06年トリノ五輪金メダリストで、プロフィギュアスケーターの荒川静香さん(32)が6日に第一子となる長女を出産したことを12日、発表した。予定日よりも早い出産となったが、母子ともに産後の経過も順調だという。
荒川さんは報道各社へのリリースで「11月6日に2860グラムの元気な女の子が誕生しました」と報告した。無事に初産を終え、「初めての経験に喜びや期待、不安や戸惑うこともありましたが、生まれてきた我が子が、ぎゅっと手を握ってくれた時には、安堵と、言葉にできない感動を味わいました」と喜びを表現している。
今後へ向けて「新しい人生をスタートさせた娘の、人生のサポーターであり、良き理解者となれるよう、娘からたくさんのことを学びながら、母として愛情を持って精一杯向き合って参りたいと思います」と、ママとしての決意をつづった。
荒川さんは昨年12月に外科医の男性と結婚した。
1981年(昭和56年)12月29日、東京都品川区にある関東逓信病院で生まれ、サラリーマンの父と幼稚園教諭の母のもと、神奈川県鎌倉市で育てられた[7]。名前の「静香」は、鎌倉に縁の深い静御前に因む[8]。1983年(昭和58年)春、父親の転勤に伴って、1歳4ヶ月で宮城県仙台市に転居[9]。1993年(平成5年)、バブル景気期から急速に開発が進んだ同県利府町(仙台市のベッドタウン)に引越し、仙台市立台原小学校から利府町立しらかし台小学校に転校(6年時)[10][11]。1997年(平成9年)、県下ではアイスホッケーやフィギュアスケートが盛んなことで知られる東北高等学校(仙台市)に入学[11]。2000年(平成12年)春、上京して早稲田大学教育学部に入学し、卒業後の2004年(平成14年)春よりプリンスホテル(東京都)に所属[11]。2013年(平成25年)12月29日、自らの誕生日に一般男性と結婚したことを発表した[12][13][14]。
公式サイト上には「出身地:神奈川県鎌倉市(出生地:東京都品川区)」と記載されている[7]ものの、乳児期から高校卒業まで宮城県仙台市および利府町という仙台都市圏(仙塩地区)で暮らしており、トリノオリンピック当時も実家は利府町にあったことから、マスメディアではしばしば「宮城県出身」あるいは「仙台出身」と紹介される[15][16]。
荒川家は一般的なサラリーマン家庭で、費用が多く掛かるフィギュアスケートを続けていくために、母親が衣装を手作りするなどの両親の支えがあった[17]。
海外メディアからは、ポーカーフェイスであることもあり「クールビューティー」と称されていた[18]。日本での愛称はしーちゃん[19]。尊敬するスケーターはクリスティー・ヤマグチと佐藤有香[20]。佐藤有香は1998-1999年シーズンの振付も担当している[21]。安藤美姫や恩田美栄、鈴木明子には特に慕われており、プライベートでも非常に仲が良い。2度にわたってオリンピック代表の座を争った村主章枝との間には確執が取り沙汰されていたが、トリノオリンピック中に一緒に食事をするなどし、和解が報じられた(村主章枝#人物参照)。
趣味はグルメで、フィギュアスケート界きっての大食漢であることが知られている[22]。意外な趣味としてはバイク。アイスクリームは好物であるがチョコミントアイスクリームだけは苦手としている。2011年11月に大型二輪免許を取得している。愛車はヤマハ・XVS1300CAストライカー。普段は両親が乗っていてなかなか本人が乗れないとのこと。シーズー1匹と3匹のカニンヘンダックスフントを飼っている愛犬家[※
スケーティング
スケーティングには重厚感と伸びがある[23]。競技では用いなかったものの、トリノオリンピックの公式練習では3回転ルッツ-3回転ループの2連続3回転や、3回転サルコウ-3回転トウループ-3回転ループ、3回転トウループ-3回転トウループ-3回転ループの3連続3回転を披露しているほか、練習では3回転アクセルや4回転トウループを跳んだこともあった[24][25]。ジャンプの種類ではルッツを得意とする一方、フリップでは踏み切る瞬間にアウトサイドエッジに乗ってしまう「リップ」になりがちだった[26]。
大きく上体を反らせた「レイバック・イナバウアー」は特徴的。トリノオリンピック後はものまねが流行し、2006年の新語・流行語大賞を受賞するまでになった[27]。
競技では決して加点されることのないイナバウアーを彼女が敢えて取り入れたのは、長野オリンピックで実際に見たスルヤ・ボナリーのバックフリップを見て大感動したからだった。禁止ワザで大減点されたにも関わらず観衆の大喝采を浴びたそのパフォーマンスを見て、ルールに縛られて自分らしさを失うより、人々の記憶に残るスケーターになりたいと強く思ったからだと語っている。(フジテレビ『教訓のススメ』(ダウンタウン他)2014年10月31日放送回)。
身体がとても柔軟で、ビールマンスピンの練習を始めたころは「体が柔らかすぎてグニャグニャなので、どこで止めるのかが難しい」と言っていた[28]。



