【バイク】かっこいい!歴代GPライダー達のライディングフォーム画像まとめてみました

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ロバーツ、スペンサー、シュワンツ、ロッシ、各ライダーでそれぞれ違うライディングフォーム。でもどのライダーもカッコいい!!近年、パワーバンドが広くなりトラクションコントロールが装備されるようになってからは少しフォームが変わってきてますね。これから少しずつライダーを増やしていく予定です。

フレディ・スペンサー(アメリカ)

1983、1985世界GP500ccチャンピオン
1985世界250ccチャンピオン
スタート直後から他をグングン引き離し独走するレースが多くそのスタイルから「ファスト(速い)フレディ」と呼ばれた天才ライダー。
キレイなフォーム。マシンはHRCホンダNS500。そつなく操縦しているように見えるが、この頃のGPマシンはパワーバンドが非常に狭く、しかも2スト特有のピーキーな特性で、ちょっとでも操縦を誤れば簡単にスリップダウンやハイサイドをおこしクラッシュしてしまう程だった。相当高度なテクニックと度胸を持ち合わせていないと乗りこなすなどできなかったのだ。
腰と肩を前めに落とす。「スペンサー乗り」と言われた。多くのアマチュアライダーが真似したがった。
鈴鹿8耐を走るスペンサー。プロアームが映える、華麗なライディング。このスペンサーのレプリカヘルメット(アライ)も大変人気があった。マシンはミスタードーナツホンダRVF750。
スペンサー得意の先行逃げ切り。日本の片山敬済選手も出走してます。

ケニー・ロバーツ(アメリカ)

1974、1978、1983年世界GP500ccクラスチャンピオン。
その強さから「キング・ケニー」と異名をとった。
ハングオン(ハングオフ)の第一人者的存在。マシンはヤマハYZR500
ピタッと決まったいいフォーム。本当は「ハングオフ」なのだが何故だか日本では「ハングオン」として広まった。
後ろはバリー・シーン(イギリス)。コーナーでの位置にもよるが2人でかなりフォームが違うのがわかる。
1985年、鈴鹿8耐にTECH21YAMAHAから参戦したケニー・ロバーツ。ペアライダーは日本の平忠彦。この8耐ならではのコンビに日本のファンは沸き立ちました。予選でロバーツはブランクがあるとは思えない走りを披露しポールポジションを獲得。本番ではエンジンになかなか火が入らずほぼ最後尾からのスタートとなりましたがそこからのロバーツの怒涛の追い上げが今では伝説。一時は2位を周回遅れにする程リードを広げました。しかし非情にも残り30分でエンジントラブル。そのままリタイアとなりました。結果は残念でしたがこの時のロバーツ、平の走りはいつまでもファンの心に焼き付きました。

バリー・シーン(イギリス)

1976年、1977年世界GP500ccクラスチャンピオン
1978年、世界GP500ccクラス2位お茶目で明るいキャラクターで人気のあるライダーとしても有名だった。

ドナルドダックが描かれたヘルメットがバリー・シーンのトレードマークだった。
1976年の世界GP500ccクラス初優勝の時につけた
”ゼッケン7”はドナルドダックのヘルメットと共に
シーンのトレードマークとなった。ブリティッシュスーパーバイク選手権では永久欠番
となっている。

ライバルのマルコ・ルッキネリ(イタリア)とのバトルも見ものだった。フルバンク時、シーンがルッキネリの足を触る等の「おふざけ」もファンにはたまらない魅力だった。
雨のレース、シーンのバイクのゼッケンはバリーの「B」。背中にはトレードマークの「7」が刻まれています。
雨の中、果敢に攻めるシーンの走りが懐かしいです。

平忠彦(日本)

1983、1984、1985年、全日本ロードレース500ccクラスチャンピオン(3年連続)
1986年サンマリノGP(世界GP250ccクラス)優勝。
1987年チェコGP(世界GP500ccクラス)3位。
1990年鈴鹿8時間耐久レース優勝。(ペアライダーはエディ・ローソン)
長身かつ端正な顔立ちでCMやテレビ番組にも度々登場した。
”お手本のようなフォーム”と評された。映画「汚れた英雄」で実際にサーキットを走ったのが彼だった。マシンはマールボロヤマハYZR500。
チーム”TECH21”YZF750で鈴鹿を疾走する平。タイラレプリカのヘルメット(アライ)も人気があった。
後ろを走るのはワイン・ガードナー(オーストラリア)。やはり2人でかなり違うフォーム。
スタートに失敗した平は、ほぼ最後尾から怒涛の追い上げを見せ、ついにはトップに立ちそのままチェッカー!凄い!

ワイン・ガードナー(オーストラリア)

1986年世界GP500ccクラス2位
1987年世界GP500ccクラス優勝
1988年世界GP500ccクラス2位
1985、1986、1991、1992年鈴鹿8時間耐久レース優勝(ペアライダーはそれぞれ徳野政樹、ドミニク・サロン、ミック・ドゥーハン、ダリル・ビーティー)
ニックネームは「ブルーサンダー」
上半身の前傾が強く戦闘的なフォーム。
マシンはロスマンズホンダNSR500。高速コーナーが得意だったと言われている。
鈴鹿8耐を走るガードナー。マシンはHRCホンダRVF750。
ガードナーはこの動画の後半出てきます。ゼッケン11番HRCホンダRVF750に乗ってます。5:20ぐらいのところでガードナーがコースアウトしてダートへ!しかし揺れるマシンをなんとか立て直し転倒することなくコースイン!しかも1位のままで。めったに転ばないガードナーここにあり。

エディ・ローソン(アメリカ】

1984、1986、1988、1989年世界GP500ccクラス優勝
1985年世界GP500ccクラス2位
1987年世界GP500ccクラス3位
正確で冷静なレース運びをすることから「ステディ・エディ」と呼ばれた
エディ・ローソンと言えばスーパーバイクのイメージも強い。マシンはカワサキKZ1000。
マシンはマールボロヤマハYZR500。正確無比な走りで優勝を重ねていった。
カチッと決まったいいフォーム。まさに「ステディ」
エディ・ローソンのライディングテクニックを細かく解説しています。声の主は多分ライダーズクラブ元編集長の根本健氏だと思います。(違ってたらすみません) タイヤに優しい、マシンに負担をかけない、正確な走りは正に”ステディ”と言われる所以(ゆえん)ですね。

ウェイン・レイニー(アメリカ)

1990、1991、1992年世界GP500ccクラス優勝(3年連続)
1989、1993年世界GP500ccクラス2位
1988年世界GP500ccクラス3位
”ロケットスタート”が得意な先行逃げ切りタイプのレーサー
常に力強い走りを披露。チーム監督のケニー・ロバーツにフォームが似ているとも言われた。マシンはマールボロヤマハYZR500。
上体がやや起きているのが特徴。
ゼッケン34のK・シュワンツとは何度となく熾烈なバトルを繰り返した。

マイケル・ドゥーハン(オーストラリア)

1994、1995、1996、1997、1998年世界GP500ccクラス優勝(5年連続)
1991、1992年世界GP500ccクラス2位
1990年世界GP500ccクラス3位
1991年鈴鹿8時間耐久レース優勝(ペアライダーはワイン・ガードナー)
1992年から”ミック・ドゥーハン”でエントリー
左コーナー。上体は残し、下半身を大きく落とすフォーム。マシンはロスマンズホンダNSR500。
逆に右コーナーでは上体をインへ入れたフォーム。右と左でフォームが違う事で知られたドゥーハン。
転倒による右足の大怪我(切断の可能性までありえたほどの重傷)を克服して復帰した。そこから連続で年間チャンピオンになったのだから凄いの一言。しかも右足でブレーキが踏めないので左手のところにブレーキレバーを付けた特別仕様車で走っていた。マシンはレプソルホンダNSR500。
4年連続ワールドチャンピオンを決めた第11戦イギリスGP。日本の岡田忠之選手との息詰まるトップ争いが見ものです。

クリスチャン・サロン(フランス)

1984年世界GP250ccクラス優勝
1983年世界GP250クラス2位
1985、1989年世界GP500ccクラス3位
”リーン・ウィズ”のキレイなフォームで大変人気があったライダー。
ゴロワーズカラーが映える深いバンク角ときれいなフォーム。サロンのフォームが1番好きという人がとても多かった。マシンはゴロワーズソノートヤマハYZR500.
マシンを深く倒しこむためか転倒も多く怪我に泣かされたライダーでもあった。
鈴鹿8耐を走るクリスチャン・サロン。ペアライダーは平忠彦。マシンは資生堂TECH21ヤマハFZR750。
宮城県菅生サーキットで行われた1986年T.T.F-1(750cc)クラスの最終戦、クリスチャン・サロンが優勝でかざりました。250ccの頃のリーン・ウィズに比べてさすがに大きなF-1(750cc)クラスでは若干腰を落としていますね。レースにはケビン・マギー(オーストラリア)、辻本聡、大島行弥、宮崎祥司、上野真一ら当時の全日本トップライダー達が出場しています。

ランディ・マモラ(アメリカ)

1980,1981,1984,1987年世界GP500ccクラス2位
1983,1988年世界GP500ccクラス3位
何度も首位に肉迫しながら惜しくも優勝することの無かった”無冠の帝王”
日本の4大メーカー全てのワークスチームに所属したライダーとしても有名
陽気でひょうきんな性格でファンも多かった
バンクさせた反対側の足がステップから離れるほどイン側に体を入れ込むいわゆる「マモラ乗り」。マシンはHRCホンダNS500。
小柄な体を克服するため、全身でインに体重をかけるとこうなったらしい。マシンはロスマンズホンダNSR500
2シータードゥカティで”ジャックナイフ”を披露するマモラ。
この後マモラは無事にコースに戻ってレースを続けました。(よかった!)

ケビン・シュワンツ(アメリカ)

1993年世界GP500ccクラス優勝
1990年世界GP500ccクラス2位
1991年世界GP500ccクラス3位
1988年鈴鹿8時間耐久レース2位(ペアライダーはダグ・ポーレン)
ニックネームは”フライングテキサン”(空飛ぶテキサス人)
深いバンク角。リアタイヤの後に続くブラックマークがこの体勢で既に加速をしていることを示している。なんというマシンコントロール!マシンはペプシスズキRGV-
Γ500。
スライドするマシンを長い手足で巧みに操り、コーナーを抜けてゆく走法にファンは熱狂した。マシンはラッキーストライクスズキRGV-Γ500。
まるで”ロデオ”のようにマシンを操るシュワンツ。マシンはヘロンスズキRGV-Γ500
ライバルのW・レイニーのインをさすシュワンツ。
これは今でも語り草となっているシュワンツ、ドゥーハン、レイニー、コシンスキーによる4つ巴の日本グランプリ最終周です。特にラスト半周でのシュワンツとドゥーハンのバトルはスゴい!

ジョン・コシンスキー(アメリカ)

1990年世界GP250ccクラス優勝
1991年世界GP500ccクラス4位
1992年世界GP500ccクラス3位
1994年世界GP500ccクラス3位
1996年スーパーバイク世界選手権3位
1997年スーパーバイク世界選手権優勝
類稀なる豊かな才能を持ちながら、神経質で潔癖症、そして人間嫌いでも有名だった”若き天才”
”キング”ケニー・ロバーツの理論どおりの走りを披露して見せ”ケニーの秘蔵っ子”と呼ばれた。
しかし、ナーバスな性格ゆえ周囲と合わず、期待された程の結果を残せなかったライダーでもある。
ニックネームは”ヤング・キング”
小柄な体型ゆえか大きくインに体を入れるフォーム。しかし腕が比較的ゆったりとしているのが特徴。マシンはヤマハYZR250。
ケニー・ロバーツのヘルメットのデザインを受け継いだ白頭鷲が描かれたコシンスキーのヘルメット。彼にかけるロバーツの思いが込められていた。マシンはヤマハYZR250。
1994年カジバ(イタリア)に移籍。年間3位に食い込んだ。
申し訳ありませんが”この動画はyou tubeでご覧下さいと”表示されてしまいますのでyou tubeに移動して見てみて下さい。雨のレースで見ていてヒヤヒヤしますがYZR250を駆るコシンスキーがNSR250清水に10秒以上の差を付けゴール。当時から”天才”ぶりを発揮していたんですね。

宇川徹(日本)

1999年世界GP250ccクラス2位
2002年世界MotoGP3位
1997、1998、2000、2004、2005年鈴鹿8時間耐久ロードレース優勝(ペアライダーはそれぞれ伊藤真一(2回)、加藤大治郎、井筒仁康、清成龍一)。5回優勝は過去最多
MotoGPを走る宇川。あまり体を中に入れないフォーム。マシンはキャメルホンダ。
レプソルホンダを操る宇川。2002年南アフリカGPでは日本人初のMotoGPの優勝者となった。
鈴鹿8耐を走る宇川。マシンはキャビンホンダVTR1000SPW。(ペアライダーは加藤大治郎)しかし5回優勝とは恐れ入りました。

原田哲也(日本)

1993年世界GP250ccクラス優勝
1995、2001年世界GP250ccクラス2位
1997、1998年世界GP250ccクラス3位
ニックネームは”クールデビル”
イタリアでは”最も有名な日本人”と言われた。
アプリリアを駆る原田。彼の繊細かつ冷静な走りはまわりのライダーからの評価も高かった。
アプリリアのエースとして活躍した原田。海外ファクトリーチームと初めて契約した日本人ライダーでもある。
レース参戦最後の年。マシンはホンダNSR500。

バレンティーノ・ロッシ(イタリア)

1997、1999年世界GP250ccクラス優勝
2001、2002、2003年世界GP500ccクラス優勝
2004、2005、2008、2009年世界MotoGPクラス優勝
1998年世界GP250ccクラス2位
2000年世界GP500ccクラス2位
2006年、2014年、2015年世界MotoGPクラス2位
2007、2010年世界MotoGPクラス3位
2001年鈴鹿8時間耐久レース優勝(ペアライダーはコーリン・エドワーズ)
世界GP参戦以来、15年間で9回の優勝を誇る天才ライダー。”史上最強のライダー”との呼び声も高い。
凄いバンク角!膝どころか肘も擦っている。これはロッシのテクニックはもちろんだがマシンのレギュレーション変更によりパワーバンドが広く、トルク特性も2ストの頃に比べて遥かに扱いやすい4ストエンジンになったこと、そしてトラクションコントロールが装備されたことでこういうフォームが可能になったとも言える。
ロッシは転倒が非常に少ないライダーとしても知られる。マシンがスライドして暴れてもそれをリカバリするのが非常に上手いという。
ロッシは日本人レーサーのノリック(阿部典史)の大ファンで自らに”ろっしふみ”とニックネームを付けたほどだった。2007年ノリックの訃報を聞いたロッシはその直後のオーストラリアGPで喪章を付けて出走した。
ド迫力のライディング!”クォーーーン”という音が聞こえてきそう。とてもカッコいい1枚。
これぞロッシのリカバリ。解説の人も思わず「ヒュー」って言ってますね。

ホルヘ・ロレンソ(スペイン)

2006、2007年世界GP250クラス優勝
2010、2012年、2015年MotoGPクラス優勝
2009、2011、2013年MotoGPクラス2位
2016年MotoGPクラス3位
各GPで優勝した時、ウィニングランで”ロレンソランド”の「国旗」を持って走るパフォーマンスで知られる。
2017年ドゥカティに移籍するも7位、2018年9位不本意な成績に終わった。
2019年からはレプソルホンダからの出走となった。
それにしても凄い体の入れ方。マシンはモビスターヤマハYZRーM1。
コーナーリングスピードNo.1と言われている。
1度でいいからこんなフォームで乗ってみたいと思うライダー、多いのではないだろうか?

マルク・マルケス(スペイン)

2012年Moto2クラス優勝
2013、2014年、2016年、2017年、2018年
MotoGPクラス優勝(3年連続通算5度目)
2011年Moto2クラス2位
身長168cm体重59kgの小柄な世界チャンピオン。
小柄な体を目一杯使って旋回して行く。
2014年シーズンは何と開幕から10戦連続優勝!あどけない少年のようなルックスからは想像し難いスゴさ。
史上最年少記録を次々塗り替えている天才ライダー。
テールスライド、転倒スレスレのリカバリ、まさに神業。動画後半インタビューのシーンがありますが、このマルケス、俳優の伊藤英明によく似てますよね。

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2019年03月02日