71年目の長崎「最後の被爆都市」の意味

Doragonfly
最後の被爆地‥長崎まとめてみました。

長崎は9日、71回目の「原爆の日」を迎え、長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれた。

田上富久市長は平和宣言で、核兵器の残虐性を強調し、5月のオバマ米大統領による広島訪問を評価。「原子雲の下で人間に何が起きたのか。事実を知ることこそが、核兵器のない未来を考えるスタートラインだ」と述べ、各国の指導者や市民らに被爆地を訪れるよう促した。

長崎は9日、71回目の「原爆の日」を迎え
田上市長は平和宣言で、米軍による原爆投下直後の惨状や、現在も続く放射線による被害に触れ、「核兵器は人間を壊す残酷な兵器」だと繰り返した。その上で、今年始まった、核兵器禁止に向けた法的枠組みについての国連作業部会での議論に参加しようとしない核保有国に対し、議論に参加するよう求めた
長崎原爆投下の日だが長崎というと死んだ祖父母が老人会の旅行で観た唐人踊りの話とそれが元になったかんかんのうが出てくる小さんの『らくだ』しか思い出さない。申し訳ない。

Simon_Sin@Simon_Sin

dailymotion.com/video/xkev97 今日は長崎原爆の日だからNHKスペシャルの『原爆投下 活かされなかった極秘情報』を観たゾ。無線傍受から「V600番台」の特殊任務機が原爆投下部隊だと判明していたのに長崎に警告を出せなかったのはなぜなのか。

Keiji Sato@madk1999

長崎市長「核廃絶へ英知結集を」 原爆投下71年 asahi.com/sp/articles/AS…

この歴史的な一連の行事に長崎の被爆者が参加することはかなわなかった。原爆が投下されてから71年。
オバマは長崎に来なかった―― 71年目の長崎「最後の被爆都市」の意味 – Yahoo!ニュース

今年5月27日、オバマ米大統領が現職の大統領として初めて広島の地を訪れた。オバマ大統領は2009年のプラハ演説で「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的な責任がある」とし、「核兵器のない平和で安全な世界(の実現)を目指す」と述べた。

長崎の被爆者団体5団体が、長崎からも被爆者をと外務省に申し入れたが、断られた。
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「これは長崎でニュースになっていたのですが、実は、(オバマ歓迎セレモニーの場に)長崎の被爆者は誰も同席していなかったんです」

被爆地が日本に2カ所あることの意味をこう見る。

「広島はウラン爆弾。長崎はプルトニウム爆弾です。2発の異なる爆弾を使ったということは、原爆投下は、初めから実験する狙いがあったのではないかということです」

長崎型は起爆の難易度が高いため、米国ニューメキシコ州アラモゴードで人類初の核爆発実験を行ったのである。
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米国ニューメキシコ州アラモゴードで人類初の核爆発実験を行ったのである。

2発の異なる爆弾を使ったということは、原爆投下は、初めから実験する狙いがあったのではないかということです

原爆で瓦解した浦上天主堂の壁の遺構は、戦後保存される方向だったが、1958年に撤去され、壁の一部が爆心地公園の片隅に移築された
ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判の主席検事で米軍准将、テルフォード・テイラーは、「広島の是非については議論の余地がある。だが長崎を正当化するもっともらしい理由を聞いたことがない」と述べている。

原爆開発史や原爆投下の道程を研究しているスタンフォード大学のバートン・バーンスタイン教授はこう言う。
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「1発目の原爆投下の必要性をどのように考えるかはともかく、8月9日に長崎に落とされた2発目の原爆はほぼ間違いなく不必要なものだった」

バートン・バーンスタイン教授
「1発目の原爆投下の必要性をどのように考えるかはともかく、8月9日に長崎に落とされた2発目の原爆はほぼ間違いなく不必要なものだった」

ナガサキは、命の問題を考える多くの人たちのハブ(拠点)のような存在になるし、そういう情報を発信していくべきだ。
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原爆落下中心地公園の爆心を示す爆心碑。この頭上約580メートルでプルトニウムを原料とする原子爆弾が炸裂した

長崎の原爆を象徴的に示すある場所

十字架が仏式の墓石の上にのった独特の形。白いマリア像もある。長崎市坂本町の「経の峰(きょうのみね)」共同墓地。

経の峰共同墓地
長崎ではこのような墓地は珍しくはない。ことに長崎市の北部、浦上地区はそうだ。周辺はかつてカトリックの信仰が、山裾の家々に、谷間の集落に染み渡るように浸透していった地域。深い信仰の歴史の痕跡がいたるところにある

仏式の墓の十字架が乗った形。キリスト教徒と仏教徒の墓が混在している共同墓地。浦上の爆心地を見下ろす位置にある
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原爆が投下されたのは、この浦上の地だ。経の峰共同墓地の墓石の裏には、原爆投下の昭和20年8月9日から、毎日のように、次々と家族、親族が死んでいった日付が刻まれている。

キリスト教徒の墓石の上段には、洗礼名が刻まれている
下段は、亡くなった日付。原爆が投下された1945年8月9日を境に、家族が次々に死んでいったことがわかる
正面に見えるのが再建された浦上天主堂。左の大きな建物はカトリック長崎大司教館。長崎のカトリックの中心地だ
浦上では、それまで信徒に対する大きな弾圧事件(崩れ)が3度あったが、この弾圧は「浦上四番崩れ」と呼ばれている。
晴れて信仰できるようになった彼らは、神父とともに教会を建設する。浦上天主堂である。双つの鐘楼をもつ東洋一の大聖堂。完成は大正14年。
原爆で崩壊した旧浦上天主堂の周囲に配置されていた聖像。もげた首や黒く変色した部分は、原爆の爆風や熱線によるものと考えられる

「人を見張る者よ、わたしがどんな罪過をあなたに犯したというのか。何故わたしをあなたの的にし、あなたの重荷にされるのか。何故わが咎を赦さず、わが罪を見過ごしにはされないのか」
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神に忠実であった者が、何故、更なる苦難を受けねばならないのか。神に問う物語。2000年以上前の物語が、浦上という原子野に再現されたのではないか。そう見る者もいる。広島にはない、カトリックの町、長崎の被爆体験がもつ独特の宗教性だ。

旧浦上天主堂に置かれていたマリア像。原爆で倒壊した天主堂の瓦礫の中から偶然頭部だけ見つかった

長崎が広島の陰に隠れがちなのは、原爆ドームのような象徴的な被爆遺構がないことも影響している。
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実は長崎にも、原爆ドームに匹敵するような遺構が、戦後13年目まであった。

米国国務省関連の機関の仲介で、長崎市長が渡米、ほぼ1カ月かけて全米を回り帰国した後から流れが変わり、議会などの強い反対があったにも関わらず、撤去されてしまったのだ。

米国国務省関連の機関の仲介で、長崎市長が渡米、ほぼ1カ月かけて全米を回り帰国した後から流れが変わり、議会などの強い反対があったにも関わらず、撤去されてしまったのだ。

そんな長崎にあって、いま目ぼしい遺構があるとすれば、爆心から西500メートルに位置する長崎市立城山小学校(旧城山国民学校)の平和祈念館だろう。
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めぼしい遺構のない長崎では、旧城山国民学校の校舎は平和祈念館となり、資料を展示している
この川は、傷ついた被爆者たちが水を求めて集まり、次々と死んでいった場所だ。
浦上川のほとり
https://matome.naver.jp/odai/2147074505486901301
2018年04月24日