【1】 クリス・ブラウン → リアーナ
2009年2月、グラミー賞のパーティーの帰りに恋人のリアーナへの暴行事件を起こす。
クリス・ブラウン (歌手) – Wikipedia
その後、リアーナ負傷の映像や画像が報道されファンや音楽業界に衝撃を与えた。 当初、無罪を主張していたクリスは6月、ロサンゼルスの上級裁判所で行われた予備審問で罪を認めた。
2013年復縁、DV事件後を振り返り「リアーナとは理解し合えている」
クリス・ブラウン、DV事件後を振り返り「リアーナとは理解し合えている」と発言。(TechinsightJapan) – エキサイトニュース
「性格の荒い暴力男」というイメージを払しょくできずにいるクリス・ブラウンだが、リアーナとはヨリを戻し本人もかなり前向きな気持ちで毎日を過ごしているようだ。
「もう二度とDV事件を起こしたりしない」
↑「もうDVしない」その言葉、信じます!!
【2】 トミー・モトーラ → マライア・キャリー
1993年6月5日にレーベル社長のトミー・モトーラと結婚
マライア・キャリー – Wikipedia
音楽的主観の違いや、ファッション(スカートやパンツの丈を指示する等)や私生活に極度に制限を言いつけたり、マライアへの監視(尾行や盗聴)が原因となり、1997年に別居し、翌年離婚
マライアを見出して契約したコロンビア社長のトミー・モトーラと結婚し、マライアは『大ヒット歌手』+『社長夫人』という、誰もが羨む地位を得ましたが、実態は人格面まで抑圧された重苦しい結婚生活でした。精神的な痛手は離婚後も続き、人気低迷と相まって一時は再起不能とまで考えられました。
マライアのブレイクダウンは、彼女の元の夫で、ソニーミュージックの社長、トミー・モトーラとの離婚後の確執が原因
カオリ・ナラ・ターナーのハリウッド・レポート
その後、レコード会社の移籍、新しい彼との別離、レコード売上の不振、主演映画の不振と、さまざまな苦難が彼女を襲い、精神的に追い詰められたようです。
再ブレーク (2005)
マライア・キャリー – Wikipedia
The Return Of The Voiceと形容されるほどの劇的な大復活を遂げた。アメリカン・ミュージック・アワード1部門、グラミー賞3部門など数多くの賞に輝いた。この復活を受け、マライアの第二期黄金時代に突入したとも言われている。
2008年に現在の夫のニック・キャノンの結婚し、双子も生まれて幸せに暮らしていますが、2008年のアルバムの中でもトミー・モトーラとの結婚生活 (とその後遺症) について歌うなど、DVの痛手が深かったことを感じます。
【3】 アイク・ターナー → ティナ・ターナー
ショーの直前にホテルから逃亡
アイク&ティナ・ターナー – Wikipedia
このころよりコカインを常用するアイクのティナに対するDVが深刻になり、彼はティナへのコントロールを保つために彼女に暴行を続けるようになった(後に、ティナは自伝I, Tina の中で、アイクがグループ活動の期間中ずっと、また16年の結婚生活の間中彼女を監督するのに暴力を続けたと述べた)。
その後ティナは離婚訴訟を起こし、1978年に和解するまで2人は法廷で争った。
アイク&ティナ・ターナー – Wikipedia
契約上の問題からアイク&ティナ・ターナー時代の曲を歌うことができず、1970年代後半は不遇をかこっていた。
ティナ・ターナー – Wikipedia
トップスターとして華麗なる復活を遂げた
ティナ・ターナー – Wikipedia
1984年、アルバム『プライヴェート・ダンサー』からシングルカットされた「愛の魔力(What’s Love Got to Do with It?)」が全米1位を記録。グラミー賞最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀女性ポップボーカル賞に輝いた。
スティーヴン・スピルバーグから直々にオファーされるが断った。
1985年の映画『カラーパープル』での歌手役を監督のスティーヴン・スピルバーグから直々にオファーされるが、ウーピー・ゴールドバーグが演じる主人公の姿があまりにも自分の苦い過去と似通っているため、冷静に演技ができないと断った。
脱出・逃走から9年、離婚訴訟決着から7年が経っていましたが、それでも昔の自分を思い出したくないほど、DVは深い傷を残しました。
【4】 オート → チェロキー
有名歌手ではないのですが、女性R&Bシンガーのチェロキー (Cherokee) の夫もドメスティック・バイオレンスがひどい人物です。
2人はプロデューサーとしてコンビで活動していましたが、マライアの夫と同じく束縛が厳しく、チェロキーは『自分があるのは全て夫のおかげ』『夫のいう事すべてに従わなければいけない』『夫の許可なしに自分で物事を決めてはいけない』と信じ込んでいました。
チェロキーの歌手としてのソロデビューを後押ししたレコード会社のスタッフが、この束縛状況を終わらせて、ようやくチェロキーは自分自身の考えで行動できるようになりました。









