秋山徳蔵ってどんな人?ドラマ「天皇の料理番」のモデル・宮内省大膳職司厨長【主演・佐藤健】

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俳優の佐藤健が、来年4月期にTBS系「日曜劇場」で放送されるドラマ「天皇の料理番」で主演を務めることが明らかになった。原作は、大正から昭和にかけて宮内省の調理を司る主厨長を務めた秋山徳蔵氏の人生を描いた、杉森久英の同名小説。佐藤は本作でTBS連続ドラマ初主演を務める。

●ドラマ番組表
【2015年冬ドラマ】番組表 https://matome.eternalcollegest.com/post-2140508431061361901
【2015年春ドラマ】番組表 https://matome.eternalcollegest.com/post-2141742012051989401
【2015年夏ドラマ】番組表 https://matome.eternalcollegest.com/post-2142566955949170301
【2015年秋ドラマ】番組表 https://matome.eternalcollegest.com/post-2142618477923139601
●アニメ番組表
【2015年冬アニメ】番組表 https://matome.eternalcollegest.com/post-2140517257118486301
【2015年春アニメ】番組表 https://matome.eternalcollegest.com/post-2141893539420484001
【2015年夏アニメ】番組表 https://matome.eternalcollegest.com/post-2142618172222382801
【2015年秋アニメ】番組表 https://matome.eternalcollegest.com/post-2142678333849636601

俳優の佐藤健が、来年4月期にTBS系「日曜劇場」で放送されるドラマ「天皇の料理番」で主演を務めることが明らかになった。
佐藤健、刀を包丁に持ち替える!TBS連ドラ初主演で料理人役に挑戦! – シネマトゥデイ

ドラマ 天皇の料理番
主演・佐藤健

ドラマまとめです

原作は、大正から昭和にかけて宮内省の調理を司る主厨長を務めた秋山徳蔵氏の人生を描いた、杉森久英の同名小説。
佐藤健、刀を包丁に持ち替える!TBS連ドラ初主演で料理人役に挑戦! – シネマトゥデイ

小説 天皇の料理番

モデルとなった秋山徳蔵とは

秋山徳蔵
宮内省大膳職司厨長(料理長)を務めた

1888年(明治21年)、福井県南条郡武生町(現・越前市)において、裕福な料理屋の次男として生まれる。旧姓は高森。幼少期には素行がおさまらず、禅寺に修行に出されたこともある
秋山徳蔵 – Wikipedia

味―天皇の料理番が語る昭和
二十世紀初頭、福井の片田舎から上京してきた秋山徳蔵は努力と才覚とで日本の西洋料理界のトップにまで登りつめる。華族会館、ブラジル公使館、築地精養軒、大正元(一九一二)年、三田東洋軒本店の料理長宮内省の主厨長に就任し、我が国の西洋料理界に大きく貢献した秋山の、料理に対する知識と探求心が伺える、自らが筆をとった貴重な食味エッセイ。

秋山が自著『味』で記したところによれば、鯖江にあった陸軍の連隊を訪ねた際に、食堂でそれまでに嗅いだことのない香ばしい匂いに触れたことが、西洋料理との出会いであったという。16歳で単身上京する。
秋山徳蔵 – Wikipedia

築地精養軒
日本で初めての西洋料理店である。
明治維新後、東京には本格的な西洋料理店がなく、外国からの要人の接待に不便をきたしていたことから、岩倉具視の支援を受け、北村重威(1819-1906年)が1872年(明治5年)に開業した。その後、上野公園の開設とともに支店として「上野精養軒」も開業、本格的なフランス料理店をめざした。1923年関東大震災で築地が全焼し、上野に本店を移して営業、現在に至る。

修業につぐ修業を重ねた。華族会館、駐日ブラジル公使館を経て、築地精養軒へ。ここで西尾益吉料理長の薫陶を受けた。そして、「東洋軒」三田本店の料理長に就任する。
インスタント食品にも理解を示した 「天皇の料理番」秋山徳蔵|文春写真館|本の話WEB

オテル・マジェスティック
オテル・リッツ・パリ
オテル・リッツ ( Hôtel Ritz )は、パリの中心部、1区にある壮麗な宮殿ホテルである。 ヴァンドーム広場の15番地に位置し、八角形の広場を見渡すことができる。世界で最も豪華で評判の良いホテルの1つに数えられており、ザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ・ワールドに加盟している。現在159室を有している。
オーギュスト・エスコフィエ
レストラン経営と料理考案・レシピ集の著述を通じて、伝統的なフランス料理の大衆化・革新に貢献した事で知られる。現在にいたるフランス料理発展の重要なリーダーとして、シェフと食通の間で偶像視されている。
築いた技法の多くは、フランス料理の創始者として知られるシェフ、アントナン・カレームの技法を基礎としている。エスコフィエの最大の功績は、カレームを基礎としながらも、カレームが築き上げた、精巧で装飾的な意味合いの濃厚な料理を単純化し、調理法を体系化する事によって、フランス料理現代化の先鞭をつけたことにある。

1909年(明治42年)から、本格的な西洋料理修行のためフランスに渡航する。料理人修行のための渡欧は、同時代では稀なことであった。パリの日本大使館の紹介により、オテル・マジェスティックの厨房に入り2年間修行、苦労の末に料理の腕を認められるようになった。その後、オテル・リッツ・パリにおいてオーギュスト・エスコフィエの下で半年働いている
秋山徳蔵 – Wikipedia

宮内省大膳寮司厨長

大正天皇即位の礼を控え、外国からの賓客に本格的なフランス料理を提供できる料理長として、パリの日本大使館の推薦により宮内省に招かれて帰国。1913年(大正2年)、新設された宮内省大膳寮司厨長に任じられた。なお、同年7月、秋山俊子と結婚して秋山家へ入籍、秋山姓となる。
秋山徳蔵 – Wikipedia

新フランス料理全書
フランス料理人向けのあらゆるレシピを簡単に網羅した調理大全。

1923年(大正12年)、1600ページに及ぶ『仏蘭西料理全書』を刊行。『仏蘭西料理全書』は、1966年に新版が刊行されるなど、第二次世界大戦後に至るまで西洋料理を学ぶ者の「バイブル」とされた。このほか、一般向けに『味』などの書籍を刊行した。
秋山徳蔵 – Wikipedia

勲三等瑞宝章

1972年(昭和47年)、84歳で現役を引退。1973年(昭和48年)に勲三等瑞宝章を受章。翌年没した。
秋山徳蔵 – Wikipedia

歴史秘話ヒストリア 天皇の料理番・秋山徳蔵

天皇の料理番・秋山徳蔵。幼い頃、洋食のカツレツに出会って感激し、料理人を志した秋山。時は明治時代、親に莫大な借金をして単身フランスに渡った秋山を待っていたのは、東洋人に対する偏見と人間関係の壁だった。持ち前の負けん気と包丁さばきの腕で頭角を現し、フランス料理の最高峰「リッツホテル」で働くまでに至る
天皇の料理番・秋山徳蔵の神髄に迫る!世界が絶賛した秋山渾身の一皿とは?『歴史秘話ヒストリア』 | テレビ関連ニュース [テレビドガッチ]

宮中晩餐会

そして最高峰のホテルでフランス料理の神髄を学んだ秋山は日本の威信をかけた大正天皇即位の晩餐会を任される。世界の貴賓をもてなす大事な晩餐会で秋山が選んだ食材は何とザリガニ! 軍隊まで動員し北海道の原生林で3000匹を捕獲、驚きの一皿を作り上げたのだ!!

さらに戦後は占領軍から天皇を守ろうと孤軍奮闘、マッカーサーたちを相手に料理外交を繰り広げる。
天皇の料理番・秋山徳蔵の神髄に迫る!世界が絶賛した秋山渾身の一皿とは?『歴史秘話ヒストリア』 | テレビ関連ニュース [テレビドガッチ]

「歴史秘話ヒストリア」
– 宮廷料理の舞台裏にようこそ〜天皇の料理番 秋山徳蔵 –
[歴史秘話ヒストリア 【宮廷料理の舞台裏にようこそ〜天皇の料理番 秋山徳蔵】 ]の番組概要ページ – gooテレビ番組

上記の細かい内容 天皇の料理番についてわかると思います

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料理の世界に名人はいらない 勉強を続ける人が必要なのだ (バラエティ/情報)
黒船来航の時、幕府はペリー一行に本格的な日本料理を振舞った。しかし当時の西洋人に肉のない料理や刺身のしょう油は耐え難いものだった。日本人の手で一流の西洋料理を出すという方針を政府が打出したのは大正時代、秋山徳蔵に白羽の矢が立った。
明治中頃の東京は江戸時代の名残を残しつつも西洋料理を出す店がポツリポツリと立ち始めた。秋山は明治21年に福井県に生まれた。実家は仕出ししょう油屋で秋山は幼い頃から家業を手伝い料理の腕を磨いていた。そんなある日、地元の駐屯する陸軍の宿舎に配達に行った時、軍の厨房には西洋料理が並び、それを食べた秋山は西洋料理の虜となった。
20歳になった秋山は東京の西洋料理店で修業した後、親に莫大な借金をしてパリへ向かった。秋山は大使館の紹介によりホテルの厨房で働き始めた。東洋からやってきた秋山には人間関係の壁が立ちはだかった。ある日、秋山はスープが並々と入った大きな鍋を持ち上げてみろと言われ、鍋をひっくり返して空になった鍋を持ち上げて見せた。そんな秋山の包丁さばきはコックたちの目を引きつけた。
料理の腕を買われた秋山はフランス料理界の最高峰リッツホテルで働き始めた。料理長はフランス料理の王と崇められたオーギュスト・エスコフィエ。フランス料理を芸術にまで高めた人物。秋山はエスコフィエの影響を受けながらフランス料理の真髄を学んだ。中でもスープの重要性に注目。秋山は貪欲に最先端のフランス料理を吸収する日々を送った。
パリでの修行が3年目に入ったある日、秋山は大使館に呼び出された。日本では秋山のフランス滞在中に明治天皇が崩御。大正天皇の即位式では世界各国からの招待客が列席する晩餐会が開かれる。帝国主義の時代、西洋列強の植民地はアフリカ・アジアへと拡大していた。そんな中、西洋化をなしとげた「一等国」であることを世界に示す必要があった。国家の重責を担い秋山は帰国の途についた。
19世紀はじめ、フランスがイギリスのロシアなどを相手に戦い敗れたナポレオン戦争の戦後処理を話し合うウィーン会議で、フランスの代表タレーランは余計な外交官はいらない、有能な料理人が必要なのだと話した。フランスは連日連夜最高のフランス料理でもてなし、敗戦国であるにも関わらず有利な条件を獲得し料理外交の勝利とも言われている。20世紀に入り料理外交の伝統を引き継いでいたのが秋山徳蔵がいたリッツホテル。フランスやイギリスなどヨーロッパ諸国の晩餐会を任されていた。

episode 2

料理は外交上の最も効果ある手段の一つである (バラエティ/情報)
大正天皇の料理番・秋山徳蔵を特集。支笏湖の原生林に住むニホンザリガニが華やかな晩餐会で脚光を浴びることになる。各地で大正天皇の即位式への準備が進んでいるなか、26歳の秋山は宮中の料理長に就任した。秋山は宮中の料理人に西洋料理の基本から教えていった。晩餐会が迫るなか、秋山は世界の賓客を相手に失敗せずに冒険して感動する献立選びに悩んでいた。
国立公文書館には、大正天皇即位の記録が残されている。秋山の献立もイラストとともに残されており、日本では珍しかった食材を使ったフルコースだった。秋山は最後まで悩んだスープを珍味であるザリガニスープに決めた。秋山は上質なニホンザリガニを手に入れるために軍隊に協力を要請して運んだ。
秋山が作ったザリガニスープを中村勝宏シェフに再現してもらった。コース料理の印象を最初に決めるスープは秋山渾身のものだった。大正天皇の即位式の晩餐会では、秋山のスープが出され、ザリガニのポタージュは賓客の心をつかんだ。日本が威信をかけた晩餐会は大成功に終わり、5年後、日本は国際連盟の常任理事国になった。その後、秋山は天皇の料理番として50年以上にわたって宮中晩餐会をとりしきった。
今でも皇居では、年に幾度か国賓や公賓が来日した折には宮中晩餐会が開かれる。その際に振る舞われるのはフランス料理で、デザートには秋山徳蔵が作った富士山のアイスクリームが出されることが定番となっている。

episode 3

おいしい料理は真の幸福の基礎となる (バラエティ/情報)
天皇の料理番・秋山徳蔵を特集。秋山が料理版として終生仕えた昭和天皇は、秋山が26歳で宮中に入った時に13歳の少年だった。27歳で即位して以降も秋山は昭和天皇を支え続けた。天皇の料理番として最も大切な仕事は日々の食事の用意だった。秋山は下がってきた御膳を調べて体調や好みを推し量り、天皇を守っていた。
太平洋戦争が勃発し、宮中も食糧不足に陥った。しかし天皇は特別なことをせずに国民と同じもので良いと伝えていたため、配給を使って料理をする日々が続いた。敗戦後、マッカーサーがやってきて天皇制は存亡の危機に立たされた。秋山はマッカーサーの皇室への印象を少しでも良くしようと接待攻勢を考えた。秋山は様々な行楽を企画して、GHQ幹部などに料理の腕をふるった。秋山は、屈辱的な振る舞いされても自ら道化役を買って出て皇室を守ろうとしていた。
秋山の贈り物はGHQの幹部やマッカーサーなどに及んでいて、沢山の感謝状が秋山に届いている。マッカーサーは、敗戦の翌年に天皇の責任を追求する証拠はないと報告している。
昭和天皇も40半ばを過ぎて和風の物を好むようになっていた。東京・赤坂に秋山が仕事を終えてから天ぷらの揚げ方を教わっていた専門店がある。川部さんは本当の料理人だと思ったと語った。秋山は生物を敬遠する宮中で、にぎり寿司などにも挑み、出した御膳が空になることを喜びとしていたという。84歳になった秋山は、天皇の料理番を引退することを決意し、昭和天皇に拝謁した。
栃木県高根沢町にある御料牧場では天皇の食卓を支えるための羊や豚が放し飼いにされている。秋山徳蔵は御料牧場をたびたび訪れ、食材の育成状況に目を光らせた。「良い食材を生かしきる」というのが秋山の料理哲学。「仏蘭西料理全書」はユスコフィエの料理辞典をもとに秋山が作りあげた1600ページに及ぶ大著。この本は料理人を目指す人々の教科書として読み継がれてきた。東京・日比谷にある帝国ホテルのシェフ田中健一郎はこの本について、フランス料理の一番大事なエッセンスが全部入っていると話す。秋山の料理に対しての姿はその後の日本の料理界の大きな礎となった。秋山は「味」の中で「ものを食うのは魂が食うのだ」などとしている。

変わるものと変わらぬもの 秋山徳蔵氏

https://matome.naver.jp/odai/2141778475464491801
2014年12月05日