政治家・小池百合子’S ヒストリー

m.satoaki
社会的に力のある錚々たる男性の方々と堂々と渡り合っている姿はこれからの女性たちの鑑となるでしょう。どのような人生を歩んできたのか調べました。

○学生時代

1971年9月に大学を中退してエジプトへ留学。カイロ市のカイロ・アメリカン大学(英語: American University in Cairo)でアラビア語を修め、カイロ大学に移り卒業した。
小池百合子 – Wikipedia

○社会人の第一歩

カイロ大学卒業後はアラビア語の通訳として活動。PLO議長アラファトやリビアのカダフィの会見では、コーディネーター兼インタビュアーを務めた。
小池百合子 – Wikipedia

○『竹村健一の世相講談』(1979年~1985年・日本テレビ)でアシスタントキャスター

番組内では竹村氏から嫌味ばかりを言われていた印象があります。竹村氏は元々傲慢な話し方がウリでしたが、見方によっては「イジメている」と感じるくらいの嫌味でした。
6年間も続けていたのはとても立派です。その経験がのちの政治家としての活動に生きているのかもしれません。

○テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』初代メインキャスター

ニュースキャスターとしての成功により政治家への道が開けました。1992年の第16回参議院議員通常選挙の際は複数の政党から誘いを受けました。

○政界入り

⇒日本新党・参議院議員(1992年)

⇒日本新党・衆議院議員(1993年)

細川内閣で総務政務次官に就任。

このあとは政界が離合集散する動きが続きましたのでその動きに伴い小池氏も政党を渡り歩くことになりました。

1994年ー日本新党が解党しましたので新進党に参加しました。新進党では小沢一郎氏の側近となりました。
1997年ー新進党が解党しましたので小沢氏が党首を務めていた自由党に入党しました。
1999年ー小渕第二次改造内閣で経済企画政務次官に就任、第一次森内閣まで務めました。
2000年ー自由党の分裂に際して小沢氏と決別し、保守党に参加しました。
2002年ー保守党も分裂問題などがあり、紆余曲折の末、自由民主党(森派)に入党しました。

○自民党での要職

2003年ー環境大臣(小泉政権)
2005年ー第44回衆議院議員選挙で小泉政権の郵政民営化法案に反対した議員の刺客候補となり圧勝して5選を果たす。この頃から女性政治家の象徴的存在となっていきました。
2006年ー内閣総理大臣補佐官(第一次安倍内閣)
2007年ー防衛大臣(第一次安倍内閣)
2008年ー自由民主党総裁選挙に立候補し落選しましたが、党員票では2位の結果となり健闘しました。
2009年ー自らの信条で無派閥となるも、谷垣総裁の下で党広報本部長に就きました。
2010年ー総務会長に就任。党三役に女性が就くのは初めての快挙でした。
2012年ー第46回衆議院議員総選挙で7選(東京10区)、党広報本部長に就任。
2014年ー第47回衆議院議員総選挙で8選(東京10区)。

○2016年 東京都知事就任

https://matome.naver.jp/odai/2147519569002799301
2017年04月08日