オーストラリアの戦争記念館と英語版Wikipediaに記載されている有名な写真らしい
そこでの記載によると(事実かは不明)
これはニューギニアで処刑されたオーストラリアの第二次世界大戦ゲリラ隊軍曹Leonard Siffleetの写真とされている。地元民に捕捉され、日本に引き渡され、 スパイとして尋問後、 アイタペビーチで1943年3月29日に斬首された。
写真はオーストラリアの新聞に掲載されたらしい。
https://matome.naver.jp/odai/2139351433862695301/2139352203966992003
(1916年1月14日- 1943年10月24日)
レナード·ジョージ(LEN)シフリートは (1916年1月14日- 1943年10月24)であったオーストラリアの部隊の第二次世界大戦 。 で生まれガニダー 、ニューサウスウェールズ州、彼が参加しました第二のオーストラリア帝国軍を 1941年、および1943でのランクに達していた巡査部長を 。 に投稿され、M特別ユニットのサービス偵察局 、Siffleetはミッションにあったパプアニューギニア 、彼と2時にアンボン人のコンパニオンが党派部族によって捕捉され、日本に引き渡された。 すべての3人は、尋問拷問、後にされた斬首 。 Siffleetの差し迫った実行の写真は戦争の永続的な画像になり、彼のアイデンティティは、多くの場合、特定の飛行中尉で、同じような運命を負った他の軍人のそれと混乱していたビル·ニュートン のVC 。
https://matome.naver.jp/odai/2139351433862695301/2139352203966991803
オーストラリアの戦争記念館の記録
Australian Military Units
Sergeant Leonard George (Len) Siffleet
https://matome.naver.jp/odai/2139351433862695301/2139353204170163103
https://matome.naver.jp/odai/2139351433862695301/2139352203866990803
この写真は1944年4月にニューギニアのホーランディアで戦死した日本陸軍少佐が持っていたものを米軍が見つけたとされている。
https://matome.naver.jp/odai/2139351433862695301/2139352753669162903
戦勝国側の記録によると、(詳細真偽不明)
刀を振りかぶるのは日本陸軍将校のヤスノ・チカオ。この処刑は根拠地司令官の鎌田海軍中将の命令で行われた。ヤスノ・チカオは戦争が終わる前に戦死したと言う説と、生き延びてBC級戦犯裁判で絞首刑の宣告を受けたが結局懲役10年に減刑されたという説がある。
戦後のBC級戦犯裁判で、これ以外の捕虜・原住民に対する残虐行為の罪も含めて鎌田中将は絞首刑。
(補足)シフリート軍曹はオランダ軍の二人の兵士と日本軍の後方を偵察していた時、現地人に発見され、捕まって日本軍に引き渡された。尋問、拷問の末、三人とも斬首された。この時、処刑されたのはこの三人だけ。
一方、
ホーランディア攻略戦で敗れて捕虜となった日本軍人の大多数は、機関銃の乱射で殺されたのである。
と書かれたものも存在する。
http://www.tamanegiya.com/yuusyokujinnsyubetsi.html
「日本の反論」米田健三著 p百六十一~百六十五よりの引用
ニューギニアに上陸した20万名の日本軍将兵のうち、生還者は2万名に過ぎなかった。また台湾高砂族による高砂義勇兵や朝鮮志願兵、チャンドラ・ボース支援のインド兵も戦闘に参加している。
この写真はいくつかのコラ画像が出回っている
中心部分をカットして短縮し、左側を描き加えたと思われるコラ
https://matome.naver.jp/odai/2139351433862695301/2139352203866990903
現在、英語版Wikipediaに掲載されているのはこの写真
https://matome.naver.jp/odai/2139351433862695301/2139352602768662203
https://matome.naver.jp/odai/2139351433862695301/2139352203966991103
https://matome.naver.jp/odai/2139351433862695301/2139352203966991303