【ジプシーウェイ】邪道&外道の軌跡まとめ【ユニバ~新日本】

karykaru
プロレス界で最も有名なタッグ・チーム「邪道&外道」。日本、アメリカ、メキシコにある数多くの団体を渡り歩いた流浪のプロレスラー人生を、まとめるのは至難の業ですが頑張ってまとめてます。We are JADO GEDO, HaHaHaHa!

現在は国内最大手団体「新日本プロレスリング」に所属

主にジュニアヘビー戦線で活躍中
タッグチームの印象が非常に強く、もちろんタッグ戦が多いのだが、シングルマッチでも会場を大いに盛り上げる。
両者ともジュニアの階級だが、ヘビー級選手を相手にしても難なくこなすことができる。
それぞれが希少なオールラウンドプレイヤー。

人呼んで「The World Class Tag Team(ザ・ワールド・クラス・タッグ・チーム)」。

鍛え上げられた肉体美。ストイックな食生活とトレーニングの賜物

超バッキバキ
恐るべき肉体!

邪道&外道両者がFMWを主戦場にしているとき、WCWに遠征し、クリス・ベノワやディーン・マレンコ、エディ・ゲレロらがストイックな食事法を取り入れているのを目の当たりにした。これが肉体改造のきっかけとなった。

プロレスラーといえば胃袋がブラックホールなんじゃないか?ぐらい食べに食べるイメージに遠からず、当時はまだ科学的な食事法を取り入れるのは珍しいことだった。

トップレスラーがいる各地を渡り歩いている邪道・外道ならではの先駆者っぷり。

さて、以下より長い長い邪道&外道の足跡を辿っていきます。

邪道&外道の軌跡「たけしプロレス軍団(TPG)」

ビートたけし率いるプロレス軍団
ラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」が生んだ一つの企画がこれだった。
新たなプロレス団体を設立して新日本プロレスに喧嘩を売る構想が生まれ、練習生が募集された。そこへ門を叩いたのが、後の邪道&外道である秋吉昭二と高山圭司だった。

皮肉にも初っ端に身を寄せた軍団が、現在の所属団体である新日本に喧嘩を売るコンセプトだったとは…。

最初の師・アポロ菅原との出会い
たけしプロレス軍団のコーチを務めていたのがアポロ菅原だった。
二人がまずプロレスを教わったのはこの人。

アマレス出身のプロレスラーで、国際プロレスにてデビューし、国際消滅後は全日本プロレス、パイオニア戦志、SWSなどを渡り歩いた苦労人。

ちなみにお二人の師匠というのは?

外道 アポロ菅原さん。

邪道 あの人に受身のイロハとか教わったからね。まぁポイント・ポイントで師匠はいるんだけどね。
邪道&外道デビュー20周年記念インタビュー[前編]|コラム|格闘技|スポーツナビ

TPGにファンは拒絶を示し、暴動に発展。末は自然消滅してしまう
日本相撲協会が新日本プロレスに対して両国国技館の貸し出しを無期限で禁止する事態にまで発展するほどの暴動になってしまった。
確かな“熱”を生んだものの、ひたすらネガティブな方角に向いてしまい、TPGは自然消滅を道をたどった。

企画自体はうまくいかなかったが、TPGが輩出したレスラーは、邪道、外道に加え、スペル・デルフィンと名選手が揃っている。
ベイダーに関しては新日本プロレス側からたけしに打診があり、TPGとしてデビューしたと2012年7月5日放送のBSフジ「たけしの等々力ベース」にて語っている。

この時のリングネームは、外道がブラック・ウルフで、邪道が本名のままだった。
1988年の出来事。

邪道&外道の軌跡「FMW」

FMW
フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング
Frontier Martial-arts Wrestling
エフ・エム・ダブリュー

一般知名度も高い大仁田厚が旗揚げしたプロレス団体。
「メジャー」と「インディー」の線引きを強く意識し、メジャー団体に対して強い対抗心を打ち出し、カルト的な人気を集めた。
当初はその名の通り格闘技色が強い方向性だったが、次第にデスマッチを売りにした路線へと変わっていった。

旗揚げ直後のFMWに合流するも、邪道が一試合行ったのみ
TPGが計画通りいかなかったため、ツテを辿って何とか海外でデビューを果たした両者。
二人とも1989年3月19日、オランダ・アムステルダムのエイデンホールにて、モンキーマジック・ワキタ(現スペル・デルフィン)戦だった。

その後、大仁田厚が設立したFMWに合流するも、邪道が“ボートピープルジョー”という名の覆面レスラーとして一試合行っただけで離脱している。ちなみにベトナム難民というギミックだった。
一方、外道は“ブラック・アイドマン”と改名するも試合は行われず。

【邪道が“ボートピープルジョー”という名の覆面レスラーとして一試合行っただけで離脱している。】と書きましたが、このような意見もいただきました。

邪道&外道の軌跡「ユニバーサル・プロレスリング」

ユニバーサル・プロレスリング
ユニバ
ユニバーサル・レスリング連盟
ユニバーサル・レスリング・フェデレーション
UWF

「本場・メキシコのルチャ・リブレ直輸入!」という分かりやすいコンセプト。
90年代の初期にわずかな期間だが確かな人気を誇った軽量級選手中心の団体。
グラン浜田、ウルティモ・ドラゴンと海外でも活躍する選手を核として、サスケやデルフィン、ディック東郷率いる海援隊の面々、MIKAMI、OKUMURAなどそうそうたるメンバーが足跡を残している。
みちのくプロレス、そして全日本女子プロレスもユニバなしでは語れない。正真正銘・伝説の団体である。

グラン浜田、ウルティモ・ドラゴン、邪道、外道、スペル・デルフィン、ザ・グレート・サスケ…正に礎!
現在のマット界において、重要なポジションに身を置くプロレスラーが勢揃いしていたのがユニバーサルなのだ!

ウルティモ、デルフィン、サスケは当時まだマスクを被る前。
(それぞれ浅井嘉浩、モンキー・マジック・ワキタ、MASAみちのくとして活躍していた)

「パニッシュ&クラッシュ」結成! 二人の歴史は最初からタッグ屋
Punish & Crush。略してパニクラ。
おそらくロード・ウォリアーズのオマージュと思われる。

この頃から連携技のスーパー・パワーボムを使用し、猛威を奮っていた。

――さてタッグを組まれて長いですが、組み始めてすぐに「合うな」と思ったりしたんですか? それとも徐々に合わせていったのか

邪道 徐々にじゃないですね。もう最初からずっと、いつの間にかつるんでたし。

外道 いつの間にかですよね。

邪道 そんなものなんじゃないですか? 長く続く秘訣というのは。「じゃあ組もう」と言って、お互いに合わせていったら、そこまで続かないよね。

外道 考えてたらダメです。自然が一番。

――恋愛と一緒かもしれないですね

邪道 夫婦と一緒です(笑)。
邪道&外道デビュー20周年記念インタビュー[前編]|コラム|格闘技|スポーツナビ

http://www.youtube.com/watch?v=Pn2-b_opVTo
邪道&外道の入場曲といえばZZ TOPのSharp Dressed Man!
古くからのファンには耳馴染みでしょう!

残念ながらまだイントロに「We are JADO GEDO, HaHaHaHa!」とは入っていません。

邪道は「クーリー”クラッシュ”SZ(しょうじ)」として活躍
当初は「クーリー・SZ(しょうじ)」だったが、後に”クラッシュ”を付けた。
外道は「ブルドッグ”パニッシュ”KT」として活躍
外道も「ブルドッグ・KT」から”パニッシュ”を加えた。

二人とも1990年3月のユニバーサル旗揚げ戦から参加している。
ようやく主戦場を獲得した。

http://www.youtube.com/watch?v=d1p3ebv-PW0
今で言えば「邪道&外道 vs ザ・グレート・サスケ&スペル・デルフィン」というあり得ないカード!

メキシコ遠征(ユニバーサル所属として)

グラン浜田との出会い
邪道&外道は91年の4〜11月までメキシコに遠征。

日本人プロレスラーでメキシコといえば、この人・グラン浜田が開拓者。
今のようにツテがない時代に、スペイン語も話せないのに単身でメキシコに乗り込み、LLI最優秀外国人選手賞、4階級制覇などの偉業を達成。
メキシコに家庭も持ち、日本とメキシコを行ったり来たりの生活になり、日本のプロレスとメキシコのルチャとのパイプを作った人である。

邪道&外道は共に浜田を頼って教えを受け、メキシコの地でルチャを経験した。

帰国、再びユニバーサル・プロレスリング

パット・タナカとの出会い
NWAフロリダ地区のブッカーでもあったデューク・ケオムカの三男で日系人プロレスラー。
アメリカ、メキシコ、日本のマットを転戦した世界を知る男。

ポール・ダイヤモンドとのタッグチーム「バッド・カンパニー」で主にCWAのタッグタイトルに絡み続けるなど、タッグ戦の名手でもあった。

受け身の達人としても知られており、打撃を受けた際にキリモミ回転で受けて“魅せる”名人芸は、外道や金村キンタローに影響を与えたと思われる。

WWFのレッスルマニアに出場するほどの大物
佐藤昭雄とマネージャーのミスター・フジ(ハリー藤原)の三人でオリエント・エクスプレス(The Orient Express)を結成し、WWF(現WWE)のリングで活躍し、年間最大の祭典であるレッスルマニアに出場するほどのトップ・レスラーである。

92年の初頭にWWFを離れると、8月からユニバーサルのリングに参戦。

外道は一時、邪道とのタッグを解消し、パット・タナカ&ビジャノ3号と「バッドカンパニー」を結成している。タナカとダイヤモンドのチーム名と同じである。
外道は組んでタナカから、邪道は闘ってタナカから、世界一流の技術を習得していった。

一時的だが邪道がリンピオ、外道がルードという状態に
邪道はケンドーやビジャノ4号とタッグを組んで、外道やタナカの対角線に立った。

邪道&外道の軌跡「ユニバを退団し、フリーランスに。再度メキシコ遠征へ」

邪道&外道のリングネームはこの頃から
メキシコ修行を終え、帰国してから活躍する二人だったが、1992年11月にユニバーサルのリングを後にする。

クーリー”クラッシュ”SZ、ブルドッグ”パニッシュ”KTの名前から、邪道、外道に改名した。
名前の由来は映画「仁義なき戦い」の台詞からと言われている。

退団後すぐ、再びメキシコに遠征した。更なるジプシーウェイ。

ちなみにユニバーサルは、外国人選手の大量招聘の煽りを受けて経営が悪化し、日本人選手のノーギャラ問題などが噴出。
91年3月からはエースであった浅井が離れ、1992年11月27日にはザ・グレート・サスケがみちのくプロレスを旗揚げすると、ユニバーサルは興行が徐々に単発化し、自然消滅する結末になった。

ほとんどの選手がみちのくプロレスの所属となったが、邪道&外道は別の道を選んだ。

邪道&外道の軌跡「W★INGプロモーション」

W★ING
ウイング。
Wrestling International New Generation。
レスリング・インターナショナル・ニュー・ジェネレーション。

世界格闘技連合W★ING、第1次W★INGではなく、ここではいわゆる全盛期を指す第2次W★INGを説明。
大仁田厚率いるFMWと双璧を成す過激団体として熱狂的なファンを生み出した、伝説と言われる団体である。
ミスター・ポーゴ、松永光弘、金村ゆきひろらの日本人選手に加え、代表の茨城清志とビクター・キニョネスの優れたブッキング力により、プエルトリコ、メキシコ、アメリカから多くの外国人選手を呼んでいた。
参戦選手は色とりどりで、ミル・マスカラス、エル・カネック、ジプシー・ジョー、ドス・カラス、ザ・ヘッドハンターズ、ミゲル・ペレス・ジュニア、エディ・ギルバート、トム・プリチャード、ビル・ダンディー、ジャイアント・キマラ、ディック・マードック、マスクド・スーパースター、ワフー・マクダニエル、イワン・コロフなど、現役バリバリからレジェンドまでまんべんなく招聘されている。
放漫経営っぷりも有名で、ギャラ問題や借金踏み倒し、興行遅延などは日常茶飯事。
金銭関係に巻き込まれる選手・関係者はたまったものではないが、ファンはこうした杜撰な一面すら“W★INGらしさ”と楽しみの一つとしていた。

レザー・フェイスをはじめとする怪奇派レスラーが勢揃い!
レザー・フェイス、ジェイソン・ザ・テリブル、クリプト・キーパー、ブギーマン、フレディなど、映画から飛び出した怪奇派レスラーたちが大当たり。
扮していたレスラーたちが映画以上の迫力や雰囲気を持っていたことも相成った。
いや、本当に怖かったですよ…。
過激が売りだろうがなんのその。邪道&外道が暴れ回る
若々しい(ちょっとGENTAROっぽい)邪道と、異様な表情をキメる外道
貴重な当時のTシャツ
これも上のも欲しい。
このTシャツは「JADO&GEDO」じゃなくて「JADOH&GEDOH」なんですね。
タッグ屋同士が火花を散らす!ザ・ヘッドハンターズとの抗争
邪道&外道はこの頃、超巨体の兄弟タッグチームであるザ・ヘッドハンターズ(A&B)としょっちゅう当たっていた。
体重差に苦しむ日々が続く
ジュニア階級の外道と、ヘビーもヘビーなハンターズでは体格に違いがありすぎる。
流血戦が多かったのもW★INGならでは。
ラフな闘いもこのマットで磨きをかけた。

――なるほど。さて20年を振り返って、お二人の中でライバルはいらっしゃるんですか?

邪道 ライバルっていうライバルは、そんなにいないんだけどね。

外道 行く団体、行く団体で「あ〜コイツらとよくやるな」っていうのはいるんだよね。コロコロ変わるからさ。ヘッドハンターズだったときとか。よくやったなぁ。あんなクソみたいなデブと。
邪道&外道デビュー20周年記念インタビュー[前編]|コラム|格闘技|スポーツナビ

――そこでやはり新日本でもやっていける確信を得たと

邪道 全然、余裕でした。ヘッドハンターズなんてムーンサルト・プレスを喰らってたんだからね。死ぬよ、やっぱりあんなの。

外道 よく背中が「バキバキッ!」っていったよな。よく脊髄の“音”が聞こえましたよ。

邪道 鳴らない骨が鳴ったりするから。

外道 逆に健康になっちゃったりしてね(笑)。

邪道 スッキリしちゃったりしてな(笑)。

外道 でも「死んだんじゃないかな?」って音するからね。あんなの(ヘッドハンターズ)に乗られたら。

――それって単純に大丈夫なんですか?

外道 大丈夫なんすよ。人間の体は強いもんですよね〜。おそらく一瞬の衝撃は何トンの世界ですよ。あいつがトップロープから飛んできたら。

――自分だったら死ぬ自信があります

邪道 いや、意外と死なないですよ。死にはしないです。

外道 死にはしないけど、“ビックリ”するかもしれない(笑)。

――いや、ビックリでは済まなさそうですけど(笑)

外道 皮膚から血液が噴き出すんじゃないかっていう感覚があるんすよ。ビックリするんですよ。“ボンッ”っていうね。
邪道&外道デビュー20周年記念インタビュー[前編]|コラム|格闘技|スポーツナビ

――ちなみに今までで一番効いた技というのは?

邪道 いやヘッドハンターズですよ。

外道 (ヘッドハンターAの)ムーンサルトと(同Bの)ボディプレス。あれはイヤだったな〜。
邪道&外道デビュー20周年記念インタビュー[前編]|コラム|格闘技|スポーツナビ

http://www.youtube.com/watch?v=iEMum8WmXLI
93年の8月25日、後楽園ホールにて行われたW★ING興行。
金網ウォーゲームにてX(エックス)として邪道&外道が出場。

試合後はビクター・キニョネスと共にバックステージで吠えるスキット!貴重!

松永の後を継ぐべく、金村がエース格になろうとしているのがよくわかる。

その後、10人タッグマッチ(スクランブル・バンクハウス・キャプテンフォールマッチ)でも出場。

邪道&外道vs金村&中牧によるスクランブル・ファイヤーデスマッチ
W★ING及びデスマッチ史において外すことのできない歴史的一戦。
ファイヤーデスマッチは、日本ではFMWが初めて行ったが、火力・煙ともに強すぎてすぐに試合中止となり、最後までリング上に立っていたザ・シークが入院する事態になるなど試合として成立しきらなかった。
W★INGではこれを逆手に取ってあえてファイヤー形式の試合を何度か行った。
燃え盛るリング上に邪道が金村にパワーボム!
リング上に直接まかれた燃料を燃やし、邪道がその上に金村をパワーボムで投げ捨てる!
金村の身体は火の海に包まれた。
乱戦模様を呈しており、もともと異様な雰囲気に包まれていた場内は更に悲鳴でヒートアップ。
燃料がシャツにしみ込んだのか、火が消えない惨事に!
転げ回ってリング下に避難するが、燃えた炎はしばらく消えなかった。
火だるまとは正にこのこと。
金村は背中に大火傷を負うアクシデント
これで金村は長期欠場に追い込まれた。

火を扱うデスマッチでは計算できないことが多く、邪道の元々の狙いではなく、あくまでアクシデントである。
こうしたアクシデントでは、仕掛けた側も多少なりともオロオロしたりするものだが、邪道&外道にそうした素振りはなく堂々としていてその後も暴れ回っていたので「コイツらマジやべぇ」と皆に思わせた。

高山秀男を見いだして非道と改名
邪道&外道と同じコスチュームをまとった。
非道は二人と離れてもこのリングネームを使い続けている。
(ゆくゆくBADBOY非道に変更)
W★INGとの別れ。邪道&外道はWARへ。最後のけじめマッチを終えて握手でサヨナラ
94年1月16日、WARのリングに姿を現した邪道&外道。
それは主戦場を移すことを意味していた。

W★ING最後の試合は非道と組んで、中牧昭二&荒谷信孝&茂木正淑と対戦した。荒谷が非道をムーンサルトプレスで下している。94年2月11日の出来事。

ちなみに荒谷もその後、WARのリングに移った。

邪道&外道の軌跡「WAR」

WAR
ダブリュー・エー・アール
Wrestle And Romance。
Wrestle Association R。
天龍源一郎率いる武闘派軍団
レボリューション。革命。
マット界に刺激を生み続ける天龍がSWS崩壊後、レボリューション一派が旗揚げさせた団体。
(SWSは相撲業界に似た部屋制度をとっており、天龍はレボリューション一派を率いていた)

新日本プロレス、FMW、UWFインターナショナル、LLPWなど団体の規模やカラーを問わず対抗戦や提携を実現させた。
大将である天龍はその全てで良好な結果を出している。

写真は天龍が外道に仕掛けるWARスペシャル。団体名が入った象徴的な技とされ、天龍のみならず所属していた多くの選手が使用していた。
レフェリーはレッドシューズ海野!

さあ、現代に向けて色々見えてきたでしょう。

ジュニア戦線のトップはウルティモ・ドラゴン。両龍が並び立つダブル・ワンマン体制
ウルティモ・ドラゴンの歩む道は極めて独創的。
ユニバーサルを離れた後、WWF(現WWE)と提携状態にあったEMLLに移り、同じくWWFと提携していたSWSのリングに上がったことから、このWARのリングに繋がった。
当たり前だが、WARではジュニアのエースとして活躍。

96年からWCWにも進出し、メキシコ、日本に加えてアメリカにも主戦場を持った。
彼こそ世界のスーパースターといって良いだろう。

邪道&外道は時を空けて再びウルティモと同じリングに立った。邪道&外道をWARに誘ったのもウルティモと言われている。

当時の邪道
道着のようなお揃いのコスチュームは相変わらず。
カラーバリエーションが増えた。
WAR当時の外道
モヒカンから途中で金髪に変わった。

当時のリングアナウンサー・中村吉佐氏が言う「トータルウェイト475パウンド〜!ワイルド・ファイヤー!邪道〜!外道〜!」の名調子が懐かしい。

阿修羅・原との出会い
国際プロレスから全日本プロレスに移籍し、天龍源一郎と出会うと闘いを通じて意気投合。
天龍同盟を支援し、天龍とのタッグ「龍原砲」ではタッグ戦線のトップに君臨した。

紆余曲折ありながらも、SWS、WARと天龍と行動を共にする。

“理不尽大王”冬木弘道との出会い
全日本時代はサムソン冬木として天龍と行動を共にし、川田利明とタッグを組んで活躍。
WARからは本名に戻し、自ら「理不尽大王」と名乗り、ただのヒールとは一線を画すレスラー像を築き上げる。
(嵐を隅田川に流すなど)

――“心の師匠”は誰にあたるんですか?

外道 やっぱり(阿修羅)原さんとか、冬木(弘道)さんとかかな。

邪道 最初は菅原さんで、メキシコに行ったら今度はグラン浜田さんにいろいろ教わって、それで帰ってきたら冬木さんとか原さんとかね。
邪道&外道デビュー20周年記念インタビュー[前編]|コラム|格闘技|スポーツナビ

冬木軍を結成!
冬木は、弘道の読み方を「ひろみち」から「こうどう」に変えた。
6人タッグを明確に根付かせる
6人タッグは「寄せ集め」と言われやすい消化カードや、前哨戦カードとしての扱いだったが、冬木軍というユニットがこの価値を上げた。

94年には「WAR世界6人タッグ」王座が設立され、当然のように初代王者に輝いた。
メキシコなどではトリオ王座も昔から存在しているが、日本マット界では非常に稀(というより初?)。

http://www.youtube.com/watch?v=waE80gbwnog
WWFで活躍した白使(新崎人生)と対戦!

外道がスーパーJカップ 1st STAGEに出場

第一回、ジュニアの祭典。夢のオールスター戦が実現
1994年4月16日に行われたSUPER J CUP 1st STAGEは新日本プロレスが主催した、団体の垣根を超えたトーナメント戦。

外道は負傷欠場した折原昌夫の代役として出場。

ズラリ5団体計14選手。決起したライガーの功績。大会は大成功!
WCWから、ワイルド・ペガサス、ディーン・マレンコ、ブラック・タイガー。
みちのくプロレスから、ザ・グレート・サスケ、スペル・デルフィン、TAKAみちのく。
WARから、外道。
新日本プロレスから、大谷晋二郎、エル・サムライ、獣神サンダー・ライガー。
SPWFから、茂木正淑。
FMWから、リッキー・フジ、ハヤブサ。
EMLL(現:CMLL)から、ネグロ・カサス。

FMWに参戦

みちのくプロレスに参戦

94年7月30日に行われたみちのくプロレスによる興行「再会-REUNION-」に邪道&外道が参戦。
この大会はユニバーサル・プロレスリングの同窓会的な興行だった。

国内団体をまたにかけて活躍することは、まだまだ珍しい時代だったが、スーパーJカップが行われるなど、ジュニア選手たちは先駆けて垣根を超えていた。

邪道の雪崩式スーパー・フランケンシュタイナー!
邪道はシングルマッチでTAKAみちのくと対戦。
いやはや、現在も新日本プロレスのリングで見られるカードですので、彼らがどれほど一線で活躍し続けているかうかがえます。

邪道のフィニッシュは幻ともいえる、コーナーに立っている相手に飛びつくフランケンシュタイナー。
今では飯伏幸太などが得意としていますが、こんな以前に邪道が放っていたんです。
しかもこの技を考案したとも言われています。

Jカップでベスト4の実績を獲った外道はメインイベントに出場
外道は新崎人生と組んで、サスケ&ウルティモ組と対戦。
ムチャクチャ良いカードだ。

敗れはしたものの、存在感を十分に発揮した試合となった。

ちなみに人生もかつてユニバーサルに身を置いていた(モンゴリアン勇牙として)。

あくまで主戦場はWARだったが、この頃はメジャー・インディー問わずに暴れ倒している。

新日本プロレスに参戦、対平成維新軍、対Uインター・・・様々なユニットと抗争を繰り広げる。

平成維新軍との軍団抗争
ユニットとしての需要が高まり、WARだけに留まらず新日本プロレスのリングにも出場。
冬木軍 vs ゴールデンカップス
Mr.200%を名乗っていた頃の安生洋二、高山善廣、山本健一(現・山本喧一)によるユニット、ゴールデンカップスとの抗争に。

冬木と安生の一戦は互いのホームリングを飛び越えて、新日本プロレスのドーム大会に出場するにまで至った。

【UWF-インターナショナル 1996.5.27 日本武道館大会ゴールデンカップス VS 冬木軍安生洋二 高山善廣 VS 冬木弘道 外道】
こちらはUインターでの試合。大舞台ばかり。

Uインターの象徴・高田延彦とも対戦
WAR世界6人タッグ王座を争い、UWFインターナショナルの高田延彦、佐野友飛(当時)、垣原賢人と激突。

外道がスーパーJカップ 2nd STAGEに出場

大舞台で“外道”の名を刻む!
1st STAGEに続きスーパーJカップ 2nd STAGEにもエントリー。
ベスト4の実績、冬木軍での活躍っぷり、そしてWARホーム開催もあって今回は優勝候補にも名が挙がった。

冬木、邪道もセコンドで外道を応援。

1995年12月13日、両国国技館にて。

どえらいメンバーが集結。
外道(WAR)
茂木正淑(レッスル夢ファクトリー)
エル・サムライ(新日本プロレス)
ドス・カラス(メキシコ)
ライオン・ハート(WAR)
中島半蔵(みちのくプロレス)
ワイルド・ペガサス(新日本プロレス)
ウルティモ・ドラゴン(WAR)
船木勝一(藤原組)
大谷晋二郎(新日本プロレス)
望月成晃(武輝)
愚乱・浪花(みちのくプロレス)
ダミアン
獣神サンダー・ライガー(新日本プロレス)

ご覧の選手に加え、特別試合で「レイ・ミステリオJr. vs シコシス」という黄金カードまでラインナップされた。

国内最強とも言える招聘力を誇るウルティモ・ドラゴンならではか。

ザ・ロックンロール・エクスプレス(The Rock ‘n’ Roll Express)との試合

リッキー・モートンとロバート・ギブソン
80年代に高い人気を誇ったアイドル系タッグチームの代表的存在。

外道 俺が一番感動したのはWARで“ロックンロール・エキスプレス”とやったときだね。リック・モートンとロバート・ギブソン。80年代にものすごく人気のあったタッグチームで。昔、テレビ東京で「世界のプロレス」って番組をやってて、そのときに“ミッドナイト・エキスプレス”(ボビー・イートン&デニス・コンドリー)とロックンロール・エキスプレスが毎週のように戦ってたんだけど、その試合が好きでね。それでロックンロール・エキスプレスと戦ったときは、自分がミッドナイト・エキスプレスになったような気分で(笑)。あれは一番感動したな。

――実際に戦って、どういう感想を持ちましたか?

外道 あのころは両タッグチームとも好きでしょうがなかったからね。17〜18歳ぐらいのとき。それと自分が戦う……ミッドナイト・エキスプレスも好きだったんですよ。それになった気分で実際にロックンロール・エキスプレスと戦ったときは「うわ〜」って思いましたね。
邪道&外道デビュー20周年記念インタビュー[前編]|コラム|格闘技|スポーツナビ

クリス・ジェリコ(ライオンハート、ライオン道)との出会い

外道&ジェリコがタッグ王座に
1996年2月23日、WAR認定インターナショナルジュニアタッグ王座(現:インターナショナルジュニアタッグ王座)を外道&ライオンハート(現:クリス・ジェリコ)が奪取し、初代王者に輝いた。

クリス・ジェリコは冬木、邪道、外道と行動を共にし、ライオン道としてWARマットで暴れ回った。
「消火器三連射」と聞いて懐かしがる人も多いのでは。

冬木、WARを離脱。邪道&外道も後を追うように離れ「冬木軍プロモーション」を設立する

冬木軍プロモーションで興行も
ジェリコもアメリカに戻り、ECWを経てWCWマットに登場するなど出世街道まっしぐらだった。

猛威を振るった黄色い4人の冬木軍は残念ながら見納めとなってしまった。

1997年3月29日にプレ旗揚げ戦、4月19日に冬木軍発祥の地である大垣城ホールで旗揚げ戦を行った。

外道がWCWのマットに参戦

ビッグ・マッチに出場した
97年10月26日のHalloween Havocに出場。
ちなみに第一試合は永田裕志とウルティモ・ドラゴンのシングルマッチだった。

外道は第二試合でクリス・ジェリコとシングルマッチを闘った。

http://www.youtube.com/watch?v=fZ3WueE2vLw
翌月の11月にもWCWに登場。
サニー・オノをマネージャーに連れて試合に挑んだ。

邪道&外道の軌跡「FMWを主戦場に」

FMWに再登場
97年に再びFMWマットに登場。
冬木と共に、本格的にここを主戦場とした。

あの日のように、金村にファイヤー葬を仕掛けようとする邪道&外道。

http://www.youtube.com/watch?v=6pn0ERd52JM
グレート・ニタと対戦
97年の川崎球場ビッグ・マッチに出場
邪道&外道はミスター雁之助&大矢剛功組と対戦。

冬木はテリー・ファンクとシングルマッチを行った。

この頃のFMWは、既に大仁田が引退からカムバックを果たしている時期である。
冬木の合流もあり、徐々にエンターテイメント路線へとシフトチェンジを図っていた。98年の3月にはディレクTVと契約するなど、大仁田全盛期のFMWを第一とするならば、新生FMWが第二、そして第三の時期に入ろうとしていた。

http://www.youtube.com/watch?v=lX0mjy1z7ck
ブリーフ・ブラザーズ(ブリブラ)結成!
邪道、外道、非道、金村、雁之助によるユニット。
リング上でコントを行うなど違った意味で破天荒な表現を繰り返した。

久々に非道と合流。

反則!乱入!介入!のオンパレード! 大仁田をFMWから追放することに成功!
当時の大仁田は団体からして、目の上のたんこぶ化しており、この一線を機に創設者でありながら追放という形になった。

ヒールユニットのトップである冬木はハヤブサ、大仁田らトップの選手をことごとく制覇し、FMWを牛耳ることになる。
もちろん試合では汚い手をこれでもか!というぐらい使いまくった。

ちなみにこの後、大仁田は単身で新日本プロレスに乗り込み、一人で日本業界最大の団体を食ってしまったのはご存知の通り。真鍋よ!

冬木、邪道、外道がFMWを制圧
ユニット力が高すぎる。

大日本プロレスに参戦

BJW認定タッグ王座を奪取
邪道&外道と山川竜司&田尻義博(現:TAJIRI)が対戦。

全日本プロレスに参戦

馬場さんに急所蹴り!…も
97年にFMWのハヤブサが小橋健太に挑戦を表明。パートナーの新崎人生と共に全日本プロレスのリングに参戦した。
これを機にFMWと全日本プロレスの交流が活性し、邪道&外道もこれに続いた。
馬場さんと外道の対戦は紙面で大きく扱われた
外道、得意の急所攻撃も馬場さんの股下が長過ぎて届かず。
逆に馬場さんが急所(?)蹴りを放つという非常に珍しいシーンができあがった。

当時の全日本プロレスは「鎖国」と表現されるほど他団体との交流を半ば断絶していただけに、こうした絡みは希少である。

――では今までジャイアント馬場さんとも戦われたり、いろいろな人と対戦していますが「スゲーな」とか思った選手はいますか?

邪道 いや馬場さんは「スゲーな」と思いましたよ。十六文キック喰らったときは「これが十六文か」とか「これが脳天唐竹割りか」ってね。一番最初に長州(力)さんのラリアットを喰らったときも「おお、これが長州力のラリアットか」と思ったしね。天龍(源一郎)さんの顔面蹴りを喰らったときも「痛てぇ〜!」と思いながら、「これが顔面蹴りか」ってね。
邪道&外道デビュー20周年記念インタビュー[前編]|コラム|格闘技|スポーツナビ

金丸義信との遭遇
日本マット界、ジュニアヘビー級の代表的選手である金丸は当時、邪道&外道との対戦を経て、タッグを結成し、甲州街道と命名されるも実際に使わずといった流れを挟みつつ、自身のファイトスタイルに影響を与えたと言われている。

金丸、丸藤がまだ若手時代。金丸はアタマを金髪に染めて邪道&外道とトリオを結成。全日本の選手では稀な急所攻撃使いに。
千両役者揃いの6人タッグ。

試合後の邪道&外道と馬場さんの絡みは必見。絶対必見。

結果が実り、全日本プロレス初となる東京ドーム大会では第5試合に抜擢され、ウルフ・ホークフィールド&ジョニー・スミス組と対戦した。
スミスと外道のテクニックの応酬が観客を沸かせた。

ここまで振り返って分かるように、こうした大舞台の経験が多いので、邪道&外道を語るときに一口に「インディー出身」とくくるのはちょっと違う。メジャーとインディーの両方で大舞台の経験を続けてきたボーダレスな選手である。

ダッドリー・ボーイズ(The Dudley Boyz)と対戦

世界最高のタッグ屋、ババレイ&ディーボン
プロレスラー史上最高に成功したタッグチームと言っていいだろう。
ECW世界タッグ、WCWタッグ王座、WWF・WWEタッグ王座、NWA世界タッグ王座、TNA世界タッグ王座、IWGPタッグ王座、ハッスルスーパータッグ王座、世界最強タッグ決定リーグ全勝優勝など、あまりにも輝かしいタイトル歴!まばゆい!

ECW所属時代のババ・レイ・ダッドリー、ディーボン・ダッドリーと邪道&外道がFMWのリングで激突した。

http://www.youtube.com/watch?v=xFxnrsNU-yY
当時としても注目の一戦。

FMWでの活躍が続く

エンターテイメントプロレスリングFMW
かつての大仁田体制である「フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング」ではなく、荒井社長体制のFMWは別であり、登記上の名称も違う。

復帰して尚出場し続ける大仁田は撤退の要請を受け入れ、新生FMWのメンバーに加え、冬木、邪道、外道も中心選手に。

ちなみに今では新日本のレフェリー&運転手でお馴染みのマーティー浅見もFMWでした。

FMW史上最大のヒールユニット「TNR(チーム・ノー・リスペクト)」誕生!
冬木を筆頭に、邪道、外道、金村、雁之助、非道、中川浩二らとやりたい放題を繰り返しまくるヒールユニットを結成した。
TNRの所業に観客もヒートアップ
バッドエンドの連続に観客は激怒し、物がリング上に飛び交う事態に。
そんな中でも平然と暴行に加わる邪道&外道。
固いユニットの結束。冬木を徹底的にサポート
WAR時代の冬木軍から人数も増し、より強大なユニットとなって手が付けられなくなる。
外道は冬木と共に6人タッグ王座に
新設されたWEW6人タッグ王座決定戦を冬木、中川と共に制してベルトを腰に巻いた。
邪道vs外道
何度かある二人のシングルマッチ。
FMWでは1995年に実現している。

邪道、外道、中川。俺たち三人、同級生

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