「建国記念日」の設置という法案が提出されますが、いろんな意見などがあって、法案が提出されては、廃案されして、なんと9回の提出と廃案を繰り返し、「建国記念日」は制定されませんでした。
専門家などから、日本の正確な起源がわかっていないのに「建国記念を定められない」といった多くの意見があったといいます。初代天皇である神武天皇という人物は『古事記』では、137歳まで生きたとされ「伝説の人物で実在しない」といわれること。
1966年(昭和41年)に「建国されたという事を記念する日」という解釈をして、名称に「の」を入れて「建国記念の日」としてやっと決まったようです。
専門家などから、日本の正確な起源がわかっていないのに建国記念を定められないといった多くの意見があったといいます。「建国記念の日」として、国民の祝日が決まるまで、制定されるまで、10年以上もかかって2月11日、「建国記念の日」があるわけです。
建国をしのび、国を愛する心を養うという趣旨で制定された国民の祝日の一つ。
「変化をおそれることなく、諸課題に真っ正面から挑戦し、より良い未来を切り開く」と決意を示している。
首相はメッセージで「私たち今を生きる世代には、先人たちの足跡の重みをかみしめ、環境の変化に適応しつつ、今日の尊い平和と繁栄を守り、素晴らしい伝統を子や孫の世代に引き渡していく大きな責任がある」と強調。
建国記念の日(けんこくきねんのひ)は、日本の国民の祝日の一つで文字通り、「建国を記念する日」で、毎年、2月11日が建国記念の日です。
「建国記念の日って何?」って思ったことありませんか?
建国記念の日とは驚きの由来と意味。建国記念日でない衝撃の秘密について、紹介します
建国記念の日は、1966年(昭和41年)に定められました。翌年の1967年(昭和42年)の2月11日から実際に、祝日となったのです。
なぜ建国記念の日という祝日を作ったのでしょうか?
建国記念の日の由来、起源は、かつての明治時代の祝日のひとつ、「紀元節(きげんせつ)」でありました。
なぜ紀元節を制定するに至ったのかについては明治維新という時代は背景がありました。
その紀元節とは、明治時代に日本の起源を祝日にしようという運動があって初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)即位の初日を日本の紀元、歴史が始まる最初の日として1872年(明治5年)に制定されたことから始まります。
明治維新という不安定な世の中で近代国家を作らなくてはいけない、日本を強い国にしなくてはいけない、といった国を再建しなければいけませんでした。
また、実際に、国民の生活は貧しく今のように経済状態もよくありませんでした。不安定で、先がどうなるかわからない世の中で日本の国を建国した神武天皇を思い出しての精神、思想を唱えてこの厳しい世の中の状況を乗り越えるべく、ふるい起こしたといいます。
そして、人々は不安から、全国から伊勢の皇大神宮へ参拝に押し寄せました。
また同じように、奈良の畝傍山(うねびやま)の神武天皇の御陵へも多くの人が押し寄せたと歴史上、類のない大事件として語られています。
神武天皇の御陵へも多くの人が押し寄せたと歴史上、類のない大事件として語られています。
最後は、神頼みでしょうか。
そのような社会情勢から、初代天皇である神武天皇の即位の初日を日本の紀元の日を「紀元節」として1872年(明治5年)に制定されました。
しかし、この祝日「紀元節」は戦後、1948年(昭和23年)にGHQの意向で、廃止されてしまいます。
その理由は、紀元節を認めると、天皇を崇拝する日本人が、一致団結をして、またアメリカに歯向かうのではないかということを考えて、紀元節は廃止されました。
しかし、その後、1951年(昭和26年)頃から紀元節を復活させようという動きが出てきました。
専門家などから、日本の正確な起源がわかっていないのに建国記念を定められないといった多くの意見があったといいます。
確かに、初代天皇である神武天皇という人物は『古事記』では、神武天皇は、137歳まで生きたとされていて「伝説の人物で実在しない」といわれることもありその考え方が広く浸透しているのが現状です。
そして、「建国記念日」の設置しようという法案が提出されますが、さまざまな意見などがあって、法案が提出されたのに、廃案されたりして、なんと9回の提出と廃案を繰り返し、なかなか「建国記念日」は制定されませんでした。
しかし、やっと1966年(昭和41年)に定められます、
当初は、「建国記念日」として制定しようとしていたのですがそのような意見や議論などから「建国されたという事象そのものを記念する日」という解釈をして、名称に「の」を入れて「建国記念の日」としてようやく決まったというわけです。
「建国記念の日」の由来や意味を知りますと日本の国旗を掲げる理由がわかります。