株価大暴落史(恐慌史)まとめ

tailer3
過去の大暴落事件を振り返り、資産のリスクヘッジを考える。いつ、どのタイミングで売り抜け、資産を守るのか過去の教訓を生かそう
NYダウ平均の月足長期チャート

■ウォール街大暴落 (1929年)  世界恐慌   デフレ時に大増税

1929年の大暴落の後でウォール街に集まる群衆

ダウ工業株平均が6年間上がり続けて当初の5倍になり、1929年9月3日に最高値381.17を付けた後で[12]、市場は1か月間急降下し、下げ初めから見れば17%下落した。

株価はその後の1週間以上にわたって下げ幅の半分を回復したが、その直後にまた下落するだけだった。下げ基調は加速し、大暴落初日となった1929年10月24日の、いわゆるブラックサーズデーを迎えた。その日は当時の記録破りとなる1,290万株が取引された。

世界恐慌がアメリカから起こった原因としては次のようなことがあげられる。
自動車・化学・電気などの新しい産業の発展・産業の合理化による工業生産力の増大・それにともなう過剰な設備投資などによって工業製品が生産過剰に陥っていたこと。
高関税政策の影響で国際貿易が伸び悩んでいたこと。
農業部門でも、戦争中からの増産によって農産物の供給が急増していたところへ、戦後ヨーロッパの復興によってヨーロッパの需要が減少し、農産物価格が急落して農業不況が深刻化していたこと。
農業不況によって農民の購買力が低下し、また生産性の伸びに比べて労働者の賃金が低く抑えられたので国民の購買力が低下したこと。

要するに、生産過剰と国民の購買力の低下によって需要と供給のバランスが大きく崩れたことが原因であった。
そして、戦後世界の資本がアメリカに集中し、それが土地や株式の投機に使われ、過剰な投機ブームが起こっていたことが株価大暴落の直接の原因となった。
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/gendai/43-kyoukou.html

ハーバート・フーヴァー大統領
ハーバート・フーヴァー大統領は、貿易不振を世界恐慌の原因とみなし、貿易振興の観点からフーヴァーモラトリアムを提唱し、第一次世界大戦の賠償金の支払い猶予を提唱したが一方で、大増税法案を通して落ち込む歳入を増やそうとし、保護主義のスムート・ホーリー関税法に署名したが、これはカナダ、イギリス、ドイツなど貿易相手国の報復を呼んだ。アメリカ経済は不況に陥った。1932年までに失業率は23.6%にもなった。状況は重工業、製材業、輸出用農産物(綿花、小麦、タバコ)および工業で悪かった。ホワイトカラーや軽工業ではそれほど悪くなかった
世界恐慌とリーマンショック比較
『株価』は・・・
世界恐慌時の下落率が3年間で約87%です。
この記事では約1年間で約27%です。
ただしこれはちょっと前の記事ですので、
現在はマイナス40%くらいかも。
『失業率』は・・・
世界恐慌時は約4年間で約3%から約25%に上昇しました。
今回は約1年間で4.7%から6.1%に上昇しました。
世界恐慌時には銀行の取付騒ぎがあったために
金融機関がストップし、
それが失業率の激増に繋がりましたが、
今回はそんな騒ぎが起こっていません。
http://www.youtube.com/watch?v=OtsWLuCeSs0

■ニクソンショック(1971年)   金ドル交換停止

ニクソンショック
1971年8月15日に、テレビとラジオで全米に向けて新経済政策(減税と歳出削減、雇用促進策、価格政策の発動、金ドル交換停止、10%の輸入課徴金の導入)を電撃的に発表し、その中の「金ドル交換停止(金とドルとの固定比率での交換停止)」のことを主に指す。この金ドル交換停止は、米国議会にも事前に知らされておらず、極めて大きな驚きを与え、またこれが世界経済に甚大な影響を与えたことから「ドルショック」とも呼ばれる。

ニクソン・ショックと輸出産業の打撃
この事件が起きるまで、ドルは金とリンクし、また1ドルは360円に固定されていました。1971年8月15日、ニクソン大統領は、世界に高まるドル不安に対処するため、金とドルとの交換を停止するとともに、一律10%の輸入課徴金を設定します。

声明発表後、西側各国は的確な反応を示し、自国の為替相場を、変動相場制に直ぐに移行させます。日本は、愚かにも移行が遅れ、8月26日変動相場制になります。(このため、多くの富が不当に海外に流失したと言われます。)

円相場は、高騰を続けます。混乱を収拾するため同年12月、アメリカのスミソニアン博物館における先進10か国蔵相会議が開催されます。会議ではドルの切下げ、円とマルクの切上げが行われ、1ドル308円と決定されました。(その後1973年2月完全な変動相場制に戻ります。)
この事件によって、輸出産業は、大打撃を受けます。特に、造船業界は、輸出船の建造契約がドル建であったため、約2400億円の為替差損をこうむります。
経済史に学ぶ(戦後編)

『ドルは308円から変動制に』 為替歴史の節目
1971(昭和46)年8月15日のニクソンショックの後の12月19日、戦後長く続いたブレトンウズ体制が崩壊し1ドル360円時代に終わりを告げた。日本は当初,円相場の上昇を防ぐべく米ドルの買い支えを行ったが,8月28日には介入を停止,8月末にはフランスを除く主要国はすべて固定相場制から離脱し、12月に米ドルの切り下げを含む多角的通貨調整で合意がみられた(いわゆるスミソニアン体制の成立)。
ニクソンショックの概念図
ニクソン・ショックにより、ドルとGOLDに交換できなくなることで、金本位制度は終焉を迎えました。
ニクソン・ショックが発表される前後、大量にドル売り円買いの取引がなされました。イギリスやドイツなど主要国が為替市場を閉鎖したのですが、日本は律儀に為替市場を開け続け、ドルを買い支えしました。大量のドルを買うための円を日銀に発行させたのです。
その結果、大量の円が市場に供給することとなり、当時の日本の物価を大きく上げることとなりました。
http://www.youtube.com/watch?v=rcnhF09QN78

■ブラックマンデー(1987年10月19日)  大口投資家のプログラム売り

ブラックマンデー
1987年10月19日月曜日、ニューヨーク株式市場が過去最大規模の暴落。ダウ30種平均の終値が前週末より508ドルも下がり、この時の下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった1929年の暗黒の木曜日(ブラック・サーズデー、下落率12.8%)を上回った。翌日アジアの各市場にこれが連鎖。日経平均株価は3,836.48円安(14.90%)の21,910.08円と過去最大の暴落を起こした[1]。更にヨーロッパの各市場へもつながっていった。
ブラックマンデー
日経平均3836円安

ブラックマンデー(1987)
1987年10月19日(月)、ニューヨーク証券取引所で平均株価が508ドルも下がる(22.6%)という史上最大の大暴落があり、世界恐慌の引き金になった1929年10月29日(木)の「ブラックサーズデイ」を上回る下げ幅ということで、世界中が戦争でも起きるのではないかと騒然としました。

この暴落の背景には、当時アメリカの財政赤字や貿易赤字が拡大傾向にあり更にはドル安でインフレ懸念があった事などがあります。アメリカはインフレ対策で9月5日に公定歩合を0.5%引き上げ6%にしましたが、10月14日に発表された貿易収支が予想を大きく上回る赤字額であったことから、企業成績に対する不安感が募りました。

しかしそれにしてもここまでのとんでもない下げ幅になるほどの要素は無かったといえます。このブラックマンデーが起きた最大の原因は、大口投資家の「プログラム売り」でした。
ブラックマンデー(1987)

ブラックマンデー事件
これといった原因は今だに分かっていないらしいのですが、ざっくり言うとパニック売り、売りが売りを呼ぶと言った感じでしょうか、プログラムによる売買は今となっては当たり前ですが、当時はまだ歴史が浅く政府などもいまいち把握してなかったようです。結果ブラックマンデーの影響は世界の株式市場にも現れ、日本でも東京証券取引所は株価が3836.48円(14.9%)下がる暴落
http://www.youtube.com/watch?v=4pjSlIkNxXg

■日本バブル崩壊  1991年

バブルの発生と崩壊
1.バブルの発生
80年代後半、地価や株価の上昇が大幅かつ継続的なものとなるにつれ、国民全体に、さらなる値上がり期待が高まっていった。この価格上昇期待が、株式投機による財テクブームや地上げなどによる過度な土地投機につながり、自己増殖的に資産価格を上昇させた。資産残高の著しい増加は、消費面では資産効果★ により耐久消費財を中心に消費額を増加させ、企業にとっては資産の担保能力の増大により新たな事業展開や設備投資のための資金調達を容易にした。
バブルの発生と崩壊
3.バブルの崩壊
景気過熱によるインフレ発生を未然に防ぐため、公定歩合が89年5月から5回にわたって引き上げられた。また、税制の見直しや土地関連融資の総量規制等が行われ、これらの政策により、株価・地価は急落し、バブルの崩壊が始まった。
バブルの崩壊は、逆資産効果★ により消費低迷を招き、倒産を増加させたほか、90年代全般にわたる長期の景気低迷をもたらすこととなった。
http://www.youtube.com/watch?v=7wNmJE6G0Do

■ITバブル崩壊  2001年

ITバブル崩壊
多くのIT関連ベンチャーは倒産に追い込まれ、2002年の米国IT関連失業者数は56万人に達した。シリコンバレーを中心とした起業支援ファンドは一時的にではあれ縮小や廃止を余儀なくされ、グーグル、アマゾン・ドットコムやe-ベイなど一部のベンチャーのみが生き残った。崩壊後の不況の最中、2001年9月11日に同時多発テロが発生し、アメリカは深刻な不況へ突入した。マイクロソフトやインテル、デルやヒューレット・パッカードなど既存のIT関連事業者、あるいはベライゾンやAT&Tモビリティなど通信事業者などの株価も大幅に下落したが、本業が与えられた影響は軽微なものであった。光ケーブルの過剰敷設問題(ダークファイバ)の再燃も懸念されたが、すでに90年代後半の過剰投資の経験から抑制的に投資されていたこともあり、ITバブル崩壊にともなうダークファイバの不良債権化については懸念されるほどの問題は生じなかった。
インターネット・バブル – Wikipedia

■ライブドアショック  2006年1月16日

ライブドア・ショック
2005年7月以降、日経平均は7月の1万2000円台から1万6000円台にまで回復するなど、日本経済の復活を象徴するかのような、株価上昇が注目されていた。株式市場は新規の個人投資家を大量に引き入れ活況を呈しており、通常、株式情報を大々的に扱うことのないスポーツ新聞に「バブル再来か?」の見出しが踊り、TV番組では株を買ったことのない芸能人が「株でいくら儲けられるか?」などの特集が組まれるなど、1980年代後半のいわゆるバブル景気時代を彷彿させる状態であった。このような状況においてライブドアによる粉飾疑惑事件が発覚し、新興市場銘柄の急落と株式市場全体の混乱を招いた。ライブドアは1株数百円程度から売買できる魅力から多数の個人投資家を引き寄せていたこともあり、同社への強制捜査は社会的現象として連日メディアで取り上げられた。
ライブドア・ショック – Wikipedia

http://www.youtube.com/watch?v=kXWo8-bIP3k

■世界金融危機 (2007年-)  リーマンショック  2008年

世界金融危機 (2007年-)
世界金融危機は、サブプライムローン問題(サブプライム住宅ローン危機)をきっかけとした2007年のアメリカの住宅バブル崩壊に端を発し、2013年現在に至るまで続いている国際的な金融危機のことである。これを発端とした経済不況の世界的連鎖は世界同時不況とも呼ばれる。
2008年9月29日にアメリカ合衆国下院が緊急経済安定化法案を一旦否決したのを機に、ニューヨーク証券取引市場のダウ平均株価は史上最大の777ドルの暴落を記録した[1]。
【わかりやすく解説】サブプライム問題とは?
好景気に沸くアメリカで住宅ブームが起きました。しかし、家を買うには高額の費用が必要なため、ローンを組む必要があり、そのローンも返すあての無い人には貸すことができないため、
購入する住宅を担保としお金を貸す制度ができたのです。最初の2~3年は金利が低いのですが、年数が経過するにつれて金利が上昇するというシステムで、後々の支払いが苦しくなるのは目に見えているのですが、その頃には住宅価値も上昇するため、その価値の分またローンを組んで返済にまわせるという算段でした。 しかし、実際には住宅価値が上がることは無く、結果として住宅購入者はローンを支払うことが出来なくなってしまったのです。

http://www.youtube.com/watch?v=ABvLOW_nEh8

■ユーロ危機  ギリシャショック  2010年~

ユーロ危機とは
ユーロ危機とは、EU(欧州連合)の共同通貨であるユーロの通貨価値が崩壊する危機のことであり、ギリシャの経済危機がその元凶であると言えます。
元々EUに加盟している国は財政赤字が少ない事が条件でした。ですが、ギリシャはうその報告をしてEUに加盟していました。これは政権が交代したことにより判明したのですが、このギリシャをEU全体で回復させようとしたのがユーロ危機の原因です。
ギリシャは回復どころか、さらに情勢は悪くなり、それに伴いユーロの価値は急落してしまっています。その影響は当然、”円”にも与え、今ではかなりの円高になっていますね。

http://www.youtube.com/watch?v=58WF-5yTHz4
https://matome.naver.jp/odai/2136944773156728801
2019年02月25日