セレッソにおける8番とは!?
セレッソ大阪における背番号8番はサポーターにとってもチームにとっても重要なものです。
背番号8番はもともと元日本代表の森島寛晃がつけていた番号で、彼は「ミスターセレッソ」と言われ、セレッソ一筋でそのサッカー選手としてのキャリアを終えました。
森島は「モリシ」の愛称で親しまれ、また、「日本一腰の低いJリーガー」としても有名であり、多くの人々に愛されました。そのモリシが背番号8番をつけていたので、いつしか背番号8番はセレッソにとって重要な番号となったのです。
もっとも、彼が“ミスター”の冠を授かる英雄となり得たのは、物腰の柔らかさに象徴される彼自身の人間的な魅力があったからこそ。誰よりもひたむきに努力し、誰よりも結果を残し続ける姿を見せてきたからなおさら、背番号8は多くの人に愛されたのである。
一代目背番号8番、ミスターセレッソこと森島寛晃!
セレッソの象徴的選手!ゴール後に見せる飛行機パフォーマンスは有名!盟友の西澤明訓とともにセレッソを引っ張り、優勝争いに絡むも最後の最後で失点し優勝を逃し、無冠。さらに優勝争いをした次の年には必ずチームはJ2降格を味わう。
西澤との凹凸コンビはセレッソの特徴的攻撃で、息の合ったプレーからゴールをいくつも奪った。
2007年に謎の首痛を発症し、日常生活にも支障が出始める。2008年、復活を期してリハビリ・治療に励むも首痛は完治せず、試合出場は叶わなかった。10月30日、現役引退を発表した。
J2最終戦 第45節 vs愛媛FC戦ロスタイムに、自身が後継者として指名した香川真司に代わり現役最後の公式戦出場を果たした。出場時間はわずか28秒であったが、小さいからだの大きすぎる思いは確実にチームメイト、クラブ、そして後継者の香川真司に伝わった。
森島は2002年の日韓ワールドカップに、西澤と共にJ2クラブからの代表選出を果たし、グループリーグ第3節・対チュニジア戦で、日本の決勝トーナメント進出を決める決勝点を挙げる。この試合の会場は、C大阪の本拠地・長居スタジアムであり、「自国開催のワールドカップで、自分のホームスタジアムで得点を挙げる」という稀有な記録を達成する。
引退セレモニーでは、香川真司に8番のユニフォームを渡し、グラウンドで現役生活最後のゴールを狙いにいくが、シュートが外れたり、クロスバーに嫌われたりするなど、4本シュートを打って結局入ったゴールは、コロコロと転がるボールをゴールしただけだった。その後、香川真司をフィールドに呼び、香川のアシストを受けた森島は、ゴールを決め、ゴールを決めた時に見せる飛行機ポーズを披露した。
そして、8番は受け継がれた。
二代目背番号8番、世界に羽ばたいた、香川真司!
もはや説明は不要なんではないでしょうか?現マンチェスターユナイテッドの選手です。
三代目背番号8番継承者、清武弘嗣!
セレッソからプロを始めていない選手として、はじめて背番号8番を継承した。
背番号8番を継承するものとしては、半年間という短い期間であった。チームも低迷し、背番号を受け継いだ年の夏に、ドイツ・ブンデスリーガの1.FCニュルンベルクへの完全移籍をはたす。
香川の後継者としてナンバー8を背負った清武は、昨年夏、ニュルンベルクへの移籍会見で表情に悔しさをにじませた。晴れやかな舞台でやり切れない歯がゆさに苛まれていた原因は、やはりこのエースナンバーにあった。
「今年は8番をつけさせていただきながら、結果を残すことができませんでした。このタイミングで発表して、サポーターの皆さんやスポンサーの皆さんには、本当に期待を裏切ってしまった気持ちでいます」
そう語った移籍会見から約1カ月が経過した頃に話を聞いた時も、やはり背番号8への思いが先に立った。
「移籍は迷いました。8番をつけていながら、結果を残せなかったので。8番じゃなかったら、そこまで悩まなかったかもしれません。セレッソにとってはそれくらい重い番号やし、正直、重さをキツく感じることもありました。最初はそれほど感じなかったんですけど、試合を重ねながら、少しずつ。サポーターの皆さんからの声を聞いて、改めて、その重さを知りましたね」
清武本人インタビュー
こうして、背番号8番はあの男へと。。
4代目背番号8番継承者、セレッソの生んだ天才、柿谷曜一郎!
早くから天才と称され、4歳からこのクラブの下部組織で育ってきた柿谷であったが、良く言えば天真爛漫なキャラクターが災いとなり、挙げ句には失格の烙印を押されて失意のまま徳島ヴォルティスに新天地を求めた。しかし、そこで環境の変化や良き指導者、良き仲間に恵まれて本来の輝きを取り戻すと、昨年には2年半ぶりの復帰を果たし、チームの新たなエースとして獅子奮迅のパフォーマンスを見せた。前線で攻撃の中核となり、11得点を記録してチームをJ2降格の危機から救ったエースの姿には、明らかな成長の跡が見て取れた。
セレッソ大阪の背番号「8」――。1月30日、2013シーズンの新体制発表イベントで“継承者”としてこの背番号を身にまとった柿谷曜一朗は、偉大なる先人・森島寛晃と600人のサポーターを前に決意を語った。
(背番号8番は)すごく重い。僕がつけていい番号かどうか、自分でも何回も悩みました。でも、森島さんから『つけてくれ』と直接言われた時には、ちょっと泣きそうになるくらい感動しました。この背番号をもらうからには、森島さん、(香川)真司君、キヨ(清武弘嗣)、誰にも負けない8番を自分で作っていきたいと思います
4歳からこのクラブのユニフォームを着てきた柿谷は、おそらく香川や清武よりもこの背番号8の重みが意識の中に刷り込まれているのだろう。
彼の4歳当時、1994年シーズンは奇しくもヤンマーからセレッソ大阪に生まれ変わった節目の年である。それからずっとヒーローたる森島の姿を見て育ってきたのだから、「8」に対して強い憧れを抱いていても何ら不思議ではない。森島本人から直接打診されて「泣きそうになった」というのも理解できる。
おそらく今シーズン、柿谷は香川や清武が肌で覚えた、背番号8の想像以上の重みを知ることになるだろう。しかしそうして受け継がれていくエースとしての責任感が、天才の可能性をさらに広げてくれることは間違いない。
番外編、セレッソにおける背番号20と背番号13!
20といえば。。
かつてのモリシの盟友である大型ストライカーがつけていた背番号20。この番号は、セレッソの生え抜きであるこの男に託された。
背番号20番、杉本健勇!
次期エースナンバー候補の背番号13番
この番号は清武がかつてつけており、清武から柿谷へたくされた。清武も柿谷も8番を継承しており、次期エースナンバー候補がつける番号といっても過言ではない。その番号を受け継いだのが。。
セレッソの生んだ生え抜き、香川真司以上の才能の持ち主、南野拓実!
南野が受け継いだ「13」は「8」を背負うための通過点。
新エース誕生のお披露目となった舞台で、ユースから昇格した南野拓実はこう言った。
背番号13番を着けさせてもらうことになりました。13番は、僕にとって憧れの先輩たちがつけていた番号なので、すごく重い番号です。それに負けないように、しっかり自分らしい13番にしていきたいと思います
森島が魂を吹き込み、冷凍保存することなく受け継がれてきた「8」。そして、その栄光のナンバーに到達するまでの“ステップ”として、清武と柿谷の決意を染み込ませてきた「13」。次々にトッププレーヤーを輩出してきたこのクラブの“次なる才能”は、特別なナンバーによって導かれているのかもしれない。













