだわり抜いたのは、この建築の核は光の十字架にあり、十字架は壁の両端部まで切れ込んでいるべきだと考えたからです。
エネルギーを蓄える時期が40代だと思います。ガソリンがなかったらクルマは走らないのと一緒で、人間も知的体力と肉体的体力がなかったら走れません。気のもちようで人生はいくらでも変わります。青春というのは、10代や20代だけのものではありません。たとえ70代でも80代でも、前向きな気持ちで何かに挑戦していたら、その人は青春を生きているといえます。
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近年の安藤
建築というものは、便利で合理的で経済的でさえあればいいのでない、ということを表現したいと思っていた1988年頃。ベネッセの方から瀬戸内海の島に「文化の島をつくりたい」と相談を受けました。ゴルフ場の計画が失敗し、(かつて鉱石を溶錬した際に発生した) 亜硫酸ガスが流れたところは地面も禿げていて難しいなと最初は思ったそうですが、それを緑に戻していく運動もしつつ、文化の島もつくることに。以来今日まで30年間余り、建築をつくり、アーティストを巻き込みながら、コツコツと植樹を重ねてきました。今では緑にすっぽりと覆われて、「アートの聖地」と呼ばれるまでに、生命力があって人々の心をひきつける場所になっています。
また、以前から新しさを求めるあまり、古いもの、古い人間をないがしろにしがちだった当時の風潮にひとつの解を示そうとしており、2000年に17世紀に建てられた貴族の建物を保存したまま、地下にまったく新しいコンクリートの新築部分をつけたしたりと「古いものを大切にしながら、新しいもの作り出す社会」を表そうとしています。人生はいつまでも挑戦の連続であることをいまもなお私たちにその身をもって示してくれています。
日本を代表する大企業が経営難に陥るなど、今や何が起きるかわからない時代です。先が見えないなか、企業も人も利益を追求しがちになりますが、私は自分が面白いと思うことをやり続ける姿勢に意味があると信じています。だからこそ、ずっと青いリンゴのままでいなければならない。そう信じて、これからも挑戦を続けていきます
安藤忠雄インタビュー、生涯“青いまま”の挑戦者宣言 | Numero TOKYO




