1984年のNBAドラフト
1984年のNBAドラフト – Wikipedia
1984年のNBAドラフトは、1984年度のNBAドラフト。1984年6月19日、アメリカ合衆国で開催された。10巡まで228人が指名された。現在でも “史上最高のNBAドラフト” の呼び名の高いドラフト会議である。
NBAの偉大な50人を4人輩出
1984年のNBAドラフト – Wikipedia
この年のドラフトで指名されたアキーム・オラジュワン、マイケル・ジョーダン、チャールズ・バークレー、ジョン・ストックトンの4人が、その後NBAの偉大な50人に選ばれている。
4人合計で7回MVP
1984年のNBAドラフト – Wikipedia
この年のドラフトで指名されたアキーム・オラジュワン、マイケル・ジョーダン、チャールズ・バークレー、ジョン・ストックトンの4人が、その後NBAの偉大な50人に選ばれている。
前述の4人合計で7回MVPに、また延べ23人がオールNBAファーストチームに、延べ45人がNBAオールスターゲームに選出された。
以下、主なドラフト指名選手
指名1位:アキーム・オラジュワン(ヒューストン大学→ヒューストン・ロケッツ)
国 籍:ナイジェリア/アメリカ合衆国
生年月日:1963年1月21日(52歳)
身 長:213cm
体 重:119kg
ポ ジ ション:C
最終所属:トロント・ラプターズ
ドラフト:1984年1位
カレッジ:ヒューストン大学
経 歴:ヒューストン・ロケッツ
トロント・ラプターズ
【主な記録一覧】
NBAチャンピオン:1994年、1995年
NBAシーズンMVP:1994年
NBAファイナルMVP:1994年、1995年
NBAオールスターゲーム出場:1985年〜1990年、1992年〜1997年
オールNBAチーム 1stチーム:1987年〜1989年、1993年、1994年、1997年
オールNBAチーム 2ndチーム:1986年、1990年、1996年
オールNBAチーム 3rdチーム:1991年、1995年、1999年
NBA最優秀守備選手賞:1993年、1994年
NBAオールディフェンシブチーム 1stチーム:1987年、1988年、1990年、1993年、1994年
NBAオールディフェンシブチーム 2ndチーム:1982年、1991年、1996年、1997年
NBAオールルーキーチーム 1stチーム:1985年
リバウンド王:1989年、1990年
ブロック王:1990年、1991年、1993年
生涯通算ブロック数:3,830本(NBA歴代1位)
当時ロケッツには身長223cmのラルフ・サンプソンがおり、オラジュワンと合わせて「ツインタワー」と呼ばれるようになった。
2年生から4年生にかけてNCAAトーナメントで「ファイナル4(4強)」入りを果たした。4年生次にはパトリック・ユーイングを擁するジョージタウン大学に決勝で敗れている。この頃から、2人は終生のライバルとなる。
【大学時代のオラジュワンの主な成績】
1983年:トーナメント最優秀選手受賞
1984年:1試合あたりのフィールドゴール成功率 1位
1984年:1試合あたりのリバウンド 1位
1984年:1試合あたりのブロックショット 1位
(※いずれもトーナメントでの成績)
80〜90年代を代表する屈指のセンター、『 The Dream(ドリーム)』
歴代屈指のセンタープレイヤーと評されている
アキーム・オラジュワン – Wikipedia
身長213cm(実際は208cm程度と自認しており、公言している)の体格に似つかわしくない、俊敏な動きと繊細な技術をもち、歴代屈指のセンタープレイヤーと評されている。そのプレースタイルから、『ドリーム(Dream)』というニックネームを持っていた。
1993年にアメリカ合衆国の国籍を取得、1996年のアトランタオリンピックでは米国代表として金メダリストを獲得。同じ年に「NBA50年の歴史の偉大な50人の選手」の一人に選ばれている。2008年には殿堂入りを果たした。
ドリームシェイクとは、長身に似つかわしくないゴール下での俊敏なステップワーク、ドリブルワーク、シュート・パスフェイント、フィンガーロール、フックシュート、フェイドアウェイなどの豊富な個人技を多彩な選択肢で組み合わせて行う、一連の動作を指している。
歴代センターナンバーワンと言われるオフェンススキル
オラジュワン【ドリーム】は史上最高のセンター?ムーブが多彩! | NBA stars -NBAファンサイト-
オラジュワンの活躍した1980年代~90年代は優秀なセンターが数多くいましたよね。K.A.ジャバー、R.パリッシュ、P.ユーイング、D.ロビンソン、D.ムトンボ、S.オニールなどなど…。
その中でもオラジュワンは異彩を放っていました。
センターのサイズがありながらボールハンドリングが非常によく、ガード並の軽やかなステップワークを持っていました。
ポストプレイだけではなく、ミドルレンジでボールを貰って、クロスオーバーからペネトレイトしてダンクなんてシーンも良くありましたよね。
デカいからクロスオーバーのふり幅が広い広い!(笑)
スポラバ@spo_lovers
通算ブロック王者『アキーム・オラジュワン』の必殺技”ドリームシェイク”は切れ味抜群で天下無双☆
spo-lover.com/?p=4557 pic.twitter.com/jDatz4j6SC
必殺技『ドリームシェイク』
オラジュワンの代名詞と言えるのが、必殺武器ドリームシェイクである
アキーム・オラジュワン – Wikipedia
213cm、119kgの体格からは想像できない、ガード並の軽やかなフットワークとボールハンドリング能力を有しているだけでなく、ペイントエリア内のごく限られた小さなスペースの中で瞬間的にマッチアップマンの読みを察知して、適切なムーヴを複雑に組み合わせて選んでいた。
ウィルト・チェンバレンやカリーム・アブドゥル=ジャバーなど、突出した得点能力を持ったNBA史上の伝説的センタープレイヤー達も、フェイドアウェイやフックシュートなど高度なテクニックを有してはいたが、オラジュワンほどワンプレイの中で平然と複数のテクニックを同時に組み合わせて使用できるわけではなく、この点においてオラジュワンを史上最高のセンターと評する者もいるほどである。
自由自在・変幻自在
アキーム・オラジュワン – Wikipedia
ドリームシェイクは個々のマッチアップマンに応じて、自由自在・変幻自在に軌道を変えるため、この動作を完璧に封じ込める術は存在しなかったと言っても過言ではない。
またオラジュワンは突出したスキル面ばかりがクローズアップされがちだが、身体能力でもかなり優秀な選手であり、難易度の高いダンクを易々とこなす優れた跳躍力と、ガードプレイヤーに走り負けしないスピードを持っていたことも、その高いスキルと合わさってガードすることが至難となるファクターであった。
NBA歴代No.1のブロック数
オラジュワンはディフェンダーとしても優秀であった
アキーム・オラジュワン – Wikipedia
オラジュワンはディフェンダーとしても優秀であった。年間最優秀守備選手には2度選出、オールディフェンシブファーストチームには5度選出され、平均ブロック数では3度もリーグ首位になっている。生涯通算ブロック数は3,830本で、NBA歴代最多である。
全盛期には若き日のシャックとNBAファイナルで対戦、格の違いを見せつけるかのように徹底的に叩きのめして勝利している。
クアドルプル・ダブルを成し遂げた
アキーム・オラジュワン – Wikipedia
1989年には、一試合で18得点、16リバウンド、10アシスト、11ブロックを記録。4つの部門で2桁を達成するクアドルプル・ダブルを成し遂げた。これはNBAの歴史でも4回しかない、素晴らしい記録である。
4つの部門で2桁を達成するクアドルプル・ダブルを成し遂げた。これはNBAの歴史でも4回しかない、素晴らしい記録である。
指名3位:マイケル・ジョーダン(ノースカロライナ大学→シカゴ・ブルズ)
国 籍:アメリカ合衆国
生年月日:1963年2月17日(52歳)
身 長:198cm
体 重:99kg
ポ ジ ション:SG
最終所属:ワシントン・ウィザーズ
ドラフト:1984年3位
カレッジ:ノースカロライナ大学
経 歴:シカゴ・ブルズ
(※バーミンガム・バロンズ MLB AA)
シカゴ・ブルズ
ワシントン・ウィザーズ
【主な記録一覧】
NBAファイナルMVP:1991年〜1993年、1996年〜1998年
NBAシーズンMVP:1988年、1991年、1992年、1996年、1998年
得点王:1987年〜1993年、1996年〜1998年
スティール王:1988年、1990年、1993年
NBAオールスターゲーム出場:1985年〜1993年、1996年〜1998年、2002年、2003年
NBAオールスターゲームMVP:1988年、1996年、1998年
NBAスラムダンクコンテスト優勝:1987年、1988年
オールNBAチーム1stチーム:1987年〜1993年、1996年〜1998年
オールNBAチーム2ndチーム:1985年
NBA最優秀守備選手賞:1988年〜1993年、1996年〜1998年
新人王:1985年
NBAオールルーキーチーム1stチーム:1985年
得点王:10回(NBA歴代1位)
年間最多得点:11回(NBA歴代1位)
平均得点:30.12点(NBA歴代1位)
通算得点:32,292点(NBA歴代4位)
通算スティール:2,514(NBA歴代3位)
1試合平均スティール:2.35(NBA歴代5位)
1984年のNBAドラフトでシカゴ・ブルズに全体3位で指名された(当時の全体1位はヒューストン・ロケッツのアキーム・オラジュワンであった)。
2年次に彼はチームの主力となり、その年に彼は全米ジュニア選抜に選ばれた。3年次の時にはネイスミス賞とウッデン賞を受賞した。
大学を休学した後の夏にアメリカ代表としてロサンゼルスオリンピックに参加、中心選手の一人として金メダル獲得に貢献した。
言わずと知れた “神様” ジョーダン!
その実績からバスケットボールの神様とも評される
マイケル・ジョーダン – Wikipedia
その実績からバスケットボールの神様とも評される。
15年間に亘る選手生活で「得点王10回」、「年間最多得点11回」、「平均得点は30.12点」でNBA歴代1位、通算得点は「32,292点で歴代4位」。1990年代にシカゴ・ブルズを6度の優勝に導き、「5度の年間MVP」、「6度のNBAファイナルMVP受賞」。
伝説となったプレー
1986年のプレーオフ、ボストン・セルティックスと対戦しプレーオフ記録の63得点を上げる
マイケル・ジョーダン – Wikipedia
1986年のプレーオフ、当時史上最強と言われたボストン・セルティックスと対戦したイースタン・カンファレンス第1回戦2試合目で、プレーオフ記録となる63得点を上げた。
試合後、ラリー・バードは「あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神だ」とコメントした。試合自体はブルズの負けで、シリーズも3連敗で敗退した。
ラリー・バードに「神がマイケル・ジョーダンの姿をしていた」と言わせたほど、もの凄い活躍をしました。
「あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神だ」
マイケル・ジョーダン – Wikipedia
試合後、ラリー・バードは「あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神だ」とコメントした。試合自体はブルズの負けで、シリーズも3連敗で敗退した。
“神様”ジョーダンの伝説は、この試合後のバードの発言から始まった。
(1989年のプレーオフの)The Shot
マイケル・ジョーダン – Wikipedia
1989年のプレーオフ、クリーブランド・キャバリアーズと戦ったイースタン・カンファレンス1回戦、2勝2敗で迎えた第5戦終了直前(残り3秒)99対100の場面で、ジョーダンは空中でマーカーのクレイグ・イーローをかわし難しいジャンプシュートを放ち、終了のブザーと同時に逆転を成功させた。
このシュートでブルズのカンファレンス・セミファイナル進出が決まった。このシュートを英語圏では The Shot と呼ぶことがある。
イースタン・カンファレンス1回戦、初戦突破を決めた!
(1991年NBAファイナルの)The Move
マイケル・ジョーダン – Wikipedia
1991年NBAファイナル第2戦、ダンクに向かって跳躍するジョーダンは、サム・パーキンスのブロックをかわすためボールを左手に持ち替え、落下しながらスクープショットを決めた。このシュートを英語圏では The Move と呼ぶことがある。
(1993年のNBAプレーオフの)The Shot 2
マイケル・ジョーダン – Wikipedia
1993年敵地でのカンファレンスセミファイナル、対クリーブランド・キャバリアーズ第4戦。勝てばカンファレンスファイナルに進出という試合、序盤からジョーダンは痛めた右手首の影響から、シュートの精彩を欠いていた(ダンクシュートも手首に負担をかけないよう、左手で行っていた)。
ゲームは一進一退の攻防を見せ、同点で迎えた第4Q残り1.7秒、フェイダウェイ・ジャンパーで放ったシュートがゲーム終了と同時に決まり、1989年のThe shotの再現となった。なお、それにちなんでこのシュートはThe shot2と呼ばれている。
(1998年のNBAファイナルの)The Last Shot
マイケル・ジョーダン – Wikipedia
1998年のNBAファイナル第6戦、試合終了間際にジョーダンはカール・マローンからスティール。そのままボールを運びジャンプショットを放ち、残り5.2秒で逆転に成功。
ユタ・ジャズはその後追いつくことなく、ブルズは6度目の優勝を決めた。このシュートはThe Last Shotと呼ばれている。
指名4位:サム・パーキンス(ノースカロライナ大学→ダラス・マーベリックス)
国 籍:アメリカ合衆国
生年月日:1961年6月14日(54歳)
身 長:206cm
体 重:106kg
ポ ジ ション:PF / C
最終所属:インディアナ・ペイサーズ
ドラフト:1984年4位
カレッジ:ノースカロライナ大学
経 歴:ダラス・マーベリックス
ロサンゼルス・レイカーズ
シアトル・スーパーソニックス
インディアナ・ペイサーズ
【主な記録一覧】
ロサンゼルス五輪・金メダル:1984年
NBAオールルーキーチーム1stチーム:1985年
そこでチームメイトとなったのが写真(上)の通りのマイケル・ジョーダン、そしてジェームズ・ウォージー。
後にNBA入りを果たすこの3人を擁したノースカロライナ大は’82年のNCAAトーナメントでユーイングのジョージタウン大との激戦を制し、優勝のを果たす。
史上最大の豊作年といわれた1984年NBAドラフトで、ジョーダンに次ぐ4位指名という高評価でダラス・マーべリックスに指名されて入団。
5位でフィラデルフィア・76ersに指名されたチャールズ・バークリーより”ひとつ順位の高い”指名された。
大学生中心のチームとは言え、ジョーダンにユーイング、マリンを擁するチームだっただけに当然と言えば当然。
異なるチームでファイナルに3回届いた”ビッグ・スムース”
アウトサイドからシュートも放てるビッグマンとして、上出来のキャリアをスタートさせる。
(彼が3Pを放つと)「スムース!!」
サム・パーキンス player profile④ | pocket.bb
彼がスリーを放つと、アリーナのファンは一斉に彼のニックネームである「スムース!!」を叫んでいました。
インディアナの会場から「SMOOTH!」という歓声が響くほど人気者になっていた。
指名5位:チャールズ・バークリー (オーバーン大学→フィラデルフィア・76ers)
国 籍:アメリカ合衆国
生年月日:1963年2月20日(52歳)
身 長:198cm
体 重:120kg
ポ ジ ション:PF
最終所属:ヒューストン・ロケッツ
ドラフト:1984年5位
カレッジ:オーバーン大学
経 歴:フィラデルフィア・76ers
フェニックス・サンズ
ヒューストン・ロケッツ
【主な記録一覧】
NBAシーズンMVP:1993年
リバウンド王:1987年
NBAオールスターゲーム出場:1987年〜1997年
NBAオールスターゲームMVP:1991年
オールNBAチーム 1stチーム:1988年〜1991年、1993年
オールNBAチーム 2ndチーム:1986年、1991年、1992年、1995年
オールNBAチーム 3rdチーム:1996年
NBAオールルーキーチーム:1985年
跳躍力と体重を活かしたリバウンドを持ち味に評価を高め、ついには1984年のオリンピック代表候補となるが、最終的には選考から漏れている。
NBA史上”最強のPF”と謳われた『空飛ぶ冷蔵庫』
NBA史上最高のパワーフォワードと謳われている
チャールズ・バークレー – Wikipedia
NBA史上、(生涯)通算得点20,000P、通算リバウンド数10,000R、通算アシスト数4,000Aを超えた5人の選手の一人。
インサイドを完全に支配できた、NBA史上最高のパワーフォワードと謳われている。公称身長198cm(実際は193-195cm程度と自認)ながら、非常に体重(横幅)のある選手であった。その巨体に見合わぬ、高い運動能力と技術を有していた。
リーグ屈指のオールラウンダー
チャールズ・バークレー – Wikipedia
身長198cm(実際は193-195cm)とガード並だが、常時体重115kgをオーバーする非常に大柄な選手であった。フォワードとしては低身長だったが、屈強な肉体を活かしてセンターをも圧倒。バークレーは重量級ながらも極めて高い運動能力を有しており、コート上を端から端まで高速で駆け抜けるスピード、リングの遥か上まで手が届く豊かな跳躍力を発揮した。高い運動能力と巨躯が生み出す圧力で、2メートルを超える大男たちを打ち負かした。
リーグ屈指のオールラウンダーであり、得点、パス、リバウンド、ブロックショットといったあらゆる部門において毎試合高度なパフォーマンスを魅せた。
豪快なリバウンドダンクをフィニッシュパターンに持ってくることも多かった
チャールズ・バークレー – Wikipedia
リーグ屈指のオールラウンダーであり、得点、パス、リバウンド、ブロックショットといったあらゆる部門において毎試合高度なパフォーマンスを魅せた。
圧倒的パワー、広いウイングスパン、高い跳躍でリバウンドを制し、豪快なリバウンドダンクをフィニッシュパターンに持ってくることも多かった。
ミドルレンジだけでなくロングジャンパーも高確率で沈めてどこからでも得点
チャールズ・バークレー – Wikipedia
インサイドで暴れまくり得点を量産する反面、マッチアップマンとの1on1では優れたクイックネスで翻弄。アウトサイドプレイにも長けており、ミドルレンジだけでなくロングジャンパーも高確率で沈めてどこからでも得点できた。
ボールハンドリングも武骨な容姿からは想像できないほど巧く、バークレー自身が攻撃の起点となり敵チームの隙を突いたパス捌きでアシストも多く記録。特に有名なのが、トップポジションからバックビハインドでゴール下へアシストしたプレイで、ハイライトによく使われている。
指名7位:アルヴィン・ロバートソン(アーカンソー大学→サンアントニオ・スパーズ)
国 籍:アメリカ合衆国
生年月日:1962年7月22日(53歳)
身 長:191cm
体 重:84kg
ポ ジ ション:SG
最終所属:トロント・ラプターズ
ドラフト:1984年7位
カレッジ:アーカンソー大学
経 歴:サンアントニオ・スパーズ
ミルウォーキー・バックス
デトロイト・ピストンズ
トロント・ラプターズ
【主な記録一覧】
ロサンゼルス五輪・金メダル:1984年
NBA最優秀守備選手賞:1986年
NBA最成長選手賞:1986年
NBAスティール王:1986年、1987年、1991年
オールNBA 2ndチーム:1986年
オールNBAディフェンシブ 1stチーム:1987年、1991年
オールNBAディフェンシブ 2ndチーム:1986年、1988年、1989年、1990年
生涯1試合平均2.71スティール:NBA歴代1位
(学生時代から)スティールの名手
4大スポーツ選手列伝 : アルビン・ロバートソン ~スティール王~
学生時代からディフェンス、特にスティールの名手として知られ、アーカンソー大学時代の1984年にはロサンゼルス五輪にアメリカ代表として出場。金メダルを獲得したロバートソン。
1985-1986シーズンに3.67スティールを記録しオールNBAセカンドチームに選ばれると共に最も成長した選手に贈られるMIPとNBA最優秀守備選手賞を同時に受賞した。
NBA史上、クアドルプル・ダブルをスティールで達成した唯一の選手
彼のみが4カテゴリのうちスティールを含んでおり他の3選手はいずれもスティールではなく得点、リバウンド、アシスト、ブロックショットの4部門でクアドルプル・ダブルを達成している。
スティールを含むクアドルプル・ダブルを達成したのはロバートソンだけである。
4大スポーツ選手列伝 : アルビン・ロバートソン ~スティール王~
2月18日のフェニックス・サンズ戦で20得点、11リバウンド、10アシスト、10スティールで史上4人目のクアドルプル・ダブルを達成。スティールを含むクアドルプル・ダブルを達成したのはロバートソンだけである。
スパーズで記録した1129スティールはチーム記録
4大スポーツ選手列伝 : アルビン・ロバートソン ~スティール王~
わずか11年で現役を終えたロバートソン。しかし、スパーズで記録した1129スティールはチーム記録。
1試合平均2.71スティールを記録しておりこれはNBA記録である。
アルヴィン・ロバートソン – Wikipedia
スティールが得意で1986年、1987年、1991年にスティール王を獲得した。1試合平均2.71スティールを記録しておりこれはNBA記録である。
指名11位:ケビン・ウィリス(ミシガン州立大学→アトランタ・ホークス)
国 籍:アメリカ合衆国
生年月日:1962年9月6日(53歳)
身 長:213cm
体 重:111kg
ポ ジ ション:PF / C
最終所属:ダラス・マーベリックス
ドラフト:1984年711位
カレッジ:ミシガン州立大学
経 歴:アトランタ・ホークス
マイアミ・ヒート
ゴールデンステート・ウォリアーズ
ヒューストン・ロケッツ
トロント・ラプターズ
デンバー・ナゲッツ
H・ロケッツ
サンアントニオ・スパーズ
A・ホークス
ダラス・マーベリックス
【主な記録一覧】
オールNBAチーム 3rdチーム : 1992年
NBAオールスターゲーム出場 : 1992年
NBA通算:21シーズン 歴代最長タイ(ケビン・ガーネット、ロバート・パリシュ)
NBA出場試合数記録:1424試合(歴代6位)
44歳までプレーし続けた鉄人
チームメイトのドミニク・ウィルキンス、スパッド・ウェブ、ドック・リバースと共にチームの主力となりホークスには1994年まで在籍した間プレーオフにも度々出場した。
1992年には1試合平均15,5リバウンドを記録しデニス・ロッドマンに次ぐ2位を記録してオールNBAサードチームに選出された。
またNBAオールスターゲームにもチームメートのドミニク・ウィルキンスと共に選ばれた。
あいにくこの頃はデニス・ロッドマンが君臨していましたので、リバウンド王になったことはありません。
バスケファン店長のNBAブログ ケビン・ウィリス & カロン・バトラー
リバウンド力に定評があり、91-92シーズンには15.5リバウンドを記録しています。
今ならリバウンド王間違いなしの数字ですが、あいにくこの頃はデニス・ロッドマンが君臨していましたので、リバウンド王になったことはありません。(このシーズンのロッドマンのリバウンドは18.7)
この時のHCは、2003年にサンアントニオ・スパーズで優勝したチームメイト、エイブリー・ジョンソンHCだったが、ウィリスは44歳でエイブリー・ジョンソンHCより3歳も歳上だった。
エイブリー・ジョンソンHCより歳上
バスケファン店長のNBAブログ ケビン・ウィリス & カロン・バトラー
そんな中、マーベリックスがケビン・ウィリスと10日間契約を結びました。
ウィリスは44歳、エイブリー・ジョンソンHCより歳上です。しかも、ウィリスとジョンソンHCは2003年にスパーズで優勝したチームメイトでもあります。元チームメイトで歳上の選手を使うのってHCの心情としてどうなんでしょうか…
2試合以上出場した選手としては彼の44歳での出場はNBA記録である
ケビン・ウィリス – Wikipedia
プロビデンス・スティームローラーズのヘッドコーチであったナット・ヒッキーが1948年に45歳と363日で1試合だけ出場したことはあったが2試合以上出場した選手としては彼の44歳での出場はNBA記録である。
これまではバスケットボール殿堂入りを果たしているロバート・パリッシュが43歳の時の1996-1997シーズンにシカゴ・ブルズから43試合出場したのがNBA記録であった。
HOOP編集部@HOOPjp
前述の4人合計で7回MVPに、また延べ23人がオールNBAファーストチームに、延べ45人がNBAオールスターゲームに選出された。