【歴史】 A級戦犯か英雄か 東条英機 ~アジアのヒトラーは人道的~

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東條英機


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陸軍軍人・政治家。大将。東京生まれ。関東軍参謀長・陸軍次官などを経て,1940年(昭和15)第二次近衛内閣の陸相となる。翌年首相に就任し,陸相と内相を兼任,対米英開戦の最高責任者となり太平洋戦争を推進した。44年7月,サイパン陥落直後総辞職。戦後 A 級戦犯として絞首刑。

「真珠湾を不法攻撃し、アメリカ軍人と一般人を殺害した罪」で絞首刑。

辞世の句

「さらばなり 有為の奥山けふ越えて 彌陀のみもとに 行くぞうれしき」

「明日よりは たれにはばかるところなく 彌陀のみもとで のびのびと寝む」

「日も月も 蛍の光さながらに 行く手に彌陀の光かがやく」

遺書

《日本同胞国民諸君》
今はただ、承詔必謹する〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。私も何も言う言葉がない。

ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国あるということは動かすことのできないことである。

力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。日本は神国である。永久不滅の国家である。皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。

諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。


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東條幕府と呼ばれた。
普通政治家の大臣兼任はあまり珍しいことではないが、東條の大臣兼任の数は明らかに異常だった。当初は総理と陸相の兼任で始まったが、その後参謀総長、軍需大臣、商工大臣、内務大臣、文部大臣、外務大臣などを一時的な兼任も含めて9つほども就任した。

東條英機の性格

会議中は記録を欠かさないメモ魔で、秀才型の性格だった。 頑固で信じるものは妄信なほど揺ぎ無く、邪魔するものは排除するという非常に生真面目な人物。しかしその反面、従順な部下や弱者にはとてつもなく優しく、涙もろいという極端な性格だった。

首相任期中のある時、国民に食料配給が行き届いているか、自らゴミ箱をあさって確かめたという。これは反東條派の揶揄の対象になった。

人を見る目がなく、ゴマスリの上手い部下を好んだという。花谷正・牟田口廉也・富永恭次ら史上稀なる愚将(彼らは「東條の腰巾着」と陰口された)を生んだ元凶と言われる。その中でも特に東條に近かった人物は「三奸四愚」と総称されることがある(三奸:鈴木貞一、加藤泊治郎、四方諒二 四愚:木村兵太郎、佐藤賢了、真田穣一郎、赤松貞雄)。

自らの財に関しては清廉潔白で、汚職や金権政治という類の話は一切見えてこない。戦後すぐ、東條を悪役にするために汚職の罪を着せられた事はあるが、これも冤罪である。

息子達は厳しく育てたが、娘に対しては子煩悩だったという。ちなみに次男は三菱航空機名古屋製作所で零戦の設計に携わり、戦後はYS-11開発のリーダーを務めた東條輝雄氏。

ハイカラ な文化人的な一面もあり、当時はマイナーだったシュークリームをいたく気に入っていたと言う。また、大のシャム猫好きでも有名だった。


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第二次世界大戦でヒトラーと並ぶ極悪人とされたが、本当の真実とは

あらゆる史料をみても、東條内閣は、平和を達成すべくアメリカとの交渉を進めるよう天皇陛下に命じられて組閣した内閣である。東條首相も全力を尽くしてそれをやろうとした。ところが、アメリカからハル・ノートを突きつけられて、戦争に突入せざるを得なかった。                   《渡部昇一 正論2007/11月号》

東條は戦争の途中で更迭された。このことだけでもヒトラーなどとは全く異なる。
東條の「独裁」とは、ルーズベルトやチャーチルにも見られた戦時体制の権力集中と大差ないものだった。

開戦を機に、東條が広範にわたる機能をその身に集中させたにもかかわらず、彼には依然として独裁的な権力はなく、彼をその地位に就けた各圧力団体の信任をつなぎとめておかねばならなかった。
《クリストファー・ソーン 「太平洋戦争とは何だったのか」》

東條1人で戦争に導いたようにいわれているが、それは東條が(開戦前)最後の総理であり、陸軍出身だったということから悪者にされただけのことだ。            《佐藤早苗 「東条英機 封印された真実」》

戦前の首相は、閣僚を任命するが罷免権はない。閣僚全員一致がない場合、内閣は総辞職となる。岸信介1人が首相の罷免を拒否しただけで、東條内閣はあっけなく崩壊した。こんな独裁者などあるはずがない。

もし東條はじめ軍部が独裁者だったら、自分に反対する者を何百何千人と殺しただろう。しかし東條はそんなことはしないで、詰め腹を切らされた。    《竹山道雄 「恐れずおもねらず 雑誌「正論」30年の軌跡」》


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ある国では英雄として扱われている

戦後日本において、戦犯として扱われている東條氏だが、それとは対照にインドでは“英雄”として称えられている。大東亜戦争の緒戦からインドの独立を唱え、インド独立の闘士であったスバス・チャンドラ・ボースとの会談において意気投合し、彼を非常に高く評価していた。

ビルマ初代首相 バー・モウ 「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった 」  ( 『 ビルマの夜明け 』より引用 )

オトポール事件

1938年3月、満州国と国境を接したソ連領のオトポールに、ドイツの迫害から逃れてきたおよそ2万人のユダヤ人難民が、極寒の吹雪の中で立往生し凍死しようとしていた。
ユダヤ人たちは、ソ連政府によってビロビジャンに強制入植させられた人たちで、過酷なビロビジャンから逃れ、満州国を経由して上海へ脱出しようと考え、オトポールまで逃れてきたのであるが、ドイツに遠慮した満州国が入国を拒否したため、極寒の中、食糧がつき凍死寸前の難民たちは前へ進むこともできず、そうかといって退くこともできなかったのである。

当時、満州国のハルビン特務機関長を務めていた樋口季一郎のところに、ハルビンのユダヤ人協会会長・カウフマン博士が飛んできて、同胞の窮状を訴えた。 しかし、満州国外務部(外務省)を飛び越えて、独断でユダヤ人を受け入れるのは、明らかな職務権限逸脱であった。
樋口季一郎は自分の判断で、ユダヤ難民全員を受け入れることを認めた。
この、樋口季一郎少将のユダヤ人救出に 「まさに 八紘一宇(はっこういちう) である」 として許可を出し外務部とドイツを説き伏せたのは、東條英機 関東軍参謀長(当時)。

ドイツ外務省は日本政府に対し、大量のユダヤ人難民を満州国へ入れたことへの強硬な抗議を行った。 この抗議は東京から新京の関東軍司令部にすぐ伝えられたが、東條英機中将(当時)は、「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」として一蹴したのである。
救援のための列車を動かしたのは、当時の満鉄総裁 松岡洋右 (戦後、A級戦犯として公判中に病死) の判断であった。
日本のシンドラーとして有名になった杉原千畝が「生命のビザ」を6,000枚発行する2年前に、樋口季一郎少将と松岡洋右、東條英機 によってユダヤ難民が救われていた。
この流れがあったからこそ杉原千畝はビザの発行ができたわけです。

http://www.youtube.com/watch?v=3qoTGwreMN8
https://www.youtube.com/watch?v=y_HRfnywlPc
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2018年07月15日