月9「信長協奏曲」がより面白くなる!織田家臣たちの史実での姿【肖像画と比較】

すきやだゆう
月9初の時代劇「信長協奏曲」。毎週楽しく見ていますがここに出てくる個性豊かな家臣たちが史実においてはドラマと違う部分などがあるようなので実際はどんな武将たちだったのかまとめてみました。

柴田勝家 《演:高嶋政伸》

織田家筆頭家老。若年の頃から織田信秀に仕え重用された。信秀が死去すると、 信秀の子で信長の弟にあたる信勝の家老となり、同じく織田家跡継ぎであった信長と対立する。
しかし信長との合戦に敗れた後は信長に仕え、信勝を自刃に追い込み跡目争いを収束させる。
その後は信長のもと織田家の主要な戦いのほとんどに参加し手柄を立て、 信長から北陸征伐の軍の指揮を一任されるまでになった。
長政に嫁いでいた信長の妹・お市が、浅井家滅亡で織田家に戻り、勝家と再婚した。
本能寺の変の後、信長亡き後の織田家の方針を巡って秀吉と対立。
信長の三男織田信孝を擁立して秀吉らと戦うも、 賤ヶ岳合戦に敗北。
居城北ノ庄城に戻り、お市の娘達を秀吉のもとへ送り届け、お市とともに自害した。
柴田勝家 (しばたかついえ)とは【ピクシブ百科事典】

史実では後にお市ちゃんと夫婦に。笑

モリリン(森可成)《演:森下能幸》

通称,三左衛門。長可,蘭丸,忠政らの父。代々美濃金山城に住み,初め斎藤道三,のち織田信長に仕えた。1570年9月浅井長政,朝倉義景の連合軍に近江宇佐山の志賀城を攻められ戦死。
コトバンク

槍の名手で、関兼定銘の十文字槍の使い手であった。武勇の誉れ高く「攻めの三左」という異名を誇った。
織田家においては柴田勝家より以前に信長に仕えた年長組で、美濃衆として活動した。信長は可成の死を深く悲しみ、直後に弔い合戦として浅井・朝倉軍に協力した比叡山延暦寺を焼き討ちすることになる原因の1つになったという。
戦で指が一本欠けており手足の指が合わせて19本であったため「十九」という蔑称で呼ばれる事もあったという。
武辺者として多くの武勇伝が伝わるが、信長の上洛後は京都周辺の寺社や堺の会合衆などに宛てて非常に多くの文書を発給しており、織田家の重臣として政務にも大きく関わっていた事が窺い知れる。
子宝に恵まれ、生まれた六男三女とも正室えいとの間の子供である。愛妻家であったという。
森可成 – Wikipedia

ドラマとは違って戦の得意な武将だったんですね。笑

恒ちゃん(池田恒興)《演:向井理》

織田家家臣。母は織田信長の乳母であり、信長の父の織田信秀と再婚して側室となっているため、恒興は信長とは乳兄弟であり同時に義理の兄弟にあたる。
幼少の頃から小姓として織田氏に仕え、桶狭間の戦い、美濃攻略などで戦い、元亀元年の姉川の戦いで活躍。以後も比叡山焼き討ち、長島一向一揆、長篠の戦いなど信長の主だった戦に参陣。

本能寺の変にて信長が家臣の明智光秀に討たれると、中国攻めから引き返した羽柴秀吉に合流。光秀を破り、織田家の宿老に列した。織田家の後継を巡る清洲会議では、柴田勝家らに対抗して、秀吉・丹羽長秀と共に信長嫡孫の三法師(織田秀信)を擁立。
徳川家康・織田信雄との小牧・長久手の戦いでは、去就が注目されたが結局は秀吉方として参戦。勝利が成った際には尾張1国を約束されていたという。緒戦で犬山城を攻略した後、途中で上条城に立ち寄り、三好信吉・森長可(恒興の婿)・堀秀政と共に家康の本拠三河を攻めようとしたが、合戦の前半で鞍に銃弾を受け落馬したことが災いとなり、長久手にて長可と共に戦死。享年49。
池田恒興 – Wikipedia

モリリンの息子・長可くんがお婿さんになるんですね〜

猿くん(木下藤吉郎。後の羽柴秀吉、豊臣秀吉)《演:山田孝之》

尾張国の下層民の家に生まれたとされる。当初今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信忠の遺児三法師を擁して織田家内部で勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、豊臣姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて1590年、天下統一を果たした。明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中1598年に、病没した。
豊臣秀吉 – Wikipedia

言わずと知れた人物ですが秀吉が元々忍び(忍者)だったという説は結構あります。

ミッチー(明智光秀。本物信長の仮の姿)《演:小栗旬》

土岐家一門の出で、朝倉義景に仕えていたが、後に織田信長に仕えた。

配下として各方面の攻略で名を挙げていたが、1582年に羽柴秀吉の毛利家攻略に行軍する途中、突然反旗を翻し、信長が宿泊していた本能寺を襲撃し、信長を自害に追い込んだ(本能寺の変)。

しかし、急報を聞いて毛利軍と和議を結んだ秀吉軍に山崎で戦って敗れ、落ち延びる途中に襲撃にあって無念の死を遂げた。
明智光秀とは – はてなキーワード

史実においても未だに謎の多い人物ですが信長=光秀説はさすがに他では聞きませんw

利家くん(前田利家)《演:藤ヶ谷太輔(Kis-My-Ft2)》

幼名は犬千代。 若年期は織田信長の小姓として仕え、信長に連れられて城下を練り歩いていたという。この頃はかぶき者として知られ、豪奢な槍を担ぎ派手な柄の衣装をまとい、短気で喧嘩っ早い性格もあって周りからは避けれていたと言われる。
その槍の腕前を存分に発揮して功を立て、『槍の又左衛門』の異名で敵軍から恐れられるようになる。
その後は信長の天下統一のために多くの戦で奮戦。

信長が本能寺の変で倒れ、織田家の後継問題で羽柴秀吉と勝家が対立、利家は与力関係から柴田勝家に味方する。しかし賤ヶ岳の戦いでの羽柴軍との停戦交渉の席で、秀吉を説得するはずが逆に説得されてしまい、最終的には降伏して秀吉側に付く選択をする。
以後は秀吉の下で北陸方面の平定に尽力。北陸の惣領と言うべき働きをなして活躍し、秀吉の天下統一に貢献し、のちの加賀百万石の礎ともなった。
その功績から五大老のひとり、しかも徳川家康と並ぶ筆頭の位置に並ぶという大出世を遂げる。
1599年、亡くなった秀吉の後を追うように病死。
前田利家 (まえだとしいえ)とは【ピクシブ百科事典】

この肖像画はアレですが若い頃は美少年だったと言われてます。笑

竹中半兵衛《演:藤木直人》

戦国時代を代表する軍師としても知られ、織田氏の家臣である羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の参謀として活躍し、黒田孝高(黒田官兵衛)とともに「両兵衛」と称された。しかし、軍功に関する逸話や美談の多くは後世の創作によるものと見られ、史実上の実像が不明瞭な人物である。

1579年、播磨三木城の包囲(三木合戦)中に病に倒れた。秀吉は重治の病状を心配して京都で療養させたが、重治は既に自らの死期を悟り、武士ならば戦場で死にたいと秀吉に懇願して播磨三木平井山の秀吉本陣に戻り、陣中にて死去した。
竹中重治 – Wikipedia

このドラマでは秀吉と仲の悪い半兵衛。

帰蝶ちゃん (斎藤(織田)帰蝶)《演:柴咲コウ》


https://matome.naver.jp/odai/2141820719133654801/2141865001454148003

その人物像は不明である。織田氏に嫁いだ後の消息は早世説・離婚説など諸説に分かれている。
本能寺の変の際に薙刀を振るって夫・信長とともに敵兵と戦って戦死したという説もある(司馬遼太郎の小説『国盗り物語』等はこの説を採用している)。
濃姫 – Wikipedia

番外編 浅井長政《演:高橋一生》

https://matome.naver.jp/odai/2141820719133654801
2014年12月17日