【NAVERまとめでレポート作成】 任天堂の社名の由来は花札だった 花札屋から始まった任天堂

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wii u の売れ行きが悪いからって何だって言うんだ?赤字なんてなんのその。ラブホテルまで運営していた今までの歴史から考えると、そんなの屁の河童ですよ。

まずは、任天堂の歴史から

創業

木版の工芸家山内房治郎によって京都市下京区にて花札の製造・販売業「山内房治郎商店」として創業。当初は近畿の一花札会社でしかなかったが、1902年に骨牌税が導入されて同業社が次々と店を畳んでいく中、当時輸入品しかなかったトランプに目を付け、日本で初めてトランプの製造を行う。これを旧知の村井吉兵衛の協力の下、煙草の流通網を使い全国販売。一躍、日本有数のカード会社となる。

1929年に家督を継ぎ、2代目社長となった山内積良は「合名会社山内任天堂」、「株式会社丸福」(丸福は山内家の屋号である)を設立し、生産の合理化を図るなどし、任天堂の基盤を確実なものにしていった。
任天堂 – Wikipedia

※骨牌税について

1902年に北清事変以後の財政難と大陸情勢の悪化に伴って、アメリカの制度を基にして骨牌税法(明治35年法律第44号)が制定されて「骨牌税」として導入された。

戦後の1957年にトランプ類税法(昭和32年法律第173号)の制定によって同法は全面的に改正され、名称も「トランプ類税」と改められた。

1989年の消費税導入に伴う間接税の整理によって廃止された。なお、トランプに会社名が印字されているのは納税証明の為の印字で当該税の名残である。

税率は原則としてカード一組につき60円が一律にかけられていたが、例外的に原材料が高価な麻雀牌の場合には別体系の税率表が導入されて象牙製が6,000円、牛骨製が4,000円、その他原料で1,000円がかけられていた。

1950年代

1949年に山内積良が病気で倒れ、山内溥が家督を継ぐことになり、急遽大学を中退して三代目社長に就任。当初は若すぎた事から反発も受け、任天堂を去る者やストライキを起こす者などもいたが、「株式会社丸福」を数度社名変更し「任天堂骨牌」に定着させた後、生産工場を別個に立て生産の近代化を図るなどし、1953年には日本初となるプラスチック製のトランプを製造・販売。
1959年にはウォルト・ディズニー・プロダクションと提携し、ディズニー・トランプを発売。大人向け玩具と看做されていたトランプをカスタマイズして子供向け玩具として売り、大ヒットしたのをきっかけに、子供向け玩具(ボードゲームなど)業界に進出する。
任天堂 – Wikipedia

つまり、若干22歳の若さで社長に就任しています!

しかも、就任の際には、亡くなる直前の山内積良氏に対し、
「任天堂で働く山内家の者は自分以外に必要ない」
と言う条件を呑ませ、会社にいた山内家の従兄弟達を会社から退けています。

以後、現社長岩田聡氏が社長に就任する2002年まで、50年以上任天堂の社長として会社の舵を握っていました。

1960年代

カード業界で覇権を握り、1962年には大阪証券取引所市場第二部および京都証券取引所に上場。その成長ぶりは「日本国内の証券取引所の立会場で「手の中のカードを繰る」仕草は任天堂を指す手サインである」と言われる程のものであった。1963年には「任天堂骨牌」から「任天堂」に社名変更。
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1960年代に入ってから多角経営(1960年にダイヤタクシー、1961年に三近食品を設立)を行ったが、その全てがノウハウ不足などにより失敗し、またトランプが突然売れなくなったことから一転、1964年に倒産危機を迎える。迷走状態の最中、1965年に横井軍平が入社し、翌年にアイディア玩具「ウルトラハンド」で大ヒットを飛ばし、以降横井に与えられた「開発課」の玩具で業績を回復する。しかし、山内の他業種への進出の夢は1970年初頭まで続き、事務機器業界や育児関連用具業界、ラブホテル経営などへ進出したが、その全てが失敗に終わった。
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※ウルトラハンド
原始的なマニピュレーター(マジックハンド)であり、手元で開いたり閉じたりすることで、ハンドが伸びて目標を掴み、縮めてから放すという構造(パンタグラフ式)になっている。この構造が子供に受けて、140万個も売り上げる大ヒット商品となった。発売当時の定価は600円。

任天堂社長の山内溥が命名した。命名の由来は東京オリンピックの名残でウルトラCという言葉が流行っていたためである。

任天堂で設備機器の保守点検の仕事をしていた横井軍平が暇つぶしで社内で手製の伸び縮みするハンドを作って遊んでいたところを任天堂社長の山内溥の目に止まり、山内から「それを商品化しろ」と言われたのがウルトラハンドのきっかけとなった。

ウルトラハンド
現在で言うマジックハンドの原型ですね。

名前の由来について

「任天堂」という名前の由来は命名者であると目される山内積良がすでに亡くなっているため不明
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すでに本当の由来を知ることはできないが、現在2通りの推測がなされている。

名前の由来 推論① 前社長山内溥氏の見解

前社長山内溥氏は、井上理の著書「任天堂 “驚き”を生む方程式」の中でこのように述べている。

人生一寸先が闇、運は天に任せ、与えられた仕事を全力で取り組む。これが山内が定義した、ニンテンドウの社名の由来である。(P256)
井上理著「任天堂 “驚き”を生む方程式」

失意泰然、得意冷然(運に恵まれない時は、慌てず泰然として構え努力せよ。恵まれたときは、運に感謝し、冷然と努力せよ)(P257)
井上理著「任天堂 “驚き”を生む方程式」

つまり、

「人生どうなるかわからない。運は天に任せ、だけどもその日その日を一生懸命全力で生きよう。その結果、運に恵まれなかったとしても、今回は運が無かったと思い、次に進んでいこう。また恵まれた結果が出たときは、運が良かったと思い、運に感謝して冷静に今までの努力を続けよう」、私はそんな解釈をしました。
任天堂の社名の「意味」に学ぶ 〜失意泰然、得意冷然〜 – 中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談

名前の由来 推論その② フロラン・ゴルジュ氏の見解

フラン・ゴルジュ氏は「L’Histoire de NINTENDO (任天堂の歴史と玩具カタログ)」という任天堂創業からの歴史をまとめた本の著作者(協力:山崎功)であり、他の任天堂関連書籍の仏語翻訳者でもある。

最近出版された『The History of Nintendo 1889-1980: From Playing-Cards to Game & Watch』(任天堂の歴史 1889~1980年:花札からゲーム&ウォッチまで)には、任天堂の社名に別の意味があるかもしれないことが書かれています。
任天堂アーカイブプロジェクト | 活動履歴 | 出版物の履歴について

同書によると、「堂」は日本で社名に風格をもたせるためによく用いられる漢字で、「任」は何かを他者の手に任せるという意味があります。
「天」は文字通りの意味(「天上」の天)に受け取られるのが一般的で、歴史的背景を探ることはあまりありませんが、「天」は「天狗」の天でもあります。さて、このつながりは何でしょう?
「任天堂」という社名の真の意味に関する考察(Kotaku JAPAN) – 経済 – livedoor ニュース

花札製造の任天堂を創立したばかりの19世紀末、創業者の山内房治郎氏は売り上げ不振から抜け出す方法はないかと知恵を絞りました。高価な花札は売れ行きが悪かったため、山内氏は質を落とした低価格の花札を「天狗」の商品名で売ることを思いつきます。
「任天堂」という社名の真の意味に関する考察(Kotaku JAPAN) – 経済 – livedoor ニュース

任天堂 花札 天狗【赤】
現在も任天堂は花札を作っており購入することができます。

「天狗」が商品名となったのは偶然ではありません。当時、天狗は花札や賭博を象徴するものとして知られていました。天狗の長い「鼻」と花札の「花」をかけたのでしょう。また同書によると、その頃の大阪や京都の遊技場で賭け花札を遊びたい客は、鼻をこすって合図していたそうです。
「任天堂」という社名の真の意味に関する考察(Kotaku JAPAN) – 経済 – livedoor ニュース

花札製造を生業とした山内氏が、花札と天狗のつながりを知らなかったはずがありません。当時は他の花札屋も天狗を由来とした屋号をつけています。
「任天堂」という社名の真の意味に関する考察(Kotaku JAPAN) – 経済 – livedoor ニュース

さらに同書では「任天堂」は「自由に花札を遊べる聖堂」や「花札造りを任された会社」などの意味があるかもしれないと書いています。ただし著者も言うように、初代社長の曾孫にあたる山内溥前社長でさえ社名の本当の由来はわからないと言っていて、「運を天に任せる」が由来として一番もっともらしいだろうと話しています。
「任天堂」という社名の真の意味に関する考察(Kotaku JAPAN) – 経済 – livedoor ニュース

考察

自身の死の間際、若干22歳の山内溥の、
「任天堂で働く山内家の者は自分以外に必要ない」
という言葉を呑み、全権を預けるという大博打に打って出た山内積良。
この時積良は溥氏に、生意気さを感じたでしょう。自惚れるなとも思ったでしょう。
しかしそれ以上に、溥氏に頼もしさを感じたのではないでしょうか?
天狗というのは、博打の象徴としても考えられますが、本来は、力と、それ故の自惚れの同居した姿と考えることもできます。
積良氏は、「運(社運)を天(天狗=山内溥氏)に任せる」という意味を込め、任天堂という社名を残したのではないのでしょうか?
当まとめページ制作者の考え

NAVERまとめは、他サイトからの引用もしやすく、もしかすると大学のレポートや論文の作成に最適なのではないか?
そう思い、『任天堂の社名の由来は花札だった 花札屋から始まった任天堂』というテーマで、レポート風にまとめを作成してみました。

少々強引ですし、内容がとびとびでしたが、このくらいの分量と内容であれば可の単位くらいは取得できるのではないでしょうか?

NAVERまとめには、まだまだ新しい活用方法が残されていると思います。

いかがでしたでしょうか?
感想を頂ければ幸いです。

https://matome.naver.jp/odai/2136035005513962301
2013年02月09日