【11/22】ケネディ大統領暗殺とフリーメイソンの関連

radicon
1963年11月22日、テキサス州ダラスで起きたケネディ大統領暗殺事件。その裏にはもしかしたら秘密結社が関わっていたのかもしれません。信じるか信じないかはあなた次第。

ケネディ大統領暗殺事件(ケネディだいとうりょうあんさつじけん、John F. Kennedy assassination)とは、1963年11月22日金曜日、現地時間12:30にテキサス州ダラスで第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが市内をパレード中に銃撃され死亡した事件である。
ケネディ大統領暗殺事件 – Wikipedia

この暗殺事件にはフリーメイソンが様々な形で関係しています。

【暗殺理由】

http://www.youtube.com/watch?v=Yuc3OZoucF0
ケネディ大統領は秘密結社を公然と批判しています。秘密結社側としてはそれが気に入らなかったとされています。

秘密主義というまさにその言葉は、自由で開かれた社会にとって、非常に不快なものです。
そして、私たちは元来、歴史的にも「秘密結社」の「秘密の誓い」と「秘密の議事録」に反対した民族といえます。

私たちは、遠い昔から度を越した不当な関連情報の隠蔽は、遥かにそれらに正当性を与えるために考慮される危険があると判断してきました。
今日、根拠のない制約によって、閉鎖社会の脅威に反対するということはほとんど価値はありません。

今日、私たちの国の生存を確実なものにするために、私たちの伝統がそれで存続しないなら、ほとんど価値はありません。
そして、報道されたセキュリティ強化の必要性が、公的な検閲と隠蔽のまさしくその範囲を限界まで広げることを切望している者たちによって、廃止される、まさしくその重大な危険性があります。

私は、私のコントロール下の範囲で、このようなことを許可する意図はない。
私の政権のどのような職員であっても、彼の地位が高いか、または低いか、民間人であるか、軍人であるかにかかわらず、私の今晩ここでの言葉を、ニュースについて検閲し修正したり、まともなことをもみ消したり、私たちの誤りをごまかすために、マスコミや民衆が知るに値する真実を抑制するする口実としてはならない。
私たちが世界中で反対されているのは、主として影響圏を広げるための密かな手段なっている、一枚岩的で冷酷な陰謀にあります。
侵入の代わりに浸透、選挙の代わりに転覆、自由選択の代わりに威嚇、日中の軍隊の代わりに夜間のゲリラ。
それは、膨大な人的・物質的資源を軍事、外交、情報、経済、科学、そして政治上の操作をするため結束の固い、高性能マシンに結合する徴収するシステムです。

その準備は隠され、公表されません。その過ちは葬られ大スクープとなりません。その反対者は黙らされ称賛されません。経費は質疑されず、風評は出版されません。まったく秘密は明らかにされません。
どの大統領も市民監視を恐れるべきではありません。そうではなく監視から理解が生じるのであり、その理解から、支持か反対かが生じます、そして、両方が必要です。

私は政権を支持することをあなたたちの新聞にお願いしていません。しかしアメリカの人たちに情報をあたえ、注意をよびかけける大変な仕事をお願いしています。それは、私が、私たちの市民が完全に情報が行き渡ったという時には、彼らの行動と献身があるという完全な確信があるからです。
私はあなたがた読み手の方たちに論争を止めさせられないだけでなく、それを歓迎します。
この政権は、誤りに誠実であろうとします。賢人が一度言ったように「あなたが、過ちを正するのを拒否するまで、過ちは過ちにならない」からです。
私たちは私たちの誤りに全責任を負うつもりです。そして、あなたがたが、私たちがそれを見逃したとき、それらを指摘してくれると期待します。

討論、批評がなければ、どの政権も、どの国も成功することができません。そして、そしてどの共和国も生き残ることができません。
これはなぜアテネの立法議員スローンが、どんな市民も論争を避けるのは犯罪であると判定したか、すなわち、なぜ私たちの報道機関が最初の修正案で保護されたかである。合衆国憲法により保護されたアメリカの唯一のビジネスは、主として、面白がらせたり、楽しむためでなく、些細さと感傷的を強調するためでなく、単に民衆に民衆が聞きたいことを与えるのでなく、知らせ、立ち上がり、反応して、私たちの危険と私たちの機会をはっきり伝え、私たちの危機と私たちの選択をはっきり示し、形成し、教育して、時には怒らせさえして世論を導くことである。

これは、国際報道のより広い適用範囲と分析がもう遠い海外でなく、近くローカルであることを意味します。
それは、情報の伝達と報道の理解に関する改善に、より大きな注意を持つことです。それは、最終的に政府が国家安全保障上最も狭い範囲のこと以外、すべてのレベルにおいてあなたに最大限可能な限りの情報を用意する義務を満たさなければならないということである。
だから新聞雑誌の印刷者へ、庶民の記録者へ、良心を持ち続けている者へ、ニュースの配達人へ、私たちが強さと支援を求めている。

あなたの助けにより、人は人として生まれたものとなると確信している。

自由と独立。

J.F.ケネディ
http://rothschild.ehoh.net/material/31.html

【暗殺場所】

テキサス州ダラス
同市の名前は第11代副大統領ジョージ・ダラスに因んで命名された。テネシー州の政治家、ジョン・ニーリー・ブライアンが入植し、一帯で栽培される綿花の集散地として発展させた。
ジョージ・ミフリン・ダラス
アメリカ合衆国の政治家。ペンシルベニア州選出上院議員およびジェームズ・ポーク大統領の下の第11代副大統領。

Dallas resumed the practice of law, was attorney general of Pennsylvania from 1833 to 1835, and served as the Grand Master of Freemasons in Pennsylvania in 1835.
George M. Dallas – Wikipedia, the free encyclopedia

1833年から1835年までペンシルベニア州司法長官を務め、1835年にはペンシルベニア州のグランドマスターとなった。
Lodge: Franklin Lodge No. 134, Philadelphia

ディーリー・プラザ
テキサス教科書倉庫ビルの前は芝生の広場で通称ディーリー・プラザと呼ばれている。エルムストリート、コマースストリート、メインストリートという『3つ』の道路がある。

この広場の名前の由来はジョージ・ディーリーという男の名前から付けられたものだが、このジョージ・ディーリーは1926年に地元の新聞社を買収して新聞経営に乗りだし、1963年当時は息子のテッド・ディーリーが新聞社の社主であった。その新聞社こそ「ダラス・モーニング・ニューズ」紙で、暗殺当日に黒枠つきの反ケネディの広告を掲載した新聞であった。
ケネディ大統領暗殺事件 – Wikipedia

ケネディ大統領は歓迎ムードでダラスに迎えられましたが、そうではない人々もいたようです。

ジョージ・バナーマン・ディーリー

Dealey was a Thirty-third-degree Scottish Rite Mason, Knight Templar, Shriner, and member of the Red Cross of Constantine.
DEALEY, GEORGE BANNERMAN | The Handbook of Texas Online| Texas State Historical Association (TSHA)

暗殺されたディーリープラザの由来であるジョージ・ディーリーもフリーメイソンです。つまり、ケネディ大統領が暗殺されたテキサス州ダラス・ディーリープラザという場所は、フリーメイソンとかなり密接な関係があるのです。

【有名な映像】

ジョン・F・ケネディがディーリー・プラザで暗殺された日、多くの人々が殺害の証拠写真を撮っていた。もっとも重要な証拠は、エイブラハム・ザプルーダーが撮った大統領への頭に弾が命中した瞬間の写真。
ケネディ暗殺のカギを握る男?アンブレラマン(カサ男) : カラパイア

http://www.youtube.com/watch?v=Mwy6Q9_cUwc

ザプルーダー・フィルム (the Zapruder film) とは、1963年11月22日にアメリカ合衆国のテキサス州ダラスを訪問したジョン・F・ケネディ大統領の車列を、エイブラハム・ザプルーダーという婦人服メーカーの経営者がカラーで撮影した8 mmフィルムのことである。このフィルムは偶然にも、大統領の暗殺を最も明瞭に記録した映像となったことから一躍有名になった。
ザプルーダー・フィルム – Wikipedia

他にもケネディ大統領を撮影していた人は何人かいましたが、それらの映像にはケネディ大統領が撃たれた瞬間は映されていません。

エイブラハム・ザプルーダー
エイブラハム・ザプルーダー(Abraham Zapruder 1905年5月15日 – 1970年8月30日) は、アメリカ合衆国 テキサス州ダラスの婦人服製造業者で、1963年に同市を訪れたアメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの車列をフィルム撮影したことで知られる人物。

Zapruder was also a Freemason of the 33rd degree
Abraham Zapruder – Wikipedia, the free encyclopedia

このザプルーダー氏はフリーメイソン33階級。ケネディ大統領暗殺の重要な証拠もフリーメイソンが撮影したもの。しかしザプルーダー氏は撮影状況を涙ながらに語っていますので、フリーメイソンだからといって全員が陰謀に加担しているという訳ではありません。

【ウォーレン委員会】

リンドン・B・ジョンソン
リンドン・ベインズ・ジョンソン(Lyndon Baines Johnson、1908年8月27日 – 1973年1月22日)は、アメリカ合衆国の政治家。下院議員、上院議員、第37代副大統領、第36代大統領を歴任した。民主党ケネディ政権の副大統領を務め、ケネディ大統領が暗殺されると大統領に昇格、政権を引き継いだ。

1937年10月30日にテキサス州ジョンソンシティにあるジョンソンシティ・ロッジNo.561(Johnson City Lodge No.561)にてフリーメイソンに入会
リンドン・ジョンソン – Wikipedia

暗殺事件の調査を目的としたウォーレン委員会を設置したのはリンドン・ジョンソン。彼はフリーメイソンです。

ウォーレン委員会(ウォーレンいいんかい、英: Warren Commission)は、1963年11月22日にテキサス州ダラスで起きたケネディ大統領暗殺事件を検証するため、1963年11月29日にリンドン・ジョンソン第36代アメリカ合衆国大統領により設置された調査委員会である。なお、委員会の正式名称は「ケネディ大統領暗殺に関する大統領特命調査委員会」で、委員長を務めた連邦最高裁長官のアール・ウォーレン(Earl Warren)に由来する通称である。
ウォーレン委員会 – Wikipedia

委員長
アール・ウォーレン:連邦最高裁長官

委員
リチャード・ラッセル Jr.:上院議員
ジョン・シャーマン・クーパー:上院議員
ジェラルド・フォード:下院議員、後の第38代大統領
ヘール・ボッグズ :下院議員
ジョン・ジェイ・マックロイ:弁護士
アレン・ウェルシュ・ダレス:前CIA長官

▼ 委員

アール・ウォーレン
カリフォルニア州地方検事および第30代カリフォルニア州知事(1943年 – 1953年)、1953年から1969年まで第14代連邦最高裁判所長官を務めた。

He rose through the ranks in the Masons, culminating in his election in 1935 as the grand master of the Freemasons for the state of California.
Earl Warren – Wikipedia, the free encyclopedia

彼はカリフォルニア州のグランドマスターでした。

リチャード・ラッセル・ジュニア
ジョージア州下院議員(1921年 – 1931年)、ジョージア州下院議長(1927年 – 1931年)、ジョージア州知事(1931年 – 1933年)、連邦上院議員(ジョージア州選出、1933年 – 1971年)を歴任。上院では上院仮議長(1969年 – 1971年)、歳出委員長(1969年 – 1971年)、軍事委員長(1951年 – 1953年、1955年 – 1969年)を歴任。本名はRichard Brevard Russell, Jr.

こちらの一覧にある通り彼はフリーメイソンで、ケネディの後任大統領リンドン・ジョンソンとは師弟関係にありました。

ジョン・シャーマン・クーパー
ジョン・シャーマン・クーパー(英語: John Sherman Cooper, 1901年8月23日 – 1991年2月21日)はアメリカ合衆国の政治家、上院議員(ケンタッキー州選出、1946年 – 1949年, 1952年 – 1955年,1956年-1973年)。駐インド・ネパール大使(1955年 – 1956年)、駐ドイツ民主共和国(東ドイツ)大使(1974年 – 1976年)。

イェールではバスケットボール・チームのキャプテンで、スカル・アンド・ボーンズのメンバーでもあった。
ジョン・シャーマン・クーパー – Wikipedia

彼はフリーメイソンではありませんが、ブッシュ大統領もメンバーだった大学のフラタニティに所属していました。

ジェラルド・R・フォード
ジェラルド・ルドルフ・”ジェリー”・フォード・ジュニア(Gerald Rudolph “Jerry” Ford, Jr.、1913年7月14日 – 2006年12月26日[1])は、アメリカ合衆国の政治家。下院議員、第40代副大統領、第38代大統領を歴任。

Gerald R. Ford was initiated into Freemasonry on September 30, 1949.
Gerald Ford – Wikipedia, the free encyclopedia

入会はMalta Lodge No. 465, Grand Rapids, Michigan。職人と親方への昇格はColumbia Lodge No. 3, Washington, D.C.で、日付はそれぞれ1951年4月20日と5月18日。スコティッシュライトのページ(http://bit.ly/1DRLeCt)によると彼は33階級。

ヘール・ボッグズ
ルイジアナ州ニューオーリンズ選出の下院議員。彼がフリーメイソンであるという公開ソースはないが、ケネディ大統領も所属していた友愛結社であるエルクス慈善保護会(Benevolent and Protective Order of Elk)のメンバー。カトリック教徒。

ウォーレン委員会の報告書に疑問を持っていたヘイル・ボックス議員(ウォーレン委員会メンバー)は「委員会が出した結論の【一発の弾丸理論】は、完全なでっち上げだ!」と追求したが、アラスカ上空でヘイル・ボックス議員が乗った飛行機は「行方不明」になった(この時の捜査を担当したFBIは、早々と捜査を打ち切った。フーバー長官の圧力があったと考えるのは、ごく自然なこと。)現在も行方不明
Re: JFK暗殺者アレン・ダレス、J・エドガー・フーバー、ジョージ・HW・ブッシュ、ヘンリー・キッシンジャー、ジェラルド・フォード、リチャード・ニクソン、

ジョン・ジェイ・マックロイ
アメリカの弁護士、銀行家。元世界銀行総裁。フリーメイソンではないと思われるが、MJ-12で影響力を持っていたとされる。

MJ-12にはウォーレン委員会のメンバーもちらほら。

アレン・ウェルシュ・ダレス
アメリカ合衆国の政治家、外交官、弁護士で1953年から1961年までアメリカ中央情報局(CIA)長官を務めた。彼がフリーメイソンであるという客観的根拠はない。

ケネディ大統領は記者会見を行い、失敗の全ての責任が計画の実行を命じた自分にあることを認めていた。しかし、同時にCIAに対しては軍事行動の失敗と、さらにその後始末への失敗からその責任を厳しく追及し、ダレス長官、チャールズ・カベル副長官を更迭した。
ピッグス湾事件 – Wikipedia

ダレスとともに更迭されたカベル副長官の弟は当時のダラス市長であるアール・カベルで、当日にコース変更したのは彼。

ジョン・エドガー・フーヴァー
ジョン・エドガー・フーヴァー(John Edgar Hoover, 1895年1月1日 – 1972年5月2日)は、アメリカ連邦捜査局(FBI)の初代長官である。

フリーメイソンのメンバーでもあった
ジョン・エドガー・フーヴァー – Wikipedia

1961年に大統領に就任したジョン・F・ケネディもフーヴァーを免職しようとした。フーヴァーはすぐにケネディのもとに行き、もし免職したら自分が持っている情報(ケネディの女性問題や、自らも親しいジアンカーナなどのマフィアとの関係)を公開すると言い放ったという。ロバート・ケネディがFBIを厳しく締め上げたとき、フーヴァーの片腕のクライド・トルソンは「誰かが奴を撃ち殺してくれればいいのに」と言い残している。
ジョン・エドガー・フーヴァー – Wikipedia

フリーメイソンに由来する場所で暗殺されたケネディ大統領。後任大統領、ウォーレン委員会メンバー、FBI長官の9人の中でフリーメイソンは5人と、重大事件の関係者のうち過半数がフリーメイソンです。しかも事件を調査したウォーレン委員会の最終報告には内部からも疑問が出るなど『操作されている』ような印象を受けます。ケネディ大統領暗殺という歴史的事件にもフリーメイソンが関わっていたのでしょうか。

信じるか信じないかはあなた次第です。

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https://matome.naver.jp/odai/2143862233611225901
2015年09月17日