阪急電鉄の最新の車両から引退したし車両までの歴代車両をまとめてみました。
阪急電鉄
阪急電鉄の公式サイト。運行情報、振替輸送情報、時刻表、ダイヤや運賃(定期代など)の検索、駅の情報、定期券、お得なきっぷ、沿線のおでかけ、イベント情報などをご紹介。
大阪梅田と神戸・宝塚・京都を結ぶ鉄道を経営する大手私鉄。阪急阪神ホールディングスの子会社で、阪急阪神東宝グループに属する。
阪急1000系電車 (2代)
阪急1000系電車 (2代)
阪急1000系電車は、阪急電鉄が2013年より製造を開始した、神戸線・宝塚線向けの通勤形電車である。2013年11月28日に神戸線で、翌月25日に宝塚線で営業運転を開始した。
阪急9000系電車
阪急9000系電車
京都線用の9300系と同様に日立製作所に発注し、06年5月22日から5月25日にかけて正雀工場に第1編成(8両)が搬入され、同年6月25日に西宮車庫へ回送した。ファンクラブ会員のみを対象にした試乗会が、神戸線で7月29日に実施され、7月31日に神戸線で営業運転を開始し、翌2007年9月18日に宝塚線でも営業運転を開始した。
阪急9300系電車
阪急9300系電車
阪急9300系電車は、阪急電鉄の電車。特急運用が主目的であるため、その用途から特急形車両に分類される場合がある。
2003年10月14日、梅田発河原町行きの快速特急にて営業運転を開始。阪急京都線の特急の主力となっている。
2003年10月14日、梅田発河原町行きの快速特急にて営業運転を開始。阪急京都線の特急の主力となっている。
カーボン・ニュートラル・トレイン摂津市駅号
9303Fは摂津市駅の開業を記念し、「カーボン・ニュートラル・トレイン摂津市駅号」としたラッピングで運用されていた。
阪急8200系電車
阪急8200系電車
阪急8200系電車は、1995年に導入された阪急電鉄の通勤形電車である。
1980年代後半からのバブル期に乗客増加で神戸線のラッシュ時輸送力が限界に達しつつあったことから、1995年に、子会社のアルナ工機で、ラッシュ時対策用の増結車として以下の2両編成2本(4両)が製造された。
1980年代後半からのバブル期に乗客増加で神戸線のラッシュ時輸送力が限界に達しつつあったことから、1995年に、子会社のアルナ工機で、ラッシュ時対策用の増結車として以下の2両編成2本(4両)が製造された。
阪急8300系電車
阪急8300系電車
阪急8300系電車は、阪急電鉄が1989年から製造した、京都線向けの通勤形電車である。
本系列は、8000系の京都線仕様、そして大阪市交通局(大阪市営地下鉄)堺筋線直通対応車として建造した。VVVFインバータ制御、濃色の木目調化粧板、車椅子スペースの設置、側窓のパワーウインドウ化などは同系列と同一であるが、同系列の一部編成に導入されているクロスシートは設置されていない。車体幅は7300系と比較して50mm、8000系と比較し100mm拡大されており、混雑時の居住性も向上している。
営業開始は8000系と同じ1989年だが、8000系が営業開始した1月1日よりもかなり遅れた。
本系列は、8000系の京都線仕様、そして大阪市交通局(大阪市営地下鉄)堺筋線直通対応車として建造した。VVVFインバータ制御、濃色の木目調化粧板、車椅子スペースの設置、側窓のパワーウインドウ化などは同系列と同一であるが、同系列の一部編成に導入されているクロスシートは設置されていない。車体幅は7300系と比較して50mm、8000系と比較し100mm拡大されており、混雑時の居住性も向上している。
営業開始は8000系と同じ1989年だが、8000系が営業開始した1月1日よりもかなり遅れた。
飾り帯つき時代の8300系
8300系2次車
エコトレイン 未来のゆめ・まち号
8331F+8312Fは、2008年12月1日から2009年7月31日までの間、先頭車の車体側面までラッピングが施され、車内広告も環境をテーマにしたものが掲載されている「エコトレイン 未来のゆめ・まち号」として運行された。
阪急8000系電車
阪急8000系電車
阪急8000系電車は、阪急電鉄が1988年から製造した、神戸線・宝塚線(総称神宝線)向けの通勤形電車である。
1989年1月1日に宝塚線の初詣臨時特急で営業運転を開始した。
本系列は、阪急電鉄の創立80周年を記念して製造された。本系列落成後、2000年代前半まではそれまでの阪急の看板車両であった6300系に入れかわる形で同社の広報誌などに掲載されていた。
1989年1月1日に宝塚線の初詣臨時特急で営業運転を開始した。
本系列は、阪急電鉄の創立80周年を記念して製造された。本系列落成後、2000年代前半まではそれまでの阪急の看板車両であった6300系に入れかわる形で同社の広報誌などに掲載されていた。
エコトレイン 未来のゆめ・まち号
2008年12月1日から2009年7月31日まで、8000Fと8007Fが「エコトレイン 未来のゆめ・まち号」として運行されていた。両編成には先頭車の側面半分まで環境をテーマにしたラッピングが施され、車内も環境をテーマにした広告が掲載されていた。
阪急7300系電車
阪急7300系電車
阪急7300系電車は、1982年から1989年まで製造された阪急電鉄の通勤形電車である。7000系の京都線仕様で、性能は7000系と同等。計83両が建造された。
京都線用で初の界磁チョッパ制御を採用した形式。7000系同様、製造時期の違いから車両によって仕様に差が見られる。
車体寸法は後に登場する9300系同様に、将来の神宝線の車両限界拡張を見込んだ新しい標準車体仕様に準拠している。最大幅は2,800mm、連結面間距離は18,900mmとしており、車体長は中間車で18,300mm、先頭車で18,350mmである。
京都線用で初の界磁チョッパ制御を採用した形式。7000系同様、製造時期の違いから車両によって仕様に差が見られる。
車体寸法は後に登場する9300系同様に、将来の神宝線の車両限界拡張を見込んだ新しい標準車体仕様に準拠している。最大幅は2,800mm、連結面間距離は18,900mmとしており、車体長は中間車で18,300mm、先頭車で18,350mmである。
大幅にリニューアルされた7300系7320F
7320Fのみ先頭車前面の形状が、9000系列とほぼ同様なものとなった。窓ガラスは種別幕・方向幕まで拡大され、貫通扉まわりは6300系及び8000系列と同様のステンレス製の飾り板が取り付けられた。車両番号の掲出位置が貫通扉部分から左側の窓下に変更され、それに伴い同部分の種別灯・尾灯の位置が若干下げられた。また、足掛け板の設置に伴い、それまで2000系から7300系までの系列と同じく設置されていた小型の足掛け板は撤去されている。
VVVFインバータ制御に変更された7303F
VVVFインバータ制御に変更された7303F。前面は大幅に変更されなかったが車番の移設や足掛け板の設置、貫通扉の窓面積拡大が行われている。
編成から外され正雀車庫で長期休車となっている7851号車
阪急7000系電車
阪急7000系電車
阪急7000系電車は、1980年から1988年まで製造された阪急電鉄の通勤形電車である。6000系をベースに1980年から1988年までに210両が製造された。現在、阪急での同一系列の製造数が最も多い形式である。車体は6000系とほぼ同一であるが、制御装置は回生ブレーキ付き界磁チョッパ制御(東芝製)に、主電動機は複巻電動機に変更され、出力も150kW(定格回転数は1,620rpm)に増強されている。
また、6000系(旧2200系を含む)を組み込んだ編成や、6両編成の一部には8000系と連結して通常は8両編成として運用されている編成が存在する。
また、6000系(旧2200系を含む)を組み込んだ編成や、6両編成の一部には8000系と連結して通常は8両編成として運用されている編成が存在する。
特急 7003ほか8両
7007Fは7300系7320Fと同様の外観となり、前面・側面の種別幕・方向幕は、フルカラーLEDに変更された。また、車内には、9000系、9300系9303F以降、7300系7320Fと同様の2面の液晶ディスプレイが、各ドアに千鳥配置で設けられている他、座席間に仕切板が増設されている。
宝塚歌劇100周年ラッピング車となった7001F
7001Fは2014年3月から6両に短縮の上宝塚歌劇団100周年記念のラッピング車として運行されている。ラッピング車としての運行は同年12月24日で終了したがその後も6両編成で今津北線で運用されている。2015年秋の臨時列車で、はじめて嵐山への直通列車(宝塚発着)に充当された。
阪急6300系電車
阪急6300系電車
阪急6300系電車は、阪急電鉄の電車。
京都本線の特急運用に充当するために設計・製造され、派生番台である6330形とあわせて8両編成9本計72両が製造された。
車体は両開き扉としたが、2800系と異なり、扉を両端に寄せ、側窓は2800系と同様の2連式の一段下降窓として、特急車としての風格を持たせた。車体寸法は阪急では最大となっており、車両限界の異なる神宝線と大阪市交通局(大阪市営地下鉄)堺筋線には入線することはできない。
京都本線の特急運用に充当するために設計・製造され、派生番台である6330形とあわせて8両編成9本計72両が製造された。
車体は両開き扉としたが、2800系と異なり、扉を両端に寄せ、側窓は2800系と同様の2連式の一段下降窓として、特急車としての風格を持たせた。車体寸法は阪急では最大となっており、車両限界の異なる神宝線と大阪市交通局(大阪市営地下鉄)堺筋線には入線することはできない。
京とれいんで運用されている6300系
6354Fは2011年に観光客向けの列車への充当を目的として京風に更新工事が施行され、同年2月18日に出場した。
この列車は、乗車した瞬間から京都への旅の期待が高まるような演出を施すため、京都の「和」と「モダン」をコンセプトに、京都の町家をイメージした内装に改造している。
この列車は、乗車した瞬間から京都への旅の期待が高まるような演出を施すため、京都の「和」と「モダン」をコンセプトに、京都の町家をイメージした内装に改造している。
正雀車庫で休車になっている6350F
阪急6000系電車
阪急6000系電車
阪急6000系電車は、阪急電鉄の通勤形電車である。
1976年から1980年にかけて126両が製造され、1985年に4両が追加製造された。
神宝線用として、5100系の電装品に2200系の車体を組み合わせている。ブレーキシステムは2200系と同一の電気指令式で、運転台にワンハンドルマスコンを採用したのも2200系と同じである。車体は、5100系と比べて窓の天地寸法が50mm拡大された。
1976年から1980年にかけて126両が製造され、1985年に4両が追加製造された。
神宝線用として、5100系の電装品に2200系の車体を組み合わせている。ブレーキシステムは2200系と同一の電気指令式で、運転台にワンハンドルマスコンを採用したのも2200系と同じである。車体は、5100系と比べて窓の天地寸法が50mm拡大された。
急行表示が白地に赤文字
6000系は登場当初、6001Fが宝塚線に阪急初のアルミ車体2両を含んだ8両貫通編成が投入され、1年間以下のような編成で運用されていた。アルミ車体の車両は中間の2両である。一方、神戸線用として6020F・6010Fが登場した。将来の山陽電鉄乗り入れ運用への充当を考慮して2両 (6020F) +6両 (6010F) の8両編成で製造され、しばらくは8両固定編成で使用されたが、6024F・6014Fの製造で運用に必要な編成数が揃ったことにより、1977年12月より6000系による山陽電鉄乗り入れ・分割併合運用を開始した。
今津南線や甲陽線
2008年9月時点では、2200系からの編入車を含めて140両が在籍しており、その大半は宝塚線配置である。一部は今津南線・甲陽線用としてワンマン対応改造が施工され、3両編成となっている。
能勢電鉄に移籍した6002F編成
1997年になって能勢電鉄への直通運転が開始されることになり、6011Fが直通運転に使用する編成の予備編成として整備された。能勢電鉄用の列車無線アンテナが増設され、位置も変更されている。また、1998年には従来阪急マルーン一色だった車体の屋根の部分に6300系と同様のアイボリーの塗装が行われることになり、すでに変更完了している。なお、6001Fのみ前面部のみアイボリーの塗装がされない試験塗装を施されていたが、その後他車と同様の塗装に変更されている。
阪急5300系電車
阪急5300系電車
阪急5300系電車は、1972年に登場した阪急電鉄(以下「阪急」)の通勤形電車である。
初の神宝線・京都線共通規格車5100系相当の機器と、3300系の大阪市交通局(大阪市営地下鉄)堺筋線乗り入れ対応の「民営鉄道標準車体」とを組み合わせた京都線専用車両である。
5100系と同様に当初から集約分散式冷房装置を搭載しているために冷房風洞分だけ屋根が3300系より高く取られ、前面には3300系を踏襲して手動式小型方向幕が設置され、側面にはやはり3300系と同様に電光式列車種別表示装置が設置された。
初の神宝線・京都線共通規格車5100系相当の機器と、3300系の大阪市交通局(大阪市営地下鉄)堺筋線乗り入れ対応の「民営鉄道標準車体」とを組み合わせた京都線専用車両である。
5100系と同様に当初から集約分散式冷房装置を搭載しているために冷房風洞分だけ屋根が3300系より高く取られ、前面には3300系を踏襲して手動式小型方向幕が設置され、側面にはやはり3300系と同様に電光式列車種別表示装置が設置された。
阪急5200系電車
阪急5200系電車
阪急5200系電車は、阪急電鉄がかつて所有していた通勤形電車で、阪急初の新製冷房車として1970年から1971年にかけて25両が製造された。1998年秋の今津南線及び甲陽線のワンマン化に伴う車両移動によって両編成ともに休車となり、1年ほど平井車庫に疎開留置されたのち、1999年12月から2000年1月にかけて正雀工場に回送ののち廃車され、姿を消した。5200系の廃車体は、5251前頭部以外はすべて解体処分されている。
阪急5100系電車
阪急5100系電車
阪急5100系電車は、1971年から製造された阪急電鉄(以下「阪急」)の通勤形電車である。
神戸線用の架線電圧1500V専用車5000系、5000系の試作冷房搭載車5200系に続く、本格的冷房搭載車として製造された形式。冷房車を各線均等に配置するためにそれまで神戸線、宝塚線(神宝線)系統の車両と京都線系統の車両とで異なっていた機器類の規格が極力統一され、全線での運行に配慮した設計となっている。
神戸線用の架線電圧1500V専用車5000系、5000系の試作冷房搭載車5200系に続く、本格的冷房搭載車として製造された形式。冷房車を各線均等に配置するためにそれまで神戸線、宝塚線(神宝線)系統の車両と京都線系統の車両とで異なっていた機器類の規格が極力統一され、全線での運行に配慮した設計となっている。
能勢電鉄に譲渡された5136F
2014年7月13日、能勢電鉄へ譲渡された5136F編成が改造のため、西宮北口から新開地駅経由で阪神電気鉄道の尼崎駅へ回送され、翌2015年1月12日に阪神車両メンテナンスを出場、同日未明に西宮車庫まで回送された。2015年3月16日より能勢電鉄にて営業運転が開始された。
阪急5000系電車
阪急5000系電車(リフレッシュ改造済)
阪急5000系電車は、1968年から1969年に製造された阪急電鉄の通勤形電車である。
2011年現在、全車が西宮車庫に配置されて神戸本線にて使用されており、5100系から編入された車両と共に8両編成8本を組成している。
2011年現在、全車が西宮車庫に配置されて神戸本線にて使用されており、5100系から編入された車両と共に8両編成8本を組成している。
写真は非リフレッシュ車(改造更新前)
1960年代の阪急電鉄は、輸送力増強と、神戸高速鉄道東西線・山陽電気鉄道本線(以下「山陽電鉄」)乗り入れ計画の具体化から、神戸線の架線電圧を当時の600Vから1500Vに昇圧する事を予定していた。それに備えて双方の電圧に無改造で対応できる複電圧車の2021系が在籍していたが、1967年に行われる昇圧以降の600V対応機能の不要による単電圧化、および居住性や乗り心地向上のための足回りの改善を眼目に新たに設計したのが5000系で、合計47両が製造された。
阪急3300系電車
阪急3300系電車
阪急3300系電車は、阪急電鉄の通勤形電車である。
1967年から、京都線・千里線仕様車として製造された。当時の大阪市交通局(大阪市営地下鉄)6号堺筋線への相互直通運転計画から、「民営鉄道標準車体」と呼ばれる車体で製造されたが、車体各所の設計は、ほぼ同時期より神宝線向けに製造を開始した5000系と共通している。なお、神宝線へは民営鉄道標準車体では車体幅が車両限界に抵触するため、入線不可能である。
1967年から、京都線・千里線仕様車として製造された。当時の大阪市交通局(大阪市営地下鉄)6号堺筋線への相互直通運転計画から、「民営鉄道標準車体」と呼ばれる車体で製造されたが、車体各所の設計は、ほぼ同時期より神宝線向けに製造を開始した5000系と共通している。なお、神宝線へは民営鉄道標準車体では車体幅が車両限界に抵触するため、入線不可能である。
左は製造時から中間車の車両、右は中間車化された先頭車。
阪急3000系電車
阪急3000系電車
阪急3000系電車は、1964年に登場した阪急電鉄の通勤形車両である。1960年代の阪急神戸本線は、神戸高速線・山陽電気鉄道本線(以下「山陽電鉄」)乗り入れの計画から架線電圧の 600 V から 1500 V への昇圧が計画されていた。これに備え、両方の電圧に無改造で対応できる「複電圧車」2021系が在籍していたが、機器の構造が複雑で保守に難があるという欠点があった。
そこで、昇圧後は複電圧機能が不要となることから、新たに単純な抵抗制御を搭載した車両が設計された。これが3000系である。
そこで、昇圧後は複電圧機能が不要となることから、新たに単純な抵抗制御を搭載した車両が設計された。これが3000系である。
原形前面の支線用3000系。写真の車両はスウィープファンを持たない
阪急3100系電車
宝塚線仕様の3000系である。基本的な構造は3000系と共通であるが、比較的低速な同線に合わせて、主電動機が出力120kWのSE-535(定格回転数は1520rpm、許容回転数は4500rpm)に変更され、歯車比も2100系と同じ6.07で低速向けに設定されている。
伊丹線運用に就く3100F
能勢電鉄の3100系。
1996年には、箕面線に所属していた3156Fの4両が能勢電鉄に譲渡された。同編成はアルナ工機で改造され1997年9月に竣工、同年11月1日よりから使用されている。改造に際して、車内は化粧板が木目から白っぽい無地のものに、座席モケットがゴールデンオリーブから青色にそれぞれ張替えられ、つり革も握り部の形状が円形から三角形のものに交換された。同時にスイープファンの取付けも行われている。車外についても、標識灯を腰部に移設し、アルミ製の板をその周囲に巻いたほか、車番も左窓上に記載するなど、従来の能勢電鉄への譲渡車とは一線を画した仕上がりとなった。
阪急2800系電車
1995年以降も、2300系2305Fに組み込まれた中間車3両(2831・2841・2885)が京都線に残存し、2831・2841は制御器を撤去のうえM’車として運用が続けられた[31]。2001年、2305Fそのものが阪急最後のエコノミカル台車装着車を含み、老朽化による淘汰対象とされたため、同編成に組み込まれていたこれらの残存車も同時に廃車となり、ここに本系列は完全消滅となっている。
福知山市雲原の国道176号沿いに置かれた2861
2861が民間に売り出され、京都府福知山市雲原の国道176号沿いにある飲食店でFS-45台車を履いたままの状態で使われていたが、現在はただの民家となっているようである。
阪急2300系電車
阪急2300系電車
阪急2300系電車は、阪急電鉄が保有している通勤形電車である。本系列は、1960年に神宝線用の2000系の姉妹車として登場した。現在の阪急電車の基礎を築いた系列の一つであり、基本デザインは最新の1300系にも受け継がれている。2015年3月20日に定期運用を終了、同月22日に最後まで残った2313Fによるさよなら運転を正雀駅 – 河原町駅間で行うことが阪急電鉄により発表された。3月22日にさよなら運転が実施、本系列は55年におよぶ運行を終了した。
売却され個人宅に設置されている2311型の運転台
阪急2200系電車
阪急6000系6050(元2200系2250)
1995年の阪神・淡路大震災発生時、今津(北)線宝塚南口駅付近を走行中に脱線し、機器に復旧不可能な損傷を受けた。この際、電動車の2721が廃車(再使用可能機器を使って、付随車6772として再生)されたことを機に試験車としての使用を停止し、残存車は6000系に編入されることになり、本系列は形式消滅となった。
現在は全車が付随車化のうえ6000系に編入されている。
現在は全車が付随車化のうえ6000系に編入されている。
阪急2100系電車
阪急2100系
本系列は、1962年より2000系の宝塚線仕様として電動車の2100形と制御車の2150形が各15両ずつ、合計で30両が製造された。神戸線に比べて低速だった当時の宝塚線に合わせて電動機出力が100kWと低く抑えられたので、そのために別形式に区分された。
1980年代になると速度が向上した宝塚線では性能不足となり、冷房化も施工されないまま(一部車両については1980年頃に貫通路部を狭幅化改造の上ドア取り付け工事を実施)、編成単位では1983年から1985年に廃車され、2154が冷房化改造の上で2050(2代目)に、2153と2155が2055と2059に改番された時点で形式消滅した。
廃車後は2000系に編入された車両を除く全車が能勢電鉄に譲渡され、同社の1500系に改造された
廃車後は2000系に編入された車両を除く全車が能勢電鉄に譲渡され、同社の1500系に改造された
阪急2000系電車
阪急2000系電車
阪急2000系電車は、阪急電鉄が1960年から神戸線・宝塚線(神宝線)用として製造した通勤形電車である。
2000系は、3000系などの中間車として使用されている車両を除き、他形式で行われた前面への方向幕設置や尾灯の移設工事の対象から外され、8000系の投入で捻出された経年の浅い他系列に置き換えられることとなった。1989年より廃車が開始され[22]、1992年の2070Fによるさよなら運転をもって単独編成は消滅した。
2000系は、3000系などの中間車として使用されている車両を除き、他形式で行われた前面への方向幕設置や尾灯の移設工事の対象から外され、8000系の投入で捻出された経年の浅い他系列に置き換えられることとなった。1989年より廃車が開始され[22]、1992年の2070Fによるさよなら運転をもって単独編成は消滅した。
阪急2021系(現・2071系)電車
本系列は、1963年の神戸線と宝塚線の架線電圧昇圧(600V→1500V)決定に伴って製造された2000系の複電圧対応型である。
1964年までに電動車である2021形と制御車および付随車である2071形が各21両ずつ、合計で42両が製造された。車両番号は2000系の続番で、それぞれ2021 – 2041・2071 – 2091と付番されており、これが系列名の由来になっている。
能勢電鉄に譲渡された2000系(1500系)
1983年から1985年にかけて竣工した基本的に阪急2100系を種車とするグループである。譲受した時点で全車が非冷房であり、一方で能勢電鉄は当時600Vだったことから、冷房装置の取り付けと600Vへの降圧化工事のため、入線前にアルナ工機にて冷房改造が行われた。
入線当初のマルーン+ベージュ1550F
2008年には、5月23日に能勢電鉄が創設100周年を迎えるにあたって、2010年2月まで「懐かしのオリジナルカラー」塗装が復刻されていた。対象車両は1550F(入線当初のマルーン+ベージュ)と1560F(能勢電鉄最後のオリジナルカラー。フルーツ牛乳塗色〈オレンジ+クリーム〉)である。
フルーツ牛乳塗色1560F
1形復刻塗装車両
2013年には、開業100周年を記念し3月16日より1550Fに、開業当初の1形の青みがかった緑色の塗装を復刻した。4月13日には1560Fに、50形の白と青のツートンカラーを復刻した。両編成の車内は荷物棚が撤去され、その跡にかつての能勢電鉄の写真を展示している。化粧板もやや赤い色調の艶消しのものに交換された。
50形復刻塗装車両
阪急1700系電車
1990年から1992年にかけて竣工した、基本的に阪急2000系を種車とするグループである。全車が阪急在籍中に冷房改造を受けているため、冷風吹き出し口にスイープファンは付いていない。
冷房機以外の改造点は1500系とほぼ同じであり、設置間隔が広い冷房室外機と送風ファンなしの冷房吹き出し口が同系列との相違点となっている。2100系からの編入車4両と2021系を種車とする4両も1500系に改造された同形式とは別形態になっている。
冷房機以外の改造点は1500系とほぼ同じであり、設置間隔が広い冷房室外機と送風ファンなしの冷房吹き出し口が同系列との相違点となっている。2100系からの編入車4両と2021系を種車とする4両も1500系に改造された同形式とは別形態になっている。
里山便ラッピング車
2014年には、「日本一の里山」と言われる川西市黒川地区のPRのため、能勢電鉄の車両としては初めての大規模なラッピングが1758Fに施された。
阪急1000系電車 (初代)
1000形(初代1000系)
1000形は京阪神急行電鉄初の新規設計された高性能車として、1954年に1000 – 1003の1形式4両がナニワ工機で製造された。
奇数車と偶数車でペアを組む2両編成2本で構成されていた。
本形式はナニワ工機が独自開発した準張殻構造車体を採用した。このため、外観は先代に当たる810系と比較して側板がゆるく「く」の字状に折れ曲がり、窓周りが一段飛び出すという、他に類例の無い独特の形状の車体断面となっており、また車体全体に丸みを帯びていた。
甲陽線での使用を最後に、1984年に廃車された。
奇数車と偶数車でペアを組む2両編成2本で構成されていた。
本形式はナニワ工機が独自開発した準張殻構造車体を採用した。このため、外観は先代に当たる810系と比較して側板がゆるく「く」の字状に折れ曲がり、窓周りが一段飛び出すという、他に類例の無い独特の形状の車体断面となっており、また車体全体に丸みを帯びていた。
甲陽線での使用を最後に、1984年に廃車された。
阪急1010系・1100系電車
1010系・1100系は1000形の試用結果を元に設計された量産高性能電車で、歯車比の相違等から神戸線用(1010系)と宝塚線用(1100系)に区分された。1956年から1961年にかけて1010系が35両と1100系が51両の合計86両がナニワ工機で製造された。
※写真は1010系
出力の関係で4M4Tの8両編成が使用出来なかった神戸線では、各駅停車の8両編成化が進んだ1978年を最後に運用を終了したが、宝塚線では引き続き主力として8両編成で使用され続けた。それでも晩年は支線運用が中心となり、1984年の1100Fを最初に廃車が開始され、1020Fと1114Fを最後に1986年3月に非冷房車が全廃、冷房車についても、伊丹線で使用されていた1026Fと、箕面線で使用されていた1106Fを最後に、1989年3月までに全車廃車された。
※写真は1100系
阪急1300系電車
京都線初の高性能車として1957年から1961年にかけて16両がナニワ工機で製造された。
1983年に4両編成3本に組み替えられて嵐山線運用に転用されたが、この際余剰となった1307・1308は以後使用されないまま1986年に廃車解体され、残る12両も1987年までに編成単位で順次廃車解体されて系列消滅した。
1983年に4両編成3本に組み替えられて嵐山線運用に転用されたが、この際余剰となった1307・1308は以後使用されないまま1986年に廃車解体され、残る12両も1987年までに編成単位で順次廃車解体されて系列消滅した。
阪急1200系電車
宝塚線用として当時まだ残存していた木造車である1形の代替を名目に、600形や920系といった在来車各形式から台車・主電動機・制御機器といった主要機器を、複雑な入れ替えを実施した上で捻出し、これに1010系と同様の車体を新製して1956年から1958年にかけてナニワ工機で製造された車両である。したがって、本系列は吊り掛け車であり、1010系のような高性能車ではない。
1982年の甲陽線での3連運用を最後に定期運用を離脱して順次廃車され、休車となっていた1206Fの4両を最後に、1983年に全車廃車された。
1982年の甲陽線での3連運用を最後に定期運用を離脱して順次廃車され、休車となっていた1206Fの4両を最後に、1983年に全車廃車された。
阪急1600系電車
1200系の京都線バージョンとして、系列内のMT比是正を目的に電装解除された100形(P-6)の主電動機を流用して、1957年から製造された。1200系とは違い、台車と制御器が新製されている。主に千里線や本線普通運用についていたが、P-6と同一性能でもあるため、6両編成で急行で走ることもあった。かなり遅くまで千里線で使用されており、最後まで残った1編成(7両編成であった)は1982年まで使用され、吊り掛け車として最後まで梅田駅に乗り入れた編成となった。その後は嵐山線に転出し、1983年末に廃車された。
能勢電鉄1000系
1986年と1988年に1010系と1100系の4両編成1編成ずつ計2編成が能勢電鉄に譲渡され、新たに能勢電鉄1000系(1000・1001F)として就役開始した。
600Vで使用するため、電動車は単車で走行可能な1M方式とする必要があり、中間電動車となる1030形については、先頭車を種車としている。電気関係は、主回路の降圧処置が施されており、電動発電機が静止形インバータに交換されて1080形に搭載されたが、あとはほぼそのまま使用されている。その為1500Vに昇圧された際にも、容易に対応する事が可能であった。
600Vで使用するため、電動車は単車で走行可能な1M方式とする必要があり、中間電動車となる1030形については、先頭車を種車としている。電気関係は、主回路の降圧処置が施されており、電動発電機が静止形インバータに交換されて1080形に搭載されたが、あとはほぼそのまま使用されている。その為1500Vに昇圧された際にも、容易に対応する事が可能であった。
また外観については、方向幕の取り付けや通過標識灯・尾灯を腰板部に移設し、窓周りにベージュの塗装が施されるなど様々な改造が施されている。塗装はのちに、試験塗装を経て、ベージュに扉周りがオレンジという新塗装に変更された。
1998年に1000Fの中間2両を1001Fの2,3両目に編入した6連1本に編成替えされ、ラッシュ時間帯のみの運用となった。この際に余剰となった2両は廃車された。
2001年4月にさよなら運転を実施し、同年5月に開催された阪急電鉄正雀工場でのレールウェイフェスティバルの車両展示を最後に廃車された。
1998年に1000Fの中間2両を1001Fの2,3両目に編入した6連1本に編成替えされ、ラッシュ時間帯のみの運用となった。この際に余剰となった2両は廃車された。
2001年4月にさよなら運転を実施し、同年5月に開催された阪急電鉄正雀工場でのレールウェイフェスティバルの車両展示を最後に廃車された。
阪急920系電車
阪急920系電車
阪急920系電車(はんきゅう920けいでんしゃ)は、かつて阪神急行電鉄及び京阪神急行電鉄を経て阪急電鉄に在籍した通勤型電車である。神戸線での特急阪神間25分運転の開始に際し1934年から製造が開始され、その後1948年にかけて56両が製造された。
1982年3月の甲陽線での運用を最後に営業運転を終了し、同年4月3日に西宮北口駅-十三駅間で行われたさよなら運転を最後に全廃された。
1982年3月の甲陽線での運用を最後に営業運転を終了し、同年4月3日に西宮北口駅-十三駅間で行われたさよなら運転を最後に全廃された。
阪急810系電車
阪急810系電車
阪急810系電車は、かつて京阪神急行電鉄→阪急電鉄に在籍していた通勤形電車である。
神戸線及び宝塚線用として1950年から1954年にかけて26両がナニワ工機(のちのアルナ工機→アルナ車両)で製造された。製造時期や性能によって、厳密には810形と814形に分けられる。
神戸線及び宝塚線用として1950年から1954年にかけて26両がナニワ工機(のちのアルナ工機→アルナ車両)で製造された。製造時期や性能によって、厳密には810形と814形に分けられる。
1985年3月3日には、820Fの6両編成(820-870-815-865-821-871)を使用してさよなら運転を行い、810系としては久々の京都線内営業運転で最後の花道を飾った。その後、3月30日の西宮車庫から正雀工場への廃車回送を最後に全車廃車され、阪急から吊り掛け駆動方式の電車は消滅した。
820の前面部分は、カットボディ化されて平井車庫で保管されている。
820の前面部分は、カットボディ化されて平井車庫で保管されている。
阪急800系電車
阪急800系電車
阪急800系電車(はんきゅう800けいでんしゃ)は、かつて京阪神急行電鉄及び阪急電鉄に在籍した通勤形電車である。戦前から15年近くにわたって製造された920系に続く神戸線用車両として1949年から1950年にかけて14両が製造された。製造当初の形式名は700系で、一部の車両は阪急で初となる架線電圧600V/1500Vの両区間を直通できる複電圧車両に改造され、神戸-京都間に新設された直通特急に充当されたことで知られている。1982年3月の甲陽線での運用を最後に、同線で運用されていた920系943-938-973の3両編成とともに運用終了し、廃車・系列消滅した。
804の運転台部分のみ、1981年4月より宝塚ファミリーランド内の電車館に展示されたが、閉園後は正雀工場に保管されている。
阪急710系電車
阪急710系電車
710系電車は、1950年より阪急電鉄京都線用として製造された電車である。
車体については、同時期に設計された姉妹車である神戸線用810系と共に阪急全線共通寸法を初めて採用した。そのため、車体の寸法や基本設計は810系と同一である。
神戸線900形以来の腰高な一段下降窓を備えるデザインが継承されたが、窓配置はd1(1)D10D(1)2(d:乗務員扉、D:客用扉)で、当時73両を擁して京都線の主力車であった100形(P-6)のレイアウトや窓幅が踏襲されており、異なる2社の伝統を融和するデザインであった。
1981年より廃車が開始され、1983年までに全車廃車解体されている。
車体については、同時期に設計された姉妹車である神戸線用810系と共に阪急全線共通寸法を初めて採用した。そのため、車体の寸法や基本設計は810系と同一である。
神戸線900形以来の腰高な一段下降窓を備えるデザインが継承されたが、窓配置はd1(1)D10D(1)2(d:乗務員扉、D:客用扉)で、当時73両を擁して京都線の主力車であった100形(P-6)のレイアウトや窓幅が踏襲されており、異なる2社の伝統を融和するデザインであった。
1981年より廃車が開始され、1983年までに全車廃車解体されている。
阪急700系電車
阪急700系電車
阪急700系電車は、京阪神急行電鉄→阪急電鉄がかつて保有していた通勤型電車である。
新京阪線(後の京都線)用として1948年にナニワ工機にて電動車である700形701~705と制御車である750形751~755の計10両が製造された。
1975年から1976年にかけて750形を含む全車が廃車・解体された。
なお、701の側面の一部(車番・社紋がある箇所の幕板から車体裾まで)のみ残されており、電車館で長らく展示ののち、現在は阪急正雀工場で保管されている。
新京阪線(後の京都線)用として1948年にナニワ工機にて電動車である700形701~705と制御車である750形751~755の計10両が製造された。
1975年から1976年にかけて750形を含む全車が廃車・解体された。
なお、701の側面の一部(車番・社紋がある箇所の幕板から車体裾まで)のみ残されており、電車館で長らく展示ののち、現在は阪急正雀工場で保管されている。
阪急210系電車
阪急210系電車
210系電車は、かつて京阪神急行電鉄→阪急電鉄に在籍した通勤形電車である。
千里山線(現・千里線)用として、新京阪鉄道引き継ぎ車である10t積み有蓋電動貨車3000形(1928年梅鉢鉄工所製、1954年廃車)の電気機器・台車を流用して1956年に電動車である210形211・212が付随車である260形261を間に挟んだMc-T-Mcの3両固定編成1本がナニワ工機で製造された。
当初は千里山線で使用されたが、1963年頃に嵐山線に移った。
1976年に廃車、261は解体された。211,212は改造の上広島電鉄に譲渡され、1080形となり、宮島線において1989年まで運用された。
千里山線(現・千里線)用として、新京阪鉄道引き継ぎ車である10t積み有蓋電動貨車3000形(1928年梅鉢鉄工所製、1954年廃車)の電気機器・台車を流用して1956年に電動車である210形211・212が付随車である260形261を間に挟んだMc-T-Mcの3両固定編成1本がナニワ工機で製造された。
当初は千里山線で使用されたが、1963年頃に嵐山線に移った。
1976年に廃車、261は解体された。211,212は改造の上広島電鉄に譲渡され、1080形となり、宮島線において1989年まで運用された。
阪急610系電車
阪急610系電車
阪急610系電車は、かつて京阪神急行電鉄及び阪急電鉄に在籍した小型の通勤形電車である。宝塚線用として、老朽化した木造電車の車体更新の名目で1953年から1956年にかけて36両が製造され、宝塚線の輸送力増強に大きく貢献した。
1700系の登場により1990年から廃車が開始され、最後まで残った610-650-630-631-661の5両編成で1992年4月19日にさよなら運転を実施、同編成が5月18日付で廃車された。
1700系の登場により1990年から廃車が開始され、最後まで残った610-650-630-631-661の5両編成で1992年4月19日にさよなら運転を実施、同編成が5月18日付で廃車された。
阪急550形電車
阪急550形電車
阪急550形電車(はんきゅう550がたでんしゃ)は、かつて阪急電鉄の前身である京阪神急行電鉄に在籍していた通勤形電車である。戦後初の宝塚線向け新形式として1948年及び1951年に16両が製造された。1948年製の車両は運輸省規格型車体を採用したことから阪急では数少ない二段上昇窓で製造された。また、阪急が自社向け車両をはじめとした鉄道車両の製造等を主目的に設立した子会社のナニワ工機の製造第一号車両であるとともに、阪急宝塚線系統で長らく使用されてきた、車体長15m、車体幅2.4 – 2.5m級小型車両としては最後の新形式である。
阪急200形電車
阪急200形電車
阪急200形電車は、現在の阪急千里線などを当時運営していた京阪電気鉄道が1937年に建造し、その後の変遷によって阪急電鉄(現役当時は京阪神急行電鉄)に帰属した電車である。
阪急車両の歴史上、唯一の流線型電車であった。
本形式は2両編成1本のみで編成単位の出力も低い小型車であり、運用上半端な存在であった。また、他車種との併結もできず、輸送量の増加する千里線では扱いにくく、しかも車体幅の関係で、十三駅 – 梅田駅間には入線できなかった。このため、後年には嵐山線でのピストン輸送に従事していた。1970年にさよなら運転を行って廃車、解体された。
阪急車両の歴史上、唯一の流線型電車であった。
本形式は2両編成1本のみで編成単位の出力も低い小型車であり、運用上半端な存在であった。また、他車種との併結もできず、輸送量の増加する千里線では扱いにくく、しかも車体幅の関係で、十三駅 – 梅田駅間には入線できなかった。このため、後年には嵐山線でのピストン輸送に従事していた。1970年にさよなら運転を行って廃車、解体された。
阪急600形電車
阪急600形電車
阪急600形電車は、かつて阪神急行電鉄及び京阪神急行電鉄を経て阪急電鉄に在籍した通勤型電車である。
1975年9月までに全車廃車された。
なお本形式の廃車後、その電装品の一部は能勢電鉄へ譲渡された610形636 – 640の電装に活用されている。
廃車後602が川崎重工業兵庫工場で保存されていたが、川崎重工業より2010年12月27日に阪急電鉄へ譲渡され、正雀工場へ搬入ののち2011年1月より整備を開始し、4月末に登場時の姿への復元作業を完了した。
1975年9月までに全車廃車された。
なお本形式の廃車後、その電装品の一部は能勢電鉄へ譲渡された610形636 – 640の電装に活用されている。
廃車後602が川崎重工業兵庫工場で保存されていたが、川崎重工業より2010年12月27日に阪急電鉄へ譲渡され、正雀工場へ搬入ののち2011年1月より整備を開始し、4月末に登場時の姿への復元作業を完了した。
阪急500形電車
阪急500形電車
阪急500形電車は、かつて阪神急行電鉄及び京阪神急行電鉄(ともに現在の阪急電鉄)に在籍した小型の通勤形電車である。先に宝塚線に登場した380形の増備車及び同線の輸送力増強用として1938年から1943年にかけて31両が製造された。
本形式は、320形や380形と同様、1960年代後半に予定された神宝線の架線電圧1500Vへの昇圧に際しては昇圧改造の対象外となり、1964年以降昇圧即応車として大量に増備された3000,3100系に置き換えられることとなった。
本形式は、320形や380形と同様、1960年代後半に予定された神宝線の架線電圧1500Vへの昇圧に際しては昇圧改造の対象外となり、1964年以降昇圧即応車として大量に増備された3000,3100系に置き換えられることとなった。
広島電鉄1070型電車
500-505及び508-509の8両は広島電鉄に譲渡されることとなった。この8両は1967年10月17日付で廃車となり、広電入線に際してドア位置の変更などの改造を行い、同社の1070形となって宮島線での運行を開始した。
能勢電鉄での運用終了後も、広電1070形は従前同様宮島線で運行されていたが、低床車の増備に伴う宮島線と市内線との直通運転の拡大により次第に運用される機会が少なくなり、1988年までに廃車された。
能勢電鉄での運用終了後も、広電1070形は従前同様宮島線で運行されていたが、低床車の増備に伴う宮島線と市内線との直通運転の拡大により次第に運用される機会が少なくなり、1988年までに廃車された。
能勢電鉄500型電車
1973年3月1日付で能勢電気軌道に譲渡され、残る11両も1977年6月14日付で譲渡された。
能勢電入りに際しては、当時存在した急カーブを曲がる際に支障となる標識灯の埋め込み化や、ジャンパ栓の内側への移設が行われた。また、借り入れ開始まで長期間留置されていた506〜517・530については、再使用時の車体整備の際に、車内がクリーム色に塗り潰されている。1986年12月7日にさよなら運転を行ったのち、同年12月20日付で廃車され、能勢電鉄の輸送力増強に多大な貢献をした本形式は姿を消した。
能勢電入りに際しては、当時存在した急カーブを曲がる際に支障となる標識灯の埋め込み化や、ジャンパ栓の内側への移設が行われた。また、借り入れ開始まで長期間留置されていた506〜517・530については、再使用時の車体整備の際に、車内がクリーム色に塗り潰されている。1986年12月7日にさよなら運転を行ったのち、同年12月20日付で廃車され、能勢電鉄の輸送力増強に多大な貢献をした本形式は姿を消した。
阪急380形電車
阪急380形電車
阪急380形電車は、かつて阪神急行電鉄及び京阪神急行電鉄(ともに現在の阪急電鉄)に在籍した小型の通勤形電車である。先に宝塚線に登場した320形の増備車として1936年に6両が製造された。
1975年に能勢電において本形式の就役が検討されたものの、長期間屋外に留置されていたために状態が悪く、結局383のみ整備のうえ同年4月1日付で同社に貸与され、他の車両は7月24日付で阪急籍のまま廃車されて現地で解体された。
1975年に能勢電において本形式の就役が検討されたものの、長期間屋外に留置されていたために状態が悪く、結局383のみ整備のうえ同年4月1日付で同社に貸与され、他の車両は7月24日付で阪急籍のまま廃車されて現地で解体された。
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