【原爆】マンハッタン計画参加の英国人科学者が、「放射線被害」の米国による無視・隠蔽を指摘していた。

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ロスアラモス研究所で原爆の実験に参加し、ワシントンDCで標的選定委員会の一員として広島と長崎への投下を進言し、実際に長崎に原爆が投下されたときに米軍機に乗りこんでその様子を見ていた英国人科学者、ウィリアム・ペニー。核武装論者であった彼が残していた文書は意外にも……

来日中のオリヴァー・ストーンの発言が(そこそこ)注目されている

米映画監督オリバー・ストーン氏が4日、広島平和記念資料館を訪問しました。「広島を忘れてはいけない。正しく記憶しておく必要がある」
「私自身、最初は原爆投下の正当性を信じていた。#広島 を忘れてはいけない。正しく記憶しておく必要がある」オリバー・ストーン監督、広島を初訪問 t.asahi.com/c064
来日前の書面インタビューはこちら/原爆投下「史実を伝えたい」 オリバー・ストーン監督 t.asahi.com/bvua
※オリヴァー・ストーンの日本訪問については:
https://matome.eternalcollegest.com/post-2137631493610782301

米軍はすぐに日本を占領した。原爆のことを話すことをタブーにした。(アメリカのしている)戦争の事なんか全然話題にもできないようにした。それらの話題について、言わば厳しい検閲が行なわれている。ヒバクシャはひどい扱いをうけ、長いことまともに医療も受けられなかった。放射能で人は死んで行き……それは大混乱だ。

(2013年8月9日、長崎にて、オリヴァー・ストーン)
TwitLonger — When you talk too much for Twitter

オリヴァー・ストーンと小規模メディアの会見での発言。萩原一彦さん (@reservologic ) による翻訳より。

米国の軍事同盟と言うと、私は日本よりも英国を思い浮かべる。まちがっているかもしれないが、英国はいつでも米国にとって最大の同盟国だったから。

(同)
TwitLonger — When you talk too much for Twitter

同上。

(この点、ピンとこない人がけっこう多いのではないかと思います。日本のメディアはアメリカの軍事力については、「日米同盟」、「アジア」のことしかまともに伝えようとしないので、英国が米国の軍事パートナーだということが単に知られていない)

そのようなタイミングで出された、8月11日の共同通信記事(半沢隆実記者)

英国の核開発を主導し「原爆の父」と呼ばれ、米国の原爆開発にも関与したウィリアム・ペニー博士(1991年死去)が日本への原爆投下から約4カ月後、「米国は放射線被害を(政治的な目的で)過小評価している」と強く批判していたことが10日までに、英公文書館に保管されていた文書で分かった。
「原爆の父」が米国批判 放射線被害、過小評価と 投下4カ月後に英博士 公文書で判明  : 47トピックス – 47NEWS(よんななニュース)

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なんとウィリアム・ペニーが…。”文書は原爆被害を調査した英政府機関、医学研究評議会(MRC)のファイルの一部で、45年12月4日にMRC関係者が作成”>「原爆の父」が米国批判 放射線被害、過小評価と 投下4カ月後に英博士 公文書で判明 47news.jp/47topics/e/244…

▼ウィリアム・ペニー William Penney

ウィリアム・ペニーは1909年、ジブラルタル(英領)に生まれた数学者で、英国の核兵器開発を主導した人物。

具体的には、米国の「マンハッタン計画」に参加した英国の科学者チームの責任者であり、第二次大戦後の1952年に英国が開発に成功した核爆弾開発計画の「中の人」で、要するに英国の「原爆の父」。英国が核保有国となったあとは、英政府機関UKAEA(United Kingdom Atomic Energy Authority)のチーフ・アドバイザー。

……という経歴より、「長崎原爆投下を上空から見てた人のひとり」と言った方が伝わりやすいかもしれない。広島に投下された原爆の組み立てにも関わった。

Soon after the start of World War II in 1939, he began working for the government on weapons research.

In 1944, he became principal scientific officer of the British team involved in the atomic bomb development project at Los Alamos, N.M.
Lord Penney; Creator of Atomic Bomb for Britain – Los Angeles Times

1991年に亡くなったときの、LAタイムズのオビチュアリーより。(検索ですぐに出てきた上に記述が非常に平明なので、英メディアではなく米メディアのものではあるが、ここから引用する。)

Penney advised on the construction of the world’s first atomic bomb, which was exploded near Alamogordo, N.M., on July 16, 1945. He also helped assemble the nuclear bomb that was dropped on Hiroshima, Japan, on Aug. 6, 1945.

He later admitted to qualms of conscience about his part in the development of atomic weapons. But he said he was convinced Britain had to have them and argued that the doctrine of mutually assured destruction would make major wars impossible.
Lord Penney; Creator of Atomic Bomb for Britain – Los Angeles Times

つまり、1939年に第二次世界大戦が勃発、そのすぐ後にペニーは英国政府の兵器研究の仕事についた。1944年には英国のチームのトップとして米国のロス・アラモス研究所での原爆開発(マンハッタン計画)に関わった。1945年7月16日に実験で爆発した世界で初めての原爆の建造にはアドバイザーとして関わり、8月6日に広島に投下された原爆の組み立てにも一役買った。

後に、核兵器開発に参加したことについて良心の呵責を覚えていると述べたが、英国が核武装する必要は確信していたし、核抑止力を強調していた。

Nagasaki [1945] | | World’s famous photos
ペニーは1945年8月9日、原爆投下のため長崎上空に飛来した米軍機の1機に、オブザーヴァーとして乗り込んでいた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Big_Stink_%28B-29%29#Nagasaki_mission_crew(長崎に投下された原爆のキノコ雲をとらえたこの有名な写真は、別の機に乗り込んでいたCharles Levyという米軍人の撮影。)

Penney went to Washington for a top secret committee target selection meeting. He recommended Hiroshima and Nagasaki because of the hills surrounding the target which he said would create maximum devastation. He gave valuable advice to the height of the bomb detonation so that the fireball would not touch the earth and also to avoid permanent radiation contamination on the ground.
William Penney, Baron Penney – Wikipedia, the free encyclopedia

【大意】原爆投下が実行される直前、米軍は軍人と専門家らによる標的選定委員会を組織したが、英国人ながらペニーはその一員となり、ワシントンDCでの極秘会合に出席。その席でペニーは、周囲を小高い丘に囲まれた地形により、破壊が最大になるとの理由をあげて、広島と長崎を推薦した(広く知られているが、他に小倉、新潟、京都などが標的候補地として考えられていた)。

またペニーは、火の玉が地表に達することなく、地面が恒久的な放射能汚染を免れるようにということで、爆弾を起爆させる高度についても貴重な助言を行なった。

William Penney

米国は、この優秀な英国人数理物理学者(衝撃波など「波」の計算の第一人者)を自国の核開発のメンバーにしたかったそうだが、英国の核武装の必要を信じていた本人がそれを拒んだ(「外国人」や「米国外出身者」が米国の市民権を取って政府の仕事を行なうことは珍しいことではない。オバマの外交顧問をしてきて、つい最近米国連大使となったサマンサ・パワーはアイルランド出身である)。

核開発についての米英の情報共有は1946年に終わったが、英国は1952年、原爆実験に成功、ペニーを一代貴族に叙し、その栄誉をたたえた。

▼そのウィリアム・ペニーが、「米国は放射線被害の発生をまともに見ていない」と批判していた。

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”米政府は原爆が上空で爆発したため危険な核分裂物質が地上に影響を及ぼさなかったと主張、これが政府公式見解…間もなく報道規制を強化し約1カ月後…「外傷のない男女、子供たちが毎日のように死んでいる」と報じた記事はGHQ検閲で公表差し止め” 47news.jp/47topics/e/244…
途中を省略しないで原文から引用: “米政府はさらに原爆が地上ではなく上空で爆発したために、危険な核分裂物質が地上に影響を及ぼさなかったと主張、これが政府の公式見解となっていく。間もなく報道規制を強化し、投下から約1カ月後に長崎に入ったシカゴ・デーリー・ニューズ紙が「外傷のない男女、子供たちが毎日のように死んでいる」と報じた記事は連合国軍総司令部(GHQ)の検閲で公表を差し止められた。”

米国は当時、放射線による悲惨な被害実態が世界に知られることを警戒、厳しい報道規制を敷いていた。文書は、米国が最重要同盟国で原爆を共同開発した立場にある英国に対しても、核兵器の本質を隠していたことを示している。

文書は原爆被害を調査した英政府機関、医学研究評議会(MRC)のファイルの一部で、45年12月4日にMRC関係者が作成。「ペニー博士は(広島と長崎で)多くが放射線によって死亡したことを示す相当な証拠があると判断している」と記されている。
「原爆の父」が米国批判 放射線被害、過小評価と 投下4カ月後に英博士 公文書で判明  : 47トピックス – 47NEWS(よんななニュース)

MRC = Medical Research Council
https://en.wikipedia.org/wiki/Medical_Research_Council_%28UK%29

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“爆風効果計算の専門家であるペニー博士は…「マンハッタン計画」に参加。長崎では観測機から投下を目撃し、その後、広島と長崎を現地調査した。45年12月13日にロンドンで行われた専門家会合で博士は「投下直後の放射線照射により、多くの人々が死に続けたことに疑いの余地はない」と指摘”

▼実際の文書を、英公文書館のサイトで探してみた。

1) Preliminary report on the blast damage caused by the atomic bomb at Nagasaki, by William Penney

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これかな…”Prelim. report on the blast damage caused by the a-bomb at Nagasaki, by W Penney” 1945 Jan01 – 1946 Dec31 (est) discovery.nationalarchives.gov.uk/SearchUI/Detai…

文書名は「長崎原爆によって引き起こされた爆発による損害に関する報告書素案」(私訳)という意味。

Date: 1945 Jan 01 – 1946 Dec 31
Note: Date estimated. Photocopy

つまり、日付は推測(確定できない)ではあるが、1945年1月1日から46年12月31日。

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discovery.nationalarchives.gov.uk/SearchUI/Detai… この文書もデジタル化はされていないので、キューの公文書館に足を運ばないと閲覧できない。一般公開日は、”Record opening date: 05 October 2010″ となっている。
※現地に行かなくても、英公文書館でアカウントを作れば、写しを郵送してもらえるはず。

2) Preliminary report on the blast damage caused by the atomic bombs[sic] at Hiroshima, by W. Penney

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これも。”Prelim. report on the blast damage caused by the a-bombs at Hiroshima, by W Penney” 1945 Jan01 – 1946 Dec31(est) discovery.nationalarchives.gov.uk/SearchUI/Detai…

文書名は「広島原爆によって引き起こされた爆発による損害に関する報告書素案」(私訳)という意味。(文書名のbombsは原文ママ)

Date: 1945 Jan 01 – 1946 Dec 31
Note: Date estimated. Photocopy

つまり、日付は推測(確定できない)ではあるが、1945年1月1日から46年12月31日。

NAのサイトでこの文書は “ES 12” と分類されています。ES 12 は “Atomic Weapons Research Establishment: Miscellaneous Reports” (原子兵器研究機関による雑多な報告類)で、1955-1987のもの、と表示されています。そこに1945-1946年のものが入ってるんだから……
http://discovery.nationalarchives.gov.uk/SearchUI/details?Uri=C14922ちなみに、広島のがレファレンス番号ES 12/555, 長崎のはES 12/554.

この “ES 12” は、Physical description: 624 volume(s) との由。

……共同通信の半沢さん、これよく見つけられましたね。

……というわけで、ウィリアム・ペニーによるこの文書は、ロンドンのキュー(Kew)にある英国立公文書館に行けば閲覧できます(閲覧したい場合、ウェブサイトから事前に手続きをしておいたほうがいいです)し、郵便でも請求できると思います。

広島・長崎の原爆に関するペニーの文書は、まだほかにもあります。例えば……

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英ナショナル・アーカイヴのサイトで見つけた。”Blast damage at Hiroshima” discovery.nationalarchives.gov.uk/SearchUI/detai… ウィリアム・ペニーの文書で核武装関連のはまだ非公開のものもあるが、これは公開。ただしデジタル化はされていない(現地に行けば閲覧可)。
※このツイート、「…見つけた。」は、「…見つけた、」の間違いです。

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承前。文書は1953年1月から67年12月までのペニー博士の文書でのやり取りで、 ナショナル・アーカイヴスでの公開は Record opening date: 25 July 2012. 久々に「30年ルール」でないものに遭遇した感。 discovery.nationalarchives.gov.uk/SearchUI/detai…
「30年ルール」=英国では政府の機密文書の多くは30年経過すると機密解除され、ナショナル・アーカイヴスで公開されるのが原則。ただし、特に軍事や警察関連では30年経過しても機密は解除されないものが多いし、諜報は……あら、ノックの音だわ。こんな時間に誰かしら。

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ウィリアム・ペニー博士の原爆に関する文書類(英公文書館): discovery.nationalarchives.gov.uk/SearchUI/s/res… ※検索結果画面

Writing on Scienceというブログのエントリ。1947年、英国が核爆弾を持つ5年前の段階でプルトニウム兵器開発の可能性についてペニーがどう認識していたかを示す文書について。(長崎原爆はプルトニウムです。)

To put Penney’s report into context, it was written after the Atomic Energy Act of August 1946, the McMahon Act, had been passed in America; which prevented the sharing of sensitive atomic information and effectively severed ties between Britain and the United States regarding atomic weapons.
An account of William Penney’s report “Plutonium Weapon – General Description”, July 1947

1946年、通称「マクマホン法」が成立し、核開発に関する米英の情報共有の時代は終わった。ペニーはその後も、英国の核開発を進める中心的な存在として研究を続けた。

米国政府による「放射線の被害」の否定

米国の原爆開発計画「マンハッタン計画」の副責任者、ファーレル准将は、東京での記者会見で一連の報道を完全に否定する。被爆地の惨状を無視するように「広島、長崎では死ぬべき人は死に、9月上旬現在、原爆放射線のため苦しんでいる者は皆無だ」と言い切った。
「原爆の父」が米国批判 放射線被害、過小評価と 投下4カ月後に英博士 公文書で判明  : 47トピックス – 47NEWS(よんななニュース)

この点については、10年前ですが2003年8月に全訳したジョン・ピルジャーの記事に言及がありますので、ご覧下さい。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2838/translation/pilger_znet14august03.html

Rebel Journalism: The Writings of Wilfred Burchett
“原爆投下後に最初に広島入りし連合国側のジャーナリストは,『ロンドン・デイリー・エクスプレス』紙のオーストラリア人戦争特派員,ウィルフレッド・バーチェット記者だった。バーチェット記者は,何千人もの生存者が内出血や皮膚の染み,髪の毛が抜け落ちるといった不可解な症状を呈しているのに気付いた。「私は世界への警告としてこの記事を書く」で始まる『エクスプレス』紙の歴史的な記事で,バーチェット記者は放射能の作用を説明した。”
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2838/translation/pilger_znet14august03.html
ヒロシマナガサキ [DVD]
“占領軍は,猛烈な調子でバーチェット記者のレポートを否定した。爆発の結果人々が死んだ,それだけだ,と彼らは嘘をつき,連合国側の「従軍」記者はそれを増幅させた。「広島の廃墟,放射能検出されず」というのが,1945年9月13日の『ニューヨーク・タイムズ』紙のヘッドラインであった。バーチェット記者は記者登録を抹消……病院で撮影されたフィルムは没収されワシントンへ送られ,そしてトップ・シークレットとされて23年間非公開とされた。”
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2838/translation/pilger_znet14august03.html
ATOMIC COVER-UP: Two U.S. Soldiers, Hiroshima & Nagasaki, and The Greatest Movie Never Made
この点について調査した米国人ジャーナリスト、グレッグ・ミッチェルさんが、毎年原爆忌の前に投稿している連続ツイートは、先に作成した「広島原爆忌」についての「まとめ」に入れてあります。ご参照下さい。
https://matome.eternalcollegest.com/post-2137574728769702201?page=2
Hiroshima in America: A Half Century of Denial

【補足】オリヴァー・ストーンの日本訪問

関連する話題とあわせて、こちらに「まとめ」てあります。

Keiko Tsuyama@keikoworld

読んでおきたい。日本は世界4位の軍事大国。米国は歴史上最強最大の軍事国家。この事実に怒って欲しいと、オリバー・ストーン監督講演@広島 togetter.com/li/545912 @YuminTanaka

萩原一彦さん (@reservologic ) の労作。

同じく、萩原一彦さん (@reservologic ) の労作。

See also:

https://matome.naver.jp/odai/2137630456205422201
2013年08月12日