ソ連のアフガニスタン侵攻の歴史(1978年-1989年)

misukiru
ソ連アフガニスタン侵攻の歴史(1978年-1989年)についてまとめました。

◆アフガンから撤退するソ連(1989年)

1979年から1989年までソ連侵攻
ソ連は、1979年から1989年までアフガニスタンに侵攻していきました。これにお金を使った事で、実体経済は悪化したとされています。

1979年にソビエト連邦が軍事介入を行い、1989年に撤退するまでの期間を扱う。
アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) – Wikipedia

1979年、ソ連のブレジネフ政権が社会主義を掲げる親ソ派政権を支援するためにアフガニスタンにソ連軍を侵攻
ソ連のアフガニスタン侵攻/アフガニスタン撤退

カーブルのソ連軍総司令部。旧アフガン大統領官邸。 (1987年)
アミンが住んでいたので、アミン邸などと呼ばれています。

◆泥沼化して10年継続された戦争

反政府勢力の台頭や活動の活発化などによって治安が急速に悪化し、新政権の強い要望によってソ連軍はアフガニスタンに足止めされることとなってしまった。
アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) – Wikipedia

計画は、外れていた。モスクワのリスキーな行動は西側に利用され、戦争は深刻化していった。
ソ連、アフガン侵攻の教訓 – News – 社会・歴史 – The Voice of Russia

9年間に渡る戦争において平均してアフガニスタンに駐留したソ連軍の兵力は10万人強である。1984年頃、ソ連陸軍首脳は政府に対し地上兵力増強を要求した。軍の要求した兵員数は30.5万人で駐留軍を3倍に増やすというものであった。
アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) – Wikipedia

最終的にソ連軍は1988年5月15日から1989年2月2日の間にアフガニスタンから撤退した。
アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) – Wikipedia

http://www.youtube.com/watch?v=CbDmC0vJr_o

◆チェルノブイリ原発事故が起こる

1986年チェルノブイリ原発事故
チェルノブイリ原発事故が起こったのも、ソ連の技術力が落ちた事の象徴でした。

1986年4月26日に起きた原発事故は、ソ連国内だけでなく、周辺のヨーロッパ諸国にも、農産物を中心に大きな被害を及ぼし、その対応の拙さから、ソ連の威信は大きく低下するのです。
チェルノブイリ事故、アフガン侵攻、エイズ、ホームレス、連続殺人

◆イスラム原理主義系の抵抗

ソ連軍に対しイスラーム原理主義系のゲリラ組織は激しく抵抗、ソ連軍の駐留は10年に及んで泥沼化し、失敗した。
ソ連のアフガニスタン侵攻/アフガニスタン撤退

ソ連側は1万4000人を超える兵士が戦死し、アフガン側はその数倍の戦死者を出す結果となった。
アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) – Wikipedia

◆ソ連の輸送力の不足

その世界最大の陸上兵力を持つソ連軍が、より多くの兵員をアフガニスタンに投入出来なかったのは経済面を含んだ輸送力の不足のためであった。
アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) – Wikipedia

◆米国によるイスラム勢力の支援

米国中央情報局(CIA)やチャールズ・ウィルソンらによる極秘の武器供給など、ムジャーヒディーンの支援に数十億ドルを費やした。
アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) – Wikipedia

アメリカ(カーター大統領)は、ソ連の武力侵攻を批判し、経済制裁を発動するとともにアフガニスタンの反政府勢力に武器を提供した。
ソ連のアフガニスタン侵攻/アフガニスタン撤退

◆関連リンク

https://matome.naver.jp/odai/2147020553971560501
2019年06月13日