✿ MISIA×黒柳徹子
『Everything』が200万枚突破
黒柳「『Everything』が200万枚を突破する大ヒットですごいですね。」
MISIA「横浜の赤レンガに、雪に見えるのは全部塩なんですよ。何トンも敷き詰めて雪のシーンをつくりました。」
『逢いたくていま』
黒柳「この曲は大好きでよく聞いています。まあ、素敵。大ファンなんです。」
MISIA「ありがとうございます。」
黒柳「これはドラマ『JIN』の時の曲ですよね。毎回視ていました。胸がいっぱいになります。」
MISIA「ああ、そうなんですか。嬉しいです。」
MISIAの素顔
5オクターブの音域
黒柳「素敵なお召し物ですね。」
MISIA「今日は徹子さんに会えると思って、『徹子の部屋』に出ることが夢で、昔あまりにも出たいので、プロデューサーの方が、“そんなに出たいなら練習をさせてあげよう”と、誕生日ライブの時に、清水ミチコさんにご協力いただいて、『徹子の部屋』をライブ会場に作って。(笑)」
黒柳「えっ!本当に~?」
MISIA「失敗したのは、座る位置が逆でした。」
黒柳「清水ミチコさんは、何度も出ていますけど、アドバイスとかありましたか?」
MISIA「黒柳さんは、キュートな方だからそんなに心配しなくてもいいよって。」
黒柳も挑戦!超高音ボイス

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黒柳「MISIAさんは、5オクターブという広い音域で高い声ですが、どういうふうな声の出し方なんでしょうか?」
MISIA「ライブで使っているのは、全部ファルセットの一番高いところなんですけれども、あの音域をだすのは、2オクターブ下の倍音を使って高い音を出すんです。ギターとかのハーモニックスやバイオリンを弾いた時に出る音は倍音と同じ形だと思うんですけれども、私はライブで器用にコントロールすることは難しいので、全部ファルセットで。」
黒柳「普通の人は裏声って言いますよね。」
黒柳「ワアァ~!!ちょっと高い声に挑戦してみたけどダメでした。そうとう高い声ですよね。」
MISIA「そうですね。比較的高い声ですね。変声期の時に、声が高く出し辛くなって今無理矢理ださないほうがいいよって言われて、数年間歌うことを控えていたんですよ。中学生の時に、そろそろいいかなと思って、お家のピアノの前で歌ったら、どんどん声が出てきたという感じでした。」
黒柳「出た出たって感じなんだ。そうなの。あれがコンサートの時に、すぐでるんだ。」
MISIA「そうですね。ファルセットであれば。フォイッスルボイスというのは、コントロールが難しくて、ライブで使えたのは1~2回です。」
黒柳「フォイッスルボイスというのと、ファルセットとは違うの?」
MISIA「はい。声の出し方が違います。エネルギーをすごく使うので、あまり使わないです。」
大人気歌姫は黒柳徹子に影響を受けた
MISIA「あのう、私が以前、ブロードウェイミュージカルのトニー賞のナビゲーターをいつもみていたんです。その時に徹子さんが、日本ではお歌のレッスンとか踊りなどは、1人の先生に指示して習うことが多いけれども、ニューヨークとかでは、いろんな先生に習って自分が合う先生だったり、この先生からこれが学べてみたいな、いろいろ教わる話を聞いて、そうなんだ。いろんな先生に習えばいいんだって思って、数十人の先生がいます。」
乗馬で馬が指示を聞かなくなったら
黒柳「私のやっていることに、よく注目してくださって、乗馬やっているそうで。」
MISIA「乗馬もやっています。馬に乗る時も徹子さんは、手綱で指示がきかないときは、馬の耳元で、ささやくと聞いてお願いしてみたら、言うことを聞いてくれたんです。やっぱり、わかるんだ!」
黒柳「よきね。馬耳東風とか馬の耳に念仏とかいいますけど、そんなことはないですよ。ちゃんと聞いてくれますよ。そうじゃないと危ないし、危険ですよね。」
MISIA「そうですよね。同じ生き物として、心を読んでくれますよね。」
アフリカへ
黒柳「アフリカに行っているの?」
MISIA「そうです。小学校1年~3年生ぐらいに徹子さんがアフリカに行かれたりとか、アジアなどに行かれているのをテレビで視ていて、自分と同じぐらいの子どもたちが全く自分と違う状況で生きているんだということを、初めて知ってビックリしたんですね。」
黒柳「そうですよね。知らないもんね。」
MISIA「子どもの頃はまだわからなかったので、私たちが大人になるころには、これは、全部無くなっているのかなって思っていました。」
黒柳「子どもの頃はそう思いますよ。」
MISIA「大人になってもあるっていうことは、もっと長期的にやるものかなと、より関心を持って、実際にアフリカに行き、ケニアが最初で、そこで感じたのは援助という形が最後の答えじゃなくて、もっとお友達になって共に一緒に生きていくにはどうしたらいいかなって、考えあうことが大事だと思って。徹子さんは世界中の人と友達になって日本と繋がって来てくださるんだと感じました。」
両親は医者…長崎・対馬出身
黒柳「あなたは長野県の対馬でお育ちになったんですってね。どういうところなの?」
MISIA「対馬は4歳から暮していました。リアス式海岸です。」
黒柳「向こう側に韓国が見えるそうですね。」
MISIA「そうです。私の住んでいた所からは見えないんですけど、韓国の釜山が見えるみたいで。」
黒柳「両親はお医者さん?」
MISIA「はい。両親と兄が、姉は歯医者で。」
黒柳「やっぱり、人のためになりたいというようなお仕事の仕方なんですって?」
MISIA「離島に最新の医療を届けたいという思いで、それで父が離島医療をやりたいということで離島へ行きました。」
黒柳「私の祖父も北海道へ行ったのは、無医村の医者になりたくて、当時はとんでもなく北海道に病院を建てて、私が夏休みに行った時も、看護師さん連れて汽車に乗って、もっと小さな無医村で病院を作ってみたり、ただで診てたりしていました。」
オーディションに落ち続けた日々
MISIA「3人姉兄妹の末っ子で、小さい頃から楽曲が好きで、ハーモニカとかピアノとかを好きに弾いて歌ったりして、地元の合唱団に自分から入っていました。」
黒柳「高校に入ってオーディションに何回も落ちたんですって?」
MISIA「そうですね。小さいオーディションに最初はたくさん応募して、落ちていたりして、大きいオーディションを受けるようになって落ちたり、せっかくいただいたお話しが、自分が望んでいるのとは違うなと。家族自体が応援してくれていたので、ありがたかったです。」
黒柳「そうですよね。家族が応援してくれて。」
歌姫を育てた母の『魔法の言葉』
MISIA「母は、いっぱい魔法の言葉をかけてくれて。すごくマイペースな子どもだったんです。好きなことはするけど、嫌いなことは全然しないというところがあって。
そんな時に結果が悪いと、それを見て“あんたは天才かもしれない。エジソンもみんなちょっと変わってるねと言われたらしいよ”って。“好きなことが見つかったら、いろんなことが楽しくなるから、いろんなことができるかもしれん。天才かもしれないよ”って言われました。
だから自分はできないことがあるんだと自信を無くすんじゃなくて、いつか夢をもてばいろいろ出来るようになるのかなというふうに希望をもって歩めました。」
ーーMISIAの声がうわずり、瞳に涙が潤んで泣きそうになる。
黒柳「本当にありがたいですよね。それ以外にないんですよね。子どもなんて頼るものが、自分の一番身近な人が自分を信じてくれて、力づけてくれたら、どんなにいいかわかりませんよね。」
MISIA「最初の頃は、歌い続けていけるかどうかというのは分からないというか。不安になることが多かったんですけど、ちょっと失敗しちゃったなと思う時も、“大丈夫、明日になるとゼロにもどるから”って。」
黒柳「お母様が?いいわね。」
MISIA「“ゼロにもどるから、またそっからがんばりなさい”って。“何回もやり直せることが大事よ”ってね。」
黒柳「すごい。あっ、本当に。じゃあ、お母様自身もなんか満ち足りた感じ?」
MISIA「どうでしょう。まあ、すごくがんばり屋さんな両親だったと思いますね。」
黒柳「近くにいらっしゃるお母様みたいな人が子どもを信じて“天才かもしれんよ”ってね。」
デビュー20周年コンサート
黒柳「MISIAさんはデビュー20年ということで、記念のコンサートをなさるんですが、とても大きいところでなさるので、みなさんいらしてください。」
✿ デビュー20周年記念公演【THE SUPER TOUR OF MISIA】
・4月7日(土) 8日(日) 大阪城ホール
・4月27日(金) 28日(土) 横浜アリーナ




