大腸がんを発症した有名人まとめ

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山本譲二
演歌歌手。北島ファミリーの旗頭的存在。代表的な歌曲に『みちのくひとり旅』のほか、『旅の終りはお前』『奥入瀬』『花も嵐も』など。

2019年、大腸がんの手術を受けていたことを明らかにした。
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森山加代子
歌手。『白い蝶のサンバ』『月影のナポリ』『じんじろげ』など歌謡曲やカバー曲で数々のヒットを飛ばす。

2019年、大腸癌のために亡くなった。78歳没。
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原口文仁
プロ野球選手(捕手、内野手)。本塁・二塁間の送球が1.8秒台という強肩の持ち主。

2019年1月、大腸がんを患っていることを自身のtwitterなどで公表。手術を受け、同年5月に実戦復帰した。
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村上弘明
俳優。『仮面ライダー (スカイライダー)』でデビュー。時代劇や2時間ドラマなどで主演を務める。

2018年に病院での検査で初期の大腸がんが見つかり、手術を受けていたことを所属事務所が公表した。
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財津和夫
シンガーソングライター。ポップスグループ「チューリップ」のリーダー。

2017年6月、自身が大腸がんである事を告白。「チューリップ45周年ツアー」は4公演が中止となり、治療に専念することを明らかにした。
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内田春菊
漫画家、小説家。『南くんの恋人』は、これまでに4回テレビドラマ化されている。

2017年4月、前年に大腸癌を患い人工肛門を造設したことを公表。
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大島康徳
元プロ野球選手・監督、野球解説者。2000年から2002年まで日本ハムの監督を務めた。

2017年、自身の公式ブログにて「2016年10月にステージ4の大腸がんになり手術を受けていたこと、肝臓に転移していること」を発表した。
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十勝花子
女優、タレント。テレビドラマや映画、バラエティ番組で活躍。ボランティア活動にも尽力した。

2016年、大腸癌のため東京都内の病院で死去。70歳没。
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今井雅之
俳優・演出家。代表作は原作も手がけた演劇・映画『THE WINDS OF GOD』。

2015年4月21日、ブログにて、末期の大腸癌のため、主演舞台『THE WINDS OF GOD』を降板することを発表した。同年4月30日には記者会見を開き、3月から入院中で、抗がん剤治療をしており末期ガンであることを明かした。5月28日死去。54歳没。
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中村紘子
ピアニスト。ショパン国際ピアノコンクールの入賞者として広く知られている。

2014年、腸閉塞の腹腔鏡手術を受けた際に、大腸がんが見つかる。治療し復帰するも、2016年に大腸がんのため永眠。72歳没。
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石田信之
俳優。代表作に『ミラーマン』(主演・鏡京太郎役)など。

2014年3月、自らのブログで癌の治療中であることを明らかにした。2015年7月、自身のブログにて癌再発を公表。2019年、大腸がんからの多臓器転移のため、神奈川県の病院で死去。68歳没。
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藤子不二雄A
漫画家。藤本弘(藤子・F・不二雄)とともに藤子不二雄としてコンビを組み、作品を発表した。「忍者ハットリくん」「怪物くん」「オバケのQ太郎」など。

生まれてから一度も病気になったことが無かったという。しかし、2013年春、上行結腸癌(大腸癌)が発覚、“人生初の病気”にかかり、手術を受けた。
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坂口良子
女優。晩期には娘の坂口杏里と共演した。2012年、15年間にわたる事実婚の後、プロゴルファーの尾崎健夫と入籍。

2013年、横行結腸癌および肺炎のため死去。57歳没。娘の杏里は「ママは大切なものを残していってくれました!お金なんかで絶対買えない大切な家族。おじさんと、お兄ちゃん!」とブログに綴った。
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入川保則
俳優、タレント。現代劇と時代劇の両方で、主に脇役として活躍。

2010年、直腸にがんが見付かった。すでに全身に転移しており余命半年を公表。一切の手術や延命治療を拒否し、限られた余命を自然のままに終える道を選んで社会の注目を集めた。2011年死去。
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青山繁晴
政治家、安全保障および国家政策研究員、作家。

2010年の人間ドックで大腸にポリープが見付かり、内視鏡での除去手術を受けた。その後、切除されたポリープを病理解剖に回し、検査結果が初期の大腸がんと診断され、切除手術を受けた。
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原田芳雄
俳優。圧倒的な存在感と的確な演技力を武器に、テレビドラマや映画を中心に活躍。

2008年11月に早期の大腸癌が発見され入院、1ヶ月静養ののち同年末から仕事に復帰した。没後明かされたが、この時点で既に末期の状態にあり、余命宣告がなされていたという。
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金哲彦
元陸上競技選手。テレビでは解説者として、ランナーの立場に立ったコメントを述べている。

2006年、大腸がんを発症し手術。そして翌年には早くもフルマラソンを完走した。
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鳥越俊太郎
ジャーナリスト・テレビタレント。テレビ朝日『ザ・スクープ』の司会を務める。

2005年、レギュラーアンカーを務めていたテレビ朝日『スーパーモーニング』に本人が電話出演し、直腸癌であることを告白した。3日後に手術を受け、その後復帰。
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深浦加奈子
女優。様々な役柄をこなし、名脇役と評された。

2008年8月、S状結腸癌のため死去した。48歳没。お別れの会には友人や芸能関係者など約550人が参列して、小泉今日子が涙を流しながら代表で弔辞を読んだ。2003年頃から闘病しながら仕事を続けており、「恋人は仕事」と仕事に専念し独身を貫いていた。
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中尊寺ゆつこ
漫画家。1990年代を中心に活躍し、「オヤジギャル」などの流行語を生んだ。テレビのコメンテーターなどとしても活動。

2004年、S状結腸癌のため、夏から執筆活動などをこなしながら闘病を続けていたが、翌年、横浜市内の病院で死去。42歳没。
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寺内タケシ
ギタリスト。1962年に「寺内タケシとブルージーンズ」を結成、1500校近い高校を回り、コンサートを開いている。通称「エレキの神様」。

ハイスクールコンサート1000校達成の功績に対し、中曽根文部大臣(当時)から感謝状が授与された。その折、S字結腸ガンで入院。2002年より復帰した。
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石坂浩二
俳優。俳優業のみならず、作家、司会者やクイズ番組の解答者など多方面で活躍。

2001年4月より、時代劇『水戸黄門』の4代目水戸光圀役として起用された。知的でスマートな“インテリ黄門”を演じたが、2002年5月に石坂が直腸癌の手術で入院したため、1年余りで降板となった。翌月には復帰したものの、その後はしばらく俳優活動を自粛している。
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市田忠義
政治家。日本共産党所属の参議院議員。

2001年暮れに大腸がんが見つかって手術を受けた。手術後に抗がん剤治療が必要な状況になった時には党の書記局長を辞任することも覚悟していたという。
市田忠義 – Wikipedia

佃公彦
漫画家。1956年、東京新聞に『ほのぼの君』の連載を開始、44年間に渡り連載した。

晩年は直腸がんや腹部大動脈瘤の手術で休載することが多くなり、2006年末にはパーキンソン病を発症、絵筆が持てなくなるなどから降板を決意した。
佃公彦 – Wikipedia

堀内恒夫
政治家。元プロ野球選手(投手)、監督。読売ジャイアンツのV9時代のエースとして活躍。

ガンにかかっていることを告白(大腸内に出来た初期のガン)。
前巨人監督の堀内恒夫さんは、以前、ガンにかかっていることを告白され… – Yahoo!知恵袋

与謝野馨
政治家。内閣官房長官(第74代)、拉致問題担当大臣、財務大臣(第11代)などを歴任。

2000年8月に肛門から10cmの直腸がんを切除。
与謝野馨 – Wikipedia

渡哲也
俳優・歌手。元石原プロモーション社長。俳優の渡瀬恒彦は弟。

1991年に自ら直腸癌であると発表。『渡哲也 俺』に壮絶な闘病記が記されている。これにより、オストメイト(人工肛門使用者)であることを明らかにしている。
渡哲也 – Wikipedia

大村昆
コメディアン。黎明期のテレビの軽演劇で爆発的な人気を得た。

1989年。58歳の時、大腸癌を患っているが、内視鏡手術で切除、その日のうちに『午後は○○おもいッきりテレビ』の生放送にも出演している。
大村崑 – Wikipedia

エディ・タウンゼント
ボクシングトレーナー。ガッツ石松、井岡弘樹ら6人の世界チャンピオンを育て上げた「名トレーナー」「名伯楽」として知られる。

1987年に行われたWBC世界ミニマム級王座決定戦で、井岡弘樹を世界チャンピオンへと導く。しかしこの頃から、エディは直腸がんに蝕まれており、車椅子で生活しながら指導するようになる。
エディ・タウンゼント – Wikipedia

中谷一郎
俳優。「水戸黄門」初代風車の弥七役で有名。

大腸癌、糖尿病などの病と闘いながら弥七役として活躍したが、体調不良のため頻繁に休演するようになり、殺陣の場面にも参加しないことが増えていった。第27部を最後に長期休演。そのまま復帰することなく事実上の降板となった。
中谷一郎 – Wikipedia

https://matome.naver.jp/odai/2142249113018552801
2019年12月19日