咸陽(かんよう) → 現在:陝西省咸陽市
中華人民共和国 陝西省 咸陽市
滎陽(けいよう) → 現在:河南省滎陽市
魏が攻めてきたので滎陽までは攻め込めませんでした。黄河を挟んで向こう側が山陽のようです。
中華人民共和国 河南省 鄭州市 ケイ陽市
山陽 → 現在:河南省焦作市修武県
フォフォフォの髭将軍、蒙驁(もうごう)と三大天の一人、廉頗(れんぱ)が戦った、中華統一の起点となる重要な場所。
咸陽からは500km以上離れたところにあります。咸陽と山陽のちょうど真ん中辺りに函谷関があるので、そこを通っていったんですかね。徒歩で何日かかるのか。。。
後に魏と戦った地、著雍(ちょよう)もこの辺りのようです。
中華人民共和国 河南省 焦作市 修武県
函谷関(かんこくかん) → 現在:函谷関
李牧率いる5カ国連合が攻めてきた、かの函谷関の戦いの地。咸陽の約200km東に位置してます。
合従軍の戦いの前、信がこの函谷関の壁の高さに驚いてますが、位置的に山陽の戦いで函谷関を通ってるはずなんですがねぇ。。。
中華人民共和国 河南省 三門峡市 霊宝市 函谷関
武関(ぶかん) → 現在:陝西省商洛市商南県
函谷関を突破出来なかった李牧が自ら別働軍を率いて突破した、函谷関の南に位置する関所。
今でも武关村(武関村)という地名がありました。函谷関からは直線距離でも100kmぐらいありそうです。
中華人民共和国 陝西省 商洛市 丹鳳県 武関村
蕞(さい) → 現在:陝西省西安市臨潼区
https://matome.naver.jp/odai/2143331902617473801/2145486504458952803
中華人民共和国 陝西省 西安市 臨潼区
長平(ちょうへい) → 現在:山西省高平市
中華人民共和国 山西省 晋城市 高平市 長平古戦場遺跡
屯留(とんりゅう) → 現在:山西省長子市
政の弟、成蟜(せいきょう)が反乱軍の首謀者に仕立て上げられた末に殺された地。妻・瑠衣(るい)の出身地。
あの成蟜が男気見せるとはねー。
中華人民共和国 山西省 長治市 屯留県
太原(たいげん) → 現在:山西省太原市
政の実母、太后さまが毐国(あいこく)とした地です。
咸陽からは600km以上あるので、謀反起こされると対応大変だったでしょうね。
中華人民共和国 山西省 太原市
雍(よう) → 現在:陝西省風翔
秦 発祥の地。政が加冠の儀を行った地です。
秦の都、咸陽から西に150kmぐらいの所にあるので近い、っちゃー近い。
中華人民共和国 陝西省 宝鶏市 鳳翔県 秦雍城遺址
咸陽(かんよう) → 現在:陝西省咸陽市
衍氏(えんし) → 現在:河南省新郷県
楊端和が奏軍として初めて落とした魏の城。
衍氏城があった場所は鄭州市の北15km、とあり、山陽の少し東にあるのでこの辺で大体合ってるかと。。。
中華人民共和国 河南省 新郷県 原陽県 橋北郷 邮政编码: 453513
趙国王都・邯鄲(かんたん) → 現在:河北省邯鄲市
幼き政が育った趙の都。闇商紫夏(しか)の手によって間一髪、秦へ逃れた。
邯鄲と咸陽の距離は約750km、漫画だとかなり遠回りしてるのでその倍ぐらいでしょうか。
中華人民共和国 河北省 邯鄲市
趙国・鄴(ぎょう) → 現在:河北省邯鄲市臨漳県
王翦率いる秦連合軍が攻めようとしている趙の城。
こうしてみると本当に王都・邯鄲の目と鼻の先です。
Jinfeng Rd, Linzhang Xian, Handan Shi, Hebei Sheng, 中華人民共和国
趙国・閼与(えんよ) → 現在:山西省和順県
今盛り上がっている場所です。
閼与はこの戦いの33年前、昌平君の師匠である胡易が趙に大敗した因縁の場所でもあります。
中華人民共和国 山西省 晋中市 和順県
楚国王都・郢(えい) → 現在:湖北省荊州市
大国・楚の都。
ここから函谷関(かんこくかん)まで、600km以上の道のりです。
魏国王都・大梁(だいりょう) → 現在:河南省開封市
魏の王都。
山陽を奪われた廉頗(れんぱ)将軍は、戦の後にここ大梁を追放され楚に向かいました。
黒羊(こくよう)・・・不明
桓騎(かんき)VS慶舎(けいしゃ)の戦の地、黒羊・・・5つの丘、という特殊な設定なのでおそらく創作だと思われます。
秦の都で政がいるところ。
咸陽の南に位置するのが、秦国亡き後に漢、隋、唐の都城と十数の王朝の都となった西安