TVの生中継中にステージ上で倒れそのまま…またひとり、偉大なアーティストが亡くなった

lessthanpanda
リンガラという音楽を世界に知らしめたミュージシャン、パパ・ウェンバが音楽フェスの出演中にステージ上で倒れそのまま逝去したとのニュースが飛び込んできました…。

パパ・ウェンバ、ステージ上で倒れそのまま逝去

ステージ上で倒れたパパ・ウェンバに駆け寄るバンドメンバーたち

コートジボワールのアビジャンで音楽祭に出演中、ステージ上で倒れた後に死去、66歳。音楽祭主催者が24日、ウェブサイト上で明らかにした。
パパ・ウェンバ氏死去(コンゴ歌手):時事ドットコム

コンゴ共和国の伝説的ミュージシャン、パパ・ウェンバ(Papa Wemba)が2016年4月24日、音楽フェスのステージ上で突然倒れ、そのまま逝去してしまいました…。

アビジャンのダウンタウンで開催される恒例の「アヌマボ音楽祭(FEMUA)2016」のステージ上で倒れ、そのまま息を引き取った
【速報】パパ・ウェンバがステージ上で逝去〜コンゴルンバの巨匠 – ぶらぶら★アフリック

パパ・ウェンバが倒れたシーンはカメラに収められていました…。

パパ・ウェンバ 略歴

Papa Wemba
1949年6月、コンゴ民主共和国の東カサイ州生まれ。アフリカ音楽を変えたミュージシャン。

パパ・ウェンバは当時ベルギー領コンゴと呼ばれていたコンゴ民主共和国で1949年に生まれ、60年代の終わりごろから伝説のバンド“ザイコ・ランガ=ランガ”のオリジナル・メンバーとしてシーンに登場し、一躍国民的な人気者となりました。
パパ・ウェンバ

77年には自身のバンド“ヴィヴァ・ラ・ムジカ”を立ちあげた彼は、当時日本では“リンガラ・ポップ”と呼ばれていたコンゴ(当時はザイール)のポップスをベースに、ビートルズ世代らしくロック的にそのサウンドをビルド・アップさせた“ルンバ・ロック”を作り出し、若い世代を中心に圧倒的な支持を得るまでになりました。
パパ・ウェンバ

コフィ・オロミデとならび、新世代のアフリカ音楽を築き、形作った。また今日サプールの名で知られるファッションスタイル、サップ(SAPE)の先駆的存在でもあった。
【速報】パパ・ウェンバがステージ上で逝去〜コンゴルンバの巨匠 – ぶらぶら★アフリック

サップ、またはサプールとは「おしゃれで優雅な紳士協会」や「エレガントで愉快な仲間たちの会」などを意味するフランス語の頭文字をとったもの。
一年中気温30度を越す常夏の両コンゴにおいて1950年代から1960年代のパリ紳士の盛装に身を包み、街中を闊歩するスタイルのこと。

米英ポップ音楽の影響を強く受け、当初は「ジュール・プレスリー」と名乗った。86年フランスに移住。88年、アフリカと西洋の音楽を融合したアルバムが成功し、広く名が知れ渡った。
パパ・ウェンバ氏死去(コンゴ歌手):時事ドットコム

Papa Wemba
1988年、フランスEMIから発売され大ヒットした“世界デビュー盤”。
ファッションリーダーとしてのパパ・ウェンバは日本のデザイナー贔屓でも知られており、2曲目「Bakwetu」では日本語の単語も。Apple Music:
https://itun.es/jp/ASQAk

ユッスー・ンドゥール、サリフ・ケイタと並び、80年代のアフリカ音楽シーンから世界へと進出してその名を轟かせた偉大な音楽家
パパ・ウェンバ

アフリカ音楽に詳しくなくても、名前だけは聞いたことがある方も多いのでは。

パパ・ウェンバが遺した音楽

中央アフリカに位置するザイールからアフリカ各地へと広まっていったリンガラ・ポップ、このサウンドをアフリカからヨーロッパへ、そして世界中へと広めていった伝道師の役目を果たしたのが、ヴィヴァ・ラ・ムジカを率いて何度も日本を訪れているパパ・ウェンバです。
パパ・ウェンバ

現在のコンゴ共和国であるが、植民地時代(ベルギー領コンゴ)の1930年代、1940年代にキューバからルンバなどのラテン音楽がもたらされ、ラテン音楽が盛んであった。
パパ・ウェンバ アフリカ・コンゴのポピュラー音楽界の巨人|ルロイ・ブラウンのブログ(Leroy Brown’s Salon or Saloon)

そして、1950年代にはジャズも浸透し、アフリカン・ジャズとして成立している。
コンゴのポピュラー音楽はラテンやジャズに加え、教会音楽やガーナのハイライフ、さらにはコンゴの伝統音楽をも取り入れて発達していった。
パパ・ウェンバ アフリカ・コンゴのポピュラー音楽界の巨人|ルロイ・ブラウンのブログ(Leroy Brown’s Salon or Saloon)

パパ・ウェンバであるが、1969年に彼が中心となってが結成したザイコ・ランガ・ランガ(バンド名です)によって、コンゴのポピュラー音楽は、外国の音楽の模倣を超えてザイール音楽を形づくり、ルンバ・ロックやリンガラと呼ばれるジャンルを生んだ。
パパ・ウェンバ アフリカ・コンゴのポピュラー音楽界の巨人|ルロイ・ブラウンのブログ(Leroy Brown’s Salon or Saloon)

1988年のアルバム『Papa Wemba』に収録された曲のライヴ演奏。エネルギーに溢れた1曲。
今も新世代アフリカ音楽のトップランナーであることを象徴するような曲。
2014年のアルバム『Maître d’Ecole』より。
2014年のアルバム『Maître d’Ecole』からのオフィシャル・ミュージックビデオ。

みんなの声

わたなべりんたろう@RintaroWatanabe

パパ・ウェンバが亡くなったニュースがトレンドになっている。またも偉大な音楽人が…
twitter.com/AdamMaina_/sta…

KΣI ISΔKΔ@kei_Isaka

うああああ!パパ・ウェンバが死んだ???!!!!!まじか!!!!>アイヴォリーコーストのアビジャンでのコンサート中のステージ上で倒れてそのまま死んだとな!!?? twitter.com/BBCBreaking/st…
パパ・ウェンバが亡くなった!アフリカン・スターで一番好きなのに!『ベロティ』のモノラルのシングル盤をみつけて喜んだ84年。初来日はなぜか当時の我が家から近い武蔵野市のホールだった。彼が主演した映画まで「アフリカ映画祭」に観に行った。まちがいなくリンガラ音楽スターだった。サヨナラ。

代謝さん@fuku_kiru

こないだのサプール展で知ったパパ・ウェンバええな〜と思ってさっきなにげなく検索したらパパ・ウェンバ氏死去(しかも死因不明)とか出てきてガーンすぎる……………………

hidenori okada@79primaveras

リンガラ・ミュージックの存在を教えてくれ、サプール(伊達者)の徹底した実践者でもあったパパ・ウェンバが、コートジボワール公演の途中で倒れ、急死との報…。1992年のWOMAD横浜公演で目撃したが、なかなか踊らない日本人をぴょんぴょん跳ねさせていた。ああ。

seed (LOVE&PEACE)@aurorafishseed

パパ・ウェンバの後楽園ホール、すげー迫力だったなあ。とどまるところを知らないパワーに驚いたっけなあ…R.I.P.

野崎洋子@mplantyoko

パパ・ウェンバがステージ上で亡くなったと聞いてびっくり。でも感動している。大好きでした。アルバム2、3枚、一時しょっちゅう聞いてた。お疲れさまでした。そしてありがとう。

こぶた@katatsumuri1207

倉敷彷徨/ パパ・ウェンバの訃報を知り、昔の昔「最近のオススメって何かありますか?」「そりゃあ今はリンガラポップスじゃろう!ジュジュミュージックじゃろう!」とグリーンハウスの中村店長に力強くパパ・ウェンバやサニー・アデをすすめられたのを思いだしたのであり

hidesumi yoshimoto@hidesumix

パパ・ウェンバ、ありがとう。
https://matome.naver.jp/odai/2146151150475957101
2016年04月25日