碓井貞光さんの補足を兼ねて作成。林さんは既にマイナー戦国猛将で書き始めてるんで先出しになります。
美濃國諸舊記 巻之八「桂の郷重石の事」より抜粋私訳 「林半四郎武俊VS古の大力豪傑碓井貞光さんが積んだ重石w」

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(美濃守となった頼光さんに従い、他の四天王と行政区分を分け、碓井貞光さんは美濃の桂の郷に住して業務に当っていたが、
碓井さんはこの土地を非常に気に入り、ここに必ず自分の子孫を永く残すと言って(花木氏)、自身にまつわる財宝を入れた瓶を埋め、自身の「印」として石臼の形になるように二つ重ねの巨石「重石」を一人で運んで設置。
これを動かせるものは誰もおらず、この下には「御寶物が埋めてある」という事で、畏れ多いものとしてイタズラされることもなく長年そのままにされていたのだが)
~然(しか)る所、遥に星霜(せいそう 意味:年月)を経て、天文(1532年~1555年)の頃、當國可兒郡明智の城主、明智遠江守光綱の嫡子十兵衛光秀。未だ部屋住みにて暮らしていた際に(原文:暮らしける砌)、武道鍛錬の爲(為)といって所々を徘徊していたのだが、其(その)節、此(この)所に來(来)て暫く住したと言われている(原文:云々(うんぬん))。
美濃國諸舊記 巻之八「桂の郷重石の事」
然る所、此(この)桂の郷(※1)の西の方に中津原(※2)という所あり。其(その)所の出産の者に林半四郎という大力無雙の大勇士があったのだが、此(この)時よりして光秀の臣となって相仕えたという(原文:相仕へけるとぞ)。
元來(来)此(この)半四郎は身の丈七尺五寸(約227cm)あって、古今の剛勇(すらも)、大胆不敵の者であるが儘(まま)(に)、或時(あるとき)此(この)重石を見て甚だ笑い、
美濃國諸舊記 巻之八「桂の郷重石の事」
※1 岐阜県揖斐郡揖斐川町一帯かと。桂という地名、桂川という川がある。
※2 おそらく記述通りに「西」と考えるなら滋賀県米原市「甲」津原。中津又谷という地名もあるw中津原は岐阜県内に金山中津原があるが…こちらだと東な上に離れすぎw
「昔の貞光とやらは頼光殿の四天王と呼ばれし者にて、日本無雙の大力量と聞いている。
其(その)故にして、「我が武名を末世に殘(残)さん」との事で、此(こ)の如くの大石を積んで「碓井がなしたる印(しるし)なり」といって「末世には人なき」(と嘲る)如くの事をなしたのだ(原文:末世には人なし如くの事をなしたり)。
是(これ)は何さま後々に至り「貞光如きの大力(の者)あらば此(この)石を動かして見るべし」との手本であるのだろう。だが(原文:然れども)、夫れより以來(来)之を持つべき大力なしと見えたり。
今、我が主人と頼みし光秀殿は其(その)頼光の末流なれば、我(も)又其(その)四天王に同じ。古の頼光の四天王と我が大力を比べて見るべし」
美濃國諸舊記 巻之八「桂の郷重石の事」
頓(やが)て彼の重石の傍らに至り、上に積んである大盤石に手をかけ、むくむくと擔(かつ)ぎ上げたということである。人は是(これ)を見て大いに恐れをなしたという事である。
(そこへ)光秀來(来 きた)りて甚だ制し、元の如くにさせたのだという。
然る所、半四郎は其(その)夜より大汗をなし發(発)熱して、三日が間物を食せずしてあったのだが、後は事なく平愈(へいゆ)したという。
是(これ)によって半四郎が勇名はいっそう(原文:いとど)高くなり、生涯明智に仕えて其(その)名を顕(あらわ)し、天正十年(1582年)六月十四日、大津八町打出の濱(※3)にて入水したということである。
美濃國諸舊記 巻之八「桂の郷重石の事」
※3 今の滋賀県大津市打出浜。
そんなわけで(原文:然れば)重石、何の變(変)りし事もなく今以って其(その)形歴然たり。千代河戸(※4)は夫れ(碓井さんの重石逸話)より遥か後の事なれども、其(その)古跡は漸く衰微して、只(ただ)僅かの溜水となってしまった。
光秀、此(この)地に住せし時に詠んだ歌として、
「遙々と千代の古跡踏分けてとはでか行かん山岸の里」
(一応アホの訳:はるばると千代さんの古跡を踏み分けて渡って行こう山岸の里(たぶん揖斐川町谷汲の辺り?じゃないかと思うw))
「桂のの千代の川水淸ければ月も流れを尋ねてぞ住む」
(同じく訳:桂の野の千代河戸の川の水が清いので、月も流れを尋ねて川面に浮かんでいる)
美濃國諸舊記 巻之八「桂の郷重石の事」
※4 千代河戸「千代野殿」が住んでいた場所に湧き出る湧き水。この人の庵の前に小川になっていたため千代河戸と名付けられた。
この人物は美濃國諸舊記に長々書かれているのですが、内容を軽く要約すると、加賀国千代野(今の石川県白山市千代野)に長年住していたので千代野の尼公、千代野殿と呼ばれるようになったお人。足利尊氏の伯母(おば)とされる人物。
だが、諸国を廻る修行において、加賀平泉寺(今の福井県勝山市の白山平泉寺)に寄った際に、ここの主僧と陰部出し合って「珍三尺w萬無底w」の下ネタ禅問答合戦やったり、
超美人だったので、若い僧がしょっちゅう裏で声をかけて来るのを煩わしく思い、デカい法会の時に素っ裸になってソイツ名指しで「オメーヤリてぇなら相手してやっからかかってこいやゴルァ!!」やって黙らせた上で結果追い出したりとやたら破天荒なお人ですwwwこの件で女天和尚とも呼ばれたらしい。
そのあと東美濃→西美濃と来てここに住したそうです。どーやら千代野物語なるものがあるようですのwおっかねえw
畏れ知らずの林半四郎。碓井さんの重石には熱にうなされるものの三日で勝利ってとこでしょうかwww
これを考えると林武俊さんは光秀さんが若いころから抱えていた猛将って事なんでしょな。元々美濃と近江の境で山賊でもやってた所を光秀さんに召し出されたってとこかな?光秀さんの近江出身説(今の滋賀県多賀町佐目)だとなんか符合するような気がしないでもないw
でもこの重石…今いったいどこにあるんだ?揖斐川町の観光案内や史蹟にもねえw探すか…
登場人物リンク。
碓井さんはあるんすが…林さん無い(;-;)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA%E7%A7%80%E6%BA%80
一応貼っておきます。林さんはこの人を逃すために最期の奮戦(平教経化w)をしたので有名なお人ですw

https://matome.eternalcollegest.com/post-2143687468298574301
一覧。

https://matome.eternalcollegest.com/post-2143628302505132201
頼光四天王。

