来日中のオリヴァー・ストーンの発言が(そこそこ)注目されている
朝日新聞・核と平和取材班@asahi_peace
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米軍はすぐに日本を占領した。原爆のことを話すことをタブーにした。(アメリカのしている)戦争の事なんか全然話題にもできないようにした。それらの話題について、言わば厳しい検閲が行なわれている。ヒバクシャはひどい扱いをうけ、長いことまともに医療も受けられなかった。放射能で人は死んで行き……それは大混乱だ。
(2013年8月9日、長崎にて、オリヴァー・ストーン)
TwitLonger — When you talk too much for Twitter
オリヴァー・ストーンと小規模メディアの会見での発言。萩原一彦さん (@reservologic ) による翻訳より。
米国の軍事同盟と言うと、私は日本よりも英国を思い浮かべる。まちがっているかもしれないが、英国はいつでも米国にとって最大の同盟国だったから。
同上。
(この点、ピンとこない人がけっこう多いのではないかと思います。日本のメディアはアメリカの軍事力については、「日米同盟」、「アジア」のことしかまともに伝えようとしないので、英国が米国の軍事パートナーだということが単に知られていない)
そのようなタイミングで出された、8月11日の共同通信記事(半沢隆実記者)
英国の核開発を主導し「原爆の父」と呼ばれ、米国の原爆開発にも関与したウィリアム・ペニー博士(1991年死去)が日本への原爆投下から約4カ月後、「米国は放射線被害を(政治的な目的で)過小評価している」と強く批判していたことが10日までに、英公文書館に保管されていた文書で分かった。
「原爆の父」が米国批判 放射線被害、過小評価と 投下4カ月後に英博士 公文書で判明 : 47トピックス – 47NEWS(よんななニュース)
nofrills@nofrills
▼ウィリアム・ペニー William Penney
ウィリアム・ペニーは1909年、ジブラルタル(英領)に生まれた数学者で、英国の核兵器開発を主導した人物。
具体的には、米国の「マンハッタン計画」に参加した英国の科学者チームの責任者であり、第二次大戦後の1952年に英国が開発に成功した核爆弾開発計画の「中の人」で、要するに英国の「原爆の父」。英国が核保有国となったあとは、英政府機関UKAEA(United Kingdom Atomic Energy Authority)のチーフ・アドバイザー。
……という経歴より、「長崎原爆投下を上空から見てた人のひとり」と言った方が伝わりやすいかもしれない。広島に投下された原爆の組み立てにも関わった。
Soon after the start of World War II in 1939, he began working for the government on weapons research.
In 1944, he became principal scientific officer of the British team involved in the atomic bomb development project at Los Alamos, N.M.
Lord Penney; Creator of Atomic Bomb for Britain – Los Angeles Times
1991年に亡くなったときの、LAタイムズのオビチュアリーより。(検索ですぐに出てきた上に記述が非常に平明なので、英メディアではなく米メディアのものではあるが、ここから引用する。)
Penney advised on the construction of the world’s first atomic bomb, which was exploded near Alamogordo, N.M., on July 16, 1945. He also helped assemble the nuclear bomb that was dropped on Hiroshima, Japan, on Aug. 6, 1945.
He later admitted to qualms of conscience about his part in the development of atomic weapons. But he said he was convinced Britain had to have them and argued that the doctrine of mutually assured destruction would make major wars impossible.
Lord Penney; Creator of Atomic Bomb for Britain – Los Angeles Times
つまり、1939年に第二次世界大戦が勃発、そのすぐ後にペニーは英国政府の兵器研究の仕事についた。1944年には英国のチームのトップとして米国のロス・アラモス研究所での原爆開発(マンハッタン計画)に関わった。1945年7月16日に実験で爆発した世界で初めての原爆の建造にはアドバイザーとして関わり、8月6日に広島に投下された原爆の組み立てにも一役買った。
後に、核兵器開発に参加したことについて良心の呵責を覚えていると述べたが、英国が核武装する必要は確信していたし、核抑止力を強調していた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Big_Stink_%28B-29%29#Nagasaki_mission_crew(長崎に投下された原爆のキノコ雲をとらえたこの有名な写真は、別の機に乗り込んでいたCharles Levyという米軍人の撮影。)
Penney went to Washington for a top secret committee target selection meeting. He recommended Hiroshima and Nagasaki because of the hills surrounding the target which he said would create maximum devastation. He gave valuable advice to the height of the bomb detonation so that the fireball would not touch the earth and also to avoid permanent radiation contamination on the ground.
William Penney, Baron Penney – Wikipedia, the free encyclopedia
【大意】原爆投下が実行される直前、米軍は軍人と専門家らによる標的選定委員会を組織したが、英国人ながらペニーはその一員となり、ワシントンDCでの極秘会合に出席。その席でペニーは、周囲を小高い丘に囲まれた地形により、破壊が最大になるとの理由をあげて、広島と長崎を推薦した(広く知られているが、他に小倉、新潟、京都などが標的候補地として考えられていた)。
またペニーは、火の玉が地表に達することなく、地面が恒久的な放射能汚染を免れるようにということで、爆弾を起爆させる高度についても貴重な助言を行なった。
米国は、この優秀な英国人数理物理学者(衝撃波など「波」の計算の第一人者)を自国の核開発のメンバーにしたかったそうだが、英国の核武装の必要を信じていた本人がそれを拒んだ(「外国人」や「米国外出身者」が米国の市民権を取って政府の仕事を行なうことは珍しいことではない。オバマの外交顧問をしてきて、つい最近米国連大使となったサマンサ・パワーはアイルランド出身である)。
核開発についての米英の情報共有は1946年に終わったが、英国は1952年、原爆実験に成功、ペニーを一代貴族に叙し、その栄誉をたたえた。
▼そのウィリアム・ペニーが、「米国は放射線被害の発生をまともに見ていない」と批判していた。
nofrills@nofrills
米国は当時、放射線による悲惨な被害実態が世界に知られることを警戒、厳しい報道規制を敷いていた。文書は、米国が最重要同盟国で原爆を共同開発した立場にある英国に対しても、核兵器の本質を隠していたことを示している。
文書は原爆被害を調査した英政府機関、医学研究評議会(MRC)のファイルの一部で、45年12月4日にMRC関係者が作成。「ペニー博士は(広島と長崎で)多くが放射線によって死亡したことを示す相当な証拠があると判断している」と記されている。
「原爆の父」が米国批判 放射線被害、過小評価と 投下4カ月後に英博士 公文書で判明 : 47トピックス – 47NEWS(よんななニュース)
MRC = Medical Research Council
https://en.wikipedia.org/wiki/Medical_Research_Council_%28UK%29
nofrills@nofrills
▼実際の文書を、英公文書館のサイトで探してみた。
1) Preliminary report on the blast damage caused by the atomic bomb at Nagasaki, by William Penney
nofrills@nofrills
文書名は「長崎原爆によって引き起こされた爆発による損害に関する報告書素案」(私訳)という意味。
Date: 1945 Jan 01 – 1946 Dec 31
Note: Date estimated. Photocopy
つまり、日付は推測(確定できない)ではあるが、1945年1月1日から46年12月31日。
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2) Preliminary report on the blast damage caused by the atomic bombs[sic] at Hiroshima, by W. Penney
nofrills@nofrills
文書名は「広島原爆によって引き起こされた爆発による損害に関する報告書素案」(私訳)という意味。(文書名のbombsは原文ママ)
Date: 1945 Jan 01 – 1946 Dec 31
Note: Date estimated. Photocopy
つまり、日付は推測(確定できない)ではあるが、1945年1月1日から46年12月31日。
http://discovery.nationalarchives.gov.uk/SearchUI/details?Uri=C14922ちなみに、広島のがレファレンス番号ES 12/555, 長崎のはES 12/554.
この “ES 12” は、Physical description: 624 volume(s) との由。
……共同通信の半沢さん、これよく見つけられましたね。
……というわけで、ウィリアム・ペニーによるこの文書は、ロンドンのキュー(Kew)にある英国立公文書館に行けば閲覧できます(閲覧したい場合、ウェブサイトから事前に手続きをしておいたほうがいいです)し、郵便でも請求できると思います。
広島・長崎の原爆に関するペニーの文書は、まだほかにもあります。例えば……
nofrills@nofrills
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Writing on Scienceというブログのエントリ。1947年、英国が核爆弾を持つ5年前の段階でプルトニウム兵器開発の可能性についてペニーがどう認識していたかを示す文書について。(長崎原爆はプルトニウムです。)
To put Penney’s report into context, it was written after the Atomic Energy Act of August 1946, the McMahon Act, had been passed in America; which prevented the sharing of sensitive atomic information and effectively severed ties between Britain and the United States regarding atomic weapons.
An account of William Penney’s report “Plutonium Weapon – General Description”, July 1947
1946年、通称「マクマホン法」が成立し、核開発に関する米英の情報共有の時代は終わった。ペニーはその後も、英国の核開発を進める中心的な存在として研究を続けた。
米国政府による「放射線の被害」の否定
米国の原爆開発計画「マンハッタン計画」の副責任者、ファーレル准将は、東京での記者会見で一連の報道を完全に否定する。被爆地の惨状を無視するように「広島、長崎では死ぬべき人は死に、9月上旬現在、原爆放射線のため苦しんでいる者は皆無だ」と言い切った。
「原爆の父」が米国批判 放射線被害、過小評価と 投下4カ月後に英博士 公文書で判明 : 47トピックス – 47NEWS(よんななニュース)
この点については、10年前ですが2003年8月に全訳したジョン・ピルジャーの記事に言及がありますので、ご覧下さい。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2838/translation/pilger_znet14august03.html
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2838/translation/pilger_znet14august03.html
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2838/translation/pilger_znet14august03.html
https://matome.eternalcollegest.com/post-2137574728769702201?page=2
【補足】オリヴァー・ストーンの日本訪問
関連する話題とあわせて、こちらに「まとめ」てあります。
Keiko Tsuyama@keikoworld
萩原一彦さん (@reservologic ) の労作。
同じく、萩原一彦さん (@reservologic ) の労作。









https://matome.eternalcollegest.com/post-2137631493610782301