【BGM1】
起床
時計を見ると午前7時。
日曜日に、こんなに早く起きたのはいつ以来だろう?
この春、社会人になって都会に引っ越して来た僕にとって
土日と言うのは、月曜からの仕事に耐え抜く体力を蓄える
ための休養期間であって、深い眠りから目が覚めるのは、
いつも昼過ぎだった。
まだ少し眠気は取れないけれど、せっかく早く目が覚めた
のだから何かをしなければ勿体無いような気分になった
僕は、勢いで買って以来、活躍の場を与えられていなかっ
た一丸レフを首から提げ、いつものリーバイスとコンバー
スに履き替え、部屋を飛び出したのだった。
寡黙そうな店主から、とっつきにくさが滲み出ていること。常連客がいつも席を占領していること。何よりも、その純喫茶然とした店構えに一見さんお断りの雰囲気がぷんぷん漂っていることが、その主な理由であったが、勇気を出して入ってみると、悪くない。
シンプルで飾り気の無いモーニングセットは、起き抜けの僕の腹を満たすのに充分であったし、少し焦げ目の付いたトーストの焼き加減も僕好みだった。
コーヒーをすすりながら、僕はこの後の一日の過ごし方を考えていた。
メール
スマホをいじりながら、行き先を考えていたのだけれど
一向にこの貴重な日曜日を何に費やすべきかの答えは出
なかった。
ーーこれはお昼寝コースかな。
諦めに似た考えが頭をもたげたその時、スマホにメールが
入った。
「今日って暇してます?どっか遊びに行きましょーよ」
その短い文面のメールを送って来たのは、大学時代の
サークルの後輩であるエーコだった。僕はメールの
タイミングの良さに驚きつつも、内心、喜びを隠せない
でいた。
と言うのも、エーコとは大学を卒業してからも、勤め先
が近いこともあって、数ヶ月に一度のペースで会っていて
僕は彼女に対して、ただの後輩以上の気持ちを持っていた
のだ。
しかし彼女は、そんな僕の気持ちを知ってか知らずか
やんわりと、先輩・後輩の関係から一線を越えさせない
ようにしているように僕には思えて、そろそろ諦めなけ
ればと思っていた矢先に、彼女からのこのメールである。
そうなれば、僕は二つ返事でオッケーを出すしか無い
ではないか。
5分ほど遅れて現れたエーコは、軽く茶色に染められた長い髪の毛をいつものようにテッペンでお団子に結び、オーバーサイズ気味の花柄シャツ、ネイビーのツイルショーツ、茶色いレザーのエスパドリューと言うリゾート気分満点な出で立ちで、明るい彼女のキャラクターにぴったりであった。
「先輩どっか行きたいとこ無いんですかー?」
鼻に掛かったような声でエーコは僕に聞いたのだけれど、特に行き先の候補があるわけでは無かった。
とりあえず日帰りで遠出しようと言う話でまとまり、僕らはレンタカー屋にそそくさと向かったのだった。
目的
「可愛いからコレがいい!」
そう言ってエーコが選んだレンタカーはモコだかマーチ
だかの軽自動車で、自分がこれを運転するのは少し気恥
ずかしさもあったのだけれど、実際にシートに座れば、
エーコとの距離が近く感じられて、これも悪くないなと
思った。ま、軽だと燃費もいいし。
「じゃ、とりあえず出発しよっか」
そう言ってアクセルを踏んだはいいものの、どこに向か
えばいいのやら。とりあえず遠出するのなら高速に乗るか。
「朝メシ食った?」
「んーん、食べてないですよ」
「じゃあ腹減ってる?」
「まあまあかな」
「なんか食べたいものは?」
「んー、おいしいものならなんでも」
そんな会話から、旨いものを食べる。が今回の旅のテーマ
になり、ようやく今回のデートの芯のようなものが固まって
来た気がした。
「あ、曲掛けてもいいですか?」
そう言った彼女は、自前のipodをカーステレオに繋ぎ
お気に入りの曲を流したのだった。
【BGM2】
なんでも香川で有名なうどん屋で修行していた店主が、うどんの美味しさを広めたいがために嫁と二人で独立出店した店らしく、その心意気もさることながら、うどんの味も絶品であった。サクサクのちく天も素晴らしい。
加えて一杯380円と言う良心的な価格にも好感が持てたのだが、店主いわく「香川やったら200円で腹いっぱい食べれるんですけどねえ」とのことで、もっか輸送費などを含めたコストダウンの方法を模索中とのことだった。
海
昼食にはエーコも満足したようで、よく分からん鼻歌を歌い
ながら上機嫌な様子を見て、僕もなんだか嬉しくなった。
再び車に乗り込んだ僕たちは「とりあえず夏と言えば海っしょ」
と言う軽いノリで、次の目的地を決定した。
とは言え、水着の用意もなく、そもそも人様の目に触れさせる
ことが憚られるほどの肥大化を果たした自分の腹をエーコに
見せる勇気が出ない僕は、今日は海を見るだけにしようねと
念を押したのだった。
「えー。海入りたいです」
エーコはふてくされたが、さっきいっぱいうどん食ったでしょと
言うと、自分の腹を何度かさすりながら、渋々承諾したのだった。
さすがに、うどんを二杯食ったあとの腹は、細身のエーコと言え
ども、見せるのがためらわれたらしい。
それにしてもこいつはよく食うな。
「先輩、写真摂ってー」
そう言ってポーズを摂ったエーコをファインダーに収めた後、僕らは海側に向かって石畳の上を並んで歩いた。
ーーこうしてると誰から見ても恋人同士なんだろうけどな。
猫
漁師町には猫が多いと聞いたことがあるけれど、その
ご多分に漏れず、この町にも沢山の猫が見かけられた。
白、黒、三毛、茶トラ……。
エーコは、日向ぼっこをしている猫たちを見つけては、
触ろうと近づくのだが、都会からの来訪者に対しての
警戒心を解かない猫たちは、すぐに逃げてしまう。
「怪しいものじゃないよー」と言いながら低い姿勢で
猫ににじり寄るエーコの姿は、どう見ても怪しいのだが
その本気の姿には声を掛けづらく、僕は温かく見守る
姿勢を崩さずにいたのだった。
そして、いくつかの区画を越えた頃、僕らの目の前に
ようやく海が見えて来た。
【BGM3】
隣りでボーっと海を眺めているエーコの横顔に夕日が差して、その光が作り出す陰影に何故かハッとさせられる。
「エーコ?」
「なんですか?」
「手繋いでいい?」
「……うん」
僕たちはそれからしばらく無言で海を眺めていた。繋いだ右手が暖かいのは、温暖なこの町の気候のせいだけじゃない。
「帰ります?」
「レンタカーの時間もあるしね」
横を向いた拍子に繋がれた手と手はほどけてしまった。
帰り道
再び高速を行く。
行き道はすごく長く感じたのに、帰りは道が空いていることも
あって、やけに短いような気がした。
うどんや、町や、猫や、海や、その他にも今日二人で見た色々
なことを話しながら、僕らは自分たちの住む街へと帰っていく。
そう言えば、さっき携帯電話に会社からの電話が入っていた気が
したけれど、どうせロクでもない内容に決まっているのだから、
折り返しの電話はしない。エーコとの二人の時間を少しでも長く
感じたいから。
「ね、晩御飯食べてく?」
「うどんがまだ結構おなかに残ってるんですー」
「じゃ、やめとく?」
「んー、軽めになら。いつものところはどうですか?」
「あそこ……でいいの?」
僕達はレンタカーを返却し、二人で会う時によく利用する
店に向かった。
本人曰く「緊張するし。柄じゃないし」とのことで、僕としてもこのような小汚い中華料理屋で住むのならば、経済的にも助かるのだけれど、せっかく海で手まで繋いだあとなのに、とも思う。
「オジサン、ギョーザと半チャーのセットで」
なんだかんだ言いながら、それなりの量を注文するあたり、やはりエーコの胃袋はなかなかのものである。
「ね、ほんとにここで良かったの?」
「アタシここの餃子ほんとに大好きだし」
「それならいいけど」
「オジサン、あと生」
街灯
灯りに照らされて、僕とエーコの影が長く伸びる。
こうやって影を見ていると、二つの人影は重なって
まるで別の生き物のような形になり、少し離れては
人間の姿に戻る。
ーー言うなら今かな。
そうやって自分の気持ちを伝えるタイミングを図っ
ては、言葉を呑み込み、また何かを言おうとしては
呑み込む。その繰り返しのまま、僕は他愛の無い話を
続け、時間の隙間を埋めていた。
いや、でも今言うしかないのだ。
「エーコ?」
「ちょっと待ってください。先にあたしに言わせてください」
僕が意を決して言葉を紡ごうとした瞬間、エーコがその
言葉を遮った。
「なに?」
「……先輩。あたしね。婚約しました」
結婚相手は今の職場の先輩らしい。半年前から付き合い始めて、彼の押しの強さもあってのスピード結婚となったらしい。すでに両家の顔合わせも済んでおり、あとは式の準備を進めるだけだと言う。
「あたしを全部認めてくれる人」と言うのは、エーコの彼氏評で、彼女がそう言うのならば、きっとそうなのだろう。
そうだ、認めなければいけないのだ。
例え、今日、僕とエーコの心が通い合ったと、僕がそう感じたのだとしても。
認めなければいけないのだ。
Someone to watch over me
「先輩、見て見て」そう言って両手に持った花火を舞踊の
ように振り回すエーコの姿が、煙に巻かれて擦れて見える。
その煙の中でエーコは笑っている。
だけどその顔が時折曇って見えるのは何故だ?
頬を涙が伝っているように見えるのは何故だ?
「ごめんね」と聞こえた気がしたのは何故だ?
僕はただ、花火が消えてしまうまでの間ずっとエーコを
見つめていた。美しい、エーコを。
このまま、今の時間だけが永遠に続けばいいのに。
そんな事を思いながら。








僕の住む木造ボロアパートにクーラーなんて付いているはずも無く、暑さにうなされて目を覚ませば、扇風機がバカっぽく首を振っている姿がボヤけた視界に入ってくるのだった。
開け放しの窓の外から聞こえて来るのは、いつもの夏の音。
セミのジージー、近所の小学生のワーワー、風鈴のチリチリ。
そんな、どこにでもある夏の日曜日だった。